2014年01月01日

神仏は妄想である。455

歴史的批評家は、最後に書かれた福音書である「ヨハネ」が、非常に近い将来、人の子がユートピアの到来を告げるため、審判を下しに地上に降り立つことに言及していないのももっともだと考えている。「マルコ」では、イエスは、自分の世代、すなわち弟子が生きているうちに、終末がすぐにでもやって来ると予告している。おそらく西暦90年から95年ころに書かれたと思われる「ヨハネ」の時代には、前の世代の人間や弟子のほとんどはすでに死んだ後だった。要は、新しい王国が到来する前に、彼らは死んでしまったわけである。もし永遠の王国がこの地上に出現しないなら、どうすればいいのだろうか? 王国説を再解釈してしまえばいいのだ。ということで、ヨハネは王国の概念を根底から覆すことで、新たな解釈を編み出したのである。
アーマン

つまり、ヨハネは、嘘の上塗りをしたのである。

宗教の基本的、教義は、嘘の上塗りが、常套である。

マルコと、ヨハネのイエス像は、全く違う。
ヨハネでは、イエスは、ほとんど自分のことばかりを、話している。

自分は、何者か。
何処から来て、何処へ向かうか。
そして、いかにして自分が、永遠の命を与えることが出来るのか。

だが、ヨハネでは、未来の神の国について、イエスは説いていない。

「わたしは」からはじまる、決まり文句である。

わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のものに行くことができない。

イエスを信じることで、救済の道が開かれるというのである。

ヨハネの作為である。
要するに、初期のイエス教団から、更に、進めて、新しいイエス教団の教えということになる。

わたしと父は一つである。
つまり、イエスは、神と同等なのである。

だがそれは、ユダヤ教徒にとっては、神への冒涜以外の何物でもない。
だから、その証拠に、彼らは、石を手に持ち、イエスの冒涜行為を、糾弾するために、殺そうとする。

更に、ヨハネでは、イエスがユダヤ人との対話で、自分が神だと、主張している箇所が多々ある。

アブラハムが生まれる前から、わたしはあると彼は言った。
アブラハムは、ユダヤ人の祖である。

更に、イエスは、燃え盛る柴の間で、モーゼの前に現れ、自分の民を解放するように、ファラオに要求せよと命じた旧約聖書の一節に、言及している。

モーゼは、神にその名を尋ねた。
すると神は、「わたしはある・・・イスラエルの人々にこう言うがよい。「わたしはある」という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだ、と答えた。

従って、イエスが、わたしはある、と言ったとき、彼は聖なる名を名乗ったのである。

ヨハネのイエスは、聖なる存在として自分を語る。
更に、マルコでは、神の国の到来を説くが、ヨハネでは、それが無い。

ヨハネの、イエスの説教は、神が統べる王国が到来し、あらゆる悪が根絶されるだろうという、発想が無いのである。

その代わり、人が霊的に生まれ変わることによって、天国での永遠の命を獲得しなければならないと、訓戒している。

そこでは、この地上が神の国になるのではなく、天国と地上が、新たに、創り返られるわけではない。

イエスへの、信仰が、永遠の命を授けてくれるのだ。

ここで、永遠の命とは・・・
一体、何のための、永遠の命なのだろうか・・・

救いというのは、永遠の命を得ることなのだろうか。
ヨハネに言わせると、そういうことになる。

更に、キリスト教徒も、天国で永遠の命を生きると、信じている。

そんなことが、救いなのだろうか・・・
実に簡単なことである。

では、永遠の命など、必要ない人は、イエスを信じる必要は無い。

贖罪とか、救済とか・・・
永遠の命を得るために、必要なのか。

マルコの黙示的思想世界観は、歴史を二元論から論じる。
それも、水平的である。
ヨハネは、その水平的な二元論を、垂直的なものに、置き換えた。

だが・・・
どうしたって、作り物である。

王国が、地上に出来ると言うものと、王国は、天にあるというものと・・・

現在も、キリスト教新興宗教の中には、地上に千年王国が出来ると言う集団もある。

いずれにせよ、人間の頭で、考えられたことである。
それにしても、今時、永遠の命、云々とは・・・

人間は、生まれた時から、罪あるもので、つまり、原罪があり、そして、イエスを信じて洗礼を受けることで、罪が許され、更に、イエスを信じることで、天国で、永遠の命を得るという。

子供騙しである。
完全に、こうして、イエスが、キリストであると、作り上げられて行った過程が、見えるのである。

posted by 天山 at 08:30| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月02日

神仏は妄想である。456

なぜイエスは奇跡を行なうのだろうか? ほとんどの人は、彼が人びとを憐れみ、人びとを苦痛から開放してあげたかったからだと答えるだろう。事実、この答えは、共観福音書には当てはまる。しかし、それだけではない。共観福音書に出てくる奇跡は、待望の王国が、イエスの内部にすでに到来しつつあることを示唆しているのだ。
アーマン

アーマン氏は、学者である。
上記の奇跡について、私は、まず、このように説明したい。

今も、昔も、変わらず、人は、奇妙なこと、奇跡を好む。
特に、宗教に入信している人たちは、奇跡を信じたいし、それを、願う。

更に、現在も、宗教の月刊誌、紹介誌などに目を通すと、必ず、不思議な出来事が紹介される。

その、不思議な出来事は、別の宗教団体が出すものに載っていても、不思議ではないほど、似ている。

まず、病が治った・・・実に多く、一般的である。
だが、病が治ったが、死ななかったという、話は一つもない。

更に、何々が、解決した・・・
人生問題が、解決してゆくのである。

人は、今も昔も、奇跡が好きだということは、福音書だけの話ではない。
すべての、宗教に言える。

さて、奇跡ということが、あるのか・・・
奇跡ということが、あるとすれば、それは、神や仏が起こすものではなく、自分が起こしていることである。
自己暗示という、素晴らしい方法がある。

