2013年11月11日

もののあわれについて642

夜一夜打たれ引かれ泣き惑ひ明かし給ひて、少しうち休み給へる程に、かしこへ御文奉れ給ふ。
大将「よべにはかに消え入る人のはべしにより、雪の気色もふり出で難く、休らひはべしに、身さへ冷えてなむ。御心をばさるものにて、人いかに取りなし侍りけむ」と、きすぐに書き給へり。

大将
心さへ 空に乱れし 雪もよに 一人さえつる かたしきの袖

堪え難くこそ」と白き薄様に、づしやかに書い給へれど、殊にをかしき所もなし。手はいと清げなり。才賢くなどぞものし給ひける。尚侍の君、夜がれを何とも思されぬに、かく心ときめきし給へるを見も入れ給はねば、御返りなし。男胸つぶれて、思ひ暮らし給ふ。心のうちにも、「この頃ばかりだに、事なくうつし心にあらせ給へ」と念じ給ふ。まことの心ばへのあはれなるを見ず知らずは、かうまで思ひ過ぐすべくもなきけうとさかな、と思ひ居給へり。




一晩中、打たれ引かれ、泣き騒いで、朝を迎えた。疲れて、少しうとうとする間に、大将は、あちら、玉葛に、お手紙を差し上げた。

大将は、昨夜、急に、死に掛かった人がいまして、雪の降る具合も、出掛けにくく、ぐずぐすしておりましたところ、体まで冷えてしまいました。あなたは、もとより、周りの人は、どのように、取り沙汰したことでしょう、と生真面目に書いた。

大将
雪ばかりか、心まで、上の空に乱れました。この雪に、一人寂しく、片袖を敷いて、寝ました。

耐えられません。と、白い薄様に、堂々と書いているが、取り立てて、風情もない。筆跡は、見事である。漢字は、随分と学んでいた。尚侍の君、玉葛は、夜がれを、何とも思わないので、大将が、気を揉んでいるのに、見ようともせず、お返事もない。
男は、落胆して、一日、気にしている。北の方は、苦しそうにしているので、お祈りを始めるように、命じる。心のうちでも、せめてもう暫くの間だけでも、何事もなく、正気でいて下さい、と、お祈りする。
この方の本当の、心根の優しさを知らなかったら、こうまで我慢していられない、気味の悪さだと、思っている。

あはれなるを見ず知らず
北の方の性格を、大将が思う。それが、あはれなる、である。

この頃ばかりだに
玉葛を迎え入れる間のこと。

けうとさかな
精神錯乱状態。




暮るれば例の急ぎ出で給ふ。御装束の事なども、めやすくなし給はず、世に怪しう、うち合はぬ様にのみむつかり給ふを、あざやかなる御直衣なども、え取りあへ給はで、いと見苦し。よべのは焼け通りて、うちましげに焦がれたる匂ひなどもことやうなり。御衣どもに移り香もしみたり。ふすべられける程あらはに、人もうし給ひぬければ、脱ぎ替へて、御湯殿など、いたう繕ひ給ふ。木工の君、御たきものしつつ、

木工
ひとり居て 焦がるる胸の 苦しきに 思ひ余れる 焔とぞ見し

名残りなき御もてなしは、見奉る人だにただにやは」と口おほひて居たる、眉いといたし。されど、いかなる心にてかやうの人に物を言ひけむ、などのみぞ覚え給ひける。情けなきことよ。




夕方になると、いつも通り、急いで、出掛ける。
お召し物のことなども、見苦しくないように、整えることもなく、とても妙で、ぴったりしないと、苦情ばかりを言うが、すっきりとした直衣など、間に合わず、酷く、見苦しい。昨夜の焼け穴が出来て、気味悪く、こげた匂いがするのも異様である。下着にも、その匂いが移り、染み付いている。やきもちを焼かれた跡が、はっきりしていて、あちらの人も、嫌がるだろうから、着替えて、湯殿に行ったり、ひどくめかしている。木工の君は、新しいお召し物に、香を焚き染めつつ、

木工
奥様が一人いて、ご主人を恋焦がれる胸の苦しさに、思い余り、焔と存じます。

打って変わった、仕打ちは、お付する私どもでさえ、黙っていられましょうか、と口元を覆っている。その眉が美しい。しかし大将は、どんな気持ちで、こんな女に、馴れ初めたのかと、そんなことばかりが、思われる。
酷いことです。

最後は、作者の言葉。




大将
憂きことを 思ひ騒げば 様々に くゆる煙ぞ いとど立ち添ふ

いとことの外なる事ども、もし聞えあらば、中間になりぬべき身なめり」と、うち嘆きて出で給ひぬ。ひと夜ばかりの隔てだに、また珍しうをかしさまさりて覚え給ふ有様に、いとど心を分くべくもあらず覚えて、心憂ければ、久しう籠り居給へり。




大将
嫌なことを思い、心が乱れる。あれこれと、後悔の煙がいっそう立つ。

全く、とんでもない話が、評判になれば、馬鹿のように思われるのは、自分だろう。と、溜息をつき、お出掛けになる。一夜逢わずにいただけなのに、改めて、珍しく思え、美しさが勝った様子なので、益々、愛情を分けられそうもない。憂うつで、長い間、どこにも行かずに、居続けているのである。

中間になりぬ
どちらにも行けない。

玉葛の所に、居続けるでいるのだ。




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2013年11月12日

もののあわれについて643

修法などし騒げど、御物の怪こちたく起こりてののしるを聞き給へば、あるまじき瑕もつき、恥ぢがましき事必ずありなむ、と恐しうて、寄りつき給はず。殿に渡り給ふ時も、こと方に離れ居給ひて、君達ばかりをぞ、呼び放ちて見奉り給ふ。女ひと所、十二、三ばかりにて、また次々に男二人なむおはしける。近き年頃となりては、御中も隔たりがちにて慣らはし給へれど、やむごとなう立ち並ぶ方なくてならひ給へれば、今は限りと見給ふに、侍ふ人々もいみじう悲しと思ふ。




修法などを、盛んにするが、物の怪が数多く出て来て、わめいていると聞くので、とんでもない非難を受け、外聞の悪いことも、きっと起こるだろうと、恐ろしくて、近づかないのである。
たまに、邸に戻っても、北の方の所には近づかず、子供たちだけを、別の部屋に呼び出して、お会いする。女の子がひと方、十二、三くらいで、その下に、男の子が二人おいでになる。最近になり、夫婦別居がちにしているが、本妻らしく、肩を並べる女もなく暮らしていたので、いよいよ最後だと思うと、女房たちも一緒に、酷く悲しい限りと、思う。




