2014年01月11日

天皇陛下について168

王権が、祭祀的機能を持たなかった。
だが、ローマ法王は、政治的機能も持っていた。

ここに、西欧の独特の力学があったと、いえる。

ローマ法王庁は、つねに一定の政治的影響力を行使したのである。

そして、今なお、超民族的な祭祀の中心と、精神的権威を有している。
勿論、西欧に、おいてである。

天皇をローマ法王に似たものとして、認識する学者、識者がいるが・・・
勉強不足である。

ローマ法王の、何たるかを知らない。
法王は、神の代理者である。

更に、日本の天皇は、その神の代理者でもなく、超越した、神という観念の無い日本で、現人神といわれる事態は、全く、その神観念が違うである。

古来から、日本人は、人は皆、神であった。
現人神とは、国民のことであり、天皇は、現人御神で、あらせられた。

しかし、西欧キリスト教のような、超越的存在の、神観念が無いから、天皇が、神であるといっても、全く別物である。

昭和天皇が、人間宣言をしたというが、天皇は、神であったことはない。

言葉の価値、観念が違うということに、何故、気付かないのか・・・
不思議だ。

更には、天皇が、政治的権力を持っていたこともない。
天皇の政治は、皆々の、意見を聞いて、それに添って、承認する形を取る。

そのことも、知らないという・・・
愚かである。

もし、日本も、西欧のように、権力、武力によって、治められる国ならば、西欧の考え方、その西欧の思想に準じて、考えてもいい。
だが、鎌倉幕府から、江戸幕府という、武家の政治が続いた際も、日本の元首は、天皇であった。

中には、天皇家も、一つの領主という、アホもいたが・・・
武家は、京都御所にいられる御一人に対して、無視することはなかった。
何故か。
国民が、それでは納得しないからである。

天皇に委任されたという承諾があればこそ、国民は、将軍を認めたのである。

何故、これほどまでに、西欧の歴史観、政治学から、天皇の存在を考えたのか・・・
それは、単なる、劣等感と、西欧迎合の精神である。

普通私たちは、個人の自由と国家権力とを対立させて取り扱うのをつねとする。ヨーロッパ史においてもそうであった。しかしその意味する処が、根本から異なる。源流において異なるのである。
西尾幹二

西尾氏は、西欧の大学を説明して、その違いを言う。

最古の大学のひとつである、パリ大学は、12世紀、法王インノケンチウス三世に認知されて、創設された。
国王に、認可権は無かったのである。

つまり、学問の自由、という近代的観念さえ、西欧では、政権と宗権の緊張関係から、発していたという。

大学は、宗教権力の威光をバックに、王国の境界を越えて、広く西欧の精神界に、君臨したのである。

そして、学僧たちは、大学でラテン語という、共通語により、学問をした。大学は、国王の力の及ばない聖域であった。
学問の自由、という、近代的観念は、宗教権力の庇護のもとに、鍛えられたのである。

大学は国家に対し、つねに一定の距離を保つ独立団体としての性格を保持していた。それはパリだけではなく、その後各地に創設された中世ヨーロッパの各大学に一般的であった。そしてまことに不思議なことだが、この中世的性格が大学の中から失われていく推移とともに、学問の自由とか大学の自治が脅かされて・・・
西尾

宗教権力にとって替わって、別種の国家的制約が生じたからに外ならず、これはフランスに最も早く、最も典型的に現れた、という。

フランス革命は、宗教権力の牙城としての大学を、敵視した。
革命軍にとって、国家から独立した権威が存在することが、邪魔だった。

ロシア革命も、ナチの右翼革命も、同じである。

ナポレオンは、いち早く、フランス各地の大学を国有化すると共に、教育制度全体を中央集権化して、その頂点に大学を据えた。

つまり、大学は、国家に縛られるようになる。

何を言いたいか・・・
近代的自由というものは、単純ではなく、歴史の逆説を内臓して展開してきたということである。

西欧の、その複雑な歴史の波動を引き起こしたのは、宗教と政治の関係、その緊張感である。

ヨーロッパ史の特有のもので、日本の天皇制と武家政治とをこれに簡単に対比することは、比喩としての面白さはあっても、余り意味のない作業になるのではないかということを私は強調しておきたい。
西尾

りんごと、ミカンを、比べられない。
果物だが、それぞれ、違うものである。

そんな簡単なことに、気付かず、西欧と日本を比較する事は、出来ない。
特に、天皇に関しては・・・



posted by 天山 at 06:02| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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