その自己暗示を、より強く発動させるために、何かを信じ込むという、方法も有効である。人間は、弱いものだからだ。

マルコ、ルカ、マタイの福音書には、奇跡話花盛りである。
それほど、イエスを印象付けるために、必要だったのだ。

そして、宗教の、ピンからキリまでが、その手を使う。
奇跡は、嘘である。

例えば、病が癒えても、人間は、死ぬ。
死ぬことからは、逃れられない。
信じて、いつまでも、死なない人とは、聞いたことが無い。

癌の手術をして、治ったが、すぐに、死ぬ。
医学も、奇跡のうちに入る。

更に、カトリックの司祭の中には、病も、神の与えたたもうたものとして、治療を受けない人もいる。

ここまで、自虐的になることは、ないと、思うが・・・

福音書作者は、人々を信じさせるために、奇跡を数多く書き付ける意義を感じていたのである。

ラザロという死者までも、生き返らせている。
これは、反則である。
死者を生き返らせることは、罪である。
有り得ないことだからだ。

稀に生き返る人もいることを、私は知る。
医学的に死亡が確認されたが・・・
実は、生きていた。そして、目覚めた。

福音書に書かれる奇跡を、イエスが本当に行なったならば、イエスとは、偉大な霊能者、能力者ということになる。
そして、福音者は、そのように解釈している。

奇跡があると、信じやすい。

何せ、マスコミに出る、霊能者という者が、少し先のことを、預言して当たるだけで、人々が、そこに集うのである。

生まれてきて、生きているということが、奇跡以外の、何物でもないことを、知る人は少ない。

旧約聖書から、新約聖書に流れる、奇跡物語は、その主人公、つまり、神というものが、魔物である、証拠である。

神=天地自然は、すでに奇跡を行なう。故に、それ以上の奇跡を行なわないのである。

イエスをキリストに、作り上げた人々は、魔物を作り上げたと言える。
イエスは、人間として生まれ、政治的理由により、磔にされて、死んだ。

歴史的、イエスを追えば、それは、分るものである。

更に、そのキリスト教という、宗教の成り立ちである。
イエスは、ユダヤ教徒であり、そのユダヤ教の改革を行なうために、一派を立てた。
何も、特別なことではない。

当時は、多くのイエスのような者たちが、存在していた。
イエスも、その一人である。

イエスに洗礼を授けた、洗礼者ヨハネも、その後、政治犯として捕らえられ、殺された。

ユダヤ教に、吹き荒れた、反ユダヤ主義・・・
つまり、体制批判の、ユダヤ教徒の皆々である。

もし、キリスト教が、生まれなければ、イエスは、ユダヤ教の一派として、生き残っていた可能性がある。

キリスト教の成立も、政治的権力による。
すなわち、イエスの存在がなくても、キリスト教が、出来た可能性がある。

つまり、白人の宗教である。
白人達が、持ち上げる宗教が必要だった。
その野蛮性、残忍性を、肯定する宗教と、神である。

その後の、西欧の歴史を見ればいい。

イエスも、人間の救いの救済のために、捧げられた、生贄である。
あちらは、生贄が必要な民族である。
それも、草木のようなものではなく、血にまみれた動物の死体を、捧げる生贄である。

丁度、手ごろなところに、磔された、イエスという、人間が存在した、という程度に、考えるとよい。


posted by 天山 at 03:30| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月03日

神仏は妄想である。457

事実、この答えは、共観福音書には当てはまる。しかしそれだけではない。共観福音書に出てくる奇跡は、待望の王国が、イエスの内部にすでに到来しつつあることを示唆しているのだ。
アーマン

共観福音書とは、ヨハネを省く、マルコ、マタイ、ルカである。

その前に、奇跡とは、何か。
不思議な業である。
不思議とは、超自然・・・

通常は、有り得ないことである。

教祖、開祖にいえるのは、皆々、奇跡を行なうということである。
勿論、その後の人たちが、創作したものである。

現在も、多くの宗教では、奇跡、不思議なことが起こったという。
そして、不思議なことが起こると、信仰が深まるのか、更に、迷いに入るのか・・・

兎に角、病気が治った、商売が繁盛した・・・
ご利益があった・・・

奇跡、超自然、不思議なこと・・・

実は、超自然というものも、自然なのであるが。
自然の中には、超自然も、含まれてある。

こういう例がある。
高齢の男性が、肝臓癌と診断された。
そして、手術を受けることになった。
海外にいる、息子たちも駆け付けた。

ところが、前日になり、肝臓癌が消えている・・・
嘘・・・
ところが、本当の話だ。

さて、この方が、何かの信仰を持っているとしたら・・・
奇跡だ、奇跡が起こった。信仰のお陰だ、となるかもしれないが・・・

本人は、何の信仰も無かった。
そして、消えたと聞いても、あーーーと言っただけ。

家族も、唖然である。
そういうことが、この世にはある。
それで、奇跡、不思議だと、騒ぐことは無い。
そういうこともある。

福音書の中で、イエスの奇跡を書かざるを得ない状況である。
それが、待望の神の国の到来である。
それを、告げるために、書かざるを得なかった。

勿論、少しばかりの、不思議はあるだろうが・・・

福音書の奇跡物語は、創作である。

イエスの内部に到来しつつあった・・・それを示唆する。
ルカは、書く。

主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に開放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ・・・
この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した、とイエスは言った。