父宮聞き給ひて、「今は、しかかけ離れて、もて出で給ふらむに、さて心強くものし給ふ、いと面無う人笑へなる事なり。おのがあらむ世の限りは、ひたぶるにしも、などか従ひくづをれ給はむ」と聞え給ひて、にはかに御迎へあり。北の方、御心地少し例になりて、世の中をあさましう思ひ嘆き給ふに、かくと聞え給へれば、「しひて立ち止まりて、人の絶え果てむ様を見果てて、思ひとぢめむも、今少し人笑へにこそあらめ」など思し立つ。御兄の君達、兵衛の督は上達部におはすればことごとしとて、中将、侍従、民部の大輔など、御車三つばかりして、おはしたり。「さこそはあべかめれ」と、かねて思ひつる事なれど、さしあたりて今日を限りと思へば、侍ふ人々もほろほろと泣き合へり。女房「年頃ならひ
給はぬ旅住みに、狭くはしたなくては、いかでかあまたは侍はむ。かたへはおのおの里にまかでて、静まらせ給ひなむに」など定めて、人々おのがじしはかなき物どもなど、里に運びやりつつ、乱れ散るべし。




父宮が、お聞きになって、もはや、そのように別居して、明確にしているのに、気強くいるのは、名誉を汚し、笑い者になるだけだ。私が生きている間は、何も無理して、従うことしはない。と、申し上げて、急にお迎えされる。
北の方は、気持ちが普通になって、夫婦の仲を、情けなく思い嘆いているが、お迎えのことを申し上げると、無理にここに残り、あの人が、私を全く捨てるのを、見届けて諦めるというもの、もっと笑い者になるだろう、などと、決心される。
お兄様方、兵衛の督は、上達部であるから、大袈裟過ぎると、中将、侍従、民部の大輔などが、お車を三台ほど連ねていらした。
結局は、こうなることと、以前から予想していたが、目に見えて、今日が最後と思うと、女房達も、ぽろぽろと涙を流し、泣き合うのである。
女房は、長年されていない、よその住まいのこと、狭くもあり、慣れませんことですから、とても大勢では、お供できません。幾人かは、それぞれ里に下がり、落ち着いてからのこと、などと決めて、女房達は、それぞれ、少しの持ち物を里、実家に運び出し、ばらばらに散るようである。




御調度どもは、さるべきは皆したため置きなどするままに、上下泣き騒ぎたるは、いとゆゆしく見ゆ。君達は何心もなくてありき給ふを、母君皆呼びすえ給ひて、北の方「自らは、かく心憂き宿世、今は見果てつれば、この世に後とむべきにもあらず、ともかくもさすらへなむ。生ひ先遠うて、さすがに散りぼい給はむ有様どもの、悲しうもあべいかな。姫君は、となるともかうなるとも、おのれに添ひ給へ。なかなか男君達は、えさらず参うで通ひ見え奉らむに、人の心とどめ給ふべくもあらず、はしたなうてこそ漂はめ。宮のおはせむ程、形のやうに交らひをすとも、かの大臣達の御心にかかれる世にて、かく心おくべきわたりぞとさすがに知られて、人にもなり立たむ事難し。さりとて山林に引き続き交らむ事、後の世までいみじきこと」と泣き給ふに、皆深き心は思ひ分かねど、うちひそみて泣きおはさうず。乳母「昔物語などを見るにも、世の常の心ざし深き親だに、時にうつろひ人に従へばおろかにのみこそはなりけれ。まして形のやうにて、見る前にだに名残りなき心は、かかり所ありてももてない給はじ」と、御乳母どもさし集ひて宣ひ嘆く。




お道具の数々も、置くべき物は、すべて置いたりするも、上の者も下の者も、大泣きするのは、とても不吉な感じがする。
お子様たちは、無邪気にあちこちと歩き回るが、母君が、呼び寄せて、座らせて、私は、こんな不運な身と、今は諦めていますが、このまま生き続ける気もなく、どうなりと、なるようになりましょう。でも、将来のある、あなた達は、散り散りになるのが、悲しい。姫君は、どうなるにせよ、覚悟して、私に着いてきなさい。男の子たちは、やむを得ず、行き来して、顔を合わせることになるでしょうが、お父様は、構って下さりそうにないから、落ち着きのない生活をすることでしょう。宮様が生きている間は、いちおうの宮仕えは出来ても、あの大臣たちの、お心のままになる、この頃のこと、あの安心出来ない、一族と、やはり目をつけられて、一人前に、出世することも難しい。でも、私の後を追って、山や林に出家したりしては、あの世に行っても、諦めきれない、などと、泣くと、子供達は、深い事情はわからないが、べそをかいている。
乳母は、昔物語などを見ても、子供を可愛がる親でも、時勢に流され、後妻の言うままになり、子供を構わなくなるものです。まして、親とは、名ばかりで、私の見ている前でさえ、昔の思い出のかけらもないお方で、力になってやるようなことは、ないでしょう、と、乳母たちが集まり、北の方ともども、話し嘆いている。

かの大臣達の御心にかかれる世
それは、源氏などの、大臣、おとど、のことを言う。

昔物語とは、継母のお話である。

姫君を連れてゆくという、北の方。
男の子達は、大将の元に。
当時の、身分を知らないと、理解できないことが多々ある。

父宮のところに、姫君を連れてゆくのは、大丈夫だが・・・
大将の元にいる、男の子達は、身分が低くなるということである。

物語には、離別するとは、書かれていない。
それが、後妻になっている。
本妻の他に、妾を持ってもいいはずが・・・

それは、源氏の娘としての、玉葛の身分が、上だからである。

女房達に、手をつけても、問題がないのは、身分が低いからである。


posted by 天山 at 06:08| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月13日

もののあわれについて644

日も暮れ、雪降りぬべき空の気色も、心細う見ゆる夕べなり。君達「いたう荒れ侍りなむ。早う」と御迎への君達そそのかし聞えて、御目おし拭ひつつ眺めおはす。姫君は、殿いとかなしうし奉り給ふ習ひに、見奉らではいかでかあらむ。「今なうむとも聞えで、また会ひ見ぬやうもこそあれ、と思ほすに、うつぶし伏して、え渡るまじと思ほしたるを、北の方「書く思したるなむ、いと心憂き」など、こしらへ聞え給ふ。ただ今も渡り給はなむ、と待ち聞え給へど、かく暮れなむに、まさに動き給ひなむや。常に寄り居給ふ東面の柱を、人に譲る心地し給ふもあはれにて、姫君、檜肌色の紙の重ね、只いささかに書きて、柱の乾割れたる狭間に、かうがいの先して押し入れ給ふ。

