2013年09月02日

霊学116

神秘学における、理性と感性について・・・

哲学から見れば、理性は、思考の能力であり、感性は、この能力のために、素材を提供するもの、という、大雑把な定義になる。

更に、精神的な欲求としての理性に対する、動物的な欲求としての、感性とも考える。

理性的な側面とは、まず外的な対象が感覚の世界に働きかけて、そしてそれを表象として内部で再生産し、それを判断の力によってなんらかの結論としての概念に変える、そのプロセスにほかなりません。
そうすると感性とは、人間の無意識の奥底から或る内的な欲求が、それが身体に基づくものか、あるいは魂や霊に基づくものかはともかくとして、心の奥底から欲求があらわれてきた場合に、それが記憶像と結びつき、言葉と結びついて、表象となり、その表象が更に発達して感覚的な知覚と同じくらいの明瞭性を伴ったイメージ、ヴィジョン、病的な場合は幻覚、霊的な場合には霊的知覚を生み出すというプロセスになります。
更に理性的な活動は過去から未来へと方向づけられるのに対して、感性は逆に、未来から現在の方向へ向う、と考えることができます。
高橋 改行は、私

私が、霊的という場合は、感受性と同じように扱う。
ここで言う、感性は、感受性ということになる。私の場合は。

理性による学問を、ロゴス、感性による場合を、ソフィアと名づける。
西欧の思想である。

理性と感性の対立は、ロゴス学と、ソフィア学の対立となる。

そして、ソフィア学は、現代の学問体系には、組み込まれないのである。
すべて、ロゴスによるものである。

そこで、当然、神秘学は、ソフィア学に結びつくということになる。

ソフィアは、古代文献では、プラトンに出てくる。
つまり、古代ギリシアでは、ソフィア学だったのである。

古代ギリシアの智恵は、そのまま、ソフィアである。
最高の叡智を表わす言葉としての、ソフィアである。

その意味は、第一に、汝自身を知れ、ということ。
第二は、分を越えるなかれ、である。

これを総称すると、中庸の精神と、対象を、外的な対象を知ることではなく、自分自身を知ることになる。

旧約聖書でも、箴言の書には、智恵をソフィアと呼ぶ。
そして、ここでは、ソフィアが人格化されているということ。

人格化された、ソフィアという神の概念は、ヘブライが最初である。

そして、ヨーロッパ神秘学のグノーシスの中に、具体的な体系が出来上がる。

神的ロゴスは、流れのように、ソフィアの泉からあふれ出て、善を愛する魂の天上の草木に水を注ぐ・・・

人間の、天使たちの魂の中に、善なる部分の土地に咲く、天上の花に養分を注ぐもの、それが、ロゴスであり、そのロゴスの水は、ソフィアの泉から出てくる、という、考え方である。

更に、グノーシスの書には、
ロゴスには両親がある。神なる両親が存在していた。そして父は神そのもの、万物の父なる神であり、母はソフィアである。
と、ある。

後に、キリスト教によって、ソフィアは、マリアと、結び付けられるが・・・

更に、それが、マリアーソフィアとなり、聖霊と結論づけられる。

そこで神秘学の場合には、・・・、ロゴスが生まれてくる以前の精神の根源的な営み、言葉や概念や表象等々が心の中にあらわれる以前の、それらを生み出すものになる働き、それをソフィアと考えるわけです。したがってソフィアとは、本質的にイメージの存在です。イマジネーションもしくは想像力をとおして働くのです。それに対してロゴスは、概念と言葉をとおして働きます。
高橋

と、いうことで、面倒な説明を一切省いた。

次に、ソフィアの精神、イマジネーションの精神が、同時に、融和の精神でもあるという。
これは、つまり、西欧の人間社会からの説明で、妥協的に生きることを、言う。

少し、イメージとしては、妥協出来ないが・・・

西欧では、妥協の精神に則った、学問が生まれてきます、と、言うが、それが野蛮な人種が、生きる術であった。
どこかに、妥協の余地がなければ、彼らは、まとまることも出来なかったのである。

高橋氏は、
ヨーロッパの学問には、そもそも「ゲバルト」の思想、暴力論はありません。
と、書くが・・・
それは、蒙昧である。

民主的な、平和主義が、前提になっているのです。
とは、信じられないのである。
西欧の歴史をよくよく、見るべきである。

そして平和主義的なヨーロッパの学問の本質というのは、ロゴス的なのです。
となると、疑問を呈さざるを得ない。

ロゴスの精神にのっとって、ロゴス的に機能しているわけです。
と、書く。

この人は、シュタイナーの著作の翻訳もされているが・・・
その辺りにしか、目が行かないようである。

西欧が、平和的でないことは、歴史を見れば、一目瞭然である。
だが、西欧思想を紹介する学者は、いつも、そこが、浮つく。

そこで、西欧的に、何が一番優れているかと問うと、感性ではなく、理性であるという、ことになる。
理性は、理性以外の、諸々の、心の働きをも、自分の支配の対象にする。

そのような立場をはじめて、哲学的に語ったのが、デカルトである。
それを、合理主義という。

この合理主義が、白人の自我に与えた影響は、計り知れない。
自己主張が、自国を超えて、他国への、侵略と化したのである。

いずれは、シュタイナーの考え方に行くが、足元を見ずに、修行をするという。つまり、一つの壮大な妄想の世界を、作り上げたといえるのである。
神秘学という、妄想である。



posted by 天山 at 05:22| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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