旧約聖書の書かれている、預言の成就を成り立たせるために・・・

共観福音書は、神の王国へ人々をいざなう、永く待たれた人物として、イエスを描くのである。

だが、ヨハネでは、違う。
奇跡と言わない。
しるし、と言う。
そこにも、魂胆がある。

ヨハネと、他の福音書では、その意味が異なるのである。

「ヨハネ」に出てくるしるしは、イエスへの信仰を広める目的を負っている。
アーマン

しかし、
「マタイ」では、超自然的な現象を通して、イエスが自分の正体を立証する場面が、極めて厳格に除外されている一方で、「ヨハネ」では、イエスのアイデンティティを証明することこそが、奇跡の眼目なのである。
アーマン

更に、マタイでは、ユダヤ人の指導者たちに、ヨナのしるし以外のしるしを見せることを拒む。ヨハネには、そんな箇所は無い。
更に、イエスの宣教する前に、荒れ野で悪魔の誘惑に遭うことも、ヨハネでは記述が無い。

「マタイ」では、イエスは自分の正体を明かす手段としてしるしを行なわない。「マタイ」の中で、奇跡が奇跡と呼ばれ、しるしと呼ばれないのは、そのためである。奇跡は、それを必要とする人々を助けるための力の発現であり、神の国がまもなく訪れることを示すためのものなのだ。
アーマン

ヨハネの、しるしは、イエスを信じさせるためのものである。

福音書を遅く書き上げた、ヨハネ教団は、一番、イエスの多くの教団から、疎外されていたと思われる。

イエスの死後、そして、復活の後で、神の国は、すぐに到来しなかった。

勿論、神の国など、到来するはずがない。
永遠に到来しないだろう。

イエス自身も、到来すると、信じていたのである。
ユダヤ教徒の一人として・・・

福音書の作者たちが、それぞれの団体、個人の思いで、書き続けたものという、認識が必要である。
つまり、福音書は、創作されたものである。

それは、事実ではない。
だが、事実ではないが、真実があるという、ご大層な、妄想に付き合うことはない。
問題は、事実である。


posted by 天山 at 00:17| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

国を愛して何が悪い109

明治の偉大な、教育者であり、農学者であり、内村鑑三と並ぶ、敬虔なキリスト教徒であった、新渡戸稲造が「BUSHIDO---THE SOUL OF JAPAN」日本の魂、という英文の名著を残している。

これは、アメリカで刊行されるや、欧米各国で、ベストセラーになり、日本語版も版を重ねて、世界各国で広く迎え入れられた。

セオドア・ルーズベルト大統領、エジソンも愛読者で、特に、ルーズベルトは、これを一読し、深く感動して、多くの友人、知人に贈呈したという。

何故、新渡戸が、これを書くことになったのか・・・
それは、キリスト教徒である、欧米の知識人たちから、宗教教育のない日本で、人々が、どのように子孫に道徳教育を行なっているのか、という質問、疑問を度々、投げかけられたからである。

それは、欧米人は、宗教教育なくば、道徳というものが、生まれないという、強い観念に縛られているということである。
つまり、宗教がなければ、野放図な人間になってしまうということでも、ある。

とすると、日本には、日常的に、宗教教育に近いものが存在するということである。
道徳教育を、宗教教育と、考えるとすると、である。

日本人の、日常生活の中で行なわれる、様々な、伝統的な、教え・・・
これは、宗教教育ではなく、そのまま、伝統教育といえるものである。

神仏に対して、自然に身に付けた、所作・・・
それは、教えられるというより、自然に身に付けて行くものである。

だから、新渡戸の、武士道という本が出た時に、欧米人は、驚いたのである。
更に、それは、武士の道・・・
彼らには、騎士の道があるではないか・・・

しかし、それとも、違うのである。

だが、武士道とは、武士における、道であろう。
それが、日本人全般に行き渡るという、新渡戸の、武士道というものを、見る価値はある。

武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。それは古代から徳が乾からびた標本となって、我が国の歴史のサク葉集に保存せられているのではない。それは今なお我々の間における力と美と活ける対象である。それはなんら手に触れうべき形態を取らないけれども、それにかかわらず道徳的雰囲気を香らせ、我々をして今なおその力強き支配のもとにあるを自覚せしめる。・・・
封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている。
新渡戸稲造

新渡戸は、その試みを、第一に、我が武士道の起源および淵源、第二に、その特性および教訓、第三に、その民衆に及ぼしたる感化、第四に、その感化の継続性、永久性を述べるという。

ブシドウは、字義的には武士道、すなわち武士がその職業においてまた日常生活において守るべき道を意味する。
新渡戸

つまり、武人階級の身分に伴う義務である。
武士の掟・・・

それは、民族的特性を極めて、顕著に表現することになる。

ゆえに、非常に難しいものとなる。
武士道に対するものとして、騎士道なるものがあり、だが、それも失われて久しいのである。

勿論、騎士道にも、潜在的に、それに起因する様々な、問題解決の道があり、礼節という意味では、失われていない。
更に言えば、ジェントルマン、紳士という言葉に進化した。

