2013年09月03日

霊学117

合理主義は、自分の中にある主体、もしくは主人を理性と考えています。
高橋

そして、理性が、人間の中の感情、本能、イマジネーションなどを支配できたとき、理性人として優れた存在、優れた人間となるのである。

理性的に優れた存在は、社会的にも、優れた存在になり、そして、試験に合格して、最高の地位を獲得する。

このように、優劣を判定するロゴスの精神は、同時に、批判の精神であり、存在と存在とを、結びつける精神ではなく、その逆に、それらを相互に区別する精神だと、いえる。

デカルトにより、個人の意識というもの、自我というものが、拡大した、西欧の人たち。それが、自己主張をはじめ、更に、国家的に、他国を侵略しても、平然としていられるようになったのである。

ロゴスにとって、批判ほど大切なことはない。
批判が出来ない人間は、市民としては、一人前ではないと、考える。

批判の精神と畏敬の念を対比させた場合、前者の精神はロゴスであり、後者の畏敬の念はソフィアであると、いえる。との、解説である。

そして、合理主義の精神の中からは、畏敬の念は出てくる可能性は無い。

畏敬の念は、対象に対して、絶えず接近しようとする、姿勢であり、帰依の念とも言う。

批判は、対象と自分との間に、距離をおかないと批判にならない。対象を、絶えず、特定の距離に置いて眺めるのである。

したがって愛の働きが、どちらの側に結びつくかを考えればおのずと明らかなように、ロゴスと批判の精神の働くところには、冷たい世界しか生まれようがないので、近代社会というのは本質的に冷たい社会にならざるをえなくなってくるのです。
高橋

突然、飛躍であるが・・・

だが、畏敬の念と、帰依の念だけでは、文明の成り立つ余地がなくなり、フロイトなどは、畏敬の念だけではなく、ロゴス以外のすべての魂の機能には、文明を創造する能力が無いと、言わざるを得なかった。

畏敬の念をソフィアの働きとして考え、それが認識の機能になり得るかどうか、というのが、神秘学の最重要な問題になる。

異質なものを、二つ並べたときに、これとこれは、違うというのが、ロゴスであり、それでは、今まで、誰も、二つのものを結びつけたことが無いが、それを結びつける、融合させるという、態度が、ソフィア的といえる。

このようにして、高橋巌氏は、神秘学を説明し続けるが・・・

このまま進めて行くと、洗脳される恐れがあるので・・・

デカルトの、合理主義に対する、反合理主義の運動を見る。

デカルトによって、近代が開けたことは、確かである。
それ以前は、実に暗い世界観だった。
何故か、大半が宗教によって、抑えこまれていた時代である。

無知蒙昧の、神学の時代。
デカルトは、そこで、数学を尊び、ストア学派と、スコラ神学を、徹底的に、攻撃している。
更に、時代性が、デカルトを推し進めた。

実践を伴わない、議論のための議論、空論をデカルトは、徹底的に嫌った。
デカルトに関して書くと、先が進まないので・・・

そのデカルトの、合理主義も、いよいよ、反合理主義によって、再確認されるようになるのである。

歴史的に見れば、シュタイナーを主にして見ると、彼が活動をはじめた頃は、1904年頃である。
第一次世界大戦の前夜、13年、14年である。

その頃の、白人社会は、帝国主義全盛の時代であり、地球上の四分の三を、イギリス、フランス、ロシア、アメリカで支配するという時代である。
植民地時代。

暴力的、専制的時代である。

自然科学、技術もそれに伴い、発達した。
白人社会は、理性万能の風潮を、極端なところまで、推し進めていた。

その流れの中に、マルクス主義、ダーウィン、ヘッケルの進化論もある。

すべてが、合理主義的発想で、宇宙までも、解明できるという、考え方が生じていた。
しかし、1905年頃から、非合理的というより、意識的な反合理主義的芸術運動が、至るところで、はじまる。

要するに、感性の立場に立ったものである。

そのための、強力な思想的武器として、ブラヴァツキーの神智学と、フロイトの深層心理学を取り上げた。

ブラヴァツキー夫人に関しては、以前も書いたが・・・
要するに、神智学を踏まえて、新しい感性の文化を創ろうとしたのである。

そして、神智学、後に、人智学と名乗る、シュタイナーが登場する。

ここで、高橋氏は、
二十世紀の初めに出てきた反合理主義的な霊的衝動は、それまでとは違った時代意識をあらわしていました。二十世紀初頭の人たちは、一様に、ヨーロッパ文化が崩壊寸前の状態にある、と痛感していました。そしてヨーロッパ文化の崩壊寸前を生きる自分たちの道というのは、一人ひとりが伝統に頼らず、一切の外的な権威にも頼らずに、自分だけを唯一の頼りにしながら生きていく以外に、それを乗り越える方法はないと、考えました。伝統を否定して、まったく自分だけで、いわば一人ひとりが自分を権威者にして、その権威だけに頼って、新しい文化を生み出そうとする態度をとったのです。
と、言う。

神秘学では、時代、時代の変化変容を、霊的衝動と言う。

この、神秘学の、霊的とか、魂という、概念に関して、更に進んで、如何なるものかを、問わなければならない。
これを、理解しないと、神秘学というものが、解らないのだ。




posted by 天山 at 05:29| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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