2013年11月21日

国を愛して何が悪い107

日本人から国家観が消え、祖国を嫌悪する若者が次々と輩出されるようになったのは、アメリカの占領政策だけが原因ではありません。アメリカはソ連の共産主義も最大限に活用して、日本を骨抜きにしました。左翼勢力と合体して徹底したマインドコントロールが行なわれた結果です。
前野 徹 歴史の真実

ということで・・・
如何に、極悪非道を行なったかということである。
共産主義とは、アメリカ民主主義の敵である。

ロシア革命の直後、レーニンは、ソビエトを守る意味で、コミンテルを組織し、全世界に支部を作る。
日本共産党は、その極東委員会日本支部として、誕生した。

レーニンは、帝国主義戦争と内乱、というスローガンを掲げて、戦時にあっては、後方をかく乱させ、民族国家、主権国家を敗北に導くという、ソ連の革命戦略を起こした。

以前に、書いている通り。
この共産主義運動は、第二次世界大戦より、多くの死者を出したのである。

コミンテルの、32年テーゼ、36年テーゼで、日本の左翼分子に与えられた役割は、天皇制打倒、そして、日本の転覆である。

この悪魔の思想は、キリスト教から生まれたということも、以前、書いている。
マルクスは、神学生だった。

敗戦後、GHQの後押しにより、革新勢力は、息を吹き返す。
社会主義者たちは、社会主義革命と、ソ連擁護を掲げて、政府を弱体化させるべく、行動するのである。

共産党、社会党が唱える、軍備、警察力の否定、集団安全保障体制の否定。

特に、左翼勢力が力を入れたのが、教育である。

このような、破壊的な共産主義が、世界的な規模になると、世界は滅亡しただろう。

敗戦直後の、1945年9月15日、東久邇宮内閣が、新日本建設の教育方針を出した時、即座に、占領軍は、それを認めず、教育改革を性急に実施した。

教育内容、教育関係者をチェックし、教科書、教材に関して、調査と取り締まりを行なう。そして、教員の自由な政治活動を保証するという。

教員の組合には、助成するという、抜本的改革まで、やってのけた。

従って、占領軍に従わない人の、教職追放指令が出され、更には、神道に関わる教育、行事などを、全面的に禁止した。
修身、日本史、地理の授業を停止し、教育勅語も廃止、日本の教育は、完全に解体されたのである。

恐るべき、戦略である。
逆に見れば、それほど、日本と日本人が、恐ろしかったのである。

白人の敵とされた・・・

この政策に、便乗したのが、左翼勢力である。
1945年に、全日本教員組合、日本教育者組合が、出来る。
更に、それが、統合され、1947年、日本教職員組合、日教組が、誕生する。

