2013年09月11日

神仏は妄想である。436

宗教史的にみると、初期キリスト教史は、カナンの再生の神々が、復活の花婿キリスト像に集合し、受難と復活の祭りをとおして、福音書に結晶化していく歴史であった。
山形孝夫

卓見である。
さまに、研究家である。

歴史とは、そういうものである。
突然、断絶してしまうものではない。

であるから、イエスの最後の晩餐・・・
それは、イスラエルの過越しの祭り、ペサハから出たものである。

ペサハの記憶が、イエスの最後の晩餐に、突如として、生き生きと、再現される。
その相違点は、ペサハの祭りでは、初子の、子羊がほふられるのであるが、主の晩餐では、イエス自身のこととなる。

マルコが書く。
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、讃美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の地である。」

まさに、マルコの、イエス観である。
神との、契約の動機が、付加されている。

イエスの食事が、神との契約のための、祭儀行為になるのである。

旧約と、新約をつなげるもの・・・
それは、福音書作家たちの、苦心の作である。

ルカは、明確に、過越しの食事と名づけている。
更に、イエスは、そこで、この世における、最後の食事であると、明言する。

神の国で過越しが成し遂げられるまで、神の国が来るまで、イエスは、再び、食べないと言う。
言わしめている。

原始教団では、主の晩餐は、神の国がすべてに到来した、その結果、再開された食事ということになる。

それは、イスラエル的ではない。
復活の歓喜の食事となる。

ルカは、そこで、復活したイエスに弟子たちが、エマオの村で会うという、不思議を書き付けている。

弟子たちは、ヘレニズムの伝統的な、祭儀に従い、イエスを、祭りの主として、再現したのである。

弟子たちの心には、イエスの復活が存在したのである。
生き返ったものではない。
心に、イエスが甦ったのである。

それでは、福音書の虚構について・・・
最初のマルコである。

マルコの福音書が、描く、イエスの生涯は、純粋に史実であるという確信から出発した、イエス伝神学から、打ち破られたのは、20世紀初頭の、ドイツ宗教史学派の特記すべき、功績に属している。

ブレスラウ大学の、W・ヴレーデと、ゲッテイゲン大学の、J・ヴェルハウゼンの果たした、見事な役割である。

ヴレーデは、1901年、福音書におけるメシヤの秘密、を、世に出し、マルコ福音の、イエスのメシヤ自覚の仔細な検討を試みた。
それは、極めて、否定的結論に終わった。

メシヤに関するイエスの言葉は、正確な歴史的伝承ではなく、マルコ記者の神学的創作にすぎないことが、明らかになったのである。

最初、教団は、イエスの生涯に、メシヤ性を認めることをしなかった。
それは、もっぱら、復活と再臨に限られていた。
ところが、イエスのメシヤ性をイエスの地上的生涯にわたり、認めるべきだとする見解が、教団内部に支配的となるのだ。

そこで、マルコが、福音書執筆の動機を持つのである。
マルコの大胆な、着想は、イエスは、そもそもメシヤであった。しかしイエスは、そのことを民衆に公然化することを、望まなかった。少なくとも、ある時期がくるまで・・・

ヴレーデは、マルコの中に、メシヤであることを隠そうとする、着想、メシヤの秘密の動機があることを見たのである。

この発想により、マルコは、二つに分裂した、メシヤ理解を、一つに統合することに成功したという。

復活と再臨・・・
そして、メシヤ・・・
統合・・・

それが、最初の福音書となる、マルコであり、その後、マタイも、ルカも、それを下敷きに、書き上げるのである。

つまり、結果的に、マルコの非史実性が、暴露されると・・・
イエスの言葉の最古の伝承を、引き継いではいるが、そのまま、引き継いだのではなく、マルコの解釈によって、受け取りなおし、引き継いだ。

それを、更に、ヴェルハウゼンは、綿密な分析により、再確認し、史的イエスの復原というテーマに、終止符を打った。

最古の伝承は、そのほとんどすべてが、イエスの言葉の断片からなりたっていた。それは、文字通りバラバラの断片的な言葉の収録にすぎず、それ自体では、けっして、まとまりをもった物語を、かたちづくるものではなかった。しかしやがて、これらの断片が集成され、イエスの生涯の物語として、まとめられることになったとき、はじめは、つながりを持たなかった伝承群の闇に、いく本かの糸が通され、それぞれ完結した物語が生み出されていった。

たしかに、マルコ伝承は、イエスの語録集「イエスの言葉の集録、ロギアと呼ばれる」よりも古く、しかもよりたしかな伝承にもとづいてはいる。しかし、結局のところ、福音書の伝えるイエス伝は、このようにして編纂された。いわば虚構なのであるから、史的イエスの史料としては、第二史料たらざるをえない。ロギアについても、事情は同様である。当時、口承文学が、次々に新しいイエスの言葉を創作しつつあった段階において、その集成であるロギアが、多分に虚構的傾向を有していることは、どうにも否定のしようがない。結局、これも、第二史料的である。

要するに、福音書をとおして知ることができるのは、史的イエスの実像ではなく、原始教団のつくりだした虚構だということになる。
山形孝夫

であるから・・・
まだまだ、話はある。




posted by 天山 at 05:12| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月12日

神仏は妄想である。437

マタイ、ルカ、ヨハネの福音書は、イエスが神の子であることを、立証することから、はじまる。

マタイの場合は、アブラハムから、ダビデ、ソロモンを経て、マリアの夫ヨゼフに至る。
42代の連綿たる、正統ユダヤ系図である。

そして、一挙に神の子、キリストと続くのである。

ここで、疑問である。
あくまでも、マリアの夫ヨゼフの系図である。
マリアではない。

マリアは処女降誕である。
それを信じられなければ、イエス・キリストは、有り得ない。

マリアのみの子であれば、ユダヤ系図ではない。

ルカの場合は、手が込んでいる。
系図は無いが、神話的衣裳に彩色されている。

天使のお告げ。ザカリアの予言、天の軍勢の合唱する讃歌。
イエスの誕生は、神の子の降臨なのである。

まさに、創作である。

ヨハネは、有名な神話的表象による。
初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。・・・

だが、一番古いマルコだけは違う。
神の子の誕生が無いのである。

更に、復活の物語が無い。
それは、ヨルダン川の荒野に叫ぶ預言者ヨハネの群集の一人から、始まる。

ありのままのイエスに、近い形である。

であるから、19世紀に隆盛する、イエス伝は、マルコを基礎にして書かれたのである。

その後の、マルコは、独自の着想により、書き続けた。

それでも、マルコも、全く史実性に欠けるという、結論である。

つまり、マルコの福音を構成する伝承群は、受難物語の、ただひとつである。
その他は、断片的、バラバラになったものを、ストーリーとして、再構成されたものである。

マタイやルカは、それ以上に、かなり高度な段階を踏んでいる。

彼らは、限られた量の伝承に、大幅なヴァリエーションをもたせるために、ひとつの事件から次の事件へ、たえず新しく場面をセットする。そうした方法にしたがって、福音書は作成されたのである。
山形