姫君
今はとて 宿かれぬとも 慣れ来つる 真木の柱は 我を忘るな

えも書きやらで泣き給ふ。母君、「いでや」とて、

北の方
慣れきとは 思ひ出づとも 何により 立ち止まるべき 真木の柱ぞ

御前なる人々も、様々に悲しく、さしも思はぬ木草のもとさへ、恋しからむことと目とどめて、鼻すすり合へり。




日も暮れて、雪が降って来そうな、空模様も、心細く思われる、夕方。
君達は、酷い荒れた天気になるでしょう。早く、と迎えの君達が、催促して、涙を拭いつつ、外を見ている。姫君は、殿様が、とても可愛がっているのが常のことで、お目にかからずには、いられない。只今から、とお暇も申し上げずに、二度と会えないことになるかもしれないと、思うと、突っ伏して、とても行けないと思うので、北の方は、そんな気持ちとは、情けない、などと言い聞かせる。
今すぐにも、お父様、帰ってくださいと、待っているが、こんな日も暮れようとするときに、あちらから動くことがあろうか。
いつも寄りかかっている、東座敷の柱を、人にやってしまうのも悲しくて、姫君は、檜皮色の紙を重ねたものに、ほんの少し書いて、柱のひび割れた隙間に、コウガイの先で、差込になる。

姫君
今日限りと、この邸から去ります。離れても、いつも傍にいた、真木の柱は、私を忘れないで。

書き終わることも出来ず、泣くのである。母君は、なんの、なんのと、おっしゃり

北の方
真木柱が、昔の馴染みを忘れず、思い出してくれても、どうして、ここに留まっていられようか。心残りはありません。

お傍の、女房達も、それぞれに悲しく、普段は、あまり思わない草木のことのまで、恋しく、今後は思い出すだろうと、じっと目を止めて、鼻をすすり、泣き合うのである。

檜皮色
紫色の、やや黄ばんだ黒色で、柱の色に合わせた。

真木
役に立つ材木の意味。

人に譲る心地し給ふもあはれにて
人に譲る気持ちも、悲しくて・・・
切ない・・・複雑な心境も、あはれ、なのである。




木工の君は、殿の御方の人にてとどまるに、中将の御許、

中将
浅けれど 石間の水は すみはてて 宿もる君や かけ離るべき

思ひかけざりし事なり、かくて別れ奉らむことよ」と言へば、木工、

ともかくも 岩間の水の 結ぼほれ かけ止むべくも 思ほえぬ世を

いでや」とてうち泣く。御車引き出でてかへり見るも、またはいかでかは見む、とはかなき心地す。梢をも目とどめて、隠るるまでぞかへり見給ひける。君が住む故にはあらで、ここら年経給へる御住みかの、いかでか忍び所なくはあらむ。




木工の君は、殿様づきの人であるから、後に残るので、中将の君は、

石の間に溜まった水は、浅いけれど、その水は、最後まで澄んでいて、縁の浅いあなたが住んで、邸を守るはずの奥様が出て行くとは。

考えても、みないことです。こうして、お別れするとは。と言うと、木工は、

どのようなことになるのか、何とも解りませんが、岩間の水は、溜まって、影を映さず、私の心も、晴れぬことで、いつまでここにいられる、運命なのかは・・・

本当に、情けないことです、と泣く。お車を引き出して、後を振り返るが、二度と、どうして見ようかと、無常を感じる。木の梢に目を止めて、隠れてしまうまで、振り返り、振り返り、見ていられた。恋しい方が住むのではなく、この長年住み慣れた住まいが、どうして、名残の惜しまれないことが、あろう。

結ぼほれ
流れが停滞する様と、心が鬱屈する様を言う。

かけ止む
水が影を映さないことと、後まで残る意味とを、掛ける。

物語の歌を理解するためには、多くの歌の素養が必要である。
何故、その言葉なのか・・・
それは、昔の歌の中にあるものなのだ。

源氏物語は、当時の、教養の様が、見て取れる。

研究家の手引きにより、それらを知る。

posted by 天山 at 06:12| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月14日

もののあわれについて645

宮には侍ちとり、いみじう思したり。母北の方泣き騒ぎ給ひて、母「太政大臣をめでたきよすがと思ひ聞え給へれど、いかばかりの昔の仇敵にかおはしけむとこそ思ほゆれ。女御をも、事に触れ、はしたなくもてなし給ひしかど、それは、御中の恨み解けざりし程、思ひ知れとにこそはありけめ、と思し宣ひ、世の人も言ひなししだに、なほさやはあるべき、人ひとりを思ひかしづき給はむ故は、ほとりまでも匂ふ例こそあれと、心得ざりしを、ましてかく末に、すずろなる継子かしづきをして、おのれ古し給へるいとほしみに、実法なる人のゆるぎ所あるまじきをとて、取り寄せもてかしづき給ふは、いかが辛からぬ」と言ひ続けののしり給へば、宮は、「あな聞きにくや。世に難つけられ給はぬ大臣を、口に任せてな貶しめ給ひそ。賢き人は、思ひ置き、かかる報いもがなと、思ふ事こそはものせられけめ。さ思はるるわが身の不孝なるにこそはあらめ。つれなうて、皆、かの沈み給ひし世の報いは、浮かべ沈め、いと賢くこそは思ひ渡い給ふめれ。おのれ一人をば、さるべきゆかりと思ひてこそは、一年も、さる世の響きに、家より余る事どももありしか。それをこの生の面目にて止みぬべきなめり」と宣ふに、いよいよ腹立ちて、まがまがしき事などを言ひ散らし給ふ。この大北の方ぞさがな者なりける。




