2013年08月11日

神仏は妄想である。432

さて、ここで一端、イエスの詮索を留めて、書くことがある。

ナザレのイエスは、一人の男である。
地の民の男である。

それが、何故、キリスト、救世主とされたのか・・・
あるいは、キリストと称されて・・・
何故か・・・

その初め、ローマの国教とされてからである。
ユダヤ人キリスト派が、全員殺されてから、ローマ教会が建てられる。
ローマ・カトリックである。

その姿を見ると、今では、イエスは、とんでもない、怪物になっている。
磔にされた、十字架を掲げて、ミサを行う。
更に、その教会内部には、多くのイエスの弟子たちが、使徒として、祭られ、更には、聖人とされた人たちが、祭られて・・・

形骸化どころの話ではない。
完全に、ナザレのイエスは、捨て置かれた。

司祭は、そして、その長たち、ローマ法王は、派手派手な衣装により、金の杖を持ち、信者を祝福するという。

イエスが、聞いたら、泡を吹く。

そして、更には、プロテスタントという派閥は、様々な解釈により、驚くべき、教義を掲げる。
その中には、熱心過ぎて、カルトと化している派閥もある。

彼らの、新旧キリスト教は、排他的で、非寛容をモットーとする。
つまり、異教徒は、悪魔からのもの、だと・・・

イスラム国に、布教に出掛けるという、勘違いも甚だしい、キリスト教徒もいる。

更には、キリスト教同士の対立、対決。
彼らは、平和、調和というものを、一切、拒否する。

イスラムの方が、酷い・・・
そんなことは、無い。
キリスト教の排他性は、世界一である。

世界に、戦争というものを、教えたのも、キリスト教である。

つまり、ナザレのイエスは、単なる、飾り物とされたのである。
イエスは、キリストではない。
勝手に、後の人たちが、都合よく、キリストに仕立てたのである。

でなければ、キリスト教は、これほどまで、堕落していないはずだ。

寝る場所も、持たなかった、ナザレのイエスを、キリスト教指導者たちは、受け入れないだろう。
司祭、牧師は、ぬくぬくとしたベッドに寝て、毎日、たらふく食い、隙あれば、セックスもする。

説教は、妄想の極みを行く。
何とでも、言う。

脅し、すかし、罪の許しまでも、行う。
誰の、命令か・・・
罪の許しを与えられるのは、何ゆえか・・・

イエスの神を、旧約聖書の神と同じだと、考えている程の者たちである。

地の民という、最低の民の中から、だからこそ、救われなければならないのだ、と、叫んだ、イエスの姿は、そこに無い。

はっきり言うが、天の国などは、無い。
幻想、妄想の世界である。

信じる者は、死ぬまで、騙され続ける。

騙されても、いいから、信じたい・・・
という、人々を、私は多く見た。
何かを信じていないと、やってられないのである。
不安症などというものではない。
その、あまりに厳しい生活苦の中で・・・

更に、恐ろしいことは、その知性も、理性も、信仰のために、利用される。

神という、妄想の産物のために、一生、知性と理性をかけて、生きた人たち・・・
あまりにも、哀れである。

人間は、我が手の内にあるものしか、解らないのである。
そして、手の内にあるものをこそ、信じられるのである。

神という、妄想は、手に余る。

イエスは、一体、何を言ったのか・・・
それは、いずれ、最新の研究成果から、紹介する。

聖書の言葉は、イエスの言葉ではない。
聖書作家の言葉である。

作家の言葉を、そのまま信じて、信仰だとは、笑わせる。
作家は、嘘つきの初めである。

イエスの名を使い、自分の考え方を、表現したものが、書き物である。
そして、書かれたものがあるということは、書かれなかったものもあるということである。

イエスは、何を言ったのか・・・

ある時代の、ある場所・・・
その狭い世界の中で・・・
全人類に関わるほどのことを、言える訳が無い。

全人類の救いなどというものは、全くの妄想である。
つまり、神仏は妄想である、のだ。



posted by 天山 at 05:51| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月12日

天皇陛下について160

言語は、民族文化を構成する上で、実に大切な要素となる。
日本語も、同じである。

と、共に、伝統文化を構成する要素として、天皇は、国語と同じく、それ以上に、欠く事のできないものである。

つまり、その存在である。

存在がある。
そこに、日本人の伝統的な文明精神、その心理、気質、何を持っても、その核には、天皇という存在がある。

皇室、天皇との関連なしに、日本の文化は、有り得ないのである。
歴史を振り返れば、一目瞭然である。
皇室は、日本の文化センターであった。

天皇が排除すれば、今も残ることのなかったものばかりである。

すべて天皇を源流とする。

天皇は、如何なるお方であるか・・・
それは、神話、伝承なしに、語ることはできない。

そして、神話、伝承があって、天皇の存在意義もまた、明らかになる。

現在の憲法では、天皇は、無力に近いというより、無力である。
しかし、世界列強の、立憲君主国でも、国民に対する、精神的権威は、最も高いのである。何故か。
存在するからである。

