であるから、イエスを、神の子と、呼ぶ口承は、存在していた。
だが、神の子に対する、認識は、それぞれの共同体で違ったのである。
イエスを信じる、一部のユダヤ人は、ダビデ王をはじめとする偉人と同じように、イエスが、神と密接な関係があると、考えた。
神は、イエスを通じて、この世に働きかけ、イエスは地上で、神の意志を仲介する者という、意識である。
しかし、キリスト教に改宗した、非ユダヤ人にとって、イエスが神の子とは、どんな意味を持つのか。
非ユダヤ教徒の神話には、神の子とみなされた多くの登場人物がいる。
彼らは、不死身の親と、そうではない親の間に生まれたため、半神半人と信じられた。
だから、彼らの異教の伝説に照らして、イエスを理解するのである。
つまり、それは、イエスが半神だと、思い込むものであり、完全なる人間である、ユダヤ的神の子とは、別物である。
さて、もう一つは、イエスが人の子であるという、発想である。
イエス自身が、福音書で、旧約のダニエル書に書かれる、この世の宇宙的審判者である、人の子がやってきて、この世に裁きを下すと語る。
しかし、イエスが復活したと信じた者は、地上で審判を行うために、イエス自身が、降臨すると、考えた。
パウロも、そのように語る。
パウロは、イエスこそが、未来の裁き人として、天から降りてくる、人の子であると、理解していた。
更に、もう一つは、イエスが生きていた間、彼の信者は、イエスのことを、主とみなした。
奴隷、僕が、主人を主と呼ぶのと同じである。
ところが、復活を信じるようになると、その主が、変容する。
イエスは、地上だけではなく、天の国における、支配者となるのである。
初期キリスト教徒は、旧約聖書の中で、主と呼ぶのは、神自身であると、気付く。
そうすると、もしイエスが、神ならば、地上に出現する以前から、存在していたという結論に達した。
この見解は、パウロが特に言うことだった。
イエスが神だという考えは、すべての初期キリスト教共同体で、同時期に、あるいは同じ道を辿って形成されたわけではない。何世紀もの間、エピオン派のように、このような考えを持たない共同体が存在し続けた。
アーマン
パウロの共同体は、早い時期から、それを認めていた。
マルコ、マタイの共同体では、そのような認識が生まれた形跡が無い。
ヨハネの共同体では、その認識に至るまで、数十年かかった。
だが、二世紀、三世紀になると、様々な共同体で、論争が起きる。
その結果、イエスが神であるという信仰が、かなり一般的になったのである。
そして、驚くべきことに、イエスが、復活のときに、神がその地位を引き上げて、単なるユダヤの神の子から、イエス自身が神になった。
それは、初期教会が考え出した、神学論のなかでも、最も息の長いものとなった。
このように、イエスが、神の子であり、神であるという、過程、創作が行われたことが、見えてきた。
そして、異教徒、異邦人にまで、イエスを伝えることから、ユダヤ教を飛び出したのである。
だが、問題は、山積みである。
初期キリスト教の神学者は、イエスの神性を信仰することで、大きな壁に当たった。
神は大勢いるという、異教の教えを排除し、ユダヤ教の堅固な一神教の伝統を、守り抜こうとしたからである。
イザヤ書には、
わたしは初めであり、終わりである。
わたしをおいて神はない。
神も神、イエスも、神・・・
実に馬鹿馬鹿しい議論であるが・・・
ユダヤ教的キリスト教徒だった、エピオン派は、神は一人しかいない、だから、キリストは、神ではないと、頑固に主張した。
すでにこの時、原罪という意識があり、エピオン派は、イエスはメシアであり、原罪を背負って、死ぬことにより、この世で神の意志を実現するために、神によって選ばれた人間である。
彼は、神にとって、特別な人間であり、その息子として、迎えられた。しかし、彼は、最初から最後まで、人間である、という。
ユダヤ社会では、メシアが神と、みなされることは、一度もなかった。
つまり、ユダヤ教では、メシアは、神ではなく、人間なのである。
現在も、ユダヤ教は、イエスをメシアとは、認めない。
何故か・・・
それは、何度も言うが、イエスの死は、政治的なものであり、更に、反ユダヤ教と、認識されたからである。
ユダヤ教の体制批判をする者である。
だが、イエスは、ユダヤ教徒として、説教を繰り返した。
ユダヤ教の刷新である。
イエスの思いと、信じる者たちの思い、ユダヤ教の人たちとの、思いが、バラバラである。
イエスは、世界人類のための説教は、していないのである。
イエスの世界観は、ユダヤ社会のみである。
人類の罪のために・・・
とは、全く、馬鹿げた話である。
まだまだ、このイエス論争は、続く。