父宮は、待ち受けて、酷く物思いに耽っていた。
母である北の方は、泣き騒ぎ、太政大臣を、結構な親戚とお考えですが、どれ程に、酷い昔からの仇敵でいらしたのかと、思われます。女御のことも、何かにつけて、いたたまれない思いでしたが、それは、こちらとの間の、恨み事が解けなかったことを、思い知れということなのだと、あなたは思って、おっしゃる。世間でも、そう取り沙汰していましたが、その時でさえ、そんなことがあって、よいものかと、奥方を大事にするのであれば、その縁で、肉親の者までも、お陰をこうむる例もあるものだと、納得ゆきませんでした。そればかりか、こんな年になり、訳の解らない、まま子の世話をして、ご自分が、慰み物にされた、罪滅ぼしに、律儀で、浮気しそうにないものを、選んで、自分のことろに、引き込んで、大事にされるとは。どうして、辛くないのでしょう、と、息もつかずに、まくし立てるので、宮は、ええ、聞き苦しい。世間から非難されたことのない大臣のことを、口から出任せに、悪口をおっしゃるものではない。賢い人は、かねてから、考えておいて、こんな、仕返しをしたいと、思うことが、あったのだろう。そのように、睨まれる、こちらが、不運なのだ。何気ないふうで、一つ残さず、昔苦しみになったことでの、報いは、よくしてやったり、いじめたり、しっかりと、賢く考え続けて、いらっしゃるようだ。私一人は、肉親だと思い、先年も、世間が大騒ぎするほどに、我が家には、過ぎるお祝いごとも、して下さった。あれを、一生の名誉と思い、満足すべきなのだ。と、おっしゃるので、益々、腹を立てて、呪いの言葉を、言い散らす。この、大北の方こそ、大変なものだったのです。

最後は、作者の言葉。

色々と説明が必要だが・・・
省略する。

原文を何度も、繰り返し読むことで、解るものだ。

実法なる人のゆるぎ所あるまじきをとて
律義者である、大将を、理想の婿として、源氏が決めたことである。




大将の君、かく渡り給ひにけるを聞いて、「いと怪しう、若々しき中らひのやうに、ふすべ顔にてものし給ひけるかな。正身は、然ひききりに際際しき心もなきものを、宮のかく軽々しうおはする」と思ひて、君達もあり、人目もいとほしきに思ひ乱れて、尚侍の君に、大将「かく怪しき事なむ侍るなる。なかなか心安くは思ひ給へなせど、さて片隅に隠ろへてもありぬべき人の心安さをおだしう思ひ給へつるに、にはかにかの宮ものし給ふならむ。人の聞き見る事も情けなきを、うちほのめきて参り来なむ」とて出で給ふ。良き上の御衣、柳の下襲、青鈍の綺の指貫着給ひて、引き繕う給へる、いとものものし。などかは似げなからむと人々は見奉るを、尚侍の君は、かかる事どもを聞き給ふにつけても、身の心づきなう思し知らるれば、見もやり給はず。




大将の君は、北の方が、このように引き移ったと聞いて、何とも妙な、年若い夫婦仲のように、面あてがましいことを、したものだ。本人は、そういう思い切ったことが出来る人ではない。宮が、そのように軽率でいらしたのだ。と思い、子供達もあり、世間体も具合が悪いと、困りきり、尚侍の君、玉葛に、こんなおかしなことがあると、いいます。北の方がいなくなって、かえって、気が楽だと思いますが、そのままで、邸の隅に引っ込んでいて、よい気楽な人だと、安心していましたのに、急に、式部卿の宮がされたのでしょう。世間が、見たり聞いたりしても、薄情だと、言いましょうし、ちょっと、顔を出して、すぐに、戻って参ります、と言い、お出になる。
上等の着物に、柳の下襲、青鈍色の綺の指貫を召して、身繕いされたところは、貫禄がある。どうして、不似合いなことが、あろうかと、女房達は拝するが、尚侍の君は、こんなことを、あれこれ耳にするにつけても、我が身が、情けないと思い知らされるので、見向きもしないのである。

何とも、物語の調子である。




宮に恨み聞えむ、とて、参うで給ふままに、先づ殿におはしたれば、木工の君など出で来て、ありし様語り聞ゆ。姫君の御有様聞き給ひて、雄々しく念じ給へど、ほろほろとこぼるる御気色、いとあはれなり。大将「さても、世の人にも似ず、怪しき事どもを見過ぐすここらの年頃の心ざしを、見知り給はずありけるかな。いと思ひのままならむ人は、今までも立ち止まるべくやはある。よし。かの正身は、とてもかくても、いたづら人と見え給へば、同じ事なり、幼き人々も、いかやうにもてなし給はむとすらむ」と、うち嘆きつつ、かの真木柱を見給ふに、手も幼けれど、心ばへのあはれに恋しきままに、道すがら涙おし拭ひつつ参うで給へれば、対面し給ふべくもあらず。




宮に恨み言を申し上げようと、出掛けたついでに、先に邸に立ち寄ると、木工の君などが、出てきて、その時の様子をお話しする。姫君の様子を聞いて、男らしくこらえているが、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる様子は、何ともあはれである。
大将は、それにしても、普通の人と違い、狂気の沙汰を我慢して、この長年の愛情を解って、下さらないのだ。酷くわがままな男なら、今まで、連れ添ってなどいるものか。しようがない。あの本人は、どうなろうと、廃人と思われるゆえ、同じ事。子供達まで、どうされるのか、と、溜息しながら、あの真木柱を御覧になると、筆跡は、子供っぽいが、心根がいじらしく、顔が見たくなり、道々、涙を拭いながら、宮邸に参上されると、会うはずがない。

少しばかり、浪花節調になっているところが、面白い。



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2013年11月15日

もののあわれについて646

宮「何か。ただ時に移る心の、今初めて変はり給ふにもあらず。年頃思ひ浮かれ給ふ様聞き渡りても久しくなりぬるを、何処をまた思ひ直るべき折りとか待たむ。いとどひがひがしき様にのみこそ見えはて給はめ」と諌め申し給ふ、ことわりなり。大将「いと若々しき心地もし侍るかな。思ほし捨つまじき人々も侍ればと、のどかに思ひ侍りける心の怠りを、返す返す聞えてもやる方なし。今はただなだらかに御覧じ許して、罪さり所なう、世の人にもことわらせてこそ、かやうにももてない給はめ」など、聞えわづらひておはす。姫君をだに見奉らむと聞え給へれど、出し奉るべくもあらず。男君達、十なるは殿上し給ふ。いと美し。人に誉められて、容貌などようはあらねど、いとらうらうじう、物の心やうやう知り給へり。次の君は、八つばかりにて、いとらうたげに、姫君にもおぼえたれば、かき撫でつつ、「あこをこそは、恋しき御形見にも見るべかめれ」など、うち泣きて語らひ給ふ。宮にも御気色賜はらせ給へど、「風起こりてためらひ侍る程にて」とあれば、はしたなくて出で給ひぬ。