例えば、イエスの語る言葉を、背景の違う、様々な場面にセットするのである。
場面がセットされると、登場人物が問題となる。
そこにも、作家たちの、好みがある。

これ以上の詮索は、省略する。

結果的には、原始教団のキリスト像創作の、手法を示すことの手の内が解ったのである。

福音書を歴史的書物と、見ることは出来ないということだ。
また、イエスの、実像にも、遠いものである。

福音書に限らず、一般に口承文学に関して、ある物語が、口から口へ伝承されていく過程において、もっとも変化をうけやすい部分は、物語の様式や全体の構造ではなく、むしろ細部の付随的部分である。それは、人間の好奇心と結合したイマジネーションの結果であるが、好奇心というものは、つねに物語の核心よりも、その細部の明確化にむかって働く傾向をもつからである。
山形

これに関しても、今は、詮索しない。
後で、聖書のイエスの言葉が、イエスのものか、作者のものかと、論じる。

ただ一つ取り上げる。
山上の垂訓といわれる、イエスの説教である。
マタイとルカにある。

心の貧しい人は幸いである。天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。・・・
と、全部で、8つある。

一つ一つがリズムを持つ、美しい言葉である。
全体は、三章に渡り続く。

マタイ、ルカは、この説教を、情景描写からはじめている。
物語を仔細に、分析すると、イエスは、群集に向って、語りかけているが如くに見えるが・・・
違う。

正確には、イエスはこの群集を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き・・・

ルカは、イエスは山で祈られて、それから、山を下り、平地に立たれた。そこで群集に取り囲まれた。

よくよく、読み込むと、大衆に語る言葉と、近くの者たちに語る言葉というものがある。

マタイは、群集に相応しくない言葉、更に矛盾する言葉は、それを回避するために、聴衆を二段構えにしているのである。

つまり、群集向けと、弟子向けの二つに、仕切られるのである。
そこに、マタイの工夫がある。

実に手の込んだ、明細化である。

私が言いたいことは、福音書は、創作されたものであるという、一点である。
それは、史実でも、事実でもないということだ。

仏教の大乗に多く見られる形である。

すべて、作者の思いのまま・・・
作者の考え方、ものの見方を描くのである。

どこにも、仏陀の言葉は無い。
同じように、福音書にも、どこにもイエスの言葉が無い可能性もある。

だから、法華経のように、日蓮が、仏陀最後の教え、これにより、救われるという、勘違いが、多々起こる。
法華経が、東方基督教の影響を受けて、創作されたものだとは、知る者しか、知らないのである。

これぞ、仏法・・・
などと、言われると、私は、笑う。

posted by 天山 at 07:08| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月13日

神仏は妄想である。438

それでは、事実はどうであったか。イエスの一大説教は、実はさまざまな折に語られたイエスの言葉をもとにして、教団自身が再構成したものなのだ。言葉と言葉のあいだの論理的構築が弱いのは、それらがもともとバラバラな言葉であった結果にすぎない。われわれの眼前には、原始キリスト教という名の「弟子たち」、最初のキリスト教徒の小さな群れが、彷彿と浮かび上がってくる。
山形

まさに、その通りであり、更に、問題は、周囲に対する彼らの対応である。
新しいユダヤ教の一派である、イエス教団は、周囲からの攻撃を受けた。

ユダヤ教の、パリサイ派、律法主義者、そして、偽預言者たち・・・
偽物が否かは、誰が決めたのか、解らないが・・・

兎も角、イエスを崇拝する者たちにとって、他の預言者は、偽物なのである。

こうした共同体の切迫した必要性に応じて、イエスの言葉は結集され、形をととのえて提示された。それが、「山上の垂訓」である。「山上の垂訓」は、教団生活の、いわば生活綱領であり、新しいプログラムであったのだ。イエスの言葉は、こうした視点から再生されている。
山形

特に、マタイの場合は、ユダヤ教でも、上位にある人たちのグループであることから、ファリサイ派に対して、敵意むき出しである。

同じ話でも、マルコとルカが、書かないことを挿入するのである。

以下
二人が出て行くと、悪霊に取り付かれて口の利けない人が、イエスのところに連れられてきた。悪霊が追い出されると、口の利けない人がものを言い始めたので、群集は驚嘆し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがない」と言った。しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。

この調子で、色々な場面で、ファリサイ派を攻撃し、敵とみなしている。

ただ、こうした伝承は、後期に見られる。
古い伝承には、こうした図式は、見られないのである。

マルコでは、イエスが誉めた律法学者を、マタイでは、イエスを試そうとしたと、書かれている。

それぞれの、福音書を読み込むと、そういう矛盾が、沢山ある。

イエスを崇拝する、それぞれの共同体が、それぞれに、理論武装を余儀なくされたと、考えていいのである。

明白なことは、伝承を生み出したものは、イエスに対する歴史的関心ではなく、教団自体の生活に根ざした要求であったということである。
山形

さて、問題は、イエスから、キリストへである。
ルカに多いが、イエスは、「神からつかわれさたもの」、天からやってくる「人の子」として、語る。

イエスは、神ではない。
つかわされた者である、との、福音書の宣言であるが・・・
それが、どうして、キリストになっていったのか・・・

ところで、神の子、という表現は、イエスだけの話ではない。
イスラエルの人々は、皆、神の子なのである。

さらに、ルカの書いた、使徒行伝には、イエスが神とは、一言も書かれていないのである。

とても単純なことだが、神がいて、イエスも神の子で、神だとすると、神は、二人いることになる。
唯一の神ではない。
その簡単な、矛盾に対して、とてつもない、妄想を生み出してゆく、キリスト教共同体である。

最後に行き着いたのは、三位一体説である。

だが、そこまでに至るには、まだ、話がある。
ペトロの説教である。
ナザレのイエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。・・・

ここでは、イエスは、神によって力を与えられた、奇跡を起こす人間であるが、神そのものではない。

そして、ペトロは、
だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。・・・

つまり、死んだ後で、復活し、神はイエスを主とし、メシアにしたのである。

見事な嘘である。

後に、これが、論争を呼ぶ。

パウロの言う。
わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩篇の第二編にも、
「あなたはわたしの子
わたしは今日あなたを産んだ」
と書いてあるとおりです。

