2013年10月31日

霊学126

民族や共同体を考えるとき、特定の観点を明確に持つべきであり、そうでなければ、すべてが、曖昧になる。
それを、神秘学では、霊的観点から、民族、共同体を考えるという。

ところが、この霊的観点・・・
それが、問題である。
ここでは、シュタイナーによる、観方によって、考えてみるということになる。

それは、高橋氏に言わせると、
一般的に近代科学の考え方では、そういう眼に見えない霊的存在の力を想定することはありえませんので、そのような観点を一切排除して、民族の問題を考えます。
と、なる。

だが、そうすると、民族の問題は、見えてこない。
それは、必ず政治の問題に還元される。または、経済の次元でしか、見えてこない。

民族と、国家は、しばしば区別されずに、使用される。
民族主義も、国家主義も、ナショナリズムと言われる。
ヨーロッパでは、同じ言葉になるのである。

ネイションは、政治上の概念で、国民のこと。それは、近代統一国家という、共同体の成員をネイションと呼ぶ。

民族とは、土着的、自然発生的な共同体に対して言う言葉になる。
政治上の国家概念とは、必ずしも、一致しない歴史概念、または、自然概念になる。

自然発生的に共通の言語をもち、共通の土地に住んできた人間たちが、統一した集団社会を形成するようになったときに、それを民族というのです。その民族と政治上の国家とが同一の概念となってしまうのは、ヨーロッパの近代社会が・・・霊的存在の働きと共同体との関係を見失って、ひたすら弱肉強食主義に徹するようになったからです。
高橋

シュタイナーの人智学は、国家の権力機構とは別に、霊的な関連で、民族を考えようとする試みである。

そこで、高橋氏は、その観点で考えるときの、四つの問題点を取り上げる。
一つは、土地、風土の問題。
二つは、言語の問題。
三つは、特定の時代の中での、民族の問題。
四つは、時代との関係だけでは、解決のつかないような新しい創造的な、契機という。

以下は、私も同感するところである。

民族の問題は、必ず、感情的になるというのだ。
日本、日本人は、といわれる時、感情的に、受け止めてしまう傾向がある。

人智学が民族問題を取り上げるときには、そういう感情的、主観的に関わろうとする態度から離れて、客観的に自分の民族を見つめる立場をどこまでとれるか、が問われます。

同じように、私たちが自分を日本民族の一員だと思うとき、自分が好むと好まざるとにかかわらず、この民族の運命に巻き込まれ、遺伝を通してこの世に生まれてきた状況を生きているというより、自分が望んで、カルマ的な関連の中で、この民族の一員として生まれ、今の状況を生きているという、感情というよりは、むしろ「意志」の在り方が求められます。
高橋

自分の意志により、この民族を望み生まれ、生きているという、下りは、私と同じ考え方である。

客観的に捉えること、カルマ的な関連の中で、自分が意識して、今ここに日本人として、生きている。
そのように、考えることが、人智学、シュタイナーの主張である。

簡単に言えば、望んで生まれて、生きているということである。
と、考えてみるのである。

そういう風に、考えてみた時に、民族、共同体のことが、別な角度から、理解出来るのではないか、ということだ。

そこで、高橋氏の、民族の結論である。
日本民族は、単一だという意味から抜けきる結論である。

民族の問題というのは、結論を先に言ってしまえば、私たち一人ひとりの個人の問題でもあるのです。私たち自身が単一の文化意識を持っていないと、その民族文化も単一にはなりません。私たちが複合的な意識を持っていながら、自分の属している民族文化を単一だと思っているとすれば、かなりおかしなことになってしまいます。・・・私たち一人ひとりが自分の内部にさまざまな文化を取り込んでいるのに、なんで全体としての共同体が、単一らしい恰好をしていなければならないのか、という問題です。
高橋

それに対して、人智学から考えてみるという。

問題の提起には、疑問があるが・・・
単一民族というが、単一の文化とは、誰も言わないのである。
一人は、複合的な意識である。当然である。

この人の、著作には、時々、反日的書き込みがある。
歴史の基本的な、事実に対する情報が、偏っているせいだと、思うが・・・

まあ、欧米の霊学、神秘学、更に、シュタイナーの神智学、人智学を紹介するのであるから、壮大な意識に溢れていると、考える。

次に、シュタイナーの、宇宙進化論である。
奇想天外なお話である。

シュタイナーの思いつき・・・
更に、シュタイナーは、霊界に関しても、著作がある。

スエンデン・ボォルグの霊界日記などは、有名だが・・・
それでも、実に狭い範囲の、霊界である。

今を去る、何百億年か前に、土星紀という時代があった。
その土星紀から、人類が発生したというものである。

確かに、壮大である。
が、その証拠は、無い。
シュタイナーの内にあるものである。
一つの妄想であると、断じてもいいのである。



posted by 天山 at 06:03| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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