武士道は、道徳原理の掟であり、武士が守るべきことを要求されるものであり、教えられるものである。

それは成文法ではない。
新渡戸

口伝により、もしくは、数人の有名な武士、学者によって、伝えられる、わずかな格言のみ。

むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録される律法たることが多い。
新渡戸

ちなみに、武士道の大本は、葉隠、という書にある。

鍋島藩の藩士である、山本常朝、やまもとじょうちょう、の、葉隠である。

それは、後々に紹介する。

武士道は、不言不文である。
実行、行為によってのみ、それが表現される。
更に、それは、数十年、数百年を経ての、武士の生活の有機的発達である。

イギリスにおいて封建制の政治的諸制度はノルマン征服の時代に発していると言われるが、日本においてもその興起は12世紀末、源頼朝の制覇と時代を同じくするものと言いうるであろう。しかしながらイギリスにおいて封建制の社会的諸要素は遠く征服者ウィリアム以前の時代に遡るがごとく、日本における封建制の萌芽もまた上述の時代より遥か以前から存在していたのである。
新渡戸

武士の起こる前から、存在していた、武人というもの。

日本最古の歌集、万葉集では、防人が存在する。
更に、朝鮮半島に出兵した兵士たち・・・

武士道の前に、武人の心構えというものがある。

建国の神武天皇の、神武の、武は、矛を収めて、和平によって、政を執り行うという意味で、使われたのである。

武人は、神武天皇からはじまる。
つまり、日本建国から、はじまっているということだ。

posted by 天山 at 04:51| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

国を愛して何が悪い110

新渡戸は、武士道の淵源を語るに、仏教から、はじめている。

運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤しみ死を親しむ心、仏教は武士道に対してこれらを寄与した。
新渡戸

確かに、そのようである。

剣の達人、柳生宗則但馬守は、その門弟に、極意を教えた後、これ以上の事は余の指南の及ぶところではなく、禅の教えに譲らねばならない、と、言った。

この、禅は、剣の道に実に、貢献したといえる。
禅とは、
言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する。
新渡戸

という、ことだ。
言葉遊びの禅ではない。

禅は、それゆえ、行為を重んじる人たちに、支持された。

例えば、茶の湯である。
その心の、置き所を確たるものにする。

言語を超えるとは・・・
それは、行為にある、心得である。
そして、それは、また、百人百様の様がある。
つまり、己で、知る世界であるから、人に云々と、解かれても、如何ともし難いものである。

職業宗教家の、禅は、論外である。
つまり、瞑想なのである。

その瞑想をよくする者は、行為者である。

新渡戸は、
私の了解する限りにおいては、すべての現象の底に横たわる原理、能うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。
と、言う。

そして、それは、一宗派の教義以上のものである。

絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するのである。
新渡戸

キリスト教徒でも、瞑想は、必要である。
黙想とか、気付きの沈黙の行為とか・・・

しかし、白人キリスト教徒は、その言語の頼ることに慣れて、兎に角、言語での説明を求めるゆえに、東洋の瞑想を理解するのは、至難の業である。

禅の瞑想は、インドのヨガから、発展したものであるが、日本にて、更に、その瞑想を推し進めた。
それは、宗教者以外に、特に支持された傾向がある。

武蔵は、最後に、剣を取らずに、相手に勝つことを、説く。
その境地にまで、達するのである。

それは、死を恐れることのない、絶対的境地を得るからだろう・・・
と、簡単に書けるが・・・

現代の物質文明の中にあっては、それを理解するのは、不可能に近い気がする。

次に、新渡戸は、仏教が、与えなかったものを、神道が供給したと、言う。

神道の教義によりて刻みこまれたる主君に対する忠誠、先祖に対する尊敬、ならびに親に対する孝行は、他のいかなる宗教によっても教えられなかったものであって、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。
新渡戸

ここに神道を見た、新渡戸は、実に賢い。

何故なら、神道では、そのようなことを、言挙げしないのである。
しかし、無言のうちに、それを伝えていたということである。

その、所作に、それを伝えた神道の業である。

新渡戸の、武士道という、語り尽くせぬ源流を、ここに置いたことは、正解である。

彼は、キリスト教徒である。
故に、実に、キリスト教徒に対して、説得力がある。

神道の神学には「原罪」の教義がない。
新渡戸

神道には、神学など無いし、必要としない。
しかし、あえて、神学と書くところは、キリスト教徒を意識してのことである。

人の心の本来善にして神のごとく清浄なることを信じ、神託の宣べらるべき至聖所としてこれを崇め貴ぶ。神社に詣ずる者は誰でも観るごとく、その礼拝の対象および道具は甚だ少なく、奥殿に掲げられたる素鏡がその備え付けの主要部分を成すのである。
新渡戸

鏡のみ・・・

それは人の心を表わすものであって、心が完全に平静かつ明澄なる時は神の御姿を映す。
新渡戸

つまり、偶像礼拝ではないのである。

この故に人もし神前に立ちて礼拝する時は、鏡の輝く面に自己の像の映れるを見るであろう。かくてその礼拝の行為は、「汝自身を知れ」という旧きデルフィの神託と同一に帰するのである。
新渡戸