イエスは、どの時点で、神の子になったのだろうか?
「わたしは今日あなたを産んだ」とあるとおり、復活したときである。
バート・D・アーマン

これは、キリスト教信仰の最古の姿であるように思える。イエスは、神によって、その威力を示すための力を授かった人間だった。彼は、ユダヤの指導者に受け入れられず、殺された。しかし、神は、彼を蘇らせ、高い地位につけることによって、彼が義であることを証明してみせた。
アーマン

だが、復活の後ではなく、宣教活動時代を通して、イエスが神の子だったと考える信者が出現するのに、そう時間はかからなかった。

と、この辺りを、もう少し追求するとして・・・

イエスを殺しのは、ユダヤ人であるが・・・
本当は、政治的なものだったのだ。
それは、その前後の歴史を俯瞰すれば、よく解る。


posted by 天山 at 06:57| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

神仏は妄想である。439

われわれはもはや、受難物語全体から、イエスの死の歴史的真相を正確に再現することは、断念しなければならない。それはこれまで述べてきたように、あまりにも強く教団神学の描く祭儀のキリスト、すなわち死と復活のキリスト像におおいつくされてしまっている。ユダヤ教のファリサイ派や律法学者が、一貫して、イエスの敵に仕立て上げられる受難の図式は、先に指摘したように、一部は明白に、後の教団神学の虚構にすぎない。
山形孝夫

作り上げられた嘘の上にあるもの・・・
それが、イエスは、キリストである。

さて、政治的な状況を見れば、イエスの出現は、当時、10年もの長きに渡り、体制ユダヤを脅かし、その後、紀元66年、ユダヤ戦争の導火線となり、70年、エルサレム陥落の引き金となった、反体制メシア運動と、確実に二重写しになる。

イエスは、この状況下で、反逆罪に問われたのである。

イエスもまた、そのことを知る。
エルサレム入りを目の前に、イエスは、それを知り、恐れおののくのであるが・・・

それが、一切合切、受難物語として、語られるのである。
付け入る隙が無い。

ルカ、マタイの福音では、イエスが、自分を、神からつかわされたもの、天からやってくる、人の子として、語るのである。

そこでは、イエスを受け入れることは、イエスが神からつかわされたもの、だけではなく、イエスの言葉が神からのもの、それを事実として、受け入れる。
歴史を変革する決定的な出来事として、受け入れるのである。

そして、マタイは、
わたしにつまずかない人は幸いである。
と、書き添える。

最初の教会は、その福音書の作者の求めに、決断を持って、受け入れた人たちの、信仰共同体としての、信仰告白である。
つまり、福音書は、信仰告白の何物でもないのである。

創意工夫された、福音書なのである。

ヨハネや、パウロは、イエスの告知の内容を大胆に無視する。
何故か・・・
すでに、結論が見えているからである。
イエスは、キリストであると・・・

答えが先にあるのだ。

そこに、推論や、推測は無い。
イエスは、キリストであるという、結論である。

信じてしまえば、話は早いのである。

そこで、通俗的に言えば、その福音書は、誰に向って書かれたのかである。
ユダヤ人である。
ローマの支配を受けていた、ユダヤ人たちに書かれたものである。

よって、世界的云々という話ではない。
福音作家たちの、世界観は、どの程度のものだったのか・・・

人類の救い主、イエス・キリストではない。
彼らのための、イエス・キリストだったのである。

キリスト教が、世界的になったのは、白人主義と絡み、世界制覇に乗り出してからである。

つまり、白人のキリスト教に変容してから、世界的キリスト教となったのである。

であるから、福音書というものは、
彼らはイエスの生涯の出来事を、ありのままの姿において描き出すことに、ほとんど関心を示さなかった。しかもそれは福音書記者だけに限られない。パウロなどは、単にイエスの地上的生涯を知らなかったというだけではなく、知ろうともしなかった。
と、山形氏は言う。

信じた者が、信仰告白として、福音書を書けば・・・
何とでもなる。

実際、福音書は、それぞれの作家によって、バラバラである。
マルコの奇跡物語、マタイのユダヤ的メシア待望論と、終末論的キリスト論、パウロの贖罪論的キリスト論、ヨハネの、光の子キリスト論・・・

それらが、統一されたのは、313年、コンスタンティヌスの宗教寛容令によって、非合法化されていたキリスト教が、公然と布教活動を開始する時である。

ローマの教会が、白人に取って代わられた時である。

すでに、初期ユダヤ人キリスト教徒は、殺されていたのである。

更に、聖典編纂により、新約聖書が、ローマ教会により、認められた。
その際に、捨てられた多くの書物は、外典、異端として、今に至る。

キリスト教徒は、ローマ教会以来の、聖典を聖書として、受け入れている。
そして、それを、正統とする。

根拠は、ローマ教会の権威である。
ただ、それだけである。

信仰は、各自それぞれの、極めて個人的な情緒である。
しかし、キリスト教の場合は、教会が支配する。
カトリック、プロテスタントに関わらず・・・

新興キリスト教も、そうである。
人の心を、支配する。

権威主義的宗教である。
そこには、人道的な宗教の姿は無い。

イエスの、受難は、あれは、政治的なものである。
それも、信じる人たちによれば、神の子が人類の救いのために、十字架につけられた、ということになる。

宗教における、何とでも、言えるというからくりは、おぞましい程である。

そして、それが、後に、白人主義と結びつき、世界的強奪の歴史が生まれる。
その一面を見ても、キリスト教が、邪教であることが理解出来るのである。


posted by 天山 at 05:48| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

神仏は妄想である。440

更に、分析を続ける。

イエスは、神なのか・・・

新約聖書、福音書が書かれたのは、イエスの死後何年も経てからである。
そのうち、三つの福音書では、イエスが、神と呼ばれていないのである。

新約聖書に含まれる、その他の書には、福音書より、古い伝承が見られる。
使徒言語録に収録されている、使徒の言葉の一部が、ルカが使徒行伝を書いた何年も前に、活動している。

つまり、それは、ルカが福音書と使徒行伝を書く、数十年前に出ていた、言い伝えである。
それでも、使徒行伝には、イエスが神とは、書かれていない。

神がイエスに特別な地位を授けたのは、復活したときだという、原始的な信仰が述べられている。

イエスは、神によって力を与えられた、奇跡を起こす人間であるが、神ではないのである。

ペトロの説教である。
だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、また、メシアとなさったのです。