存在していたからである。

国王と、天皇は、全く違う存在である。
国王は、戦い勝ち続けての、国王であり、天皇は、国民の支持ゆえに、存在し続けている。

敗戦後、連合国は、日本を占領して、憲法改正を強制した。
実際は、占領地の憲法改正は、国際法違反である。
しかし、帝国議会と、政府が改正したという形にして、憲法改正を行った。

天皇を廃止するという、意見も多くあった。
その頃の、イタリアでは、国民投票で、君主制を廃止させている。

しかし、日本では、どんな手段を使っても、君主制を廃止することはないと、明白だった。

どんな圧力を加えても、一割の支持も得られないことが、解ったのである。

敗戦直後の天皇の支持は、九割以上だった。
天皇制反対の、共産党まで、国民投票は、拙いと思ったほどである。

憲法を天皇なしに立案することは、不可能だと、知ることになる。

更に、憲法の中での、天皇は、最高の地位でなければならないと、いうことだった。

実際、昭和天皇の、全国行幸で、国民から反発を買うと、アメリカ占領軍は見ていたが、それが全くの逆で、全国の国民が、天皇を大歓迎したのである。

まず天皇が存在しなければならない。
そして、その天皇を利用するしかないと、結論づけた。

そこで、天皇の行為として、国事行為のみを掲げた。
国事行為が必要だから、天皇が・・・ではない。
無害と思われる、国事行為を、天皇にさせること・・・

さて、ここで、天皇存在の理由は、抽象論より、歴史的史実を見るべきである。

日本語と、同じように、日本では、天皇が存在する。
その歴史は、2700年である。

長い歴史伝統から、生まれた天皇の存在を、抽象論で、云々するものではない。

天皇が廃止されれば、必ず、別の権威を立てることになるのは、今まで見てきた通りである。

世界史の流れを見て、天皇が、如何に、理想的な存在であるかが、解るというものである。

まず存在するという事実を前提にして、それを深く見極めることである。

もし、共産主義者が、天皇を廃止しても、次に来るのは、天皇より、激しい権威を有する、何かである。
国民のために、祈る存在ではなく、国民を抑圧し、更には、粛清するような恐怖ある権威を、掲げるだろう。

それは、共産主義国を見れば、一目瞭然である。

敵とする、反抗者を虐殺した後に、同じ共産主義者の仲間を、吊るし上げて、虐殺する。

それでは、神武天皇から、一切の武力が無かったのかといえば、武力を有していた。そして、その武力によって、東征を果たした。
それからである、問題は・・・

日本武尊も、武力を持って、戦いの旅を続けた。
だが、それからである、問題は・・・

天皇の歴史は、戦う歴史ではない。
統一し、安寧を求める行為であった。

他国の、討伐は、負けた方の、何もかにも破壊しつくして、更には、皆殺しをする。
旧約聖書、西欧の歴史を見れば、解る。

しかし、神武天皇の東征後の、和平は、その地のすべての部族の神々を皇居にて、お祀りしたのである。

破壊も、皆殺しも無い。
そして、広く民を、家に住まわせたいとの、八紘一宇のお考えを持って。望まれた。

それ以後の、歴代天皇は、基本的に、神武天皇の心のままに、国民を思うことが、第一となった。
いつも、国民の側に立つ存在として、天皇の存在意義がある。
更に、それが日本人の天皇を戴く、智恵であった。

最高の権威が、いつも、国民と共にあるという、安心である。

皇居は、一度たりとも、外敵の侵入を考慮して囲うことがなかったのである。

天皇に、敵は、一人もいなかったからである。


posted by 天山 at 04:56| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月13日

天皇陛下について161

天皇は、「祭り主」としての精神的権威を確保されるとともに、すこぶる積極的に海外の新文明を移入するのに熱意をもたれた。海外との文化交流は、その時代としては大事業であり、それは専ら皇室の事業とされた。
漢土の儒学、インドの仏教などの精神文化はもとよりのこと、建築業、農業、文学、詩文、絵画彫刻、歌舞音曲から、医薬医療等の学芸技術にいたるまで、およそありとあらゆる新文明が移入された。
それは皇室によって移入された。皇室は日本における唯一の海外文明綜合のセンターであった。
葦津珍彦 天皇 日本人の精神史