この、汝自身を知れ、とは、道徳的性質の内省たるもの。
つまり、神道の礼拝の根幹は、それ、己の道徳的性質の、内省、というのである。

これほど、明確に、神道の参拝を説明したものはない。
鏡に映る、我が道徳の姿を観る。

この道徳を、大和言葉で言えば、神ながらの道、かんながらのみち、となる。
唯神道、である。

新渡戸の、武士道は、見事な日本論である。


posted by 天山 at 07:08| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月06日

国を愛して何が悪い111

神道の自然崇拝は国土をば我々の奥深きたましいに親しきものたらしめ、その先祖崇拝は系図から系図へと辿って皇室をば全国民共通の遠祖となした。我々にとりて国土は、金脈を採掘したり穀物を収穫したりする土地以上の意味を有するーーーそれは神々、すなわち我々の祖先の霊の神聖なる棲家である。
新渡戸

こういう意識が、語らずとも、国民の意識に潜在的に存在していたということである。
改めて、新渡戸が、このように、書いたという、事実である。

そして、私は、これを民族の智恵と言う。

その智恵の最大の、存在は、天皇である。

また我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛を御一身に兼備したもうのである。
新渡戸

正に、新渡戸の言うとおり、天皇の存在を的確に表現している。

プートミー氏がイギリスの王室について「それは権威のイメージたるのみではなく、国民統一の創造者であり象徴である」と言いしことが真であるとすれば(しかして私はその真なることを信ずるものであるが)、この事は日本の皇室については二倍も三倍にも強調せられるべき事柄である。
新渡戸

新渡戸は、キリスト教徒である・・・
しかし、これほど、日本について、冷静に凝視出来るということは、驚くべき事である。現在の、日本のキリスト教徒に、これほどの、冷静さを求めることは、出来ない。

軽薄なキリスト教信仰の話に、始終するだろう。
まして、天皇、皇室について、これほどの、教養を持ち合わせないのである。

神道の教義には、我が民族の感情生活の二つの支配的特色と呼ばれるべき愛国心および忠義が含まれている。
新渡戸

神道家が、言わないであろうことも、このように言う。

神道を冷静に見つめると、そのような要素によって、成り立つことを、新渡戸は、見抜いたといえる。

国民感情と、その生活の中に、神道は、それを伝えるのである。
神主が、ただ、御幣を振って、人々を祓い清めるだけの、所作の中に、それだけの、意義を見出した。

それは国民的本能・民族的感情を入れた枠であるから、あえて体系的哲学もしくは合理的神学たるを装わないのである。
新渡戸

卓見である。
体系的哲学、合理的神学・・・
それを好む、欧米のキリスト教、指導者、信徒・・・
そして、現代の、賢い馬鹿たち・・・

体系的神学・・・など、どれほどの価値のあるものか。
それらは、人間の頭で、捏ね繰り回した、妄想の数々である。

この宗教―――或いはこの宗教によって表現せられたる民族的感情と言った方が正確ではあるまいか? ―――は武士道の中に忠君愛国を十二分に吹き込んだ。これらは教義としてよりも刺激として作用した。
けだし神道は中世のキリスト教会と異なり、その信者に対しほとんどなんらの信仰箇条をも規定せず、かえって直截簡単なる形式の行為の規準を提供したのである。
新渡戸

教会権威の威圧的要素は、神道には、全く存在しないのである。

更に、監視されなければ、その教えに従わないという、人種でもない。
それは、全て、我が身、自分の中で行なわれる。
規則、作法を、我が身が、作り上げるということである。

それが、また、他の人々に、認知されるという、民族性である。
恥を恐れるという、見方も、そこから出たものであろう。

他人の目ではなく、我が身の、我が目が、重要なのである。
つまり、それは、身を律するという行為になる。

武士道とは、死ぬこととみつけたり・・・
それは、その目が、我が目であるという、強い意識である。

死ぬ時節に、心を安泰にして、死に身を任せるという、諦観。
それは、強さであろう。

それもまた、自然発生的に、合理的神学など、必要とせず・・・受け入れる。

個々で、新渡戸が、宗教という言葉を使用するが・・・
日本には、宗教という言葉は無い。
あれば、伝統である。

しかし、欧米人に語るためには、宗教という言葉が、最低限必要である。

欧米人の伝統という、観念とも、違うからである。
更に、彼らには、伝統と呼べるものは、宗教なのである。

欧米人は、宗教的規範が無くなれば、野蛮人と同じになる。
だから、強く、宗教を意識する。

更に、それが、差別の対象にもなる。
キリスト教を知らない民族は、野蛮で、未開の民族である。
そこからは、また、実に、傲慢な、行為が現れる。

未開の民族、あるいは、キリスト教を知らない人間は、動物に近い・・・
故に、動物のように、扱ってもよいと、なる。

それが、大航海時代の、彼らの、蛮行を生んだ。

次に、新渡戸は、孔子の教えから、武士道を説くのである。
儒教の道徳観念は、武士道にも、大きな影響を与えたのである。

posted by 天山 at 00:27| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月07日

国を愛して何が悪い112

厳密なる意味においての道徳的教義に関しては、孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった。
新渡戸

確かに、日本の論語教育は、実に素晴らしいものだった。
その本家、中国より、孔子の教えを守ったといえる。

私自身は、孔子、その論語に多くの批判を持つ者だが・・・
それは、別問題である。

論語の、五倫の道、君臣、父子、夫婦、長幼、朋友における、関係の密に関して・・・

その経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能の認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。
新渡戸