宮は、なに、すぐに時勢に乗る心で、心変わりも、今に始まったことではない。昨年以来、うつつを抜かしているとの、噂を耳にして、長いことになるが、元通り、心を改める時を、待つと。益々、悪い一方とばかり思われて、一生を終わることになろう。と、北の方を止められる。無理もないこと。
大将は、大人気ないことです。見捨てるはずのない子供達もいることだから、と、暢気に構えていた私の至らなさを、何度、お詫びしてみても、仕方ないこと。こうなっては、ただ、お心広く、大目に見てくださり、罪は私にあるのだと、世間の人にも解らせた上で、こういう処置をされるがいい。など、言う言葉も、苦労する。せめて、姫君だけにでも、会いたいと申し上げるが、御簾の外に出すはずもない。
男君たちで、十歳になるのは、童殿上している。とても可愛らしい。評判がよくて、容貌など良くないが、大変利口で、だいぶ訳がわかるようになっている。次の子は、八歳くらいで、とてもあどけなく、姫君にも似ているので、頭を撫でながら、大将は、お前を恋しい姫君の形見に見ることに、など、涙を流しながら、お話になる。
宮にも、ご内意を伺うが、風邪ぎみで、静養しておりますので、という、言い方で、きまりの悪い思いで、出られた。

風起こりて
風病のこと。神経系の疾患。

はしたなくて
手持ち無沙汰で・・・
恰好がつかないなどの意味。




小君達をば車に乗せて、語らひおはす。六条殿には、え率ておはせねば、殿にとどめて、大将「なほここにあれ。来て見むにも心安かるべく」と宣ふ。うち眺めて、いと心細げに見送りたる様ども、いとあはれなるに、物思ひ加はりぬる心地すれど、女君の御様の見るかひありめでたきに、ひがひがしき御様を思ひ比ぶるにもこよなくて、よろづを慰め給ふ。うち絶えておとづれもせず、はしたなかりしにことつけ顔なるを、宮にはいみじうめざましがり嘆き給ふ。春の上も聞き給ひて、紫の上「ここにさへ恨みらるるゆえなるが苦しきこと」と嘆き給ふを、大臣の君は、いとほしと思して、「難き事なり。おのが心一つにもあらぬ人のゆかりに、内にも心置きたる様に思したなり。兵部卿の宮なども怨じ給ふと聞きしを、さいへど、思ひやり深うおはする人にて、聞きあきらめ恨み解け給ひにたなり。おのづから人の中らひは、忍ぶる事と思へど、隠れなきものなれば、しか思ふべき罪もなしとなむ思ひ侍る」と宣ふ。




男の子たちを、車に乗せて、お話しながらお出でになる。六条殿には、連れて行けないので、邸に残し、大将は、今まで通りに、ここにいなさい。会いに来るのも気が楽だから。と、おっしゃる。ぼんやりと、心細げに見送る二人が、いじらしく、心配事が、また増えた気持ちがする。女君の、お姿が見るに価値あり、立派なので、北の方の、気違いじみた様子と比べると、話にもならないことで、全ての苦労が、癒される。
その後は、さっばり便りもせず、先日無愛想だったことを、よい口実にしている様子なので、宮は、酷く呆れた人だと、嘆いているのを、春の上も耳にされて、私までが、恨まれる元になるのが、辛い、と嘆くのを、大臣の君は、気の毒に思い、難しいことだ。私の一存だけでは、どうする事も出来ない人の事で、主上におかれても、拘りを持たれているようだし、兵部卿の宮なども、恨んでいると聞いたが、そうはいっても、思慮の深い方で、事情を聞いて、解ってくださり、了解してくださったようだ。男女のことは、秘密にしていることでも、いつしか、事情は、解ってしまうものだ。そんなに、気にするほど、間違いはないと、思います、とおっしゃる。

ここでの、女君は、玉葛のこと。
この文の、登場人物は、小君達、大将、玉葛、兵部卿の宮、北の方、紫の上、大臣の君とは、源氏である。
それぞれの、文が、誰のことを言うのか・・・
混乱する。




かかる事どもの騒ぎに、尚侍の君の御気色いよいよ晴れ間なきを、大将はいとほしと思ひあつかひ聞えて、この参り給はむとありし事も絶え切れて、防げ聞えつるを、内にも、なめく心ある様に聞し召し、人々も思す所あらむ、おほやけ人を頼みたる人はなくやはある、と思ひ返して、年寄りて参らせ奉り給ふ。男踏歌ありければ、やがてその程に、儀式いとめかしう二なくて参り給ふ。方々の大臣達、この大将の御勢ひさへさしあひ、宰相の中将、ねんごろに心しらひ聞え給ふ。兄の君達も、かかる折りにとつ集ひ、追従し寄りて、かしづき給ふ様いとめでたし。




このような、あれこれの事件の騒動で、尚侍の君、玉葛の様子は、いよいよ晴れる時もないので、大将は、お気の毒に思い、心配して、尚侍が、参内するはずだった予定も、あれっきり、立ち消えになり、自分が参内に反対したのを、主上も快く思わず、何か含むところのあるように、話を聞いて、思し召すようだし、大臣達も、考えるところがあろう。宮中奉仕を妻にしている男も、なくはない。と、考え直して、新年に参内させるのである。
男踏歌があったので、ちょうど、その折に、儀式の威儀を、この上なく整えて、参内される。お二方の大臣に、この大将の御威勢まで加わり、宰相の中将、夕霧は、熱心に気を配るのである。兄弟達も、こういう機会にと集い、皆々、ご機嫌をとり、大事にされる様子は、とても立派である。