死後、復活して、初めて、神はイエスを主とし、メシアとした・・・

イエスは、どこから、神の子になったのか・・・
パウロが、詩篇から、
あなたはわたしの子、
わたしは今日あなたを産んだ
と書いてあるとおりです。

それが、復活のことだというのである。

なんとも、へんちくりんなことになった。
が、この、へんちくりんなことが、多々続いてゆくのである。

膨大な旧約聖書の言葉から、抜き出して、都合よく解釈するというのは、キリスト教の、特徴である。

復活によって、イエスが、主となり、神の子となった。
それが、キリスト教信仰の最古の姿。

だが、復活の後ではなく、宣教時代から、イエスが神の子であるという、考え方になるのは、時間の問題だった。

最古の福音書、マルコでは、イエスが、ヨハネから洗礼を受けたときであるという。

天が割れ、鳩の姿を借りた聖霊が、彼の上に舞い降りてくる。そして、「あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から降るのである。

つまり、マルコの集団は、そのように信じたのである。

さて、古代ユダヤ人にとっては、「神の子」であることは、神であると同義語ではない。
旧約聖書では、何人もの登場人物が、神の子と呼ばれた。

完全なる人間である、イスラエルの王も、神の子とされる。

または、イスラエル王国全体が、神の子でもあるのだ。

そして、神の子とは、地上における、神との仲介者であることを、意味した。
神の子は、神がその意志を現すために選んだ、神と特別な関係のある、人間だった。

マルコでは、メシアとして、定められたために、神の子であり、その使命は、生贄として、贖罪をもたらすべく、十字架で死ぬことだったとされる。
ところが、福音書の何処にも、イエスが神だという、記述は無い。

その十字架で死ぬことも、政治的な意味であり・・・
彼らが、後付した、贖罪のために、では無い。

時代が経るに従い、洗礼を受けたときに、神の子になったという、考え方が多数になる。

次の、ルカは、生まれた瞬間から、神の子と定義した。
だから、処女懐胎の物語が、加えられた。
マリアが受胎したときに、イエスが、神の子になったと解釈する。

聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。

だが、最も新しい、ヨハネは、イエスが、神の子だった時点を、更に遡らせた。
永遠の昔からというものである。

そして、イエスの神性に言及しているのは、ヨハネだけだった。

キリストは、天地創造以前から、そもそもの始まりから、神の言として、神と共にいた、神の子である。そうして、人間として、この世に降臨したのである。

これが、後に、キリスト教の標準的な、キリスト教教義になるのである。

これは、思想である。
イエスが神性を宿すという思想は、後世のキリスト教徒が、思いついたものである。
つまり、ヨハネ集団の、思いつきである。

ヨハネの伝承は、実に他の福音書とは、違うのである。
他の福音書とは、格段に違う程、イエス・キリスト観を高めている。

兎に角、作られていった、イエス像である。
本当のイエスは・・・

そこで、研究家たちは、一体、イエスの本当の言葉は、福音書のどれかと、分析し始めたのである。

更に、イエスの、本当の立場である。
イエスは、何者だったのか・・・

すると、キリスト教が言うことが、全くの嘘であることが、解る。

今も、キリスト教は、イエス像を作り出している。
そして、それらが、妄想の最たるものであることだ。

posted by 天山 at 05:56| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月16日

沈黙を破る76

価値観は、多様である。
しかし、国民国家という場合は、そのための、共同幻想が必要である。

それが、神話などの伝承、書き物である。

更に、象徴である。
幸いに、日本は、天皇を戴いている。
これは、僥倖である。

個人の価値観の多様化は、素晴らしい。
そして、自由である。
それも、日本は、憲法で保障されている。

しかし、公の場に出た場合は、一つの価値観を共有する礼儀というものが、必要になる。

それが、国旗掲揚と、国歌斉唱の際の、起立である。
更に、戦争犠牲者に対する、畏敬と、慰霊である。

国民としての、常識である。
それが、常識も、様々だと、いう、価値観と同じように考えると、誤る。

先の、共同幻想と同じように、持つべきであり、子供たちに伝えるべきである。
そうでなければ、国が、滅びる。

滅びるとは、その精神が、崩壊する。
更に、国に対する、思いが、全く無くなる。

それは、どういうことか・・・
いくら、国会議員を選挙で選んでも、その、基準が無いということ。

投票して、自分に利益のある、議員を選ぶという、第三国のような、国に堕落するのである。

更に、国のために、という、大義も失われる。
また、そのように、言う候補者がいないし、語っても、信じられないのである。

いつまでも、拉致被害者をそのままにしている、日本の政治家を、誰が、信じられるだろうか。

遺族もそのうちに、死ぬから、忘れ去られる・・・
そんな馬鹿なことを、言う、馬鹿がいる。

国なんて・・・
ところが、すべて、国によって、成り立っているのである。
だから、国民国家であり、自由民主主義というものを、信じていられる。

賢い馬鹿は、海外に出て、日本人を意識することは、無いなどと、言う。

自分の能力で、国境など、関係ないと言いたいのだろうが・・・
そんな人間が、他国で信用されるのか・・・

自国に誇りの無い人は、他国に国籍を持っても、誰も信用しない。

この人間は、国など、どうでもいいと、思っていると、思われるのが筋である。

自国を裏切る者は、他国をも、裏切るのである。
当然だ。

世界市民などという、麻薬に冒された人間が言う、アホな話を信じている馬鹿は、いなだろうが・・・
いるのである。

常識的に考えて、それは、成り立たない。
国と、民族の誇りをもてない者は、どこに出て行っても、信用されない。

ある、外国人が、自分の国を信用できない・・・
自分の国は・・・
私も、それを聞いて、彼を信用しなくなった。

アメリカ人であれ、ドイツ人であれ・・・
自国を敬愛しなければ、海外に出て、信用されない。

だから、日本を愛する・・・と、外国人が言う・・・
それで、私は、喜ばないのである。

自国を敬愛して、日本も共に、愛するというなら、信用できる。

親を否定して、わが身の存在を、肯定する馬鹿はいないだろう。

私は、そのように、考える。
これも、一つの価値観である。



posted by 天山 at 06:52| 沈黙を破る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月17日

もののあわれについて631

藤袴 ふぢばかま

尚侍の御宮仕への事を、誰も誰もそそのかし給ふも、「いかならむ、親と思ひ聞ゆる人の御心だに、うちとくまじき世なりければ、ましてさやうの交じらひにつけて、心より外に便なき事もあらば、中宮も女御も、方々につけて心おき給はば、はしたなからむに、わが身はかくはかなき様にて、いづかたにも深く思ひとどめられ奉る程もなく、浅き覚えにて、ただならず思ひ言ひ、いかで人笑へなる様に見聞きなさむ、と、うけひ給ふ人々も多く、とかくにつけて、安からぬ事のみありぬべきを」、物思し知るまじき程にしあらねば、様々に思ほし乱れ、人知れずもの嘆かし。




