2013年12月20日

慰霊と支援の旅は続く7

ミャワディの町に入り、少し待つ。
私達を案内してくれる、白倉さんの奥さまの、お姉さんである。

その方を乗せて、町から郊外に向う。
それからの道は、デコボコである。
揺られ揺られて・・・

更に、道は、酷くなるばかり。
こちらは、どのくらいの時間かかるのか、解らない。
勿論、一日もいられないので・・・

と、ようやく、一つの集落に着いた。

子どもたちの姿、そして、若い男たちが、道端にいた。
あらかじめ、私達が来ることを伝えていたのかと、思った。

日の丸を手にして、車から降りる。

そして、小さな建物を示された。
そこで、衣類を渡すのだと、私達は、荷物を下ろす。

そのうちに、どんどんと人の数が増す。

私は、ビスケットの缶の蓋を開けて、子どもたちに渡すことにした。
それからである。
どこから湧いて来るのか・・・
子どもたちが、どんどんと、押し寄せる。

出来るだけ、大量に子どもたちの手のひらに、ビスケットを載せる。

大人たちは、建物の中に入って貰い、辻さんや、白倉さん、案内の婦人が、皆々に、衣類を渡す。
更に、一人の男性も、私達を手伝う。
兎に角、多くの人に行き渡るようにと、辻さんが声を掛けている。

私は、衣類の支援が、どのように行なわれているのか、解らない。
二つ目の缶の蓋を開けて、渡し続けた。
その半分ほどで、ようやく、子どもたちの手渡しが終わり、次は、インスタントラーメンを、女性たちに配ることにした。

私の言葉を、白倉さんの娘さんが伝える。
すると、次から次と、女性たちが、やって来た。

三箱のインスタントラーメンも、あっという間に無くなる。

どのくらいの時間を要したのか・・・

ようやく、衣類の手渡しも終わり、私が持参した、バック、二つを欲しい人に差し上げることにした。
スポーツバッグと、大きな、旅行用バッグである。

その時、一つアイディアが浮かんだ。
欲しい人は、私の頬にキスをするように、ジェスチャーで伝えた。
すると、集落の人たちが、声を出して笑った。
これは、いいと、私は、大げさなジェスチャーをして見せた。

一人の若者が、私の頬にキスをした。
どっと、皆が笑う。

更に、インスタントラーメンが、まだ残っていたので、再度、キスを求めると、子どもたちが寄って来て、私の頬にキスをする。
そうして、最後・・・

大きな旅行用のバッグが欲しいと、家の中から、男性が出て来た。
彼は、私にキスをしないので、私が催促すると、村人が、大声で笑い、男性も、戻って来て、私の頬にキスをした。
村人たちは、うわーーーと、声を上げる。

何とも、そこで笑い声が響き、私達と村人の距離が接近したようである。

最後に私は、英語で、バンマ、カレンは、日本のベストフレンドと、言うと、村の女性が、大声で、それを通訳した。
そこは、カレン州であり、カレン族の人たちも多いと思ったのである。

そして、再会の約束をする。
皆々、夢み心地の表情である。
一体、何が起こったのか・・・

突然の訪問である。
こんなことがあるのか・・・
子どもたちも、全員が笑顔である。

別れる際は、私も、どんな状態なのか、解らなかった。
車に乗り込み・・・
体が熱い。
興奮して、言葉が出ないのである。

後ろを振り向き、手を振る。

また、車は、ガタゴトと走り出した。
道を覚えようと思うが・・・無理・・・
興奮している間に、町のメインストリートに出た。

そして、国境を越える。
タイ側のイミグレーションで、車から降りて、入国手続きを済ませた。
そして、ようやく、一息ついた気分である。

元の道を戻り、車の乗り換えをする。
そのまま、食事に行くことにした。
白倉さんに場所は、任せた。

皆で食事をするのである。
以前の中華料理店である。

ホテルに戻ったのが、六時頃で、何と、十時間が過ぎていた。

何事も、終われば、あっという間である。
部屋に戻り、本日の記憶を辿るが・・・
ようやく、疲れという感覚を抱いた。
どっと、疲れを感じた。

よくぞ、やったものである。




posted by 天山 at 07:14| 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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