2013年12月22日

慰霊と支援の旅は続く9

チェンマイに到着して、空港から即、ホテルに向う。
夜、小西さん一家に会うまで、休憩である。

チェンマイは、メーソートより、北にある。
朝夕が涼しい。
実に、過ごしやすい時期である。

日本で言えば、冬に当たる時期。
だが、二月頃から、ぐんぐんと気温が上がる。

一泊、600バーツ程度の古いホテルである。
それでも、円安で、2000円程度になる。
2、300円程度、値上がりである。

昨日の疲れは、相当なものだった。
ホテルの部屋で気付く。
温シャワーを浴びて、一息付き、そのまま部屋で休む。

夜、六時半に小西さん一家が、ホテルまで来てくれる。
今年二月以来である。

早速、新しいデパートが出来たということで、そこで食事をすることにした。
タイは、今、経済上昇期である。成長期でもある。

驚くことに、そのデパートのレストラン街では、日本の店が多くて、何とも変な気分がした。
有名店が続々と進出している。
ラーメン屋も、二軒である。

更に、日本食の店では、タイ人が並んでいるのだ。

私達も、日本食の空いている店に入った。
味付けは、タイ人好みに、全体的に少し甘い。

小西さんご夫妻と、話が進む。
いつものことで、最後は、私の饒舌である。

ただ、タクシンの話題の時に、小西さんが、少し制してくれた。
色々な人が居るので・・・
チェンマイは、タクシン派も多いのである。

二時間ほどを過ごし、一階の売り場に戻り、小西さんの娘さんの、なっちゃん、五歳に、お菓子を買って上げた。
ついでに、私用も、買う。

この慰霊の旅の、最初のチェンマイ当時から、小西さんにお世話になっている。
七年の付き合い。
奥さまの、カレン村にも、三度出掛けた。

その翌日、あるいは、翌々日に、野戦病院跡の慰霊の予定である。
今回は、小西さんに迷惑をかけず、自分たちで行くことにした。

だが、翌日は、一日、休んでいた。
加齢のせいか・・・疲れが取れないという・・・

人は誰でも、年を取る。という、当たり前のことに、気付く。

ただ、日本では、一日二食だったのが、タイに来て、三食になった。
帰国すると、体重が二キロ増えていた。
これは、酒を飲まないせいもある。
兎に角、アルコール類は、一切欲しないのだ。

時々、コーラを買って飲む程度。
後は、水である。時々、搾りたてジュースを屋台で買う。

結局、チェンマイ最後の日、慰霊を行なうことになった。
ホテルからトゥクトゥクで向う。
バイクに荷台をつけたもので、風を受けて走るのが楽しい。

その野戦病院跡の寺は、ホテルから近い。
というより、車では、時間がかかるが、トゥクトゥクは、小道を入り、近道をするので、早く着く。

運転手に待っていてもらい、慰霊碑の前で、祈り、黙祷を捧げる。
すると、僧侶が出て来て、中を開けてくれると言う。
小さな博物館のようになっている。

日本兵の遺留品や、写真などが展示されてある。
若い僧侶が、鍵を開けて、私達に付き添ってくれた。

そして、再度、慰霊碑に頭を下げていると、後ろから声がする。
私の耳には、ありがとう、と聞えたが・・・

タイ人のおじいさんである。
何と、彼は、日本軍に、従軍したという。

タイ語なので、詳しいことは解らないが・・・そのゼスチャーで、理解した。
一緒に戦ったようである。

確かに、タイ人たちも、荷物持ちとして、日本軍と共にした人たちも多い。
ミャンマー国境の遺体は、日本兵だけではなく、タイ人の遺体も多いのである。

だから、祈りは、すべての戦争犠牲者である。

朝の十時頃でも、日差しは、強い。だが、暑さをあまり感じない。
ホテルに戻り、汗だくなのを知る。

書けばキリが無いが・・・
タイ・ビルマ戦線のことは、以前の旅日記に多く書いている。

兎に角、これで、すべての計画を終えた。
安堵感。

その日は、国王誕生日の前夜祭である。
夕方、私達は、その式典のターペー門広場に出掛けた。

式典は、すでに始まり、そして、長い布が用意されて、そこに、皆、国王に向けてのメッセージを書きつける。
私も、国王バンザイと、書きいれ、日本よりと、名前を書いた。

ホテルの帰り道、オープン食堂に入り、外で食事をしていると、突然の花火である。
丁度、私の席から、全体が見えた。

前夜祭の、最後だと、解る。




posted by 天山 at 06:12| 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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