2013年10月19日

もののあわれについて639

源氏「心幼なの御消え所や。さても、かの瀬はよぎ道なかなるを、御手の先ばかりは、引き助け聞えてむや」と、ほほえみ給ひて、源氏「まめやかには思し知る事もあらむかし。世になき痴れ痴れしさも、又後安さも、この世に類なき程を、さりともとなむ頼もしき」と聞え給ふを、いとわりなう聞き苦しと思いたれば、いとほしうて宣ひ紛らはしつつ、源氏「内に宣はする事なむいとほしきを、なほあからさまに参らせ奉らむ。おのが物と領じ果てては、さやうの御交らひも難けなめる世なめり。思ひそめ聞えし心は違ふさまなめれど、二条の大臣は心ゆき給ふなれば、心安くなむ」など、細かに聞え給ふ。あはれにも恥づかしくも、聞き給ふこと多かれど、ただ涙にまつはれおはす。いとかう思したる様の心苦しければ、思すさまに乱れ給はず、ただあるべきやう、御心使ひを教え聞え給ふ。かしこに渡り給はむ事を、とみにも許し聞え給ふまじき御気色なり。




源氏は、子供のような、消え場所ですね。それにしても、あの川瀬には、他の道は、ないそうだ。お手の先だけでも引いて、お助けしたいものだ。と、微笑み、本当は、解っている事もあるでしょう。私の、またとない、馬鹿さ加減も。それに、安心できることも。世間に例が無いということも。幾らなんでも、お分かりだろうと、心強く、思っています。と、おっしゃるのを、困りきって、聞きづらいと思っているので、気の毒になり、話を逸らせた。
源氏は、主上が、仰せられるのが、お気の毒ですから、やはり、ちょっと、参内しましょう。自分の物と思い込んでしまってからでは、そんなお勤めも出来ない、夫婦仲のようですし。初めに考えていた計画と違ってしまったけれど、二条の大臣は、満足しているようなので、安心です。など、あれこれと、お話になる。
玉葛は、ありがたい思いや、恥ずかしい思いで、お耳にされる言葉は多いが、ただ、泣き濡れている。源氏は、こんなにまで、悩んでいたとの様子が、いじらしく、思いのまま、羽目を外すこともされず、ただ、成すべき事、ご注意を教えて、申し上げる。
大将邸に、お移りになられることを、急には、お許しにならない様子である。




内へ参り給はむ事を、安からぬ事に大将思せど、そのついでに、やがてまかでさせ奉らむの御心つき給ひて、ただあからさまの程を許し聞え給ふ。かく忍び隠ろへ給ふ御振舞ひも、ならひ給はぬ心地に苦しければ、わが殿の中修理ししつらひて、年頃は荒らし埋もれ、うち棄て給へりつる御しつらひ、よろづの儀式を改め急ぎ給ふ。




参内する予定を、不快に思う大将であるが、それを機会に、そのまま自宅に退出させようという、考えが出てきた。それで、ほんのちょっと、との間ということで、お許し申し上げる。このように、人目を忍んで、隠される行為も、慣れていない方なので、気詰まりで、自分の邸に手を入れ、整えて、ここ数年、荒れたまま塵に埋もれて、放っておいた部屋飾りや、万端の儀式を新しく、用意されるのである。




北の方の思し嘆くらむ御心も知り給はず、悲しうし給ひし君達をも、目にも留め給はず、なよびかに、情情しき心うち交りたる人こそ、とざまかうざまにつけても、人の為恥ぢがましからむ事をば、推し量り思ふ所もありけれ、ひたおもむきにすくみ給へる御心にて、人の御心動きぬべき事多かり。女君、人に劣り給ふべき事なし。人の御本性も、さるやむごとなき父親王の、いみじうかしづき奉り給へる。覚え世に軽からず、御容貌などもいとようおはしけるを、あやしう執念き御物怪にわづらひ給ひて、この年頃人に似給はず。うつし心なき折り折り多くものし給ひて、御中もあくがれて程経にけれど、やむごとなきものとは、また並ぶ人なく思ひ聞え給へるを、珍しう御心移る方の、なのめにだにあらず、人々すぐれ給へる御有様よりも、かの疑ひおきて皆人の推し量りし事さへ、心清くて過ぐい給ひける、などを、あり難うあはれと思ひまし聞え給ふも、ことわりになむ。




大将の妻、北の方が、悲しむ気持ちも、理解無く、可愛がっていた、お子様たちにも、目もくれない。物柔らかで、思いやりのある人ならば、何につけても、その人のために、恥になるようなことはないようにするのだが。一徹で、融通の利かない、性格なので、人の気に障ることが多い。
女君は、誰にも、負けるところは、無い。本人の性格も、あの高貴な父宮が、とても大切なお育てになったので、世間の評判も高く、器量もよい。しかし、不思議に、しつこい物の怪に取り付かれて、ここ数年、普通の人のようではない。正気を無くす時が、多くあり、夫婦の仲も、離れたまま、長くになる。
正妻としては、二人と並んで扱える女はないと、思っていたが、珍しく、気持ちが移った、玉葛が、特に人より優れている様子も、さることながら、あの疑いを持って、一同が想像していたことさえ、潔白にしているなど、類稀で、心打たれることと、益々、思いを深くするのも、もっともである。

最後は、作者の言葉。
黒髭大将のことを書くのである。




式部卿の宮聞し召して、「今はしか、今めかしき人を渡して、もてかしづかむ片隅に、人悪くて添ひものし給はむも、人聞きやさしかるべし。おのがあらむこなたは、いと人笑へなる様に従ひ靡かでも、ものし給ひなむ」と宣ひて、宮の東の対を払ひしつらいて、渡し奉らむと思し宣ふを、「親の御あたりといひながら、今は限りの身にて、たち返り見え奉らむこと」と思ひ乱れ給ふに、いとど御心地もあやまりて、うちはへ臥しわづらひ給ふ。本性はいと静かに心よく、児めき給へる人の、時々心あやまりして、人に疎まれぬべき事なむうち交り給ひける。




式部卿の宮が、それをお耳にして、今更、新しい人を入れて、大切にする邸の片隅に、見苦しくいるのも、外聞が悪いであろう。私が生きている間は、それほど、見苦しい有様で、あちらの言うままになることはない。と、おっしゃり、御所の東の対を明けて、道具を置き、お移ししようと考え、口にもするが、北の方は、親の家とはいえ、今捨てられる身となっては、再び家に戻り、顔を合わせるのはと、思い悩むと、いっそう心が狂い出して、床に臥せる。
生まれつき、物静かで、気立てがよく、子供のような人だが、時々、狂乱して、人に敬遠されることが、時にあるのだ。

物の怪
今で言えば、精神疾患である。

今めかしき人・・・
玉葛のことである。




posted by 天山 at 05:46| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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