玉葛に対する、皆々の様子である。

兄弟達とは、玉葛の兄弟である。
それにしても、玉葛は、いつも、心が冴えない様子である。
一種の、抑うつ状態か・・・

男踏歌、をとこだうか、と読む。

posted by 天山 at 06:52| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月16日

伝統について64

小墾田の 坂田の橋の 壊れなば 桁より行かむな 恋ひそ吾妹

をはりだの さかたのはしの こぼれなば けたよりゆかむな こひそわぎも

小墾田の、坂田の橋が壊れているなら、橋桁を通ってでも、行く。恋に苦しむな、吾妹。

坂田の橋、とは、湿地帯にある、板の橋のこと。
それが、壊れたら、その橋の、桁を渡っても行くという。

大丈夫だ、必ず行くという、気概だ。

宮材引く 泉のそまに 立つ民の 息む時無く 恋ひわたるかも

みやきひく いずみのそまに たつたみの やすむときなく こひわたるかも

宮殿を造る、材木を引き出す、泉の山に働く民のように、心休む時無く、恋し続ける。

わたるかも・・・
広がる、続ける・・・
色々な意味がある。

住吉の 津守網引きの うけの緒の 浮かれか云なむ 恋つつあらずは

すみのえの つもりあびきの うけのをの うかれかいなむ こひつつあらずは

住吉の津守が、綱引きする時の、うけ、という綱の紐のように、漂って行ってしまうおうか。恋に苦しみ続けずに。

思い切って、逢いに行く。
行きたいのである。

綱引き、とは、恋の運命の末を比喩する。
流れ死んでも、いいというのだ。

東細布雲の 空ゆ延き越し 遠みこそ 目言離るらめ 絶ゆと隔てや

あさぬのの そらゆひきこし とおみこそ めことかるらめ たゆとへだてや

夜明けの、布雲が、遠く空にかかるように、遠く離れているからこそ、逢う事も、言葉も絶えているが、仲を絶っても、隔てているわけではない。

少し、複雑な歌である。

東雲、しののめ、のことか。

遠くにいる、恋人に語り掛けるのである。
心は、共にある、と。

かにかくに 物は思はじ 飛騨人の 打つ墨縄の ただ一道に

かにかくに ものはおもはじ ひだひとの うつすみなはの ただひとみちに

あれこれと、思わない。飛騨の工匠が打つ墨縄のように、一筋に、一途に。

ただ、一筋に、一途に思う心。

男らしく・・・ありたいのである。

何とも、技巧というものが無いのである。
ただ、口から出たままに、歌う。

丈夫ぶりといわれる、所以である。
万葉の歌は、まさに、それである。

純粋、素朴・・・
それで、いい。

そこから、古今へ、新古今へと、歌の道が、生成発展してゆくのである。

歌の基本が、このように、素朴で、純粋であることが、救いだ。



posted by 天山 at 07:23| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月17日

沈黙を破る79

アセアン、東南アジアの中で、一番貧しい国は、カンボジアである。

あの、狂いの、ポルポトによる、大量虐殺、内戦・・・

あれから、35年を経て・・・
人々は、少し立ち上がり始めた。

しかし、兎に角、貧しい。
貧民窟なども、存在する。

ラオスも貧しいが、救いがある。
自然の中に、恵みがある。
勿論、貧しいが・・・

そこで、支援が必要。
だが・・・
お金で、解決はつかない。

軍事政権下の、ミャンマー、ヤンゴンに支援に出掛けた際に、ヤンゴンの有志の一人に聞いた。
政権と別である。
政権は、何も支援をしなかった。

その有志達の話し合いの際に、お金という問題が出たという。
お金を上げる。
しかし、皆々、考えた挙句、お金では、解決しないという、結論に至った。

つまり、お金を支援すれば、それから以後も、お金の支援が続く。
農民には、農機具を、漁民には、船と網を、ということになったという。

私が、出掛けた、農民たちの村・・・
畑が、灰色である。
もう、畑とは、いえないほどに、荒れていた。

最初から、畑を作り直さなければならないのである。

そのまま、放置すれば、荒廃した土地になる。

と、いうことで・・・
お金で、解決出来ると、日本人は、思うだろうが・・・
あまりにも、短絡的である。

そのよい例が、ミャンマーの北部地方で、支援活動をしていた、プロテスタント系の、キリスト教である。
教会に来る度に、お金を渡した。

村人は、そのために、教会の礼拝に参加する。

ところが・・・
村人は、働かず、麻薬の中毒患者になっていったのである。

私は、こういう、キリスト教の布教を、場壊しと、言っている。
彼らは、キリスト教を広めることが出来れば、何でもありなのである。

キリスト教は、いつの時代も、場壊しを行なってきた。
現在も、そうである。

辛うじて、カトリックなどが、学校、福祉施設などを、経営するが・・・

カンボジアに戻ると、現在は、仕事を求めて、地方から、多くの人が、プノンペンに集まる。
しかし、着の身着のままの状態で、出てくる。
その人たちの住む場所が、新しいスラムになる。

私の手伝いをしてくれる、トゥクトゥクの運転手が、言う。
そのスラムに行って欲しい。

食べるのみで、精一杯で、衣類を買えない。
だから・・・
一枚のシャツを着続けている・・・

地方の貧しさより、都市の貧しさの方が、悲惨である。

地方から出て来た、若者の給料は、5000円程度である。
どう計算しても、生活が出来ない。

数名で、部屋を借りて、一番安い食事をする。
つまり、物売りの食べ物を買う。

屋台でも、食べられない。

屋台では、100円程度から、300円もあれば、腹一杯に食べられるが・・・

観光する人たちには、理解出来ない。
そんな場所に出向かないからだ。

私は、物売り、屋台、屋台連合のような場所で、食べる。
地元の人たちと、接することが出来る。

それが、また、楽しい。

兎に角、衣類という、物で支援することだと、再確認するのである。


posted by 天山 at 08:39| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月18日

国を愛して何が悪い104

白人の植民地政策の有様を見れば、一目瞭然である。
その、悲惨さである。

例えば、アジアでは、フィリピンである。

最初は、セブ島の先にある、マクタン島に、マゼランが来た、1521年である。
マゼランは、スペイン王の名において、セブ島内の内戦を口実に、介入するが、原住民の矢に当たり、死亡する。

だが、スペイン軍は、遠征隊を送り込み、次々と、島を占領し、1571年にマニラを陥落した。

元は、イスラム教だった、フィリピンをキリスト教に改宗させるべく、残虐行為に及ぶ。

その手先が、宣教師たちである。
相変わらずの、宣撫政策。

1860年に、スペインに内乱が生じると、フィリピン国内では、知識階級による、自由獲得運動が盛んになる。
それが、農民の一揆、キリスト教会の分裂などと、騒然とした雰囲気になる。