尚侍として、宮仕えされることを、誰もが勧めるのだが、どうしたものだろう。親と思い、申し上げている方のお気持ちさえ、安心できないことなのだから、まして、そんな所で、お付き合いするにしても、思いがけず、困ったことが起こったりして、中宮も、女御も、あれこれにつけて、自分に対し、気まずい思いをされたら、途方に暮れるだろう。自分は、こんなに頼りない境遇で、どなた様にも、親しく願ってからも、間もなく、世間からも、軽く見られている。大臣との間柄を普通ではないと、邪推したり、噂したり、何とかして物笑いの種にして、見たり聞いたりして、呪っている方々も多く、何かにつけて、嫌なことばかりがあるに違いない。と、物を知る年頃なので、あれこれと、考えがまとまらず、独り嘆いている。

玉葛の心境である。





「さりとて、かかる有様も悪しき事はなけれど、この大臣の御心ばへの、むつかしく心づきなきも、いかなるついでにかは、もて離れて、人の推し測るべかめる筋を、心清くもありはつべき。まことの父大臣も、この殿の思さむ所を憚り給ひて、うけばりて取りはなち、けざやぎ給ふべき事にもあらねば、なほとてもかくても見苦しう、かけかけとき有様にて心を悩まし、人にも騒がるべき身なめり」と、なかなかこの親尋ね聞え給ひて後は、殊に憚り給ふ気色もなき、大臣の御もとなしを取り加へつつ、人知れずなむ嘆かしかりける。思ふ事を、まほならずとも、片端にてもうちかすめつべき女親もおはせず、いづ方もいづ方もいとはづかしげに、いとうるはしき御様どもには、何事をかは、さなむかくなむと聞え分き給はむ。世の人に似ぬ身の有様をうち眺めつつ、夕暮の空の、哀れげなる気色を、端近うて見出だし給へる様、いとをかし。薄き鈍色の御衣、なつかしき程にやつれて、例に変はりたる色合ひにしも、かたちはいと華やかにもてはやされておはするを、御前なる人々はうち笑みて見奉るに、宰相の中将、同じ色の今少しこまやかなる直衣姿にて、えい巻き給へる姿しも、またいとなまめかしく清らにておはしたり。




しかし、今の状態も悪くはないが、この殿様のお気持ちが、いとわしく、堂々と引き取って、自分の娘として扱うことなど、ないようで、やはり、どちらにしても、外聞が悪く、男に思いを懸けられた様で、思い悩み、とやかく他人に言われる運命なのだ。と、かえって、実の親が、探し当ててからというものは、特に遠慮される様子もない大臣の君の、有り様まで加わり、一人悩んでいるのである。
悩み事を、すべてでなくても、ほんの少しでも、話すことが出来る、女親もいず、お父様や、大臣に相談しようにも、ご立派な近づき難い方々なので、どんなことを、ああだ、こうだと、申し上げて、解っていただけよう。世間にはない、わが身の上を嘆く思いで、夕暮れの、身にしむ空の様を、縁近くに出て、眺めている様子は、実に美しい。
薄色の喪服をしっとりと、身にまとい、いつもと違う、色合いにも、かえって器量が華やかに、引き立てられるのを、お傍の女房たちは、満足げに、笑みを浮かべて、拝しているところに、宰相の中将、夕霧が、同じく喪服の、更に少し濃い色の直衣姿で、冠のえいを巻いていられるお姿が、大変優美で、綺麗で、おいでになった。

夕霧が、宰相の中将になっている。




初めより、ものまめやかに心寄せ聞え給へば、もて離れてうとうとしき様には、もてなし給はざりしならひに、今、あらざりけりとて、こよなく変はらむもうたてあれば、なほ御簾に凡帳添へたる御対面は、人づてならでありけり。殿の御消息にて、内より仰せ言ある様、やがてこの君の承り給へるなりけり。御返り、おほどかなるものから、いとめやすく聞えなし給ふけはひのらうらうじくなつかしきにつけても、かの野分の朝の御朝顔は、心にかかりて恋しきを、うたてある筋に思ひし、聞きあきらめて後は、なほもあらぬここち添ひて、「この宮仕へを、大方にしも思し放たじかし。さばかり見所ある御あはひどもにて、をかしき様なる事の煩はしきはた、必ず出で来なむかし」と思ふに、ただならず胸ふたがる心地すれど、つれなくすくよかにて、夕霧「人に聞かすまじと侍りつる事を聞えさせむに、いかが侍るべき」と、気色だてば、近く侍ふ人も、少し退きつつ、御凡帳の後ろなどにそばみあへり。




初めから、誠意を持って、好意を寄せていたので、こちらも他人行儀にされない習慣なので、今更、姉弟ではないということで、態度を改めることも変なので、以前のように、御簾の内側に凡帳を立てて、面会は、取次ぎなしである。殿の命令を持って、主上のお言葉の内容を、そのまま、この君がたまわり、伝えにいらしたのだ。
お返事を、大袈裟ではあるが、如才ない申し上げをされる。その物腰が、気が利いて、しかも、女らしいのにつけても、あの台風の朝、垣間見たお顔は忘れられず、恋しいので、あの時は、いけないことと思ったが、事情を聞いてからは、何もなしではいられない気持ちも出て、この人の宮仕えを、普通では、思い切りにならないだろう。あれほど、見事な婦人がたとの間柄では、美しくあるのが、困ったことになるだろうと思うと、気が気ではない。心配をするが、そ知らぬ、生真面目な顔をして、夕霧は、誰にも聞かせるな、とのことでございます、お言葉を申し上げますので、どういたしましょうか、と意味ありげに言うので、お傍に控えていた女房達も、少し退いて、凡帳の後ろなどに、互いに顔を見合さないようにしていた。

そばみあへり
聞いていませんとの、意思表示をする姿。
互いに横向きに座るのである。

をかしき様なる事の煩はしきはた
玉葛の美しさに、問題が起こる・・・
つまり、嫉妬などが、起こるというのである。

それは、夕霧が、考えている。
更に、夕霧も、玉葛に恋心を寄せているという様子。
何とも、当時の男女の関係は、即、恋に発展するようで・・・
というより、貴族社会がそうだった。
平安時代である。


posted by 天山 at 06:21| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月18日

もののあわれについて632

そら消息をつきづきしく取り続けて、こまやかに聞え給ふ。「上の御気色のただならぬ筋を、さる御心し給へ」などやうの筋なり。答へは給はむ事もなくて、ただうち嘆き給へる程、忍びやかに、うつくしく、いとなつかしきに、なほえ忍ぶまじく、夕霧「御服もこの月には脱がせ給ふべきを、日ついでなむよろしからざりける。十三日に、河原へ出でさせ給ふべき由宣はせつる。なにがしも御供に侍ふべくなむ思う給ふる」と聞え給へば、玉葛「たぐひ給はむもことごとしきやうにや侍らむ。忍びやかにてこそ良く侍らめ」と宣ふ。




