2013年10月14日

神仏は妄想である。445

イエスは、黙示思想的なユダヤの預言者だった。彼は、ユダヤの神が、まもなく歴史に介入し、悪の勢力を打ち負かし、この地上に、神の国を樹立すると信じていた。この王国に迎え入れられるには、神が律法で定めたことに従わなければならないと、イエスはユダヤの群集に説いた。とりわけ重要なのは、全身全霊で神を愛すること「申命記」我が身と同じように、隣人を愛することだった。「レビ記」「律法と預言者は、この二つの掟に基づいている」と、イエスは力説している「マタイ」
キリスト教成立の謎を解く バート・D・アーマン

ということで、イエスも、信じていた一人である。
それも、熱狂的に・・・

更に、あの神が歴史に介入すると・・・

イエスが新しい宗教の開祖だと、みなしたのは、後世のキリスト教徒だけである。

イエスが、信奉していたのは、正しく理解された、ユダヤ教である。
それは、ファリサイ派や、サドカイ派の理解とは、違う意味で。

初期のユダヤキリスト教徒は、イエスのユダヤ的特徴を、守り通した。
しかし、キリスト教が、別の方向へ向うにつれ、彼らは、異端として、退けられた。

エピオン派としての、キリスト教は、イエスは、ユダヤの神が、ユダヤの律法を守らせるために、ユダヤの民に遣わした、ユダヤ人のメシアだった。

であるから、イエスの信者は、ユダヤ教徒でなければ、ならなかったのである。

エピオン派は、エルサレムの教会指導者だった、イエスの兄弟、ヤコブが、このような考え方を推奨したと、主張した。
現在の、学者は、彼らの主張は、正しかったのではと、認めている。

マタイなどは、この主張の上を行くのである。

つまり、イエスは、熱心なユダヤ教徒であり、更に、神の国が、現れると信じた一人であるということ。

とても、頑固なユダヤ教徒であったと、言える。

こうした研究により、益々と、キリスト教が、創られた宗教であることが、解る。
つまり、妄想である。

キリスト教徒は、決して、ユダヤ教徒にはならない。
しかし、イエスが求めるのは、それである。

あれほどの、イエスが、求めたが、神の国は、やって来なかった。
歴史に介入することも、無かった。
さて、どうしたのだろうか・・・

イエスも、信じる人だったのである。
それだけのこと。

キリスト教の教えの、大半は、パウロからのものである。
勿論、その後も、色々と加味されて行くが・・・

イエスに付き従うということは、どんなことか・・・
その解釈は、初期キリスト教会における、核心的問題である。
が・・・

敗北した。

パウロは、エピオン派や、マタイは、イエス自身のものとは、恐ろしく違ったものである。

パウロは、神に正しく向き合う上で、律法など、何の役にも立たないと、声だかに主張している。

入信した、異教徒は、ユダヤの律法などに、従うことは、無いのだ。

神は、律法や割礼の盟約ではなく、イエスの死がもたらした贈り物として、救済するのだから、割礼などした男は、救われないことにも、なりかねない。「ガラテヤの信徒への手紙」

パウロにとって、大切なことは、イエスの死と、復活である。

歴史上のイエスは、律法について教えた。
パウロは、イエスについて教えた。

アーマンは、
パウロは、イエスの再解釈を試みたわけではなく、それまでの解釈を受け継いだだけではあったが・・・
と、書いている。

パウロと、マタイは、全く異質である。
それが、一緒にされている、新約聖書・・・

ところで、話は、霊学的なことになるが・・・

パウロに姿を現した、イエスは、誰なのか・・・
パウロは、その時まで、初期キリスト教を迫害、弾劾していた。

突然、馬から落ちて・・・
そこにイエスの声が聞えた。
サウロ、サウロ何故、私を迫害するのか・・・

パウロの前は、サウロといった。
その声の主が、イエスだと、どうして証明出来るのか・・・
そこが、宗教の良いところ。
何とでも、なるのである。

人の見えないもの、霊などを見るという人も・・・
何とでも、言える。
だから、恐ろしい。

今では、使徒パウロと言われる。
使徒とは、弟子たちのことでは・・・
パウロも、使徒なのである。
後の教会が、そのように、定めた。

そして、教会は、更に、パウロの教えを、推し進めたのである。
律法と、福音は、別物・・・

律法は、ユダヤの神が、ユダヤの民に与えたものであり、これを守る者は、「そしてキリスト教徒以外は」、地獄に落ちるのである。

福音を授けてくれたのは、イエスの神である。
イエスの死によって、もたらされた救済の道であり、旧約聖書の怒れる神から救い出してくれるものである。

旧約の神との、断絶である。

そして、旧約聖書も、ユダヤの書物であり、それ以上のものでなし。
初期キリスト教は、滅茶苦茶であった。




posted by 天山 at 06:02| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。