2014年01月15日

霊学138

肉眼でも見ることのできる生命現象の霊的形姿を霊眼によって見るまでに進歩した神秘学徒は物質的な現象形態をまったくもたないので、神秘学の教えを受けたことのない者にはまったく隠されているような事象をも観ることのできる段階のすぐそばまで来ている。
シュタイナー

健全な感覚と鋭敏な観察力を用いて、感覚世界に観入し、そして自分の感情に自己を委ねればよい。事物が何を意味するかを思弁的な悟性の力で決定しようとしてはならない。事物そのものに語らせねばならない。
シュタイナー

段階を追わないと、非常に抽象的に聞えるが・・・

その行を見ることにする。

神秘学が高次の諸世界での位置確認と呼ぶものもまた重要である。霊界で方位を正しく定めるには、感情や思考が感覚界での机や椅子とまったく同じ現実的な事実なのだという意識を身に付けなければならない。
シュタイナー

霊界という、幻想を見ても、である。
それが、霊界か、否かは、判定できない。

延々として、シュタイナーが、語るが・・・
具体的な行のあり方を見ても、尚、抽象的に思える。

神秘学でなくても、その注意力は、生きるに必要なことである。

魂や霊の世界での感情、思考は物質界での感覚的事物と同じように、相互に作用し合っている。
シュタイナー

当然である。
霊界の事柄は、この世の事物と、相互に作用し合っているのである。
それは、特別なことではない。
霊界を知る者は、皆、それを知る。

神秘行においては、自分の思考と感情に対して、地上を歩むときと同じ注意深さをもとうとしないと、進歩することができない。
シュタイナー

と、いうより、それ以外の方法は無いだろう。

例えば、
音の世界のまた行の対象になる。
ということで、その説明を簡単にすると・・・

無生物によって生じる音と、動物や人間の発する生物の音「声」を区別しなければならない。
鐘の響きを聞くとき、それと結び付いている快さの感情も同時に生じる。
けものの叫びを聞くときは響きから受け取るこのような快さの感情以外に、その動物の内なる快さや苦の現れをも感知する。

彼は音が自分自身の魂の人に存する何かを告知しているという点に、注意力のすべてを集中する。そしてこの自分とは異質なものの中に沈潜する。
シュタイナー

音を発する存在自体の中でいとなまれるものだけが彼の魂を充たすまでに至たらなければならない。
シュタイナー

何も、神秘学云々の話ではない。

この世の話である。
霊界という、言葉を使用するが、すべて。この世の注意深さのことである。

これが、シュタイナーの勘違いさせるものである。

このような行を続ける人は音を発する存在の内面といわば融合する能力を獲得するであろう。
シュタイナー

自然と接する仕事をする人々などは、とっくに、このような行をしている。
改めて、このように書くと、そんな気になるが・・・

霊界参入などという言葉を使わずとも、この世で、十分に、その行を成しているのである。

神秘学徒は全自然をこのような仕方で感得する術を学ばねばならない。―――そしてこのことを通して感情と思考の世界の中にひとつの新しい可能性がひらかれる。全自然がその響きを通して人間に秘密をささやく。
シュタイナー

随分と、文学的である。

そのときからは自然の意味深い言語となる。
シュタイナー

これは、散文というより、詩のような、表現である。

神秘学徒にとって特別の重要さをもつのは、他の人間の語る言葉に耳を傾ける仕方である。
シュタイナー

それは、他の人間が語ることに対して、一切の反応をしないということだ。
賛成も、反対も、無く、沈黙する。
そうすると、自然な仕方で、傾聴という、新しい態度が習慣化されるようになる。

カウンセラーは、まさに、そうである。
相談者の語りを傾聴するのみ。

カウンセラーの仕事は、それに尽きる。
傾聴とは、共感と受容である。

賛成、反対・・・そんなものはない。

シュタイナーの言う、行とは・・・
それは、生きるということを、より深めるためのものである。
霊界参入のため、ではない。

すべの行は、その注意深さのためにある。
後で、霊界に関して、多くを語るが・・・

私から見れば、霊界というより、現実の世界の、深さのことである。




posted by 天山 at 07:03| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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