2013年10月16日

伝統について63

葛城の 襲津彦真弓 荒木にも 憑めや君が わが名告りけむ

かつらぎの そつひこまゆみ あらきにも たのめやきみが わがなのりけむ

葛城の、そつひこの真弓が荒々しい。荒木の森を頼りにして、安心したので、あなたは、私の名を告げたのだろうか。

名を言うことは、現実になる。そして、現実にするという、意思である。


梓弓 引きみ弛べみ 来ずは来ず 来ば来そを何ど 来ずは来ばそを

あずさゆみ ひきみゆるべみ こずはこず こばこそをなど こずはこそを 

梓弓を引いたり、弛めたりするように、来ないなら、来ないと、来るなら来ると、はっきりして、欲しい。それなのに・・・来ないなら来ない、来るなら来ると・・・

確認したいのである。
恋の確認である。


時守の 打ち鳴す鼓 数み見れば 時にはなりぬ 逢はなくも怪し

ときもりの うちなすつづみ よみみれば ときにはならず あはなくもあやし

時守の、打ち鳴らす鼓を、数えてみると、逢うべき時になった。それなのに、逢わないとは、不思議だ。

時守とは、陰陽寮の役人。
その、打ち鳴らす、鼓の音が、逢う約束の時間を告げる。
だが、逢えないのである。

燈の 影にかがよふ うつせみの 妹が笑まひし 面影に見ゆ

ともしびの かげにかがよふ うつせみの いもがえまひし おもかげにみゆ

灯火の、光に輝く、現実の妻の笑顔。今、面影に、見える。

妻と離れている男の歌である。


玉矛の 道行き疲れ 稲筵 しきても君を 見むよしもがも

たまほこの みちゆきつかれ いなむしろ しきてもきみを みむよしもがも

玉矛の道を行き、疲れて、稲の筵を敷く。そして、あなたに逢える、手立てを考える。

しきても
何度も繰り返し・・・
そして、何度も、繰り返し、あなたに逢うべき、手立てを考えるのである。

特別な歌は、ない。
現在の恋愛と、変わらない。
しかし、思いは、直情的で、大胆である。

万葉当時の人々の恋は、とても、素直で、純粋である。
そして、それは、性と、直結していた。

逢いたい・・・
体を交わらせる。

その思いに、突かれて、歌詠みをする。

文化、文明が、発達しても、万葉の人たちとは、大差ないのである。

人の心である。
そして、人を思うという、心である。

人知れず、悩む・・・
今も、同じである。




posted by 天山 at 06:45| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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