2013年10月21日

もののあわれについて641

暮れぬれば、心も空に浮き立ちて、いかで出でなむと思ほすに、雪かきたれて降る。かかる空にふり出でむも、人目いとほしう、この御気色も、憎げにふすべ恨みなどし給はば、なかなかことつけて、我もむかへ火つくりてあるべきを、いとおいらかにつれなうもてなし給へる様の、いと心苦しければ、いかにせむと思ひ乱れつつ、格子などもさながら、端近ううち眺めて居給へり。北の方気色を見て、「あやにくなめる雪を、いかで分け給はむとすらむ。夜も更けぬめりや」と、そそのかし給ふ。今は限り、とどむとも、と思ひめぐらし給へる気色、いとあはれなり。大将「かかるには、いかでか」と宣ふものから、大将「なほこの頃ばかり。心の程を知らで、とかく人の言ひなし、大臣達も左右に聞き思さむ事を憚りてなむ。途絶えあらむはいとほしき。思ひ静めてなほ見はて給へ。ここになど渡しては心安く侍りなむ。かく世の常なる御気色見え給ふ時は、外様に分くる心も失せてなむ、あはれに思ひ聞ゆる」など語らひ給へば、北の方「立ちとまり給ひても、御心の外ならむは、なかなか苦しうこそあるべけれ。他にても、思ひだにおこせ給はば、袖の氷も解けなむかし」など、和やかに言ひ居給へり。




夕方になり、髭黒大将は、気もそわそわとして、なんとかして、出掛けたいと思う。が、あいにく、雪が降っている。
こんな空模様に出掛けるのも、見苦しいし、北の方の様子も、憎らしそうに、やきもちをやいて、恨みある態度に、かえって、それを口実に、自分も、逆にねじ食わせて、出てゆくものを、おっとりとして、冷静にしているのが、とても可哀想になる。どうしたものかと、あれこれ迷いつつ、格子など上げたまま、端の方に出て、考え込む。
北の方は、その様子を見て、あいにくの雪を、どうして分けてゆくつもりですか。夜も更けたようですし。と、お勧めになる。
もうおしまいだ。引き留めても、仕方がない、と見極めている様子は、不憫である。大将は、こんな夜に、どうして出られよう、と言いつつ、やはり、ここ暫くの間は、私の心も知らず、何かと女房たちが取り沙汰して、大臣たちも、方々から噂を耳にして、何と思うか、心配である。行かなければ、あちらに気の毒だ。心を落ち着けて、もう少し、見ていてください。こちらの邸に連れて来れば、気がねもなくなるだろう。今日みたいに、普通の様子でいる時は、他の女を思う気持ちもなくなって、あなただけを、愛らしく思うのです。などと、あれこれと、言う。北の方は、お出掛けにならなくとも、気持ちが他所に行っているのなら、かえって、辛いことです。よそにいらしても、思い出してくださりさえするなら、涙に濡れた袖の氷も、解けることでしょう。などと、穏やかにおっしゃるのである。





御火取り召して、いよいよ焚きしめさせ奉り給ふ。自らは、萎えたる御衣どもに、うちとけたる御姿、いと細うか弱げなり。しめりておはする、いと心苦し。御目のいたう泣き腫れたるぞ、少しものしけれど、いとあはれと見る時は、罪なう思して、いかで過ぐしつる年月ぞ、と、名残りなう移ろふ心のいと軽きぞや、とは思ふ思ふ、なほ心懸想は進みて、そら嘆きをうちしつつ、なほ装束し給ひて、小さき火取り取り寄せて、袖に引き入れてしめ居給へり。なつかしき程に萎えたる御装束に、容貌も、かの並びなき御光にこそ圧さるれど、いと鮮やかに男々しき様して、ただ人と見えず、心恥づかしげなり。




