漢土の儒学、インドの仏教などの精神文化はもとよりのこと、建築業、農業、文学、詩文、絵画彫刻、歌舞音曲から、医薬医療等の学芸技術にいたるまで、およそありとあらゆる新文明が移入された。
それは皇室によって移入された。皇室は日本における唯一の海外文明綜合のセンターであった。
葦津珍彦 天皇 日本人の精神史
大陸では、新旧異質の文明が流入すると、それが、相対立する社会情勢と結びつき、宗教戦争はじめ、多くの混乱と、闘争の原因となることが、少なくないのである。
その対決闘争が、痛烈な激しさとなり、一民族を絶滅するほどにもなる。
だが、日本では、一切、そのようなことがなかった。
一時期、仏教の受け入れに、部族間対立が生じたが、それは、仏教というより、部族間の対立が強かったのである。
だが、皇室という、唯一の文明綜合センターにより、移入されると、同一の場所、朝廷、皇居に入るゆえに、その移入文化を、日本の土着風土と調整し、修正してゆくという、大きな力が作用した。
それが、天皇、皇室の、祭り主としての、精神的根拠を持つゆえであった。
あらゆる海外の文明の新鮮な影響を受けつつ、独自の土着性を持つということは、天皇、皇室なくしては、成らなかったのである。
更には、海外からの、文化人の移住である。
日本人は、海外の文化人に対して、敬意を持って交わり親しんだ。
それも、天皇の存在ゆえである。
天皇の許し・・・
それが、日本人を、そのようにさせたのである。
そして、彼らは、帰化するほど、日本に愛着を持った。
そして、彼らもまた、日本独自の秩序を破壊することが、なかったのである。
大陸、朝鮮半島では、激しい闘争が続き、興亡の歴史が、繰り返された。
日本のへの、移民は、亡命者も多い。
その現地では、相対立する文化も、日本に入り、何事もなく、共存した。
凄い、包容力である。
飛鳥、奈良、平安・・・
日本の文明は、その独自の風土的土着性を固有しつつ、全東洋の文明を受け入れて、花開くのである。
インドの文明は、間接的に流入したものだが、それでも、受け入れたのである。
それらは、皇室を通して、全国民に広がる。
皇室という、文化センターに一度、集中して、そこから、発進される。
一度、皇室文化として、安定し、発展させ、その本質を固めて、寛容に発進された。
見事な、文化受け入れの体制である。
このように見た場合・・・
韓国が、自国の文化財を返せというのは、実に、おかしなことである。
仏教弾圧に晒されて、仏像の破壊がされた時に、それを守るために、日本に持参してきたのである。
それを、大切に保管し、更に、信仰の対象として、扱うという、寛容さ。
日本に居場所を定められて、安定したのである。
今更、何を言うのかと、思う。
韓国と言う国は、歴史というものを、全く理解せず、また、学ぼうとしないのである。
すべて、幻想の歴史観のみ。
あるいは、願望の歴史観。
ドリームとしての、歴史観である。
馬鹿馬鹿しくて、聞いていられないものばかり。
更には、日本の文化は、すべて韓国からのもの・・・
まあ、世界の中心は、韓国というほどだから・・・
話にならない。
国を愛して何が悪い、というエッセイにて、詳しく書いているが・・・
韓国という国は、日本によって、造られた国である。
自前では、国というものを、造ることが出来なかった、民族である。
いつも、大陸の属国であった。
更に、日本が併合したことにより、ロシアにも、中国にも、取り込まれず、国になったという、経緯を知ることがない。
最も民族の大切な、言語でさえ、日本が復活させたのである。
ハングルである。
漢字ハングル混じりの韓国語は、素晴らしい言語となった。
しかし、漢字を廃止して、ハングルのみとした、愚かさである。
その教育制度、学校建設と、日本は、積極的に、韓国に尽くした。
ところが、それらには、一切触れないのである。
農業改革なども、日本が金を出して、整備した。
それにより、人口も増えて、まともな国として、歩むことが出来るようになったのである。
ところが、それすら忘れている。
日本の天皇を、日王と呼んで平気でいる感覚である。
王とは、属国の際に、大陸から送られる称号である。
天皇・・・
皇帝と同じとの意味で、決して、使用しない。
実に、無礼である。
未だに、属国精神から、抜け出せないでいる。
勿論、今の韓国には、王も、天皇と同じ権威も無い。
大統領制をとっているが、付け焼刃である。
更に、歴代大統領の多くは、国民の金を不正に蓄財するという者、多数。
民族主義を掲げるが、愛国心の何たるかを、知らないのである。
もう一つの、北朝鮮は、独裁国家であり、国民国家の体を成していない。
愚かな、独裁者の、愚国である。