大陸では、新旧異質の文明が流入すると、それが、相対立する社会情勢と結びつき、宗教戦争はじめ、多くの混乱と、闘争の原因となることが、少なくないのである。

その対決闘争が、痛烈な激しさとなり、一民族を絶滅するほどにもなる。

だが、日本では、一切、そのようなことがなかった。

一時期、仏教の受け入れに、部族間対立が生じたが、それは、仏教というより、部族間の対立が強かったのである。

だが、皇室という、唯一の文明綜合センターにより、移入されると、同一の場所、朝廷、皇居に入るゆえに、その移入文化を、日本の土着風土と調整し、修正してゆくという、大きな力が作用した。

それが、天皇、皇室の、祭り主としての、精神的根拠を持つゆえであった。

あらゆる海外の文明の新鮮な影響を受けつつ、独自の土着性を持つということは、天皇、皇室なくしては、成らなかったのである。

更には、海外からの、文化人の移住である。
日本人は、海外の文化人に対して、敬意を持って交わり親しんだ。
それも、天皇の存在ゆえである。

天皇の許し・・・
それが、日本人を、そのようにさせたのである。

そして、彼らは、帰化するほど、日本に愛着を持った。
そして、彼らもまた、日本独自の秩序を破壊することが、なかったのである。

大陸、朝鮮半島では、激しい闘争が続き、興亡の歴史が、繰り返された。
日本のへの、移民は、亡命者も多い。

その現地では、相対立する文化も、日本に入り、何事もなく、共存した。
凄い、包容力である。

飛鳥、奈良、平安・・・
日本の文明は、その独自の風土的土着性を固有しつつ、全東洋の文明を受け入れて、花開くのである。

インドの文明は、間接的に流入したものだが、それでも、受け入れたのである。

それらは、皇室を通して、全国民に広がる。
皇室という、文化センターに一度、集中して、そこから、発進される。
一度、皇室文化として、安定し、発展させ、その本質を固めて、寛容に発進された。

見事な、文化受け入れの体制である。

このように見た場合・・・
韓国が、自国の文化財を返せというのは、実に、おかしなことである。

仏教弾圧に晒されて、仏像の破壊がされた時に、それを守るために、日本に持参してきたのである。
それを、大切に保管し、更に、信仰の対象として、扱うという、寛容さ。
日本に居場所を定められて、安定したのである。

今更、何を言うのかと、思う。

韓国と言う国は、歴史というものを、全く理解せず、また、学ぼうとしないのである。

すべて、幻想の歴史観のみ。
あるいは、願望の歴史観。
ドリームとしての、歴史観である。

馬鹿馬鹿しくて、聞いていられないものばかり。

更には、日本の文化は、すべて韓国からのもの・・・

まあ、世界の中心は、韓国というほどだから・・・
話にならない。

国を愛して何が悪い、というエッセイにて、詳しく書いているが・・・
韓国という国は、日本によって、造られた国である。

自前では、国というものを、造ることが出来なかった、民族である。
いつも、大陸の属国であった。
更に、日本が併合したことにより、ロシアにも、中国にも、取り込まれず、国になったという、経緯を知ることがない。

最も民族の大切な、言語でさえ、日本が復活させたのである。
ハングルである。
漢字ハングル混じりの韓国語は、素晴らしい言語となった。
しかし、漢字を廃止して、ハングルのみとした、愚かさである。

その教育制度、学校建設と、日本は、積極的に、韓国に尽くした。
ところが、それらには、一切触れないのである。

農業改革なども、日本が金を出して、整備した。
それにより、人口も増えて、まともな国として、歩むことが出来るようになったのである。
ところが、それすら忘れている。

日本の天皇を、日王と呼んで平気でいる感覚である。
王とは、属国の際に、大陸から送られる称号である。

天皇・・・
皇帝と同じとの意味で、決して、使用しない。
実に、無礼である。
未だに、属国精神から、抜け出せないでいる。
勿論、今の韓国には、王も、天皇と同じ権威も無い。

大統領制をとっているが、付け焼刃である。
更に、歴代大統領の多くは、国民の金を不正に蓄財するという者、多数。

民族主義を掲げるが、愛国心の何たるかを、知らないのである。

もう一つの、北朝鮮は、独裁国家であり、国民国家の体を成していない。
愚かな、独裁者の、愚国である。


posted by 天山 at 05:11| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月14日

天皇陛下について162

日本の皇室の思想的伝統には、専制の権威を正当化するような、哲学は発展しなかった。

明治の帝国憲法の、第一条では、
大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す
と、ある。

この場合の、統治とは、治、しらす、という、古語にある、治らす、という意味である。

この時、これを外国語に翻訳する時に、不自由を感じるだろうと、統治という言葉を使ったのである。

治らす、は、知らすと、同じで、知るの敬語である。
知らす、そして、知るのである。

日本の統治という意味は、日本の国民の情をよく知り尽くして、それをまとめ、安らかに、定めて行くという意味になる。

立憲以前も、以後も、天皇の御つとめは、変わらないのである。

立憲君主制という場合は、専制君主制からの、移行がある。
日本が、立憲君主制を取り入れたと、考える人がいるが、天皇の存在は、西欧の言う、立憲君主制とは、意味が違う。