勿論、弾圧が起こる。

つまり、フィリピンは、おおよそ、300年に渡るスペインの統治独裁政策を受けていた。

更に、その後は、1898年のアメリカである。
米西戦争により、スペインは、2000万ドルで、フィリピンをアメリカに売る。

それが、1941年の、日本軍の占領まで、続く。

そこで、フィリピンでは、長い植民地時代により、おおよその現地の文化的なものを、捨て去った。

今、植民地時代を振り返ると、スペインは、キリスト教を与え、アメリカは、近代化を教えたというが・・・

これは、非常に好意的な見方である。

島々には、スペイン時代の悪しき伝統が息づいている。
決して、フィリピンの人たちが、富むことのない、システムである。

更に、英語を取り入れたことによる、弊害は、実に大きい。
英語を取り入れて、豊かになっただろうか。
精々、海外に出稼ぎに出掛けるための、言葉としてある。

フィリピンには、文化的なものは、一つも無い。
あっても、キリスト教の教会である。

更に、芸術分野も全く無し。

キリスト教という、文化が、すべて破壊させたことを、知らない。
しかし、今は、カトリックの国といわれる。

人を殺すのに、五千円程度で、請け負う人がいる国が、カトリックの国である。

英語を主にすることから、英語の国、イギリス、アメリカの文化には、適わない。更に、あらゆる文化的行為に、アメリカが生きている。

アメリカンの食事を主にする。
それが、贅沢なのである。

つまり、食事ではなく、餌の食文化である。

フィリピン人は、平然として、言う。
命より、お金が大事・・・
でも、命が無ければ、お金があっても・・・
それでも、お金が大事・・・

遺産相続では、平気で兄弟、親戚などを殺す国。

それなのに、教会には、多くの人が集う。
祈る。
長年の絶望感に麻痺して、祈りを上げるという、姿である。

一部、 知識人が言う。
もし、フィリピンが日本の統治を受けていたら・・・
フィリピンは、自国の文化を持ち、発展していた、と。

今も、状況を良く知らないフィリピンの人が言う。
日本軍から、アメリカが救い出してくれた・・・

そのアメリカに飼い慣らされて・・・
すべてを、アメリカに真似た。
その結果が、現在のフィリピンである。

だが、アメリカも、金ばかりかかる、フィリピンから、撤退するのである。
手始めは、米軍基地。

沖縄の基地は、手放さないが・・・
フィリピンの基地は、手放した。
日本には、金がある。日本には、金をたかれる、のである。

現在は、中国の台頭により、フィリピンにも、米軍の力を注ぐようになったが・・・

フィリピンの、ビサヤ諸島には、フィリピン魂を説く人たちがいる。
イスラムである。

フィリピン人の魂がある、と、力説する。
それを聞いていると、少し悲しくなる。

ミンダナオ島のモロ・イスラム勢力が、ようやくマニラ政府と和解案に合意した。それも、日本が、立ち会ってのことである。

イスラム勢力は、日本の立ち入りを求めた。
何故か。
日本は、宗教の国ではない。
マニラ政府が要請するのは、キリスト教の国ばかりである。
それでは、話し合いにならないのである。

私は、その日本に世界平和の鍵を見る。

民族、宗教の壁を超えて、話し合いの出来る国、日本になっているのである。


posted by 天山 at 06:58| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月19日

国を愛して何が悪い105

大東亜戦争後のアジア各国の内戦による死者が、戦争中の死者をはるかに上回っている事実を指摘する者がいったい何人いただろうか。
黄 文雄

こうした民族同士の殺し合いが、日本軍引き上げの直後に各地で噴出した現状を見て、戦前にいわれた「大東亜の新秩序」の意味を再び考える人がいなかったのだろうか。それをただ「日本の侵略の後遺症」だとか「共産主義革命のせい」だといって説明がつくものなのだろうか。


事実を知れば、知るほど、現在の東アジアの、三国の言う、戦犯国家日本という、言い分が、実に滑稽に思えるのである。

朝鮮半島の分断まで、日本の責任だという、韓国、朝鮮の学者が多いが・・・
それでは、彼らは、その責任を感じているのか・・・

日本のせいにしていれば、安泰なのである。

朝鮮も、中国も、その歴史を見れば、一目瞭然。
有史以来、内紛の絶えなかった国である。

日本が、統治していた時代の方が、実に安定していたのである。

戦後の朝鮮戦争は、もともとの朝鮮の姿に立ち戻ったものにすぎない。中国の国共内戦も、ベトナム戦争も、カンボジア内紛もみなしかりである。


台湾では、日本統治時代、台湾人による政治運動が、取締りを受けたこともあるが、大正デモクラシーの時代を経て、死刑判決を下されたことは、無かった。

だが、中国軍が台湾に入ると、二年もしないうちに、全島を揺るがす、血の二・二八事件が発生する。
中国軍の台湾人粛清により、三万人もの人が、虐殺された。

また、マレーシア、ビルマ、インドネシアも、独立のために、戦争を繰り返し、独立後も度々起こる、軍事クーデターにより、多くの血を流した。

西欧の国が、そうだったように、近代国家を築いてゆく上で、流血は、避けられないのである。
それは、日本の侵略とは、何の関係も無い。

さて、日本軍が、東南アジアへ進撃したのは、昭和16年である。
それから、長く見積もっても、四年の歳月である。

その、東南アジアは、大航海時代の初期から、数百年に渡り、西欧の植民地にされて、搾取され続けていた。

それが、日本軍が進出することで、インドを除く、東南アジア全域から、白人が追放された。

日本軍主導による、東亜新秩序が、打ち立てられたのである。
だが、大東亜戦争は、激しさを増し、軍政は、当たり前のこととなった。

勿論、軍政による、占領は植民地からの開放には、ならない。

日本が、東南アジア諸国に、独立を許したのは、占領から、それほど遅い時期ではない。

フランス領ベトナムでは、昭和19年3月、フランス軍を武装解除させ、前アンナン皇帝である、バオダイ帝を擁して、独立宣言を行なわせた。

そして、ビルマ、フィリピン、インドネシアと、続く。

だが、例えば、ロシア革命は、抑圧される民族を解放するといって、ソビエト連邦を樹立したが、ソ連は、その後、一体誰を解放したのか・・・

中国は、チベットの農奴を解放するといって、進駐したが、チベット人は、解放されたか・・・

日本が、軍政をしいて、占領したということは、国際的常識に見て、当たり前のことである。

日本だけを、それを持って、攻撃するのは、世界が笑う。

さて、もう一つ、書いておきたいことは、白人を追放しただけではない。
その白人の手先となって、植民地支配の利益を貪る、華僑を追放、静粛したことである。

華僑は、東南アジアで、独自の社会を作り、白人の植民地統治者の、番頭として働くことになる。

現地人は、政治的に支配され、華僑により、経済的に支配されたのである。

勿論、搾取である。
西欧の、植民地支配は、代理統治する人種を設定する。
アジアでは、ミャンマーを境に、インド洋からアフリカが、印僑で、東側が華僑である。

であるから、現在に至っても、現地人の華僑に対する反感は、消えていない。

東南アジアで、華僑に対して、最も厳しい措置を取るのは、インドネシアである。
全体の三パーセントに満たない華僑人口であるが・・・
それほど、嫌われている。

インドネシアの独立運動は、華僑の経済搾取に反抗するための、運動でもあったという、事実である。

最初に誕生した、イスラム同盟の運動は、直接的に、華僑を排斥する運動となったほどだ。

日本軍と、ビルマ独立軍が、ラングーンを開放したとき、まず追放したのが、イギリス人と手を組んで、ビルマを搾取していた、印僑と、華僑である。

彼らの追放なくして、植民地からの、開放はなかったのである。

華僑の本質は、現地人を蔑視し、居住地の民族とは、同化しない。そして、資本は、地元に還元しない。利益を独占する。

マレーシアでは、日本軍による、華僑の粛清が無ければ、その独立は、無かった。
華僑を追放し、マレー人を教育して、人材を育てた。
その人たちが、マレーシアという国の基礎を作ったのである。