正に、その通りである。

そして、孔子の次に、孟子も、武士道に大なる権威を振るう。

孟子の力強くしてかつしばしばすこぶる平民的なる説は、同情心ある性質の者には甚だ魅力的であった。それは現存社会秩序に対して危険思想である。
新渡戸

しかし、反逆的とさえ言われる、孟子の教えも、武士の心に永久に宿ったのである。

武士の時代は、孔子、孟子の教えが、主要なる教科書であり、大人の間の議論は、最高の権威を持っていた。

だが、そうかといって、ただ、それらの言葉を知っているだけでは、尊敬を受けられない世間だった。
西郷隆盛は、単なる書からの物知りを、書物の蟲と呼んだ。
三浦梅園は、学問を臭い菜に喩えた。「少し書を読めば少し学者臭し、余計書を読めば余計学者臭し、こまりものなり」

その意味するところは、知識はこれを学ぶ者の心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真に知識となる、と言うにある。知的専門家は機械であると考えられた。
新渡戸

現在、それらの人が、如何に大勢存在することか・・・
更に、それらを、知識人として、もてはやす。

知識そのものは道徳的感情に従属するものと考えられた。人間ならびに宇宙は等しく霊的かつ道徳的であると思惟せられた。宇宙の進行は道徳性を有せずとなすハックスレーの断定を、武士道は容認するをえなかったのである。
新渡戸

であるから、武士道は、知識の多さを軽んじ、それ自体は目的ではなく、叡智獲得の手段として、求められたのである。

これまた、見事である。

物知りでは、武士には、なれないのである。

しかしてこのソクラテス的教義は中国の哲学者王陽明において最大の説明者を見出した。彼は知合合一を繰り返して倦むところを知らなかったのである。
新渡戸

陽明学である。

ここで、最も大切なことは、孔子の五倫の道が、それ以前に、日本の生活の中に、息づいていたということであり、だからこそ、孔子の教えが、すんなりと、受け入れられたということである。

その、論語の良きところをのみ、日本人は、有していたと共に、改めて、受け入れたのである。

もし、論語なければ、いずれ、誰かが、それに代わるものを、著したであろうと、思うのである。

武士道とは、人間教育の最たるものであった。
であるから、武士ではなくても、それに準じて、人々は、武士道から、多くを学んだのである。

どんな職業の人たちも、一つの生き方の規範として、武士道の心得を持ったといえる。
これが、日本人の、優秀なところである。

武士の心は、男の生き方に、大きな影響を与えたのである。

よって、武士道を論じることは、日本精神を論じることになったと、思う。
だからこそ、新渡戸も、それを、書き付けたのである。

武士道が自己に吸収同化したる本質的なる原理は少数かつ単純であった。少数単純であったが、我が国民歴史上最も不安定なる時代における最も不安なる日々においてさえ、安固たる処世訓を供給するには十分であった。
新渡戸

延々として、言葉数多くの、思弁は、必要なかった。
要するに、屁理屈である。

言葉数多くして、語れば語るほど、言葉を必要とするという、西欧の思想、哲学の道は、必要なかったのである。

言葉に出来ないことを、語る努力・・・などと、知ったようなことを言う者には、到底、理解出来ない、日本人の知的能力である。

更に、和歌に代表される、歌の道、歌道は、武士の嗜みとして、更には、国民すべてが、その教養を持っていたという、驚きである。

国民すべてが、詩人である・・・
そんな国は、存在しない。

その際たるものは、天皇から、庶民に到るまでの歌を集めた、万葉集であろう。
正に、万葉集こそ、伝統の華である。

武士、もののふ、も、歌詠みする国なのである。
見事と、言うしかない。


posted by 天山 at 03:45| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月08日

国を愛して何が悪い113

義は武士の掟中最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振舞いほど忌むべきものはない。
新渡戸

だが、
義の観念は誤謬であるかも知れないーーー狭隘であるかもしれない。
と、言う。

そこで、武士である、林子平は、これを定義して、決断力と言った。

義は勇の相手にて裁断の心なり。道理に任せて決心して猶予せざる心をいうなり。死すべき場合に死し、討つべき場合は討つことなり。


節義は例えていわば人の体に骨あるがごとし。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手を動くを得ず、足も立つを得ず。されば人は才能ありとても、学問ありとても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば、不骨不調法にても、士たるだけのこと欠かぬなり。
真木和泉

仁は人の心なり。義は人の路なり。
孟子

であるから、武士が義を行なう、その姿をもって、義士とも、言う。
赤穂浪士は、義士と、呼ばれた。

新渡戸は、そこから、義理の話に移る。

義理という文字は「正義の道理」の意味である。

易経では、義理とは、哲理のことを言う。
道理の道、哲学のことである。
更に易占では、数理を重んじる。

義理を正義の道理とは、正に、武士道のための言葉である。

そして、
義理は単純明瞭なる義務を意味した・・・
と、言うことになる。

したがって我々は両親、目上の者、目下の者、一般社会、等々に負う義理ということを言うのである。これらの場合において義理は義務である。何となれば義務とは「正義の道理」が我々になすことを要求し、かつ命令するところ以外の何ものでもないではないか。「正義の道理」は我々の絶対命令であるべきではないか。
新渡戸

