2013年08月09日

神仏は妄想である。430

治癒神イエスの登場に関する研究は、近年もっぱら、後期ユダヤの複雑な政治的状勢と、ヘレニズム末期の特異な宗教的状況の、交錯した地帯の確定に、その照明をあててきた。
山形孝夫

それは、死海文書の発見によって、更に深まる。

ユダヤ教の一派である、エッセネ派に、かなり近いとされる、クムラン教団が、死海西北岸に存在し、死海文書を中心に、洗礼と聖餐を守り、厳格な禁欲生活に徹した、共同体を作っていたことが明らかにされた。

更に、マルコ福音の冒頭に、イエスの先駆者として登場する、バプテスマのヨハネが、それらと関わりがあったことが、想定される。

バプテスマのヨハネには、死海文書の担い手である、クムラン共同体の、禁欲的、終末論的信仰が、色濃く投影されている。

そして重要なことは、ヨハネの活動の舞台が、荒野、ヨルダン川周辺は、クムラン教団の存在した、死海西北岸に接近しているのである。

イエスの出現が、ヨハネによって準備されたと、マルコが書く。

イエスは、ガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受ける。
ヨハネが捕らえられた後、イエスは、ガリラヤを基点に、最初の宣教を開始する。

時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい・・・

悔い改めは、ヨハネの叫んでいたことだ。

後期ユダヤ教から、エッセネ派、そしてクムラン教団、洗礼派のヨハネ、イエスと続くのである。

死海文書の発見から、明確になったのである。

イエスも、終末的考え方を持っていたのか・・・
その後の、弟子たちも、そのようだった。
すぐにでも、世が終わり、イエスが雲に乗って、天からやってくる・・・

さて、山形氏は、イエスとヨハネの関係が、極めて曖昧、不確かであると、提言する。

イエスは、ヨハネ教団に属していたことは、史実として確認されている。
ヨハネの逮捕後に、イエスは、すぐに宣教を開始している。
つまり、イエスは、完全にヨハネ教団から抜けて、独立したのである。

ヨハネは、荒野で行為したが・・・
イエスは、町に出た。

そして、イエスは、貧しい多くの民衆を相手にした。
更に、悪霊に取り付かれた人たち、皮膚病を患う人たち、足の悪い人、罪ある女・・・

マルコは、記す。
医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。

そして、福音書では、イエスの奇跡が山盛りなのである。
ヨハネは、病気治しを一切しない。

ヨハネは、脇役である。
だが、もし・・・
ヨハネをメシアとする人たちがいたら・・・
今頃、ヨハネ・キリストと呼ばれる存在になったかもしれない。

イエスがヨハネ教団にいたのなら、ヨハネはイエスの師匠である。
それが、福音書では、ヨハネに謙譲語を使わせているのである。

これも、作為である。

マルコが書くのは、イエスの周りに集まって来た人たちは、皆、ユダヤ教では、神の懲罰として忌み嫌う人々である。

そこから物語を作るのである。

山形氏は、
このようにみてくると、ヨハネ集団とイエス集団との間のひらきは、もはや決定的である。治癒神イエスの登場には、クムラン教団、およびヨハネ集団と明白に違った、もうひとつの系列がからんでいたということになる。
と、書く。

そこで、ガリラヤの特異性が、問題になる。

その前に、一言余計だが・・・
イエスをキリストとして、創り上げていった過程について、とても、奇跡的だと言える。勿論、多くの宗教の教祖がいるが、キリスト教の世界的な広がりである。

あくまでも、ユダヤ教の中での問題であった。
ところが、ローマ帝国という、白人がイエスの集団に目をつけて、初期のユダヤ人イエス集団を皆殺しにし、白人のイエス・キリストを創り上げたということ。

どうもこの辺が、私は、胡散臭く思えるのだ。
そのカトリック教会の歴史は、おぞましいほどの殺戮の歴史なのである。
キリスト教が、戦争を創ったと思われるほど、戦闘的である。

イスラムとの戦闘、つまり十字軍から始まり、後に、プロテスタントとの、宗教戦争である。

白人に乗っ取られた、イエス・キリスト教団が、世界を席巻するという、驚きである。
そして、その人種差別などなど・・・

現在、イスラムのテロ集団を恐れ、更には、それを敵として対処しているが・・・
その昔は、イスラムのテロ集団よりも、激しいことをしていたのである。
更に、イスラムのテロ集団の問題の大本は、キリスト教である。

種を撒いたのは、キリスト教である。
異教徒、異民族からの、搾取は、甚だしい。

ローマ法王で、唯一、教会の過ちを認め、謝罪の旅をしたのは、ヨハネ・パウロ六世のみである。
ユダヤ教の悪い伝統を受け継ぎ、更なる、悪行を重ねたキリスト教である。
その種が、新約聖書、そして、その前段階の旧約聖書である。

単なる、一つの民族の神話、伝承のお話である。
人間とは・・・
白人とは、愚かな者である。




posted by 天山 at 05:02| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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