殿様の言葉ではないことを、いかにもそれらしく、次から次へと、こまごま申し上げる。主上の様子が、普通ではないから、ご注意されますように。などといったことである。返事のしようなく、そっと溜息をつく様子は、ひっそりとして、可愛らしくも、優しくもあり、矢張り、夕霧は、我慢出来ず、喪服も、今月には、お脱ぎになるはずなのに、日がよくなかったのです。十三日に、河原にお出であそばすようにとの、仰せです。私も、御供をいたします。と、申し上げると、玉葛は、ご一緒くださるのも、事が大袈裟になると思われますが。人目に立たないほうが、よいでしょう。と、おっしゃる。




「この御服なんどの詳しき様を人にあまねく知らせじ」とおもむけ給へる気色、いとらうあり。中将も「漏らさじとつつませ給ふらむこそ心憂けれ。忍び難く思う給へらるる形見なれば、脱ぎ捨て侍らむ事も、いともの憂く侍るものを、さてもあやしうもて離れぬ事の、また心得難きにこそ侍れ。この御あらはし衣の色なくは、えこそ思う給へ分くまじかりけれ」と宣へば、玉葛「何事も思ひ分かぬ心には、ましてともかく思う給へたどられ侍らねど、かかる色こそ、あやしくものあはれなるわざに侍りけれ」とて、例よりもしめりたる御気色、いとらうたげにをかし。




この喪服の、詳しい事情を、他人に広く知らせまいとしているところは、実に、思慮深いこと。
中将は、知られまいと隠していられるのが、残念です。恋しくてたまらない、おばあ様の形見なので、脱いでしまうのも、辛いことです。それにしても、この家から、不思議に離れないのが、また腑に落ちません。この喪服を着ていなければ、おばあ様の孫とは、とても私には、分らなかったでしょう。と、おっしゃると、玉葛は、何も分らない私には、あなた以上に、どういうことかとも、考えつきませんが、でも、こういう色は、何となく、しみじみと感じさせられるものでございます、と、いつもより、沈んだ様子は、とても、可憐で、美しい。

あやしく もの あはれなる わざに
心の情景である。
妙に、何となく・・・感じる様である。




かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいと面白きを持給へりけるを、御簾のつまより差し入れて、夕霧「これも御覧ずべきゆえはありけり」とて、とみにもゆるさで持給へれば、うつたへに、思ひ寄らで取り給ふ御袖を、引き動かしたり。

夕霧
同じ野の 露にやつるる 藤袴 あはれはかけよ かごとばかりも

道のはてなるとかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬ様に、やをら引き入れて、

玉葛
尋ぬるに はるけき野辺の 露ならば 薄紫や かごとならまし

かやうにて聞ゆるより、深きゆえはいかが」と宣へば、少しうち笑ひて、夕霧「浅きも深きも、思し分く方は侍りなむと思う給ふる。まめやかには、いとかたじけなき筋を思ひ知りながら、えしづめ侍らぬ心の中を、いかでか知ろしめさるべき。なかなか思しうとまむがわびしさに、いみじく籠め侍るを、今はた同じと思う給へわびてなむ。頭の中将の気色は御覧じ知りきや。人の上になど思ひ侍りけむ。身にてこそいとをこがましく、かつは思う給へ知られけれ。なかなか、かの君は思ひさまして、つひに御あたり離るまじき頼みに、思ひ慰めたる気色など見侍るも、いとねたましくねたきに、あはれとだに思しおけよ」など、こまやかに聞え知らせ給ふ事多かれど、かたはらいたければ書かぬなり。




この機会にと思いついたのか、蘭の花の見事なものを、持参してきた。御簾の端から差し入れて、夕霧は、これも、御覧になる、ゆかり、縁あるものです、と言い、すぐには離さず、持っているので、すっと、気付かずに、取ろうとした袖を引いた。

夕霧
あなたと同じ、野の露にしおれた、藤袴、蘭の花です。可哀想だと言ってください。せめても・・・

申し訳にでも、逢ってとの意味なのか。酷く、疎ましく嫌になったが、そ知らぬふりで、そっと、奥へ引き下がる。

玉葛
元を正せば、遠く離れた野の露です。薄紫の、ゆかり、とは、いいがかりでしょう。

このようにして、お話する以上に、深い因縁はございません。と、おっしゃると、少し笑い、夕霧は、浅いも深いも、お分かりのはずだと思います。本当は、畏れ多い、主上のお言葉をわきまえつつも、抑えようも無い、私の心を、どうしてお分かりになりましょう。言い出しては、かえって、煩く思われるのが辛くて、強いて、心に、じっとこらえておりましたが、たとえ、命を懸けてもと思い余りまして。頭の中将のことは、ご存知でしたか。人事のように、何故考えてくださらないのでしょう。自分の身になって、よくよく、愚かしいと、分りました。かえって、あの君は諦めて、兄妹として、いつまでも、親しくしていられるのを頼みに、気持ちを慰めている様子などを見ます。とても、うらやましく、嫉ましいので、せめて、可哀想と思ってください。などと、こまごまと、訴えることが沢山ありましたが、具合が悪いから、書かないのです。

最後は、作者の言葉。

かたはらいたければ
あまりに、くどいお話なので・・・
細々とした、話なので・・・

蘭の花は、藤袴ともいう。

薄紫は、付し袴の色。ゆかりの色である。

posted by 天山 at 05:43| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月21日

もののあわれについて633

尚侍の君やうやう引き入りつつ、むつかしと思したれば、夕霧「心憂き御気色かな。あやまちすまじき心の程は、おのづから御覧じ知らるるやうも侍らむものを」とて、かかるついでに、今少し漏らさまほしけれど、玉葛「あやしく悩ましくなむ」とて、入りはて給ひぬれば、いといたくうち嘆きて立ち給ひぬ。なかなかにもうち出でてけるかな、と、口惜しきにつけても、「かの、今少し身にしみて覚えし御けはひを、かばかりの物越しにても、ほのかに御声をだに、いかならむついでに聞かむ」と、安からず思ひつつ、お前に参り給へれば、出で給ひて、御返りなど聞え給ふ。




尚侍の君、玉葛は、だんだん奥に引っ込んで、やっかいなことと、思っている。夕霧は、冷たい仕打ちですね。馬鹿なまねをするような、私ではないことは、もう解っておいででしょう。と、こんな機会に、もう少し打ち明けたいがと思う。玉葛は、変に気分が悪くて、と、入ってしまったので、酷く嘆いて、出て行かれた。
余計なことを言ってしまったと、悔やまれるが、もう少し、余計に身に染み、恋しく思われた御方の気配を、これくらいの、凡帳越しにでも、かすかにお声だけでもと、どんな機会に、聞こうかという、思いに心を苦しめる。そのまま殿の所に、お上がりになったところ、出ていらしたので、お返事などを、申し上げる。