国際的に、理解させるために、その名称を使用したのである。

天皇が、独裁的政治を行ったことは、一度もない。

神武東征の際も、臣僚に相談し、満場一致で、決定されたのである。

更に、その後の、政治も、国民の声を聞くという、方針である。

立憲制では、国民一般の権利と義務が、法的に明らかにされて、あらゆる国家機関の権限が明示された。
それで、天皇が、国情を知り、民心を知り、それを統合して、国を安定させるのに、有効な基準を得たということである。

西欧の立憲君主制とは、その成り立ちが違うのである。

ただそれが、明確になったことは、とても良いことだった。
天皇は、元から、それだったのである。

それで、天皇は、政策の利害是非の判断をなさるより、それ以前の問題、つまり、政策を考える、政論をする人たちに対して、清め高めて、天下の人心をまとめ上げるという、御仕事となる。

つまり、政治を執る者は、天皇に相応しい者たれ、ということである。
更に、政治に関わる人たちも、同じく、天皇に相応しくあれ、ということである。

天皇は、祭主として、日々の生活をされている。
その姿から、発せられる、高貴さ、精神的気風に、相応しくあるのが、政治に関わる人たちの、本分である。

敗戦後の、憲法は、ただ、国および国民統合の象徴、とある。
これでは、天皇の祭主としての、肝心な、思想信条が、抜けているのである。

天皇は、私無し
という、歴代の伝統がある。

それは、天皇は、国民に添うという意味である。

人心が乱れた際に、天皇の、お言葉により、それを収めるという、大切な要素が抜けている。

日本の政治は、祭りの精神が、統治の基底である。

祭りは、政でもある。
その祭主が天皇であるから、すべからく、人々の意見、心情を尋ねて、それを統合されるという、貴い存在である。

世界には無い、天皇の存在であるから、ここが、憲法学者の、腕の見せ所である。
このような、君主が、世界の何処に存在したか・・・

日本の地政学的見地からも、研究すべきである。

島国というだけではない。
その列島の自然・・・
日本民族の、精神の成り立ち。

様々な要素を鑑みても、天皇の存在は、欠くことが出来ないものである。

例えば、推古天皇時代に、蘇我王朝が出来た場合は、権力による。すると、その権力を倒し、新しい王朝を創る者が、現われ、更に、また、それを倒しと、続く。
しかし、そうならなかった。
それが、日本の幸運である。

権力者も、天皇に許されて、臣下として、政治を担当する。
それは、国民が納得する形だった。

朝敵となる場合は、必ず、多くの者たちが、それを撃つ。
こうして、いつも、朝廷に戻る形を取った。

最後の武家政治、徳川幕府が、大政奉還を申し出た。
そして、新しい、日本、近代日本として、歩み出した。
それも、天皇の存在があるからだった。

明治維新も、天皇のおわす、京都から始まったのである。
江戸では無い。

鎌倉幕府から始まった、武家政治の終焉が、近代化には必要だった。
武家政治も、天皇の許しによって、成されたのである。

武家の中に、天皇になろうとする者は、一人もいなかった。
当然である。
天皇を亡き者にすれば、国民のすべてを、敵に回すことになるのである。

何故か。
天皇は、国民の側に立つお方だからである。
民の竈を、いつも気にかけておられるお方が、天皇である。

posted by 天山 at 05:21| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月15日

天皇陛下について163

さて、少しばかり、気楽に、天皇についてを、俯瞰する。

現在の憲法では、天皇を象徴としている。元首とは、書かれていない。だが、天皇は、元首である。
それ以外の、何者でもない。

イギリスのエリザベス女王は、王様である。君主国である。
更に、共和国は、大統領である。
では、天皇は、世界で、何と呼ばれるのか・・・

エンペラーである。
そして、現在、天皇は、唯一の、エンペラーになった。

世界には、皇帝と呼ばれる者は、一人も存在していない。
だが、私は、テンノウと、呼ばれていいと思う。

最早、皇帝も存在せず、王よりも、上であるという、世界的認識がある。
外国の方が、そういう意味では、非常に敏感である。

昭和天皇のお姿から、それ以上の言葉がなかったのだろうと、思う。

そして、海外では、象徴という、存在もないのである。

オバマ大統領が、今上天皇にお会いした際に、腰を90度折り、挨拶した。
アメリカでは、それは、やり過ぎだとの批判もあったが・・・

それには、伏線がある。
昭和天皇が、アメリカ、ご訪問の時である。

その様子を当時の議員、中尾栄一氏が、アメリカでの反応を伝えている。

ワシントンではヘリコプターが何機も夜中じゅう警戒に飛んだそうですね。あんなことは初めてだそうですが、照明をつけて針一本落とすのも拾う姿もわかるというのです。それからセキュリティ・サービスも、前と後ろにこうして、たえず、派手な服を着て、ピストルを構える。これが徹底していたというのです。

