2013年12月10日

霊学134

今の人間は魂と肉体の結び付きが非常に強いので、仮に環境がその肉体にとって好ましくない場合にも、自我やアストラル体がそれをコントロールして、たとえば早く寝るとか、それに応じた食事をするとか、あるいは別の土地に行くとか、そういうことを試みて、自分でコントロールします。つまり環境に対する適応力が強いのです。古代の人間はそういう意味では環境に対する適応力が少ない代わりに、土地に定住して生きる場合には、その土地との結び付きがもっと強くて深いのです。そういう人がたとえば夜、眠りますと、その人のアストラル体は現代人よりもっと自由に肉体から離れます。そして夢の世界をより現実的に体験するのです。
高橋

肉体から離れた、アストラル体は、時間の世界、つまり、アストラル界に入る。
そこは、死者の世界、人間や動物の情念の世界、或いは、神々の世界ということになる。

人は、十年前の出来事に、アストラル界で、現実に出会うらしい。

過去の世界と、現実の世界が、夢では、融合する、つながると、考えるのである。

時間の本質を考え、時間の流れの中に入って、深くその流れを辿っていくと、時間は断絶しているのではなく、ある連続した状態で、現在に通じていることが実感できると思うのです。
高橋

夢の世界とは、感情の形象化された世界であり、感情と時間は、同質であるとの意見である。

夢の中で、時間の中に参入して、過去と現在を一つのものとして、体験する。
そこでは、死者達と出会い、民族魂に出会う。

シュタイナーは、その死者の世界、感情の世界とは、基本的に動物の世界でもあるという。

それが、重要なことである。

人間が眠ると、動物のアストラル界に入り、今地上で苦しみを味わう動物のアストラル界を感じる。
更に、死者も、眠っている、その人の魂も、その苦しみをまともに受けているという。

それが、アストラル界の土台を成している。

この土台の上に地球上の人類は今までいろいろなことを行なってきました。その時の悦びや悲しみのすべてが、やはりアストラル界の中で、大きな時間の流れとなって、存在しているのです。
高橋

私たちが感情の世界を通して時間の中に参入していくとき、その世界が苦しく、冷たく、暗い、どうしようもない世界であればあるほど、その中で出会う高次の存在たち、神々との出会いが、いっそう痛切に体験され、次の朝、またそこから新たな活力を得て目覚めるのが、私たちの毎日の繰り返しなのです。
高橋

果たして、そうなのだろうか・・・
疑問である。

時間が、感情の世界であり、そして、アストラル体の基本が、動物の情念の世界・・・

これには、無理がある。

勿論、人により、その世界に入る場合もあるだろうが・・・
別な世界に入る場合もある。

すべての人には、当てはまらないのだ。

何度も言うが、シュタイナーが、何処の霊界を見ていたか、である。
すべての霊界を見ていたということは、有り得ない。

その哲学的理論には、説得力があるが・・・
その霊的感覚には、疑問がつきまとう。

融合という、精神は、一見して、理想的に見えるが・・・
それほど、単純なことではない。

このシュタイナーから、例えば、仏陀とイエス・キリストを、霊的に同質に解釈するという、人たちが、多くなった。
人類の大師である、等々・・・

更に、シュタイナーは、新約聖書などにも、霊的な意味を見出し、それを書き続けたが・・・
新約聖書の偽の情報に関しては、一切、触れていない。

日本でも、成長の家を創設した、谷口という人は、仏典、旧約聖書の解釈をするが・・・
その、偽の情報には、触れない。

自分の言いたいことを、それらの聖典といわれるものから、解釈するのである。

後付けの意味は、どうにでも、書ける。
宗教の多数は、そうである。
時代の都合に合わせて、解釈する。
勿論、否定はしない。

私が、シュタイナーを紹介するのは、霊学のエッセイを書くにあたり、必要と思うからだ。
私は、シュタイナーを正しいとは、言わない。

一つの仮定である。

さて、
人間の時間的な生活の中には基本的に感情のエネルギーが流れていて、その感情の流れの中では、現在も過去も未来も、連続してひとつの大きな統一体をなしている、ということです。その統一体、あるいは時間的世界の中には、この世で生きている人間も死者たちもおり、共にそこで一種の共同生活を営んでいて、それが本質的に歴史をつくりだしている、ということなのです。
高橋

私の霊学から、言えば、この次元は、すぐ上の四次元、幽界の影響を受けているという、言い方になる。

共に、共同生活をしている・・・
確かに、次元とは、隣にいても、永遠に遠い場合があるから。

だが、それが、クロスするのは・・・
果たして、夢なのか、現実なのか・・・

死後の世界を知らない、或いは、信じない人には、どうしようもない、考え方になる。

ただ、神々と表現するのは、正しいと、思うが・・・
高次の世界の存在を、神と呼んでもいい。




posted by 天山 at 05:46| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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