かの 今少し身にしみて覚えし・・・
紫の上のこと。




源氏「この宮仕へを、しぶげにこそ思ひ給へれ。宮などの練じ給へる人にて、いと心深きあはれを尽くし言ひ悩まし給ふに、心やしみ給ふらむと思ふになむ、心苦しき。されど、大原野の行幸に、上を見奉り給ひては、いとめでたくおはしけりと思ひ給へりき。若き人は、ほのかにも見奉りて、えしも宮仕へり筋もて離れじ。さ思ひてなむ、この事もかくものせし」など宣へば、夕霧「さても人ざまは、いづ方につけてかは、類ひてものし給ふらむ。中宮かく並びなき筋にておはしまし、また弘微殿やむごとなく、覚え殊にてものし給へば、いみじき御思ひありとも、立ち並び給ふ事難くこそ侍らめ。宮はいとねんごろに思したなるを、わざとさる筋の御宮仕へにもあらぬものから、引きたがへたらむ様に御心置き給はむも、さる御中らひにては、いとほしくなむ聞き給ふる」と、おとなおとなしく申し給ふ。




源氏は、この宮仕えを気乗りしない風に、思った、宮などの、その道に練達している方が、深い情を見せて、口説かれるので、そちらに心を開かれたのだろうかと、思うと、気の毒である。けれども、大原野の行幸で、主上を拝しては、とても立派であらせられると、思うのである。若い人は、少しでも、拝すれば、とても、宮仕えのことを、思い切れないだろう。このことも、そのようにしたのだが。などと、おっしゃると、夕霧が、それにしても、あの方の人柄では、どんな地位が相応しいでしょう。中宮がご立派でいらっしゃいますし、それに弘微殿も、立派な家柄で、評判もよく、素晴らしい寵愛があっても、肩を並べることなどは、難しいでしょう。宮は、酷く熱心でいらっしゃるとのこと。格別に、そうした行き方での、宮仕えではないにしても、意地の悪い取り計らいのようなことは、お二方の間では、お気の毒だと、今度のことを聞いております。と、大人びたことを言う。

何とも、難しい内容である。
わざとさる筋の御宮仕へにもあらぬものから
女御などという、格別な、宮仕えのことを言う。

宮とは、蛍兵部卿のこと。
話の内容が、情勢分析と、招来の見通しで、夕霧の言葉が、一人前に聞える様子を、おとなおとなしく、と書く。




源氏「難しや。わが心ひとつなる人の上にもあらぬを、大将さへ我をこそ恨むなれ。すべてかかる事の心苦しさを見過ぐさで、あやなき人の恨み負ふ、かへりては軽々しきわざなりけり。かの母君の、あはれに言ひ置きし事の忘れざりしかば、心細き山里になど聞きしを、かの大臣はた、聞き入れ給ふべくもあらずと憂へしに、いとほしくて、かく渡り始めたるなり。ここにかくものめかすとて、かの大臣も人めかい給ふなめり」と、つきづきしく宣ひなす。源氏「人柄は、宮の御人にて、いと良かるべし。今めかしく、いとなまめきたる様して、さすがに賢く、あやまちすまじくなどして、あはひはめやすからむ。さてまた宮仕へにも、いとよく足らひたらむかし。かたち良くらうらうじきものの、公事などにもおぼめかしからず。はかばかしくて、上の常には願はせ給ふ御心には、たがふまじ」など、宣ふ。




源氏は、難しいものだ。私の一存で行く、お方の話でもないのに、大将、髭黒右大将までが、私を恨んでいるという。何事も、こんな気の毒なことを見ていられないので、人から、つまらない恨みを受ける。かえって、軽率なことになった。玉葛の母君が、かわいそうな遺言をしたのを、忘れず、寂しい山里にいるなどと、聞いたが、あの内大臣は、相談に乗ってくれそうもないと、心配していたので、気の毒で、こうして、引き取ることになったのだ。私が大事にしているとあって、あの大臣も、人並みの扱いをするようだ。と、もっともらしく、説明する。
更に、源氏は、人柄は、兵部卿の宮夫人となって、適当だろう。現代的な感じで、華やかであり、それでいて、頭が良く、間違いなどしそうにないほど、宮との間も、まあうまくゆくだろう。それに、また、宮仕えも、十分に合格だろう。器量が良く、おっとりしているが、儀式などにも、暗くない。てきぱきしていて、主上が、いつもお望み遊ばす、御意向にかなうだろう。などと、おっしゃる。




気色の見まほしければ、夕霧「年頃かくてはぐくみ聞え給ひける御心ざしを、ひがざまにこそ人は申すなれ。かの大臣もさやうになむおもぶけて、大将のあなたざまの便りに、気色ばみたりけるにも、答へ給ひける」と聞え給へば、うち笑ひて、源氏「かたがたいと似げなき事かな。なほ宮仕へをも何事をも、御心許して、かくなむと思されむ様にぞ従ふべき。女は三に従ふものにこそあなれど、ついでをたがへて、おのが心に任せむ事は、あるまじき事なり」と宣ふ。夕霧「内々にも、やむごとなきこれかれ年頃を経てものし給へば、えその筋の人数にはものし給はで、捨てがてらにかく譲りつけ、おほぞうの宮仕への筋にらうぜむと思し置きつる、いと賢くかどある事なりとなむ、喜び申されけると、確かに人の語り申し侍りなり」と、いとうるはしき様に語り申し給へば、げにさは思ひ給ふらむかしと思すに、いとほしくて、源氏「いとまがまがしき筋にも思ひ寄り給ひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。今おのづから、いづ方につけても、あらはなる事ありなむ。思ひぐまなしや」と笑ひ給ふ。




様子が知りたいので、夕霧は、何年も、こうしてお育てになった御愛情を、妙な風に、世間では噂しているようです。あの内大臣も、そういう風に解釈される言い方で、大将があちらに、つてを持って申し込んだときにも、御返事なさいました。と、申し上げると、源氏は、笑って、それもこれも、事実とは、大変違っている。矢張り、宮仕えにせよ、何にせよ、内大臣が納得されて、こうしようと考えることに、従うべきだ。女には、三従の道があるが、順序を誤って、私の自由にしては、よくないことだ。と、おっしゃる。
夕霧は、内大臣は、内心でも、こちらに動かせない方々が、幾人も長年かけているので、その中の一人として、扱うことが出来ないようで、捨てる気分で、譲ってしまいたいと、一般職の尚侍ということにして、その実、手活けの花にしょうと考えている。実に利口で、頭のいい、やり方だと、喜んで言っておられた。と、はっきり、ある人が私に伝えてくれました。と、真面目にお話になるので、なる程、内大臣は、そうお考えなるだろうと、思うと、玉葛が気の毒だ。源氏は、酷くひねくれた風に、理解したものだ。行き届いたやり方を、自分がいつもなさるからだろう。すぐに、放っておいても、いずれにせよ、はっきりすることが、あるだろう。と、お笑いになる。