この、日教組が、悪魔の集団と成り果てるのである。

共産党、社会党支持を強めて、日本の解体に、参加する。
その裏には、ソ連のコミンテル、中国共産党が存在した。

その際、文部省が、しっかりとコントロールすれば・・・
少しは、救いがあったが・・・
利権を獲得するために、日教組と、組んだのである。

文部省の認可、検定・・・
規制があるところ、権益がある。
莫大な既得権益を確保するため、日教組を利用するという、官僚にあるまじき、体質になってゆくのである。

つまり、教育は、日教組に、乗っ取られたのである。
悲劇のはじまり・・・

思想、教育、ヤクザに成り果てた、日教組・・・

もう一つ、労働組合・・・
左翼勢力に、取り込まれる。

共産主義国家を見れば、一目瞭然だが・・・
汚職、賄賂は、当たり前。
組合貴族といわれる、人たちが現れる。

天皇制打倒、階級闘争・・・
それが、如何に、滑稽なものか。

占領軍は、それさえも、利用するのである。
労働運動が解禁される。
そして、彼らは、ある事無いこと・・・拡散させる。

戦前、戦中の支配層が、徹底的に糾弾されるという、状況も起きた。

日本史は、敗戦まで、すべて悪いものだと言うのである。
育てて貰った親に楯突く、子供である。

今も、変わりなく、やっている。

そこから、総評、後の、連合が出来る。
共産党、社会党、日教組、連合・・・
まともな国、まともな日本人が、育つ訳が無い。

その社会党の大勢が、民主党という、政党を作る。
その三年半は、地獄の政治だったことは、新しい。

売国奴や、アンポンタンが大勢出た。
賢い馬鹿という、奴である。

受験に通るが、頭が悪い。
先祖の因縁が悪い。

権利を声だかに言うが、責任は、取らない。
大きな勘違いの中で、人生を送る。

そして、反日の大多数が、それらである。
更に、国外にも、反日の輪を広げている。

心地よい言葉、自由、博愛、平等、戦争放棄、平和主義を好み・・・
妄想全開の様、あはれ・・・である。





posted by 天山 at 07:01| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月22日

国を愛して何が悪い108

占領軍が、日本解体の柱として据えたものの、一つが、マスコミの飼い慣らしである。

占領軍の、情報操作、言論統制は、占領統治が始まると、同時に行なわれた。
つまり、それは、周到に、準備されていたということである。

それについては、江藤淳の、閉ざされた言語空間、という、本に詳しく、記されている。
戦前から、アメリカは、幾多の戦争により、言論統制というものを、各種行なっていたことが、解る。

そして、日本でも・・・
当然の如くである。

1945年9月、占領軍は、プレスコードを発表する。つまり、新聞規約である。

連合国占領軍に対し、マイナスになるような批判、不信、怨恨などを感じさせる事項を掲載、放送しては、いけないというものである。

更に、10月には、一切の報道内容に対して、事前検閲を行なうことを、決定した。
検閲事項の細則を各新聞社、出版社に通達し、検閲体制を整える。

これにより、反米的な情報は、とりわけ、東京裁判と、原爆投下に関する、批判を厳しく禁じたのである。

長崎の鐘、で知られる、永井隆の本は、最初、問題ありと、されたが・・・
その中に、原爆は、神の意思云々とあり、それにより、出版を許されたという、経緯がある。

原爆投下も、神の御心である・・・
信仰は、常に、蒙昧を生むものであることが、解る。

さて、マスコミの自由を奪い、マスコミの飼い慣らしが、始まる。
日本のジャーナリズムは、それに唯々諾々と従ったのである。

その代表が、新聞では、朝日、毎日、共同であり、放送では、NHKである。

NHKは、まさに、国民の洗脳放送を成した。

1947年10月8日には、朝日、読売、毎日の三大紙が、南京虐殺という、捏造記事を掲載する。
その、捏造は、更にエスカレートし、反日マスコミと、中国との連携により、嘘の上塗りをし続けてゆく。

更に、日本が独立し、占領軍が撤退しても、マスコミは、自虐史観の流布、育成に努めるという・・・

侵略、虐殺に関する情報は、事実関係を調べることなく、垂れ流したのである。

それが、金にもなる訳で、捏造の物語を書く者も、現れた。

国民は、意図的な、左翼知識人たちの、喧伝に流れて、洗脳される。
ついには、客観的に、歴史を見る目も、奪われたのである。

反日は、日本から始まる。
それが、左翼勢力なのである。
その売国奴たちは、国内で、要人の発言や、意に添わない教科書の歴史記述があると、大々的に報道し、更には、中国、韓国に、わざわざ、報告するという、戯けたことをするのである。

更に、酷いことは、日本の反日マスコミは、アジアの主要都市に、反日思想者のエージェントを置き、国内で事件が起きると、現地に伝え、否定的な反応を集めて、国民に、これが、アジアの声であると、報道する。

