2013年12月07日

霊学131

シュタイナーは、人類の歴史は、大きく三つの時代に分かれるという。

最初の時代は、人間の記憶力が対象と結び付いている、対象的な記憶力、である。
その次に、記憶力が、特定のリズムと結び付いて、発達するようになり、リズム化された記憶力、の時代。
そして、三番目が、今日と同じように、時間と結び付いた記憶力、時間的な記憶力、の時代である。

世界史の発達期は、三つに分れ、それが、人類の大きな意識の変化と、対応しているという。

シュタイナーの意識というものは、記憶力と同じ意味に、受け取れる。

記憶力、つまり、人間であるという、証である。

最初は、人間の意識もほとんど動物と同じ意識てしかなかったのですけれど、その意識がしだいに記憶力を発達させることによって、最初の「人間意識」が成立しました。その時の意識の在り方は、対象に依存している記憶だったのです。そのような在り方をしている人間のことを、シュタイナーは「アトランティス期の人間」という言い方をしています。
高橋

シュタイナーは、人類の果てしない過去に、アトランティス期という百万年単位の長い時代があり、その中で、現在の人類の形成過程が始まったとしている。

それ以前は、動物と同じような、集合的な存在だった。

つまり、その時代は、記憶の在り方が対象に依存していた、時代ということになる。

それは、どういう時代か・・・

そのときそのときの意識だけが唯一の意識で、過去の記憶はそのつどその意識にうながされて、現れたり消えたりしている、というのです。ちょうど自分にとって親しいひとのことを忙しさにまぎれて忘れてしまって、また写真を見てそのひとのことを思い出すという状態に似ています。そのときそのときの現実だけが現実であり、その現実の中で記憶が、なにかをきっかけとして、現れてくるのです。そういうことだけから成り立っている内面生活を考えると、それが太古の人間の基本的な意識の在り方だというのです。
高橋

確かに、そのように言われると、そのように思われるが・・・
それを証明するものは・・・

それが、太古において、あらゆるところに、碑、記念碑が建てられたという。

古代人は、大きな事件があるたびに、記念碑を建てようとした。
その碑が、どのような意味を持つのかを考える時に、古代人の意識が対象に依存していて、その対象をきっかけに、甦るそのときの記憶が、唯一の現実的な性格を持っていた。

古代人は、そういうものによってしか、記憶を呼び起こさなかった、ということ。

または、土地である。
古代人は、土地との結び付きが、現代人より、無限に深かったという。

そして、シュタイナーは、古代的に一対象に依存している記憶を、もう一度取り戻すことが、現代人の内面性の荒廃を救うひとつの道だと、考えていた。

現代人の、内面の荒廃とは、何か・・・
どこが、荒廃しているのか・・・

そして、問題は、その荒廃という意味を、何を基本を置いているのか。

シュタイナーの信者であれば、すんなりと、受け取れるだろうが・・・
見方を変えると、シュタイナー自身が、病んでいたのではないかとも、言える。

彼の著作は、実に難しい。
ただ、斬新的で、新しい時代への息吹を感じさせる。
本来は、その著作からの引用を持って、紹介すべへきだが・・・
そうすると、延々として、終わらないことになる。

何度も言うが、彼は、何処の世界を見ていたのか・・・である。
仮定でもなく、彼は彼の知ったことを、書き付けているのである。

つまり、彼は、知り、そして、見たのである。

それが、何処の世界なのか・・・

まだ、説明は続けるが・・・
融合の精神に反して、私は、批判する。

そして、批判は、もう十分になされた時代が長い。
だから、こそ、融合の時代への、第一歩を踏み出さなければならない。

しかし、天国と地獄を融合できるだろうか。
それを言えば、天国も地獄も、存在しない。
それは、心の内に存在するものだと、言われるだろう。

私は、シュタイナーの、例えば、西洋と東洋の融合という、言い方を、我が内なる融合と、捉えている。

シュタイナーが、荒廃しているという、現代人の精神が、分裂しているという意味なのか。しかし、すでに、分裂したものを、再度、融合させるというのは・・・

統合失調症という、精神の病を癒す行為のようなことになるのか。

神秘学から、人智学、そして、霊学・・・
これは、矢張り、オカルトである。

過去の、蒙昧な信仰は、必要ないというが、新たに、新しい信仰にならないのか・・・

人生をあらゆる方向を生きようと望むならば、抽象化というエーテルの国の中にも入っていかざるを得ない、というのが私の立場なのである。感覚で享受できるものだけを享受しようとする人は人生の美味を知らない。
シュタイナー

人生には数多くの領域がある。その一つ一つの領域のために特殊科学が発達を遂げている。しかし人生そのものはひとつの統一体であり、個別領域の中で深化していこうと努めれば努める程学問は生きた世界全体の認識から離れていく。再び人間に充実した人生を返してくれる諸要素を個別科学の中に求めようとする知の在り方が必要である。専門的な研究者は認識内容を通して、世界の諸活動を意識化しようと望んでいる。
シュタイナー

真の哲学者はすべて概念芸術家であった。・・・
抽象的な思考は具体的で個的な生命を獲得する。理念は生命力となる。その時、われわれは事物についての知識を持つだけではなく、その知識を自己制御の能力を持った生きた有機体にまで作り上げたのである。われわれの活動的な現実意識はもっぱら受動的に真理を受け容れる以上の課題を背負っている。
シュタイナー

とても、新鮮で、斬新的な、シュタイナーの著作である。
が、ゆえに、誤る人も多い。




posted by 天山 at 06:43| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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