いとうるはしき 様に 語り申し給へば
現代の、うるわしき、とは、違う。

いづ方につけても
玉葛が、結婚するしかないか・・・


posted by 天山 at 17:15| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月22日

もののあわれについて634

御気色はけざやかなれど、なほ疑ひはおかる。大臣も「さりや。かく人の推し測る、案に落つる事もあらましかば、いと口惜しくねぢけたらまし。かの大臣に、いかでかく心清き様を、知らせ奉らむ」と思すにぞ、げに宮仕への筋にて、けざやかなるまじく紛れたる覚えを、賢くも思い寄り給ひけるかな、と、むくつけく思さる。




その様子に、後ろめたいところはないが、それでも、疑いは、晴れない。大臣も、やはりだな。こう皆が邪推する、その思惑通りになることがあるとしたら、実に癪でもあり、感心しないことだ。内大臣に、何とかして、この身の潔白を知らせたいと、思うと共に、中将の言うとおり、宮仕えということで、はっきりさせず、誤魔化している懸想を、よくも感づいたものだと、気味悪く思うのである。

つまり、源氏の玉葛に対する、恋心に感づいたということに対する、思いである。
自分の恋を、目立たせないように、誤魔化すというのである。

しかし、何とも、まあ、平和なことである。
この物語には、戦のことは、一切書かれないのである。
平安期は、戦がなかった、平和な時代である。
そして、平和な時代は、文化が、花開く。

江戸時代も、そうである。




かくて御服など脱ぎ給ひて、「月立たばなほ参り給はむ事忌あるべし。十月ばかりに」と思し宣ふを、内にも心もとなく聞し召し、聞え給ふ人々は、誰も誰もいと口惜しくて、この御参りの先に、と、心寄せのよすがよすがに責めわび給へど、吉野の滝をせかせむよりも難き事なれば、「いとわりなし」とおのおの答ふ。中将も、なかなかなる事をうち出でて、いかに思すらむ、と苦しきままに、かけりありきて、いとねんごろに、おほかたの御後見を思ひあつかひたる様にて、追従しありき給ふ。たはやすく、軽らかにうち出でては聞えかかり給はず。めやすくもてしづめ給へり。




こうして、おばあさまの喪服などを、お脱ぎになって、月が替わると、御出立には、障りがあるということになろう。十月頃に、との、お話なので、主上におかせられても、待ち遠しく、思し召し、思いをかけている方々は、どなたもどなたも、残念でたまらず、このお方の、御出立以前に、何とかと、それぞれひいきの女房達に泣きついて、責め立てるが、吉野の滝をせき止めるより、難しいことであり、何とも仕方ありませんと、いずれも返事をする。
中将も、言わなければよかったことを口にして、何と思っているのかと、気にかかってたまらないので、駆けずり回り、こまごまと、何かのお世話を熱心に勤めるふりをして、機嫌をとり歩いている。簡単に軽率に、口を滑らせて、お話などしないで、上手に心を抑えている。




まことの御はらからの君達は、え寄り来ず、宮仕への程の御後見を、と、おのおの心もとなくぞ思ひける。頭の中将、心を尽くしわびし事は、かき絶えにたるを、うちつけなりける御心かな、と、人々はをかしがるに、殿の御使ひにておほしたり。なほもて出でず、忍びやかに御消息なども聞えかはし給ひければ、月の明き夜、桂の陰に隠れてものし給ひけり。見聞き入るべくもあらざりしを、名残なく南の御簾の前にすえ奉る。




実の兄弟の、若様方は、こちらに来られず、出立の時には、お世話しようと、それぞれ、その日を待ちわびている。頭の中将は、心から思い悩み泣きついていたのが、ぱったりとやんでしまったので、あっさりと変わる方だと、女房達は、おかしがっていた。殿様のお使いとして、おいでになった。
今も、表向きではなく、こっそりと、お手紙などのやり取りをしているので、月の明るい夜、桂の木の陰に隠れていらっしゃった。今までは、まるっきり、文も見ないで、話も聞かなかったのが、打って変わって、南の御簾の前に、お通しする。




みづから聞え給はむ事はしも、なほつつましければ、宰相の君して答へ聞え給ふ。中将「なにがしを選びて奉り給へるは、人づてならぬ御消息にこそ侍らめ。かくもの遠くては、いかが聞えさすべからむ。みづからこそ数にも侍らねど、絶えぬたとひも侍るなるは。いかにぞや、古代のことなれど、頼もしくぞ思ひ給へける」とて、ものしと思ひ給へり。玉葛「げに年頃の積もりも取り添へて、聞えまほしけれど、日頃あやしく悩ましく侍れば、起き上がりなどもえし侍らでなむ。かくまでとがめ給ふも、なかなかうとうとしきここちなむし侍りける」と、いとまめだちて聞え出だし給へり。中将「悩ましく思さるらむ御凡帳のもとをば、許させ給ふまじくや。よしよし、げに、聞えさするも心地なかりけり」とて、大臣の御消息ども忍びやかに聞え給ふ、用意など人には劣り給はず、いとめやすし。




頭の中将は、直接お話されることは、今でも気が引けるので、宰相の君を通して、お返事される。
中将は、父が、私を選んで、こちらにお遣わしになったのは、人に頼めないお便りだからでございます。こう離れておりましては、どうして、申し上げられましょう。私は、物の数では、ありませんが、切っても、切れない縁とも申しますが、なんということでしょう。老人くさい言い方ですが、頼みに思っておりました、と、面白くないと、思っている。
玉葛は、お言葉通り、積もる年月のお話も、一緒に、申し上げたいのですが、この頃、気分が優れず、起き上がることも出来ずにいます。これほど、責められますと、かえって、親しめない気持ちがいたします。と、真面目になって、お伝えする。
中将は、ご気分が優れないという、その御凡帳の傍に、入れてくれませんか。いや、いいでしょう。お言葉通り、こんなことを申し上げるのも、気が利かないことでした。と、大臣のお言葉を、声を低めて、お伝えされる態度など、誰にも負けぬ様子。まことに、結構である。

最後は、作者の言葉。

頭の中将も、玉葛に懸想している一人であるが、実の兄妹と分り、分別ある態度を取るのである。

物語の人間関係は、狭くもあるが・・・
登場人物は、数多い。



posted by 天山 at 06:43| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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