敗軍の国から訪れた、天皇陛下に対して・・・何故・・・
それは、歴史の重さなのである。

2700年の伝統を有する、天皇という存在は、戦争後は、それに関係なく存在していたのである。

そして、更に、続けると、
エリザベス女王のときと比べていましたが、とても問題ではなかったと言っていました。ともかく、ニューヨークの交通情報で、それを知らせる。
ただ今、日本の天皇陛下が、高速道路をお通りになっているので、交通を遮断すると。それを誰も文句を言わないというのです。
普通だったら、三千万ドルもなけなしのニューヨーク市で、護衛のためにだけ使い、そんなことをしたら、クレームがつくというのです。相当新聞投書があるというが、それが全然無いということです。
これには、驚いたと、言っていました。
しかも、アメリカ人が、何千メートルも待たされて、高速道路は、天皇陛下が通るだけで、通れないで、そんなことでも、文句は全然でなかったとは、驚くべきことです。

そして、半年はかかる、日米友情法が、陛下が行かれたため、三日間で、議会を通ったという。
アメリカ人は、陛下が歩いている姿を、歴史が歩いているという実感を受けた、という報告である。

オバマに対する、批判は、当然、在米の中国、韓国人たちであろう。

ここで、余計な理屈は、つけないでおく。

更に、天皇陛下は、歓迎晩餐会で、予定のない発言をされた。
ここで、一言、アメリカの皆様に、お礼を申し上げたい・・・

突然のことで、関係者が焦るが・・・
多くのアメリカの皆様から、食糧の支援を頂いたこと、感謝申し上げます。

敗戦後の、食糧支援のお礼である。
そのお言葉が、一気に、アメリカ人の心を打った。

そして、一気に、天皇陛下に対する、好印象が広がったのである。

オバマは、それを知る。

日本の皇室を、共産圏でさえ、歓迎するのである。

世界に、キング、王様は存在するが・・・
天皇、エンペラーは、存在しない。
それを有する国、日本である。

さて、天皇陛下、皇室には、苗字が無い。
昭和天皇は、裕仁、ひろひと、である。
何々の宮―――と、呼ばれるが、天皇になると、宮が取られる。

そして、戸籍が無いのである。
皇族も、同じく戸籍が無い。
その代わり、皇統譜という、特別仕様の戸籍をもたれる。

戸籍登録が無いゆえに、行政サービスも無い。

その生活は、国民の知られるところではないが・・・
多くのことについて、広く天皇の日常が、知られている。

兎に角、秒刻みのスケジュールである。
普通の、一般の人であれば、狂うと、私は言う。

天皇の国事行為を挙げてみる。
憲法改正、法律改正、政令及び条約の公布、国会の召集、衆議院解散、国会議員総選挙施行の公示、国務大臣の任免、全権委任・信任状の認証、恩赦、復権等の承認、栄典授与、批准書、外交文書の認証、外国大公使の接受、儀式を行なう・・・

各項目に関する事項が閣議決定されると、上奏箱に入れられて、天皇の元に届く。
これらが、年間、千数百件である。

他に、宮内庁書類がある。
一日、10件前後の書類に目を通すことになる。

そしも、儀式は、新年祝賀の儀、親任式、信任状捧呈式、勲章親授式、認証官任命式、文化勲章伝達式・・・
公的な行事として、新年の一般参賀、歌会始、春秋の園遊会、春の植樹祭・・・

その他、拝謁、会食、茶会、ご会釈、行幸である。
この、行幸が、最も大切であり、大変である。

例えば、被災地ご訪問・・・
国民と、会うことを、特に望まれる天皇である。

更に、宮中儀式、祭祀は、年間、24回である。
一ヶ月に二回の割合である。

その中での、個人的生活である。
食事、休憩、お風呂・・・

とても、とても、真似など出来ない、御生活である。


posted by 天山 at 05:55| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月16日

もののあわれについて624

宮「いかに。いかに、侍りける事にか。かしこには、様々にかかる名のりする人を、いとふ事なく拾ひ集めらるめるに、いかなる心にて、かくひきたがへがこち聞えらるらむ。この年頃承りてなりぬるにや」と、聞え給へば、源氏「さるやう侍る事なり。詳しき様は、かの大臣もおのづから尋ね聞き給うてむ。くだくだしきなほ人のなからひに似たる事に侍れば、明かさむにつけても、らうがはしう人言ひ伝へ侍らむを、中将の朝臣にだに、まだわきまへ知らせ侍らず。人にも漏らせさせ給ふまじ」と、御口かため聞え給ふ。