この、反日ネットワークでは、反日華僑が大きな役割を果たす。

韓国の盧泰愚大統領が、言う。
従軍慰安婦問題も、日本のマスコミが騒ぎ立ててやかましく言ってくるので、当方はそれに応えたまでのことだ。

何故、日本人が、そのように、自国を貶めることをするのか・・・
それは、左翼マスコミの目的が、コミンテルのテーゼに基づく、日本の亡国を求め、社会主義が、瓦解し、革命の展望が消滅した今も、左翼の国家弱体化という、神経症に侵されているからである。

更に、彼らの、先祖の因縁が悪いのである。

この言論の自由な日本にいて、のうのうと、自国を貶める行為をしても、意に介さないのは、彼等の人間性と、その因縁によるものであること、明々白日である。

中国は、共産党一党独裁の国である。
社会主義は、最早、成り立たないのである。

日本は、民主主義の国である。

中国、北朝鮮の国の在り方を見れば、国家として、成熟しているとは、考えられないのである。

日本は、2700年の伝統を有する、天皇陛下を戴き、その歴史は、世界に冠たるものである。

更に、日本の精神文化は、これも、世界に類を見ないものである。

日本という国が、一つの文明圏であることを、知るべきであるが・・・
左翼系の人たちは、それを知ることの意味も、不案内で、ただ、迷うだけである。

ということで、私は、日本の精神・・・
また、精神史について、書く必要がある。

それには、まず、武士道からの、日本人の精神を紹介し、更に、古代からの、精神史を俯瞰しなければならない。

白人主義とは、全く異質、アングロサクソンという、野蛮な人種とは、全く別な、日本人の性質、民族の出来方、それらを、知る必要がある。

そして、いずれ、この日本の精神によって、世界が、平和になることを、知るべく、紹介しなければならない。

何故なら、白人主義の作り上げた文明では、世界の先が無いからである。

彼らは、賢いのだが・・・
天地自然に対する、その命への、畏敬が皆無である。

そして、それは、彼らが、作り上げた、宗教との闘いでもある。
私達、日本人が、彼らと戦うのではない。

彼らが、これから、その宗教感覚と、戦う必要があるのだ。

ユダヤ、キリスト、イスラム教は、人類滅亡の宗教観を有するのである。

終末思想というものは、すべて、欧米から、もたらされるものである。
彼らは、循環の思想を持たない。
ただ、一直線の思想を持つ。

人間と対立する、神である。
その神への、道が、終末思想なのである。


posted by 天山 at 06:59| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

天皇陛下について164

天皇の、お住まいは、皇居の、吹上御所である。

この吹上御所は、昭和天皇から、お住まいになられている。

昭和36年11月30日より、一週間に渡り、吹上文庫から、引越しされた。
その、吹上文庫に、昭和天皇は、18年間も、住んでおられた。

吹上文庫は、開戦一年後の、昭和17年の大晦日に、防空壕として、作られたものである。
地上一階、地下二階の建物。

日当たりが悪く、湿気も多い。
日陰の身であるという、表現が、ぴったりくる状況である。

側近が、再三、新居新築を、お勧めするが・・・
昭和天皇は、頑として、受け付けなかった。

国民の住宅難が緩和され、伊勢神宮の改築を見届けて、ようやく、新築を許したのである。

ここでも、驚くべきことである。

君主たるものは、国民以上の生活を望み、また、そのようにする。
我が身が、第一である。
しかし、天皇は、歴代天皇に習い、まず、国民の生活を鑑みるのである。

昭和天皇の、質素さが、現れる話に、引越しの際に、ご自分用のスリッパを携えて来たという。
その、スリッパ・・・
半分ほど、擦り切れていた。
それでも、天皇は、新居で、それを使われたという。

