2013年08月16日

もののあわれについて624

宮「いかに。いかに、侍りける事にか。かしこには、様々にかかる名のりする人を、いとふ事なく拾ひ集めらるめるに、いかなる心にて、かくひきたがへがこち聞えらるらむ。この年頃承りてなりぬるにや」と、聞え給へば、源氏「さるやう侍る事なり。詳しき様は、かの大臣もおのづから尋ね聞き給うてむ。くだくだしきなほ人のなからひに似たる事に侍れば、明かさむにつけても、らうがはしう人言ひ伝へ侍らむを、中将の朝臣にだに、まだわきまへ知らせ侍らず。人にも漏らせさせ給ふまじ」と、御口かため聞え給ふ。




大宮は、それは、それは一体、どういうことなのですか。内大臣には、あれこれと、こういう申し出をする人を、構わずに集めていられるようです。どういうつもりで、このように間違って申し出たのでしょう。ここ何年間か、ずっと承知していて、このようになったのでしょうか。と、申し上げると、源氏は、それには、それなりの理由があります。詳しいことは、内大臣も自然と、お耳に入るでしょう。ごたごたした身分の無い者の間に、よくある話です。発表したりしても、喧しく、次から次と、噂するでしょう。それで、中将の朝臣にさえ、まだ解らせる話はしていません。どちらにも、漏らさぬようにと、お口留めされる。




内の大殿にも、かく三条の宮に太政大臣渡りおはしまいたる由聞き給ひて、内大臣「いかに寂しげにて、いつかしき御様を待ち受け聞え給ふらむ。御前どももてはやし、御座ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし。中将は御供にこそものせられつらめ」など、驚き給うて、御子どもの君達、睦まじうさるべきまうち君達奉れ給ふ。大臣「御くだもの大御酒など、さりぬべく参らせよ。自らも参るべきを、かへりてもの騒がしきやうならむ」など宣ふ程に、大宮の御文あり。「六条の大臣のとぶらひに渡り給へるを、もの寂しげに侍れば、人目のいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことごとしう、かう聞えたるやうにはあらで、渡り給ひなむや。対面に聞えまほしげなる事もあなり」と、聞え給へり。




内大臣の元でも、このように、三条の宮に太政大臣が、お出かけしたことを、お聞きになり、どんなに人少なくても、威光輝くお方を、お迎えしたことだろう。御前駆たちをねぎらったり、御座所を整える人も、てきぱきとやる者はいないであろう。中将は、御供をされていたことだろう。などと、驚き、お子様の若殿たちで、仲もよく、彼らを大宮のところへ上げられた。
内大臣は、くだものや、御酒など、適当に差し上げるように。私自身も、参上すべきであるが、それでは、かえって、仰々しいことになるだろう、などと、おっしゃるところへ、大宮のお手紙がきた。
大宮は、六条の大臣が、お見舞いにおいでくださりましたが、人少なく感じますので、皆が何と思うかも気になり、勿体なくもあるので、大仰に、このような手紙を差し上げたのではないように、おいで下さいませんか。お会いして、お話されたいこともあるようです。と、申し上げた。

くだもの、とは、木の実、草の実、お菓子類なども言う。




「何事かはあらむ。この姫君の御事、中将の憂えにや」と思しまわすに、「宮もかう御世残りなげにて、この事とせちに宣ひ、大臣も憎からぬ様に、ひとことうち出で恨み給はむに、とかく申し返さふ事、えあらじかし。つれなくて思ひ入れぬを見るには安からず、さるべきついであらば、人の御言になびき顔して許してむ」と思す。「御心をさし合はせて宣はむこと」と思ひ寄り給ふに、「いとどいなび所なからむが、またなどかさしもあらむ」とやすらはるる、いとけしからぬ御あやにく心なりかし。「されども、宮かく宣ひ、大臣も対面すべく待ちおはするにや。方々にかたじけなし。参りてこそは御気色に従はめ」など思ほしなりて、御装束心ことにひきつくろひて、御前なども、ことごとしき様にはあらで、渡り給ふ。




どういうことか。この姫君のことで、夕霧の愁訴だろうか。と、あれこれ考えると、大宮も、このように余命少なく思われるが、このことを熱心におっしゃり、大臣も穏やかに、一言、口に出し、酷いと、おっしゃったら、反対することも出来ない。平気な振りで、姫に熱心ではないのを見ると、胸が収まらない。適当なきっかけがあれば、お言葉に従った顔をして、許すとするか、と、考える。
お二人が、心を合わせて、おっしゃろうとするのだ、と思うと、二の足を踏む。まことに、困った、意地っ張りな、お方である。だが、大宮が、こう言い出し、大臣も会おうと言うとか。どちらに対しても、勿体無いことだ。行った上で、あちらの出方を見ることにしょう。などという気持ちになり、御服装に、特に気を整えて、御前駆なども、大袈裟な感じではなく、お出かけになる。




君達いとあまた引き連れて入り給ふ様、ものものしう頼もしげなり。丈だちそぞろかにものし給ふに、太さもあいて、いと宿徳に、おももち、あゆまひ、大臣といはむに足らひ給へり。葡萄染めの御指貫、桜の下襲、いと長うは裾引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらし、と見え給へるに、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今やう色の御ぞひき重ねて、しどけなきおほぎみ姿、いよいよたとへむものなし。光こそまさり給へ、かうしたたかにひきつくろひ給へる御有様に、なずらひても見え給はざりけり。




お子様たちを大勢、引き連れて、三条の宮にお入りになる様子は、堂々として、頼りになる感じである。背が高く、太り具合も、丁度よく、まことに貫禄もあり、顔付き、歩き振り、大臣というのに、十分である。えび染めの御指貫、桜の下かさねの裾を、とても長くして、ゆっくりと、わざとらしい態度、派手だという感じがするが、六条の殿、源氏は、桜の舶来の綺の御直衣、紅色の下着を何枚も着て、ゆったりとした、王族らしい姿で、いよいよ形容のしようがない。生まれつきの美しさは勝り、このように、きちんと整えておいでの、内大臣の様子には、比較出来ないお姿である。




君達次々に、いともの清よげなる御なからひにて、集ひ給へり。藤大納言、東宮の大夫など今は聞ゆる子どもも、みななり出でつつものし給ふ。おのづから、わざともなきに、覚え高くやむごとなき殿上人、蔵人の頭、五位の蔵人、近衛の中少将、弁官など、人柄華やかにあるべかしき、十余人集ひ給へれば、いかめしう、次々の、ただ人も多くて、かはらけあまたたび流れ、皆酔ひになりて、おのおのかう幸い人にすぐれ給へる御有様を物語にしけり。




ご子息たちは、どれもこれも、まことに綺麗な兄弟で、集まっている。藤大納言や東宮大夫などと、今はそれらの地位になられているお子様たちも、皆それぞれ出世して、御供をされる。自然で、わざわざではないが、評判が高く、身分の高い殿上人の、蔵人の頭や、五位の蔵人、近衛の中少将、弁官などで、人柄が派手で立派なのだが、十余人集まったもので、堂々として、それ以下の普通の者も多く、盃が幾度も座に廻り、皆、酔ってしまい、それぞれが、大宮の幸せが、このように誰よりも優れているという、境遇を話題にしていた。



posted by 天山 at 04:40| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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