2013年09月08日

神仏は妄想である。433

ギリシャの著名な雄弁家であり、アスクレピオスの熱烈な崇拝者だった、アイリオスのアリスティデスは、紀元前2世紀頃の、ローマ、アテネの、驚くほど多くの、病気治しの神々の活躍について、語っている。

その神殿には、難病、奇病にとりつかれた病人で、一杯だったという。

病気は、すべて、神々によるものだと、信じられていたのである。

例えば、アポロの投げ矢は、ペスト、蛇のような髪をしたフリスの女神は、人を狂気に駆り立てる。オリンポスのゼウスは、アテネでは、守護神であるが、ロードス島では、医神であった。

女神アテネも、同じく。彼女は、スパルタでは、眼病の癒しを得意とした。
アポロは、薬の発明者であり、その力は、難産の治療、予防、救助である。

アリスティデスの掲げた治癒神は、十指に余るという。

その中でも、アスクレピオスの治癒力は、抜群であるという。

アテネが、素性の知らない、アスクレピオスを崇拝したのは、碑文によると、紀元前350年の頃である。
その理由は、ペストの流行を止めたという功績が記録される。

だが、アスクレピオスの隆盛の背後には、オリンポスの神々の衰退という事実がある。

つまり、アテネの神々との競合に、勝ったのである。

これにより、ヘレニズム諸都市への、拡散がはじまる。

さて、1世紀から、2世紀にかけて、キリスト教が、ヘレニズム世界へと浸透するために、このような状況下では、治癒神の競合として、開始されなければならなかったという、理由がある。

ヘレニズムの多くの、治癒物語伝承・・・
それは、恐ろしい疫病の直撃により、崩壊に晒される都市の人々の不安がある。

ヘレニズム諸都市における、キリスト教の急速な浸透の背景には、このような、都市化に伴う、疾病の流行に苦しむ、民衆が存在したということだ。

日本に仏教が伝来した際も、病気治しの意味が次第に、強まっていった。
同じことである。
まだ、医学というものが、無い時代である。

治癒神、アスクレピオスは、ポリスからポリスへと、病ある人を求めて、訪ね歩く神であった。

そして、イエスも、その一人になる。
イエスも、村でも、都市でも、病人を求めて、歩く神として、登場するのである。

福音書に描かれた治癒神イエスの遊行的性格は、こうした背景から理解されねばならない。そこでは国家的祭儀としての宗教は、もはや存在の根拠がなかったのである。福音書は、その豊かな史料である。
山形孝夫

歴史的に神々の競合の時代に、突入した・・・
それは、アレクサンダーの東征以降である。紀元前334年・・・
ポリス国家に支えられた、ギリシャの没落から、ローマの覇権が、東部地中海に確立するまでの、三百年間、ヘレニズムの時代である。

脅威と不思議の病気なおしの神々は、アーカイックな死と再生の痕跡に加えて、彷徨し、遊行する神々の明白な特徴をおびて活躍する。治癒神の競合と葛藤の時代であった。こうした中での治癒神イエスの勝利には、ローマ帝国の権力機構の裏打ちがあった。
山形

ただ、この時期、すでに、医術というものが存在していた。
そして、医術自体の競合もあったのである。
治癒力の優劣は、そのまま、医術の技術的優劣にも、直結しているのである。

そこで、当時の、医術のヒポクラテスに関して、記述するかどうか、迷う。
多くを書くことは出来ないが・・・

簡単に言えば、色々に説があるが、紀元前420年頃、ヒポクラテスは、医学と宗教を分離していたことを、明確にしているということだ。

彼の告発がある。
かかる魔術師や祈祷師は、生計に窮して、策を弄し、人をたぶらかす者であり、本病の原因を、さまざまな神々に押し付けることによって、おのれの腹を肥やす詐欺師なのである。彼らは、病人の前では敬神をよそおいながら、その実、そうした虚偽の行為において瀆神の罪をおかしている・・・

更に、癲癇の原因については、神にあるのではなく、脳にあり、それは治療されるという。

大脳生理学にある、治療法を言う。
わたしたちの快楽も歓喜も、笑いも戯れも、悲しみも苦悩も、憂うつも涙も、そうしたすべては脳以外からは生じない。わたしたちは、脳によって思考し、視覚、聴覚をはたらかせ、美醜、善悪、快不快を識別する。

この同じ脳により、わたしたちは狂気錯乱し、夜昼の別なく不安と恐怖におそわれ、不眠や徘徊、とりとめない心配、常軌を逸した思考や行動が生ずる・・・

ヒポクラテスは、すべてを脳の機能の働きと、見たのである。

ところが、彼が亡くなると、時代は一気に、神殿治療が勃発するのである。

ただし、アスクレピオスの治療は、加持祈祷ではなく、大胆な医術の採用によって、民衆の間に、拡大していったはずだ。
というのは、ヒポクラテスも、その門下の医師として、修行をしていたのである。

このエッセイの主ではないので・・・
以下、省略する。

さて、イエスである。
その問題は、福音書に書かれた、治癒物語である。
イエスは、医術を用いたのか・・・

福音書を分析すると、まず、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書から、脅威の治癒物語を見ると、50話ある。

その治癒物語の他に、散りばめられている、癒しの話は、46である。
弟子たちの話も、19ある。

その中で、どのようなものが多いか。
汚れた霊に取りつかれた男で・・・そういう話が、48ある。

それらの霊は、一括して、悪霊である。

中には、口を利けなくする霊、ものも言わせず、耳も聞えさせない霊。悪魔憑きか・・・
更に、癲癇をはじめ、広義のすべての、精神疾患である。

盲人の話、13。重い皮膚病、9。足の悪い者、7。耳の聞えない者、6。中風の者、5。病名の明確ではないもの、熱病、出血、水腫、毒蛇の被害など、それぞれ、1から2。

驚くのは、死者の蘇生が、9もある。

アスクピオレスの場合は、外科的疾患の治療に、本領を発揮している。
イエスは、悪霊が多い。

面白いのは、アスクレピオスは、宗教的タブーに触れる病気には、一例も報告が無い。

イエスが、何かしら、医術を駆使した記述は、無い。
イエスの用いたものは、古い、呪術の域を出ないのである。

つまり、言葉である。

明確なことは、イエスには、医術の方法は皆無である。
ただ、言葉によって、マイナスをプラスにしているのみ。

また、それは、福音書を書いた者の、記述である。
イエスが、自己申告したものではない。

これから、その世界、イエスの奇跡物語の是非について、分析する。
更に、イエスが、キリストにされて行く過程である。

ローマ帝国の権力と共に、ローマ教会の権威と共に。



posted by 天山 at 05:54| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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