さて、国民の多くは、知らないことが多い。
天皇陛下は、御所を所有しているのか・・・

実は、天皇は、一切の土地、建物を持たない。

敗戦後、すべての、財産を政府、つまり、日本国に、明け渡したのである。
勿論、アメリカ占領軍、GHQの指導の下に・・・

しかし、天皇は、何の不足も、お言葉にされなかった。
当然として、受け入れた。
この、当然・・・

天皇は、何一つ持つことなくとも、天皇という、権威が存在するのである。

現在も、皇居に限らず、東宮御所、京都御所、葉山、那須、須崎の、各御用邸から、車に至るので・・・
更に、皇族の家屋敷も、すべてが、国有財産である。

それ以前は、すべて皇室財産であった。
日本国憲法施行後に、国有財産となった。

であるから、天皇は、国から、借りているのである。

勿論、無料である。
これを見ても、解るように、天皇は、何一つ所有せずとも、いいのである。

世界の王たちは、その財産により、国王である。
一々、例を上げないが・・・

天皇は、すべての物が、国民の物であって、いいのだ。
国民のために、存在しているのである。

皇居の住所は、東京都千代田区千代田一番、である。
天皇は、戸籍を持たないので、本籍は無い。
しかし、その地を、本籍としている人たちが、大勢いるのである。

日本では、何処に本籍を置いても、かまわないからである。

さて、無一文、何も持たない天皇陛下は、税金を払っている。

それを説明すると・・・
昭和天皇は、著作の印税が入れば、確定申告し、所得税を払う。
また、天皇が、侍従などの名義で、株を買い、その得た利子、配当収入についても、確定申告し、所得税を払う。

戸籍を持たれないが、区民税と、都民税は、納めている。

更に、年収というものも得ている。
それは、皇室経済法に基づくもので、国が負担する、皇室費ということになる。

天皇と天皇一家の生活費、内延費である。
その内延費には、所得税がかからない。

その金額は、そのまま、手取り額である。
皇族費と合わせて、年間、20億円程度である。

それらは、余っても、国に返す必要がない。
ということは・・・
質素、倹約の天皇の生活費は、あまり凄いものではないから、余る。

天皇の経費の様子・・・
昭和62年度のものが、ある。
人件費、物件費、衣類、身の回り品、食事、厨房機器、恩賜賞の品、奨励金、災害見舞金、交際費、私的旅行、研究費、教養費、神事に関するもの、その他、となる。

人件費と、物件費が一番多い。

人件費とは、私的使用人の給料である。
内延費の三分の一を占める。

残りを、天皇、皇后、皇太子一家が、使用する。

その内延費は、人事院の、公務員給与の上昇率、東京区部の消費者物価指数が、ともに、10パーセントを超えたときを目安に、改訂される。

審議は、衆参両院議長、両副議長、総理大臣、財務大臣、宮内庁長官、会計検査院長からなる、皇室経済会議で、行なわれるのである。


posted by 天山 at 06:53| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月24日

天皇陛下について165

常々、気になっていたことが、ある。
敗戦に至るまでに、天皇、つまり、皇居の空襲被害である。

そこで、見つけた記事がある。
平成25年7月31日の、読売新聞朝刊、日本史家の、磯田道史さんの、記事である。
古今をちこち、という題名のエッセイで、天皇の馬車を司る宮内省主馬寮の職員の書いた、皇居の中の敗戦までの日々を綴ったものを、紹介していたのである。