それでは、正義とは、何か・・・
それに関しては、何も書く事が無い。

正義は、永久にして、正義であるところのものをもって、正義なのである。
つまり、伝統として、当たり前の感覚を持つに至ったものということである。

これが、西欧の思想ならば、正義について、閑々諤々の議論がされるだろう。
特に、キリスト教の神学により・・・
また、多くの西欧の哲学者が、それらを説いた。

新渡戸は、キリスト教徒であるから、そこには、キリスト教、及び、西欧の思想の対比があるが、それも、肯定して、語る。
それについては、主旨ではないので、省略する。

欧米では、神の存在から、すべてが始まる、哲学がある。
思想も、そうである。
神に対座しての、哲学であり、思想である。

日本には、そのような根本的対決の哲学、思想が無いという、日本の思想家もいるが・・・
必要無いのである。

善悪という、対比によって、考える日本の伝統は無い。

日本の伝統は、神と悪魔という、対立は無い。
人間にマイナス要因を与える、自然の行為も、荒ぶる神と言い、鬼も神の世界のものである。

義理の本来の意味は義務にほかならない。
新渡戸

更に、義理という語のできた理由は次の事実からであると、私は思う。
と、新渡戸は、言うが・・・

義理は、元々、易経の言葉である。

だが、日本では、
すなわち我々の行為、たとえば親に対する行為において、唯一の動機は愛であるべきであるが、それの欠けたる場合、孝を命ずるために何か他の権威がなければならぬ。そこで人々はこの権威を義理において構成したのである。
新渡戸

これは、英文で書かれたもので、更に、その日本語訳は、同じくキリスト教徒の、矢内原忠雄であるから、愛、という言葉が出る。

当時の日本人は、愛という言葉の、観念を仏教に負うゆえに、愛とは、執着する心になる。

欧米人に武士道を伝えるために・・・
愛という、キリスト教の言葉が出るのである。

でなければ、情という言葉になるはずである。
義理、人情も、情の感覚的世界である。

だが、そこで、武士道における、義理を義務とし、義理の権威を形成したというのである。

そこで、新渡戸が、説明するに、
愛が徳行を刺激するほど強烈に働かない場合は、人は知性に助けを求めねばならない。
と、説く。

そして、理性を動かして、義しく行為する必要を知らしめるのである。

同じことは他の道徳的義務についても言える。
新渡戸

義務が重荷と感じられる時は、義理が介入して、それを避けることを、妨げる、と言う。

そこで、
義理は道徳おける第二義的の力であり、動機としてはキリスト教の愛の教えに甚だしく劣る。
新渡戸

つまり、キリスト教の、愛は、道徳的に上位にあるという。

愛は「律法」である。
新渡戸

これは、新教キリスト教の教えである。
説明は、避ける。

義理は、人為性のため、時を経るに従い、堕落したらしい・・・

もし鋭敏にして正しき勇気感、敢為堅忍の精神が武士道になかったならば、義理はたやすく卑怯者の巣と化したであろう。
新渡戸

スコットが愛国心について「それは最も美しきものであると同時に、しばしば最も疑わしきものであって、他の感情の仮面である」と書いていることを、私は義理について言いうるであろう。
新渡戸