北の方は、香炉を取り寄せて、益々焚き染めさせる。ご自身は、着慣れたお召し物を重ねて、普段着の姿で、たいそうほっそりと、か弱げである。沈んでいるのが、痛々しい。目の酷く泣きはらしたのは、少し疎ましいが、とても愛情を感じて、見ている時は、それも、気にならない。どのように、長年、暮らしてきたのかと、すっかり、心変わりする自分が、軽率だと思うものの、矢張り、玉葛に対する恋しさは、増すばかり。溜息をついて見せつつ、着物を改めて、小さな香炉を取り寄せ、袖に香を焚き染めている。程よく着慣れたお召し物で、器量も、あの類ない源氏の美しさには圧倒されるが、とてもすっきりと、男らしい感じである。臣籍の者とは、見えず、何となく、気後れするほどである。

かの並びなき御光
源氏のことである。

最後は、作者の言葉。




侍ひに人々声して、「雪少しひまあり。夜は更けぬらむかし」など、さすがにまほにはあらで、そそのかし聞えて、声づくり合へり。中将、木工など、「あはれの世や」などとうち嘆きつつ、語らひて臥したるに、正身はいみじう思ひ静めて、らうたげに寄り臥し給へりと見る程に、にはかに起き上がりて、大きなる籠の下なりつる火取りを取り寄せて、殿の後ろに寄りて、さといかけ給ふ程、人のややみあふる程もなうあさましきに、あきれてものし給ふ。さる細かなる灰の、目鼻にも入りて、おぼほれて物も覚えず、払ひ捨て給へど、立ち満ちたれば、御衣ども脱ぎ給ひつ。うつし心にてかくし給ふぞ、と思はば、また顧すべくもあらずあさましけれど、例の御物怪の、人に疎ませむとする業と、お前なる人々も、いとほしう見奉る。




詰め所で、供人たちが、申す。雪が少し、止みました。すっかり夜が更けたようです。
それでも、あらわにできないが、催促して、咳払いを幾人もする。
中将や、木工などは、あはれの世などと溜息をつきながら、話し合って横になっている。ご本人は、よくも心を落ち着けて、愛らしく、脇息に寄り臥している。と、見る間に、起き上がり、大きな籠の下にあった、火取りを手にして、殿の後ろに回り、さっと、浴びせる、その時、人々が取り押さえる暇もなく、驚いて大将は、呆然としている。
細かな灰が、目鼻にまで入り、ぼんやりとして、何も分らない様子。灰は払い捨てるが、辺り一面に立ち込めているので、下着まで脱がれた。
正気で、こんなことをするのかと思うと、二度と見向く気もしないが、例により、物の怪が、北の方を、人に嫌わせようと、しているのだと、周囲の女房たちも、気の毒に思う。

あはれの世や
情けないことだ・・・




立ち騒ぎて、御衣ども奉り換へなどすれど、そこらの灰の、御鬢のわたりにも立ち昇り、よろづの所に満ちたる心地すれば、清らを尽くし給ふわたりに、さながら参うで給ふべきにもあらず。心違ひとはいひながら、なほ珍しう見知らぬ人の御有様なりや、と、爪弾きせられ、疎ましうなりて、あはれと思ひつる心も残らねど、この頃荒だててば、いみじき事出で来なむ、と思し静めて、夜中になりぬれど、僧など召して、加持まいり騒ぐ。呼ばひののしり給ふ声など、思ひ疎み給はむことわりなり。




大騒ぎになり、着替えなどするのだが、その辺り一面の灰が、鬢の所にも立ち上り、どこもかしこも、灰にまみれている気がする。綺麗にしょうとするが、このまま、出掛ける訳にも、いかない。気が違っているとはいえ、矢張り、珍しい見たことも、聞いたこともない人の、有様で、爪弾きして、嫌らしくなり、愛情を感じていた気持ちも、消え失せてしまったが、今、事を荒立てると、大変なことになるだろうと、心を静め、夜中ではあるが、僧などを呼んで、加持をさせる騒ぎだ。
わめき叫んでいる声などは、大将が、嫌になるのも、無理はない。

最後は、作者の言葉である。




posted by 天山 at 06:20| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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