その中から、抜粋して、書く。

この職員は、当時の皇太子、現今上天皇と、義宮様、後の、常陸宮殿下の、乗馬教習係りであった。

その日誌には、戦火が皇室に迫る様子を記していた。

1月4日、B29が、数発の爆弾を豊受大神宮神域に、落とされた。
「斎館二棟・神楽殿五棟崩壊す。一億怒り心頭に発す」
これは、伊勢神宮の外宮である。

2月に入ると、皇居でも、爆撃対策についての、懇談が始まる。

9日、昭和天皇は、判任官待遇以上の、防空組織員に、襟衣、つまり防空服の上下を下賜して士気を鼓舞する。

19日、主馬寮の庭に、敵機の破片一メートル、長方形型が、落下する。
皇居にも、破片が落ちてきた。

更に、皇居の空襲被害は、想像以上である。

「主馬寮分団・厩舎区に焼夷弾約百五発落下」
「火災を発生せる箇所、御裁縫所・済寧館・内閣文庫・御局等焼失」

3月10日の大空襲。
「庁舎に対しては集団的焼夷弾の落下あり」
宮内省主馬寮は、全焼した。

4月13日、皇室一家にミルクを提供する、御料乳牛場の、飼料庫などが、焼けた。
この日、雅楽奏者の職員らが、焼死し、霊柩車が二つ、宮内省に並んだ。

4月29日、天皇誕生日の拝賀行事も度々の空襲警報発令のため、取止めとなる。

5月25日の大空襲では、
「大宮御所・各宮邸にも火災」
「遂に宮城、つまり皇居と、表御座所外、烏有に帰し多数の犠牲者を出すに至る」
その数は、33人。

皇居は、四度の空襲で、宮殿を、ほぼ失う。

そして、8月15日、この日誌の著者は、東京で、玉音放送を聞いて、泣いたのである。

そして、翌月、ふとしたことから、宮城県栗原郡の、鈴木徳一、46歳が、皇居を訪れた。
予想を超えた、あまりの荒廃に対し、皇居外苑の草刈でもと、思い立つ。

彼の郷里の、栗原郡の人々は、草刈上手で知られていた。
戦時中の、全国草刈大会でも、たいてい優勝していた。

11月下旬、再び宮内省を訪れた鈴木は、当時の総務課長に、その考えを訴える。
総務課長、筧素彦の独断にて、その申し入れを受けた。

それが、今も存在する、勤労奉仕である。

郷里に戻った鈴木は、直ちに、みくに奉仕団を結成する。
その年の、12月8日、栗原郡の男女およそ、60名が、皇居を訪れ、四日間に渡り、勤労奉仕をする。

初日、天皇皇后両陛下が、「ご苦労」と声を、お掛けになった。

この時、御戻りの天皇陛下に向けて、期せずして、「君が代」の歌声が湧き起こる。
天皇は、じっとして、歌に聞き入られた。

現在も、万歳と、君が代が、歌われる。

みくに奉仕団のことが、報道されると、全国から、さまざまな団体が、宮内省に奉仕を申し込み、現在に至っている。

現在の勤労奉仕は、原則として、四日間で、うち二日間は、赤坂御用地の日程。

内容は、除草、清掃、農園作業などである。
交通費、宿泊費は、参加者負担である。

申し込みは、15名以上60名以下の団体であり、個人、宗教団体は、不可。
年齢は、15歳以上65歳以下。
申し込みは、希望の半年前から。団長の住所、氏名、略歴、捺印、他の参加者の直筆による氏名、年齢、職業を書いた名簿を、返信料同封で提出する。

