2013年12月17日

慰霊と支援の旅は続く4

中野さんの、慰霊を終えて、次に向うのは、森の施設である。
私が、通称名として、名付けた。

ミャンマー難民孤児施設である。
今回で、六回目。
その間、子供たちが替わる。

15歳になると、施設を出る。そして、メーソートの街で、働く。
あるいは、うまく行けば、バンコクに出られる子もいるだろうが・・・
国籍が無いので、非常に難しい。

タイでは、国民が皆、国民カードを所持していなければならない。
そこを、どうするかである。

タイ国籍を目指すなら、勉強して、兎に角、大学に進学し、優秀な成績を収めることだ。そして、タイの国籍を取る。
勿論、大学へは、ボランティア団体からの、支援金、奨学金が必要である。

だが・・・
彼らは、頑張る。

幾人も、そういう頑張る子を見た。
医者の資格などを取ると、すんなり国籍を貰えるのである。

私達が、到着した時、すでにメーソートの支援団体が、昼食の支援に来ていた。
もう、昼時なのだ。

ボランティアの人たちは、私達にも、ご馳走してくれた。
それが終わると、子供たちが、歌を披露する。

代表の先生は、留守だったが・・・
世話役の女性が、私達を迎えてくれた。
更に、すでに顔見知りの子供たち・・・

昼食を終えた、テーブルの上に、支援物資の衣類を載せて、子供たちを集める。
まず、小さな子からである。

大きな子は、それを十分に知っているから、絶対、我さきにはならない。

私は、まず、ぬいぐみを取り出して、小さな子に渡した。
それから、衣類の手渡しである。

白倉さんはじめ、全員が、手伝う。
その子に合ったサイズを探す。

矢張り、着たきりスズメの子もいる。
遠慮がちな子・・・
男の子と、女の子を、別々に並ばせて、一人一人に、手渡す。

この触れ合いが、最も大切である。

ただ、残念なことに、あまり時間が無いために、子供たちを、一人一人と、触れることが出来ない。
本当は、一人一人を抱きしめる時間が必要だ。

子供は、触れて欲しいのである。
人のぬくもり・・・
それも、与えるべきものである。

私達が、支援を始めると、食事を差し上げていたグループの人たちが、静かに、去っていった。

大きな子供たちの衣類が、少ないので、彼らを車の傍に呼び、車の上から、衣類を取り出して、渡す。
サイズの合うものを探す。
その間も、年長の子は、最後まで待つ。

これ、お前に合うよ・・・
これは、お前だ・・・
そんな会話が、聞えるようだった。

ようやく、全員に渡った。
と、思いきや、色白の男の子が、一人、ぽつんと、見ている。
アレッ・・・
まだ、貰っていないの・・・
日本語である。だが、通じる。彼は、頷いた。

少し大きめのシャツを取り出した。
すぐに、大きくなるからと、私は、彼にシャツを着せた。
笑顔で頷く、男の子。

一番、年長の子が、私に、フェニッシュと訊く。
フェニッシュ・・・
すると、その子が、皆に伝える。

彼らは、隙間板の部屋で、寝る。
寒い夜も、毛布、下に敷くものも無い。
衣類が多ければ、それを重ね着して寝るのである。

自分の持ち物は、衣類のみ、である。

今回は、ミャンマー側に渡るので、早々に戻らなければならない。
後ろ髪を引かれる思いで、子供たちに、さようなら、を言う。

また、一年後である。
その時、もうそこにいない子もいる。
この場所から、プロテスタントのチャペルの横に作られた、ホームに引き取られる子もいる。
その規準は、解らない。

この森の施設は、知る人ぞ知る場所である。
何せ、何回来ても、道が定かではない。

現地の人でなければ、解らない。
そういう意味では、私は、大変貴重な支援活動をしているのである。

いつか、大きくなった子が、メーソートの街で、働く姿を見ることもあるだろう。
そして、一緒に、街の食堂でご飯を食べる。
そんな想像をする。




posted by 天山 at 03:09| 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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