大宮は、それは、それは一体、どういうことなのですか。内大臣には、あれこれと、こういう申し出をする人を、構わずに集めていられるようです。どういうつもりで、このように間違って申し出たのでしょう。ここ何年間か、ずっと承知していて、このようになったのでしょうか。と、申し上げると、源氏は、それには、それなりの理由があります。詳しいことは、内大臣も自然と、お耳に入るでしょう。ごたごたした身分の無い者の間に、よくある話です。発表したりしても、喧しく、次から次と、噂するでしょう。それで、中将の朝臣にさえ、まだ解らせる話はしていません。どちらにも、漏らさぬようにと、お口留めされる。




内の大殿にも、かく三条の宮に太政大臣渡りおはしまいたる由聞き給ひて、内大臣「いかに寂しげにて、いつかしき御様を待ち受け聞え給ふらむ。御前どももてはやし、御座ひきつくろふ人も、はかばかしうあらじかし。中将は御供にこそものせられつらめ」など、驚き給うて、御子どもの君達、睦まじうさるべきまうち君達奉れ給ふ。大臣「御くだもの大御酒など、さりぬべく参らせよ。自らも参るべきを、かへりてもの騒がしきやうならむ」など宣ふ程に、大宮の御文あり。「六条の大臣のとぶらひに渡り給へるを、もの寂しげに侍れば、人目のいとほしうも、かたじけなうもあるを、ことごとしう、かう聞えたるやうにはあらで、渡り給ひなむや。対面に聞えまほしげなる事もあなり」と、聞え給へり。




内大臣の元でも、このように、三条の宮に太政大臣が、お出かけしたことを、お聞きになり、どんなに人少なくても、威光輝くお方を、お迎えしたことだろう。御前駆たちをねぎらったり、御座所を整える人も、てきぱきとやる者はいないであろう。中将は、御供をされていたことだろう。などと、驚き、お子様の若殿たちで、仲もよく、彼らを大宮のところへ上げられた。
内大臣は、くだものや、御酒など、適当に差し上げるように。私自身も、参上すべきであるが、それでは、かえって、仰々しいことになるだろう、などと、おっしゃるところへ、大宮のお手紙がきた。
大宮は、六条の大臣が、お見舞いにおいでくださりましたが、人少なく感じますので、皆が何と思うかも気になり、勿体なくもあるので、大仰に、このような手紙を差し上げたのではないように、おいで下さいませんか。お会いして、お話されたいこともあるようです。と、申し上げた。

くだもの、とは、木の実、草の実、お菓子類なども言う。




「何事かはあらむ。この姫君の御事、中将の憂えにや」と思しまわすに、「宮もかう御世残りなげにて、この事とせちに宣ひ、大臣も憎からぬ様に、ひとことうち出で恨み給はむに、とかく申し返さふ事、えあらじかし。つれなくて思ひ入れぬを見るには安からず、さるべきついであらば、人の御言になびき顔して許してむ」と思す。「御心をさし合はせて宣はむこと」と思ひ寄り給ふに、「いとどいなび所なからむが、またなどかさしもあらむ」とやすらはるる、いとけしからぬ御あやにく心なりかし。「されども、宮かく宣ひ、大臣も対面すべく待ちおはするにや。方々にかたじけなし。参りてこそは御気色に従はめ」など思ほしなりて、御装束心ことにひきつくろひて、御前なども、ことごとしき様にはあらで、渡り給ふ。




どういうことか。この姫君のことで、夕霧の愁訴だろうか。と、あれこれ考えると、大宮も、このように余命少なく思われるが、このことを熱心におっしゃり、大臣も穏やかに、一言、口に出し、酷いと、おっしゃったら、反対することも出来ない。平気な振りで、姫に熱心ではないのを見ると、胸が収まらない。適当なきっかけがあれば、お言葉に従った顔をして、許すとするか、と、考える。
お二人が、心を合わせて、おっしゃろうとするのだ、と思うと、二の足を踏む。まことに、困った、意地っ張りな、お方である。だが、大宮が、こう言い出し、大臣も会おうと言うとか。どちらに対しても、勿体無いことだ。行った上で、あちらの出方を見ることにしょう。などという気持ちになり、御服装に、特に気を整えて、御前駆なども、大袈裟な感じではなく、お出かけになる。




君達いとあまた引き連れて入り給ふ様、ものものしう頼もしげなり。丈だちそぞろかにものし給ふに、太さもあいて、いと宿徳に、おももち、あゆまひ、大臣といはむに足らひ給へり。葡萄染めの御指貫、桜の下襲、いと長うは裾引きて、ゆるゆるとことさらびたる御もてなし、あなきらきらし、と見え給へるに、六条殿は、桜の唐の綺の御直衣、今やう色の御ぞひき重ねて、しどけなきおほぎみ姿、いよいよたとへむものなし。光こそまさり給へ、かうしたたかにひきつくろひ給へる御有様に、なずらひても見え給はざりけり。