マレーシアは、イスラムの国ではあるが、天皇陛下に対する、崇敬が強いことでも、日本に対する思いが、解る。

現在は、アフリカ諸国も、中国人の手を見据えたようで、反中国に目覚めている。

アフリカの資源は、搾取するが、アフリカには、何も残さないという、状態になることを、見抜いたのである。

中国人を憎むものではないが、中国人というものの、本質を覚えておくことである。


posted by 天山 at 07:01| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月20日

国を愛して何が悪い106

日本には、世界で、唯一というものが、多数存在する。

その中でも、みずから日本が、他国を侵略したと、叫ぶ者が多々存在するという、不思議である。

このような、マゾヒスト的人間が、進歩的文化人などと、言われる、愚劣である。

ノーベル賞作家などは、真面目に、日本人であることが、苦痛とまで言う。
ならば、自分の好きな国に、住むことである。が、住まない。
のうのうとして、自由な日本に住み続けて、そのような、たわごとを言う。

共産主義が、好きならば、中国、北朝鮮に住むことが出来る時代である。
だが、日本に居て、のうのとして、言いたい放題を言う。

そもそもこのような自虐的史観は、「世界革命、人類解放」を叫ぶ社会主義の夢と呼応するもので、歴史的使命を背負って国家を否定し、国家の死滅を理想としてそれを後世に伝えようというものである。これは現実からきわめて遊離した妄想であるが、中国では紀元前の時代から「大同世界」という名で世界国家は夢見られていた。
黄 文雄

だいたい近隣諸国から教科書の内容にいちいち口出しされ、それを唯々諾々と受け止めて、国家に反するような歴史を自分の子弟に教えようとする国など、日本をのぞいて世界に一つもあるまい。ところが現実に国家が消滅しないのは、日本が思った以上に健全な国であるためだろうか。


日本が消滅しないのは、天皇の存在があるからである。
天皇の存在無ければ、消滅する。

黄氏は、
日本は敗戦を契機に20世紀後半から虚脱感にとらわれたまま、何の使命も感じず、ひたすら平和を祈るだけの「念仏平和主義」に陥っている。
と、書く。

これは、日本のサヨク勢力のお陰である。
平和を唱えていれば、平和なのだと、思い込む、妄想である。

外国を信頼しさえすれば自衛権も交戦権も放棄するとは、崇高なる平和精神であるが、そのように恒久平和は幻想のなかにしか存在しない。「自衛権」とはほかならぬ「生存権」なのである。自衛権の放棄とは生存権の放棄となる。生存権を放棄してどうするというのだろうか。諸国を信頼するということがいかに危険であるか、戦後の国家紛争の歴史を見れば一目瞭然だろう。


自衛権のない国は、他国の保護国になっている国である。軍備のない国家は独立国ではない。それを知らないのは日本の平和主義者だけである。


まさに、その通りである。
つまり、日本は、アメリカの保護国なのである。
だから・・・
何とでも、言える。そして、念仏平和主義に陥っていられる。

おめでたい、というのか、アホなのか、馬鹿なのか・・・
間抜けなのか・・・糞っ垂れなのか・・・

アメリカ占領政策で、作られた通りに、日本の敗戦後は、進んでいる。

その七年の間に・・・
日本を支配下に置くために、周到なシステムを作り上げた。
日本が白人、そして、戦勝国、中国、それに便乗する韓国などに、歯向かってこないように、永続的な支配体制を確立する。

その一つのコマが、官僚制度である。
ちなみに、他の二つは、天皇制の存続。マスコミの飼いならしである。

官僚達は、アメリカの意のままに動くようになる。
その手先となったのが、東大法学部教授である、横田喜三郎だった。

敗戦後の、自虐史観を定着させた、売国奴、先祖の因縁の悪い、横田である。

敗戦後は、東大はじめ、立身出世、自己保身のために、占領政策に迎合する学者が出たのである。

平たく言えば、ずるい奴等である。

その中でも、官僚を多く輩出した東大法学部・・・
その要が、先祖の因縁の悪い、横田喜三郎である。

彼は、戦争犯罪論なる書を上梓して、東京裁判の正当性を訴え、日本有罪論を展開する。

説明するのも、胸糞悪くなるので、簡単に書く。

「平和に対する罪」は、形式的な法の技術的な立場からすると、いくらかの不備や弱点はあるが、実質的な法の精神的な立場からすると、やはり、「戦争犯罪」としての性質を有することがあきらかにされた。これを処罰することは、十分な理由がある。
横田・・・

すでに、東京裁判に対する、疑問の声が多々上がって来た時期である。
その時に、当事国から、そのような法学者が出た。

それにより、東京裁判の判決が急がれ、大詰めの作業が行なわれた。
つまり、アメリカ占領軍だけではなく、日本にも、このように、売国的行為をする者が、現れたのである。

勿論、その後出世する。

呆れるのは、東京裁判を全身全霊で擁護し、1948年までは、自衛隊を完全否定し、昭和天皇の戦争責任を追及すると同時に、天皇制の廃止を盛り込んだ、人民主権主義論、という、愚劣な論を唱えていたことである。

こういう者の下から、官僚が生まれてくるという、狂いである。

民主主義が生まれた国、イギリスは、君主を置く。
それでは、矛盾する。しかし、軽薄な横田は、それを見ずして、天皇制の廃止・・・

そして、戦前の日本の全否定である。
この、亡霊が、今も、浮遊しているのである。
勿論、まともな、霊位になっていないのは、当然である。

国賊、売国奴・・・
今も、この子孫が、跋扈していると、見る。

日本の伝統を否定する歴史観で日本人を戦後、マインドコントロールし、贖罪意識を植え付け、現世利益、その場限りの現実主義を定着させた横田の罪は誠に大きい。現在に至るまでその呪縛は解けていません。
前野 徹


posted by 天山 at 16:17| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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