2013年09月28日

国を愛して何が悪い93

植民地という概念は、西欧の勢力がアジアを席巻した近現代になってからできたものではない。古くは古代フェニキア人やギリシャ人の植民都市「アポイキア」、ローマのコロニアがそうであり、中世ドイツも東方へ集団植民していた。
黄 文雄

植民地は、西欧や地中海世界に、限ったものでもない。
中国においても、古代ローマ帝国と、同時代の漢帝国の時代からあった。

植民、移民は、古代中国では、僑、僑民といわれ、近現代になり、華僑と呼ばれるようになった。

中国は、植民により、領土を拡大していったのである。

植民地の、内容、概念が、時代によって、変化したのも、事実である。

大航海時代の初期、イベリア半島のポルトガル、スペイン、オランダが行った、植民地統治、産業革命のイギリス、市民革命後のフランス、後発資本主義といわれる、ドイツ、イタリア、ロシアなど、帝国主義による、植民地統治は、それぞれ時代により、国により、違いがある。

19世紀から、20世紀にかけて、日本が行った、植民地統治も、日本独自の特色がある。

植民地主義は、大航海時代以来、宗主国の人間は、植民地の人間より、文明が高く、理性的で、勇敢であるという、正の価値がつけられていた。
植民地の住民は、未開で、野蛮であるという・・・

宗主国は、野蛮な人種を、植民地統治することで、文明を開化させると考えていた。
呆れるが・・・

戦前の日本は、植民地の究極の目的は、地球人化、人類境遇の拡張と、考えていた。
その一人が、新渡戸稲造である。

かつての、東大総長、矢内原忠雄も、植民地が、人類の増殖発展に有利、人類の経済生活を豊かにすると、考えた。

戦後、マルクス主義の史観が支配的になると、植民地とは、強い異民族による、搾取、抑圧、差別というイメージが、強くなり、白人による、有色人種支配の、シンボルとして、非難された。

黄氏によれば、
遅れてきた植民地帝国、あるいは帝国主義国家といわれる日本の植民地進出は、大英帝国でいえば、海外における植民地経営というより、大ブリテン島の統一国家づくりに似ている。大英帝国はヨーロッパからブリテン島に侵入したゲルマン系のアングロ・サクソン人が、ケルト系のウェールズ人とスコットランド人、アイルランド人と連合して成立した国家である。
と、言う。

連合王国のように、台湾、朝鮮と連合し、満州まで、手を伸ばしたとみる。

更に、白人主義とは、別物である。

同文、同種、同州、日鮮一体、日満支一体という、スローガンのもと、日本、台湾、朝鮮、満州は、宗主国と植民地というより、連合帝国と、見る方が、真っ当である。

ちなみに、イベリア半島から始まった、近代西欧植民地侵略が行われた頃、ロシア帝国も、ボルガ水系の小国から勃興し、清帝国も、満州の森林から、スタートして、数々の異民族を征服し、中華の地を支配した。

この二つの国は、どちらも世界帝国であり、異民族に対して行った、植民地的な、搾取や略奪、奴隷化は、西欧列強以上だといわれる。

西欧列強以上とは・・・

だが、今も、植民地主義の汚名を免れているのである。

日本の最初の、植民地は、台湾である。
51年に渡り、通算19人の、総督によって、統治された。

それを、俯瞰すると、植民地主義とのイメージが無いのである。

当初は、激しい、武力抵抗が続いた。
最初の15年は、ゲリラの討伐戦争に明け暮れたのである。

だが、日本の大正デモクラシーの影響が及ぶと、たちまち武力を捨てて、無政府主義者も、共産主義者も、独立運動家、議会主義運動家なども、平和的な政治運動による闘争に、変化した。

勿論、武力闘争は、日本統治時代から、始まったのではない。
それ以前からあったことである。

反乱が頻発していた台湾で、武力抵抗が無くなったというのは、時代である。

台湾は、日清戦争で、国際条約である、下関条約によって、日本に、割譲された。

台湾は、オランダの支配から、200年あまり、清の領土となり、19世紀末から、日本、そして、中国、国民党政権により、支配された。

清の支配は、完全に閉鎖的な辺境として、扱われた。
渡海禁止令、山林開拓禁止令が出され、開拓移民たちは、狭い土地に縛られ、ほとんど、獄門島並みである。

大陸から三年ごとに、交替で送られてくる清国の兵士、官使によって、収穫の半分を搾取され、残りの半分は、匪賊たちに略奪された。
それゆえ、毎年、反乱が起きたのである。

今もそうだが、中国の政権は、中央に利益を吸い上げる方式である。

地方は、中央の植民地のようであり、中央アジア、チベットなどのような、辺境地区にとっては、近代の列強より、過酷な植民地支配を受けている。

戦後半世紀近く、台湾を支配した、国民党政権も、日本の植民地時代の遺産を、食い尽くしたのである。

つまり、伝統的な収奪システムを踏襲してきたのである。

如何に、日本の植民地政策が、植民地化という、イメージと遠いかということを、台湾を見て、書くことにする。
植民化ではなく、拓殖という意味が、解るというものだ。



posted by 天山 at 05:56| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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