お子様たちを大勢、引き連れて、三条の宮にお入りになる様子は、堂々として、頼りになる感じである。背が高く、太り具合も、丁度よく、まことに貫禄もあり、顔付き、歩き振り、大臣というのに、十分である。えび染めの御指貫、桜の下かさねの裾を、とても長くして、ゆっくりと、わざとらしい態度、派手だという感じがするが、六条の殿、源氏は、桜の舶来の綺の御直衣、紅色の下着を何枚も着て、ゆったりとした、王族らしい姿で、いよいよ形容のしようがない。生まれつきの美しさは勝り、このように、きちんと整えておいでの、内大臣の様子には、比較出来ないお姿である。




君達次々に、いともの清よげなる御なからひにて、集ひ給へり。藤大納言、東宮の大夫など今は聞ゆる子どもも、みななり出でつつものし給ふ。おのづから、わざともなきに、覚え高くやむごとなき殿上人、蔵人の頭、五位の蔵人、近衛の中少将、弁官など、人柄華やかにあるべかしき、十余人集ひ給へれば、いかめしう、次々の、ただ人も多くて、かはらけあまたたび流れ、皆酔ひになりて、おのおのかう幸い人にすぐれ給へる御有様を物語にしけり。




ご子息たちは、どれもこれも、まことに綺麗な兄弟で、集まっている。藤大納言や東宮大夫などと、今はそれらの地位になられているお子様たちも、皆それぞれ出世して、御供をされる。自然で、わざわざではないが、評判が高く、身分の高い殿上人の、蔵人の頭や、五位の蔵人、近衛の中少将、弁官などで、人柄が派手で立派なのだが、十余人集まったもので、堂々として、それ以下の普通の者も多く、盃が幾度も座に廻り、皆、酔ってしまい、それぞれが、大宮の幸せが、このように誰よりも優れているという、境遇を話題にしていた。

posted by 天山 at 04:40| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月17日

もののあわれについて625

大臣も、珍しき御対面に、昔の事思し出でられて、よそよそにてこそ、はかなき事につけて、いどましき御心も添ふべかめれ、さし向かひ聞え給ひては、かたみにいとあはれなる事の数々思し出でつつ、例の、隔てなく、昔今の事ども、年頃の御物語に、日暮れ行く。御土器など勧め参り給ふ。内大臣「侍はでは悪しかりぬべかりけるを、召しなきにはばかりて、承り過ぐしてましかば、御勘事や添はまし」と申し給ふに、源氏「勘当はこなたざまになむ。勘事と思ふ事多く侍る」など、気色ばみ給ふに、この事にや、と思せば、わづらはしうて、かしこまりたる様にて、ものし給ふ。




大臣も、久しぶりの出会いに、昔のことが、自然に思い出されて、離れていればこそ、なんでもないことにでも、競争心も、つい起こるのだと、面と向ってお話しする。互いに、胸に迫ることが、あれこれと、思い出されて、いつもの通り、心に隔てなく、昔や今の話を、次々に、長年の話をしていると、日が暮れてゆく。
盃を勧める。内大臣は、お伺いしなくては、いけないことでしたのに、お呼びがないので、遠慮していました。お越しを知りながら、出て参らずじまいになれば、お叱りが増えることだったでしょう。と、申し上げると、源氏は、お叱りを受けるのは、こちらの方です。お怒りではないかと思うことが、多々あります、などと、おっしゃりかけると、この姫のことかと、思うので、面倒なことになったと、恐縮した振りをする。

かたみにいとあはれなる
かたみに いとあはれ なる
どのように、訳してもいいのである。

つまり、本文の情景を深める言葉である。
形容詞のような扱い・・・

互いに深く感ずることろありて・・・など。




源氏「昔より、公私の事につけて、心の隔てなく、大小の事聞え承り、羽を並ぶやうにて、おほやけの御後見をも仕うまつる、となむ思う給へしを、末の世となりて、そのかみ思う給へし本意なきやうなる事、うち交り侍れど、内々の私事にこそは。おほかたの志は、さらに移ろふ事なくなむ。何ともなくて、積もり侍る年よはひに添へて、いにしへの事なむ恋ひしかりけるを、対面賜はる事もいと稀にのみ侍れば、こと限りありて、世だけき御ふるまひとは思う給へながら、親しき程には、その御勢ひをも、引きしじめ給ひてこそは、とぶらひものし給はめ、となむ、恨めしき折々侍る」と、聞え給へば、大臣「いにしへはげに面なれて、あやしくたいだいしくまで慣れ侍ひ、心に隔つる事なく御覧ぜられしを、おほやけに仕うまつりし際は、羽を並べたる数にも思ひ侍らで、嬉しき御かへりみをこそ、はかばかしからぬ身にて、かかる位に及び侍りて、おほやけに仕うまつり侍る事に添へても、思う給へ知らぬには侍らぬを、よはひの積もりには、げにおのづからうちゆるぶ事のみなむ、多く侍りける」など、かしこまり申し給ふ。