提出先は、東京都千代田区千代田1-1
宮内庁長官官房総務課長、まで。

矢張り、国民からの、自発的行為から始まったものである。

一般国民が、天皇陛下に、お目に逢うことは、これが一番である。

最初の奉仕団の際に、昭和天皇は、彼らに、語り掛けている。
列車の旅は、大変であろう・・・
など

参加した一人は、天皇の素の姿に、呆然としたという。
あまりにも、普通の人だった。

陛下と、皇后陛下は、毎日、彼らに会ったという。
お二人で、お一人、お一人で・・・

その時の、昭和天皇の、心中を察することは、出来ない。
その肩に、日本という国を負われていた。

それから、七年間、アメリカ軍の占領政策が続く。
綱渡りの時間である。


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2013年11月25日

天皇陛下について166

天皇陛下の国事行為の中でも、特に重要なのは、外国からのお客様の、歓迎である。

何せ・・・
天皇陛下に、お逢いしたいという、方々ばかりである。
日本の歴史と伝統を生きる、陛下にお逢いしたいとは、当然である。

政治家に逢わずとも、天皇に逢えばいいのである。

天皇は、少なくとも、四つの行事に参加される。
その一つは、空港、迎賓館での、出迎えである。

そして、宮殿の一室での対面、プレゼントの交換。
豊明殿での、歓迎晩餐会。
空港などでの、見送りである。

その中でも、特に重要なものは、歓迎晩餐会である。
宮中晩餐会ともいう。

宮殿の中で最大の部屋である、豊明殿である。
正式な宴会でも、150人。立食ならば、600人が入れる。

料理を作るのは、日ごろから天皇の食事を賄う、大膳課である。
メニューは、フランス料理のコースで、材料は、すべて栃木・高根沢の御料牧場から運ばれてくるものである。

天皇皇后陛下、そして、主賓が最後に席に着かれると、晩餐会の始まりである。
宮内庁楽部の演奏する音楽があり、国の威信をかけた最高の料理が、運ばれる。

最後に、天皇の歓迎のお話と、相手のお返しの、スピーチが交代で、読み上げられる。
乾杯である。

だが、そこで、決して陛下が口にされない言葉がある。
相手方が、今度は、是非、私どもの国にいらしてください・・・と、言われた際に、陛下は、ありがとう、とお答えするのみ。

決して、では行きますとは、言わない。
その際に、ご自分の積極的な発言をされることは、憲法に違反する、政治的発言になるのである。

天皇が、外国を公式訪問されるのは、外交行事であり、国際政治なのである。

それほど、天皇の存在は、重いのである。
つまり、元首なのだ。

歓迎のスピーチも、お互いの政府が作成したものである。事前に、双方で検討を重ねるのである。
天皇の考えと違っていても、天皇は、渡された原稿を、お読みになられるのである。

天皇が、国政に関与しないという事態を、海外の要人は、なかなか、理解していない。

国政に関与せず、しかし、日本の代表であるという、微妙な立場を、天皇は、生きるのである。

故に、平成25年、秋の園遊会に参加した、参議院の山本某氏が、天皇にお手紙を渡したという、事態は、異常なのである。

現状を、お知らせしたかった・・・
という、アホな言い訳をしたが・・・

何のために、参議院になったのか・・・
それこそ、自分が、その問題を国会にて、取り上げ、善処するために議員になったはずである。しかるに、国政に関与しないという憲法のある、天皇の存在に対し奉り、実に無礼な行為をしたのである。

まだまだ、書けば、キリが無い程の、罪である。

要するに、政治家としての、常識、教養が皆無であること。
その場で、即刻、退場を命じられても、文句は言えないのである。

さて、この園遊会は、明治13年11月に、赤坂離宮で行なわれた、観菊会と、翌年4月に、吹上御苑にて行なわれた、観桜会が、最初である。

以後、新宿御苑、浜離宮などに場所を移して、行なわれたが、昭和38年より、現在の赤坂御苑にて行なわれるようになった。

主催者は、天皇皇后陛下であるが、誰を呼ぶのかということは、お二人で決められるわけではない。
その大半の招待客は、事務的に決まる。

面倒なので、説明は、しない。
政治家以外は、各省庁が、推薦する。
更に、その時々の話題の人も、上がる。

一般国民には、遠い世界である。
また、それで、いい。

天皇陛下は、普段の生活で、意識せずとも、いい存在なのである。
国民が、天皇を意識する時は、国の重大な時である。

そして、それは、あまり良いことではない事。

天皇は、雲の上の人・・・
それで、十分に国民は、納得している。

正月の一般参賀で、遠く天皇を、拝する程度がいい。

天皇は、国と国民のために、祈られる。
それを、国民は知っている。
そして、意識せずとも、いい。

天皇も、それで、満足なのである。
我が身を国に、捧げているという、意識のみ。

今では、国内のみならず、世界の至る所の、問題に心を痛められ、そして、祈られる存在。
そういう、存在を有する方を、国の上、カミに置くという、日本人の心性も、見事なものである。

そこで、より天皇という存在を理解するため、西欧の王位との相違をみることにする。

posted by 天山 at 05:52| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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