つまり、様々な、感情の仮面が、義の仮面で覆うことが、出来るということだ。

更に、それに気付かずにある場合は、最悪である。

それでは、勇・敢為堅忍の精神とは・・・


posted by 天山 at 06:21| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月09日

伝統について65

あしひきの 山田守る翁が 置く蚊火の 下焦れのみ わが恋ひ居らく

あしひきの やまだもるをぢが おくかひの したこがれのみ わがこひをらく 

あしひきの、山田を番する老人が置く、鹿火のように、下心に焦がれるだけで、私は恋している。

蚊火とは、鹿から田を守る火のこと。
その火のように、燃え続けている恋心である。

何とも、奥ゆかしい恋である。

そき板もち 葺ける板目の 合はざらば 如何にせむとか わが寝始めけむ

そきたもち ふけるいための あはざらば いかにせむとか わがねそめけむ

そぎ板で葺いた、板目のように、逢わずにいても、どうしようとも、私は共寝し始めたのだろう。

どんな不可抗力があろうとも、私は、恋するという、宣言である。
強い意志の恋。

難波人 葦火焚く屋の 煤してあれど 己が妻こそ 常めづらしき

なにはひと あしひたくやの すしてあれど おのがつまこそ つねめづらしき

難波の人が、葦の火を焚く家のように、すすけているが、わが妻こそは、いつも変わらず、可愛いのだ。

妹とは、言わず、妻と呼ぶ。
その妻とは、長い間の、付き合いであるが、変わらずに、可愛いのである。

妹が髪 上竹葉野の 放ち駒 荒びにけらし 逢はなく思へば

いもがかみ あげたかはのの はなちこま あらびにけらし あはなくおもへば

恋人の、髪を束ねる、竹葉野に放し飼いをする、馬のように、すさんでしまったのか。あの娘が逢ってくれないということは・・・

失恋の歌である。

恋人の心が、すさんでしまったのか・・・
つまり、心変わりをしたのか、である。

馬の音の とどともすれば 松蔭に 出でてそ見つる けだし君かと

うまのねの とどともすれば まつかげに いでいそみつる けだしきみかと

馬の音が、どんどんと響くと、松影に出てみた。あなたが来たのかと思い。

待っている、心。
その音がすると、恋人が来たのかと、思うのである。

恋の歌を、読み続けていると、何とも、ほほえましいのである。
万葉の世界の恋・・・

純粋で、素朴である。
その、心に、曇りが無い。

嬉しさも、悲しさも・・・
素のままなのである。

歌に、技巧が無いのが、何よりの、証拠である。

その、苛立ちも、何もかも、人の心は、大差ないのである。
時代を超えても、それは、同じ。

心は、古代も、現代も無い。
心こそは、共通しているのである。

それを万葉によって、知る。


posted by 天山 at 07:20| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月10日

天皇陛下について167

日本人は、常日頃、天皇の存在を忘れている。
それで、当然のことと、天皇陛下も、思われているだろう。

更に、日本人が、天皇を意識する時は、歴史的に危険な時期が多い。
災害時などの、天皇のお言葉などは、国民に、多大な影響を与える。
それは、実に良い意味で。

敗戦後、日本人、中でも、識者に多く、皇室は、イギリス王室を見習う、見習えという、馬鹿馬鹿しい、お話が多く登場した。

イギリスを西欧民主主義の、お手本の国として認め、進んだ西欧、遅れた日本という、イメージを作り上げた。

しかし、よく考えれば、進んだイギリスに王様が存在すると言うこと事態が、おかしい。
民主主義ならば、王制は、いらないはず。

それなのに、イギリス王室を見習え・・・
更には、開かれた皇室を・・・
などという、馬鹿げた意見が出た。

その歴史は、全く違う。
その違いを、知らず、西欧かぶれの者どもは、イギリスを崇めた。いや、西欧を崇めた。ついでに、アメリカを崇めた。
つまり、欧米を崇めた。

そして、今の、へんてこな、日本が、出来た。

皇室が、西欧の王制を、手本にしたとは、一体、どういうことか・・・
全く、根拠がないのである。

昭和天皇は、確かに、当時のイギリス王との関係を、深く望まれたが・・・
イギリスの王を、見習うという意味はなかった。

日本の皇室が歴代ヨーロッパの王室を模範にしていたなどということが、はたして言えるだろうか。そんな歴史的事実を私は聞いたことがないし、第一、ヨーロッパ人がこれを聞いたらびっくりして目を白黒させるだろう。ヨーロッパ人が日本の歴史のなかで自分たちの歴史との相違性を感じる点はいくつもあるが、天皇制は紛れもなく彼らにとって最も説明のつかない、はかり難いものの一つなのである。
西尾幹二 ヨーロッパの王朝と日本の天皇制

事実認識の問題である。
西欧の王朝と、皇室は、類似のものという考え方に、同意しないはずであると、西尾は言う。

全く、その通りである。

西欧の王制と、皇室は、全く別物である。
その発生から、違う。

西欧の近代史は、16世紀から20世紀初頭である。
その頃の、代表的な王家は、ハブスブルク家である。
このオーストリア皇帝の一族は、西欧のあらゆる高貴な血を、自家の系図に統合した。

また、西欧の、ほとんど全君主一族の系図に、血統上の寄与をほどこした。

つまり、民族、言語によって、区別された近代国家の差異を、度外視して、王侯君主という、汎西欧的なひとつの、階級が存在していた。
それが、市民階級の上に、君臨するのである。

超民族的な支配力を持っていた。
つまり、インターナショナルである。

そこで、ハブスブルク家の人たちは、全く民族や地域の差異とは、関わりなしに生きたかというと、違う。
彼らの多くは、支配する土地の風習に順応し、言葉を学び、宮廷では、土着の貴族と、折り合いをつけようと、努力した。

更には、各国の国民意識を、最も理想的に代表する場合もあったのだ。

彼らは、所有する土地、民族の一員であると共に、その上に君臨する、超民族的な一家の成員でもあると、感じていた。

しかも、この意識は単に王族という、民衆からみて隔絶した支配階級にのみ限定的に授けられたものではなかった。
西尾

民衆から、隔絶された存在・・・

第一次大戦が起こった際に、オーストリア皇帝の諸軍団の中には、デンマーク人、スウェーデン人、フランス人の将校さえ、存在していた。
外人部隊ではない。
ハブスブルク家の軍隊は、兵士一人一人が、個人の意志に基づき、その忠誠関係によって、皇帝に結び付いていたのである。

戦争が始まると、祖国へ帰るか否かは、それぞれに任されたのである。

また、皇帝への忠誠は、強制されるものではなかった。

個を超えた普遍的価値へ、部分を超えた全体的統一体へ帰属するという、心安らかな意識を与えることに成功したのである。
西尾

それに比べて、皇室、天皇は、政治的機能だけではなく、祭祀的機能も、有していた。
更に、天上人と言われるが・・・
民衆と、隔絶した存在ではなかった。

民衆は、いつでも必要な時は、皇居に近づけたのである。
皇居には、敵の侵入を防ぐものは、一切無かった。

天皇は、武器を持たず、丸腰である。
斬ろうと思えば、いつでも、斬れる存在だった。
が、誰も、そんなことをする者は、いなかった。
その必要が無かったのである。

敗戦後に、変な思想に侵された者が、気が変になり、天皇を狙った者がいたが・・・

西欧の王は、宗教的情緒は、一切無い。
その権力は、あくまでも、世俗の権力である。
更に、伝統の権威は、皆無である。

西欧の宗教的権威は、ローマ法王庁である。
その前には、王たりとも、膝を屈するのである。

ローマ法王の権威に、頼らなければならなかったと、いえる。
だが、法王も、権力者であったのだ。


posted by 天山 at 06:10| 天皇陛下について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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