2013年08月07日

神仏は妄想である。428

文化史的にみれば、・・・古代イスラエルの預言者たちが、始終一貫、執拗なバァール批判を試みたのは、こうした大地母神崇拝に支えられた農耕文化の基本原理にたいする挑戦であったとみることができる。荒野と砂漠の神である天の父ヤハウェを唯一の神と信じ、いっさいの偶像の拒絶を誓い、その破壊を叫んだ士師や預言者の声は、「聖なる花嫁」を讃美する信仰圏とは、真っ向から対立するものであったのだ。
山形

そして、
カナンの大地母神崇拝を要とする多神教的な信仰体系そのものに対する挑戦であった。そこには砂漠の神の宗教と沃地の神の宗教との激しい対立と葛藤が、期せずして如実にうつしだされている。
山形

つまり、唯一の神というのは、イスラエルの神を言う。
イスラエルにとっては、唯一の神である。が、他民族にとっては、それも、一つの神であり、神々の世界が存在していたということである。

ここで、ユダヤ教、キリスト教が言う、唯一の神という概念が、どのようなものか、理解出来るということだ。

イスラエルのみの、唯一の神が、人類の唯一の神ではないということだ。

まして、砂漠という限られた地域に生まれた神が、唯一である訳がない。

であるから、時代は、流れる。
イスラエル王国の建設と、分裂、そして、崩壊によって、旧約聖書の時代は、過ぎ去ったと考えるべきである。

次に来る時代は、美しい女神たちの花婿として、穀物霊の死と再生を演じた男神が、やがて、驚異と不思議の病気治しに活躍する時代がくるのである。

それは、紀元前334年、アレクサンダーの東征以降、ポリス国家に支えられたギリシャの古典的世界の没落から、ローマの覇権が地中海世界に確立する約300年間の、ヘレニズムの時代である。

レバノンが、かつてフェニキアと呼ばれていた時代の、古代都市シドンがある。
その、シドンは、大国の侵略にさらされ続けた。
最初の侵入者は、海からやってきた。
この「海の民」が、何者で、どこから来たのか、解らない。

紀元前12世紀頃、エジプトを含む、東地中海沿岸諸国は、いっせいに、海からの襲撃を受けたという。

「海の民」は、幾つかの部族に分かれていて、その中に、ペリシテと呼ばれる民が含まれていた。
やがて、このペリシテの定着した海岸を、人々は、パレスチナと呼ぶようになる。

ペリシテの襲来、そして定住は、東地中海世界の平和に一大脅威を与えた。
繁栄を誇った、シドンの運命も、衰微する。

そして、シドンは、紀元前7世紀以降、アッシリア、バビロニア、エジプトなどの、圧倒的な大国の支配に服従を余儀なくされる。

更に、マケドニアのアレクサンダーの支配、シリアの支配、そして、紀元前63年、ローマ帝国の属領となり、歴史はヘロデの時代、つまり、新約聖書の時代に入るのである。

新約聖書のシドンは、旧約聖書の語るカナンの長子の栄光を失い、美しい緋の国の港を、明け渡してしまったのである。

さて、そのシドンのエシュムン神殿が発掘されて・・・
時代は、紀元前5世紀、小人像が、シドンの王バアナの子、バァール・シュレムによって、エシュムン神に捧げられたものであることを、碑文が語る。

この神は、病気治しの神・・・

その後の発掘で、神殿玉座の、バス・レリーフから手がかりが与えられた。
エシュムン神の狩猟の場面と、スフィンクスと並んだ女神アシュタロテ像が、浮き彫りにされていたという。
アシュタロテは、すべての神々の母、バァール神の母でもある。

山形氏は、エシュムン神は、ギリシャ人がアドニスと名づけた、古代フェニキアの神の、本当の名前だったのではないか、と言う。

アドニス神とエシュムン神との関連を示唆するこのリレーフは、病気なおしの神の本性について、ひとつの重大な証言を与えている。
山形

病気治しの神が、再生の神に他ならないという結論に行きつく。

山形氏は、そこからギリシャの治癒神について考察しているが・・・
それは、省略する。

何故、ここまで、旧約聖書から話を進めたか・・・
それは、イエスに続く物語のためである。

イエスの生涯を記すという、福音書の世界で、イエスは、多くの奇跡を行う。
そのまま、治癒神である。

その伏線として、古代地中海世界の神々の物語が存在するという、観点である。

イエスもまた、フェニキアのエシュムン神やエピダウロスのアスクレピオスと同様に、古代社会に出現した病気なおしの神様だったのである。
山形

最も古い、マルコの福音書でも、癒しの神の驚異的な病気治しの、活動によって、準備されるのである。

であるから、それは、今までの流れを汲むものであると、考えられる。
歴史は、断絶してあるのではない、連綿とした、流れの中にある。

山形氏は、古代社会におけるキリスト教の最初の勝利は、まさに治癒神イエスの勝利、すなわち、治癒神イエスが、その驚異的な治癒力によって、他の神々を圧倒し、ついに駆逐することに成功した、と言うのである。

ここに、新約聖書の成り立ちを解く鍵がある。
それは、あまりに福音書、そして、他の手紙の類が矛盾しているからである。
矛盾と、嘘に満ち溢れている、新約聖書である。

新約聖書の成り立ちと共に、その嘘八百について、書き続けてゆく。

神仏は妄想である、以前に、それを準備し、そのために作られた文書・・・
それが、聖書である。




posted by 天山 at 05:07| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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