2013年10月03日

霊学123

シュタイナーは、初め、神秘学、そして神智学から、人智学を名乗る。

ギリシア語の神という語の、theoとsophiaとを結び付け合成語が、神智学である。
人間という、anthroposとsophiaとを結び付けたのが、人智学である。

Theosophiaという言葉は、聖書のパウロがはじめて用いた言葉で、後に、ルネサンス時代になり、オカルティズムを言う時に、使われた。

16世紀後半から、17世紀のバロック時代にかけては、anthroposophiaという言葉も、並行して使われるようになる。
一種の、神秘学である。

オカルティズムとは、大宇宙と小宇宙の対応を考える思想であるが、古代人は、大宇宙を重点にして、宇宙論的なオカルティズムを打ちたてようとする傾向があった。

近世のオカルティズムは、マクロコスモスと、ミクロコスモスの対応を考える時に、重点をミクロコスモスのほうに、置いて、人間の中に、宇宙的なものを見ようとする傾向が強かった。

19世紀になると、それが、人類学、人間学という雰囲気で、使われるようになる。

そして、シュタイナーが、Anthroposophieという言葉を使うようになってゆく。
それは、その認識の山の頂上にTheosophia、神智学があり、それから麓のところにAnthroposologie、人間学があるとすれば、この人間学あるいは人類学もみえるし、神智学もみえるような、そういう立場の学問をつくりたいので、その学問をAnthroposophieと名づけた、と言う。

その、人智学は、以前書いた通り、感覚を十二の分野にし、この十二の感覚を深めることが、新しい感性を打ち立てることになるという。
感覚論が、人智学の出発点であり、基本である。

そして、生まれ変わりの思想、カルマ論である。

さて、シュタイナーの立場、人智学からの立場としての、民族の問題を俯瞰する。
そこでは、民族と、自我のあり方が、問われる。

民族共同体に共通の特徴としては、血の繋がり、言語、土地、風俗、習慣というものがある。
それでは、オカルト的、霊的に見て、血、言語、風俗、習慣などは、何を意味するのか。

その、オカルト的、霊的な共通の概念が、人間は、少なくとも、肉体と、エーテル体、アストラル体と、自我とから、成り立つということである。

その、四つの部分は、それぞれ全く違った方向性と、全く違った在り様を持ち、存在していると、考える。
ゆえに、人間は、その四つの部分を、調和させたいと思い、生活しているということになる。

そこで、それぞれ説明について・・・
自我の存在とは、それ自体が複雑で、わかりにくい存在である。
同じ自我でも、意識の層と、無意識の層とでは、全く違うこともある。

意識の自我は、建前の自我であり、無意識の自我は、本音の自我である。
意識の自我が、何故と問うことに対して、無意識の自我は、その答えを知る。

今まで、自我に関しては、色々と書いてきた。

高橋氏は、
ところがなんらかの機会に肉体からはみ出してしまったときの自我は、悪魔的な存在になりかねません。
と、書く。

非常に激しい破壊衝動を持つ、妬み、怒りの発作に襲われる・・・
自分にとって、好ましくないものを破壊、自分以外のものを支配する・・・

通常は、肉体と自我が、自然に結び付いているが、精神疾患に陥れば、自我、人格と自分の肉体が乖離するのである。

アストラル体は、自我のように、一つの意図を持った在り方ではなく、受身で、その代わり、環境と自分との関係に対しては、敏感に反応する。

自我とは、全く違うアストラル体が、求めずとも、自我が求めれば、歯止めがかかる。

対象と自分との関係が好ましいか、好ましくないかを表現する働きをアストラル体と言うとすると、目的を設定して、それに向って進もうとするのが自我の働きです。
高橋

エーテル体は、アストラル体のように関係を作るのではなく、ひたすら、対象と融合しようとする。
一方で、肉体とひたすら結び付いて、肉体をただの物質的存在から、生命のある、有機的な存在に変える。

エーテル体は、環境の中のエーテル体と一体化している。
土地のエーテル体と、土地の気と、融合しようとする。

年を取ると、エーテル体の力が弱まり、新しい環境に適応し、融合することが、難しくなる。

エーテル体は、必ず、場所の雰囲気や気の流れ、眼に見えるような見えないような微妙な動きと、融合する。

そして、肉体である。

人間は、この四つの異なる要素が、絶えず一緒に働く。
そして、その肉体の共同体との、関わりである。

エーテル体は、最初は、家族関係の共同体から、影響を受ける。
一緒に住む人たちの、無意識の部分も、影響を受けて、気の身体を通して、無意識的に、家族共同体のエーテル体と共に、成長する。

更に、肉体にも、家族特有の特徴を刻み込んでゆく。

同時に、住んでいる、土地の気も同じである。
更に、成長するにつけて、学校、社会、会社等々の、エーテル体の影響を受ける。

一人一人は、個人のエーテル体を持つ他に、家族、土地、クラスメート、人間関係、そして、日本人であれば、日本と、日本語のエーテル体の影響を受けるのである。

ここで、人智学、シュタイナーは、共同エーテル体を自分の身体として、そこに、受肉、受エーテル、している高次の霊的存在がいると、考える。

それが、人智学の民族論的、最も大事な観点である。

実は、日本では、すでに大昔から、その土地の神という意識を持っていた。
それを、産土、うぶすな、と、改めて呼んだ。
産土の神である。

むすびの思想は、縄文期から存在する。
むすび、とは、シュタイナーが言う、共同エーテル体のことである。




posted by 天山 at 05:02| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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