源氏は、昔から、朝廷の公務、また私生活の事につけて、思うことは、何でも、事の大小関わらず、お話をしたり、伺ったりして、あなたと、肩を並べたようで、朝廷の補佐もしたいと思ったが、年月が経ってしまい、当時考えていた、あの気持ちと違うようなことが、時々ありましたが、それは、ほんの内輪のこと。それ以外の気持ちは、全然、昔と変わらないのです。別に、何と言うことも無く、年を取ってゆくにつれて、昔の事が、懐かしく思われます。お会いすることが、ほとんど無くなってゆくばかりです。身分が身分ゆえに、目覚しいご活躍とは、知りながら、親しい間柄では、その御威勢も抑えてくださり、お訪ねくださればよいのにと、恨めしく思うことも、何度かありました。と、おっしゃると、内大臣は、昔は、仰せの通り、しげしげとお会いして、何とも失礼なほどご一緒し、隠し立てもせずに、お世話になりました。朝廷にお仕えした当初は、肩を並べる一人などは、思いもよりませんでした。ありがたい、お引き立てを、力の無い私が、こんな地位にまで昇りまして、朝廷にお仕え出来ること、ありがたいと思いますが、年を取り、仰せの通り、ついつい、途絶えがちのことばかりが、多くありました。などと、お詫びを申し上げる。

何とも、大変な会話である。
当時の言葉遣いは、難しい。




あやしく たいだいしく・・・
しげしげとお会いして・・・
慣れ侍ひ・・・
失礼と思うほどに、会う・・・




そのついでに、ほのめかし出で給ひてけり。大臣「いとあはれに、めづらかなる事にも侍るかな」と、まづうち泣き給ひて、大臣「そのかみより、いかになりにけむ、と尋ね思う給へし様は、何のついでにか侍りけむ、憂へに耐へず、漏らし聞し召させしここちなむし侍る。今かく少しひとかずにもなり侍るにつけて、はかばかしからぬ者ども、方々につけてさまよひ侍るを、かたくなしく見苦し、と見侍るにつけても、またさるさまにて、数々に連ねては、あはれに思う給へらるる折りに添へても、まづなむ思ひ給へ出でらるる」と宣ふついでに、かのいにしへの雨夜の物語に、色々なりし御むつごとの定めを思し出でて、泣きみ笑ひみ、皆うち乱れ給ひぬ。夜いたう更けて、おのおのあかれ給ふ。源氏「かく参り来あひては、さらに、久しくなりぬる世の古事、思う給へ出でられ、恋ひしき事の忍び難きに、立ち出でむここちもし侍らず」とて、をさをさ心弱くおはしまさぬ六条殿も、酔ひ泣きにや、うちしほたれ給ふ。宮、はたまいて、姫君の御事を思し出づるに、ありしにまさる御有様勢ひを見奉り給ふに、あかず悲しくてとどめ難く、しほしほと泣き給ふ。あまごろもは、げに心ことなりけり。




引き続けて、少しばかり、玉葛のことをおっしゃる。内大臣は、胸痛く、またとない話を伺いました、と、探しあぐねていましたことは、何のきっかけでございますか。悲しさに我慢しきれず、つい申し上げ、お耳に入れましたような気がします。今は、このように少しは、一人前らしくなりましたにつけて、つまらない子供たちが、誰彼の縁故を辿り、名乗り出ますが、馬鹿な、見苦しいと思いますにつけても、それはそれとして、あのように、大勢を並べてみると、可哀想にと思います。玉葛が、一番に胸に浮かびますと、おっしゃるのをきっかけに、あの昔の雨夜の品定めの話の時に、あれこれとあった、打ち明け話の結論を思い出し、泣いたり笑ったり、お二人とも、崩れてしまった。夜が更けて、お二人共に、お別れになる。
源氏は、このように、互いに足を運び、一緒になり、全く古くなった昔の出来事が、つい胸に浮かび、懐かしい気持ちが抑えきれず、出て行く気もしませんと、おっしゃり、一向に、気弱ではない六条の殿も、酔い泣きなのか、涙を流す。
大宮は、ましてそれ以上に、姫君、葵上のことを思い出し、あの当時より、立派な様子、威勢を拝すると、いつまでも悲しくて、涙を止められず、しおしおと泣くのである。尼衣の身ゆえに、本当に特別なのである。

書写する私も、昔の事を思い出す。
あの頃・・・

兎に角、長い物語である。


posted by 天山 at 05:10| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月18日

もののあわれについて626

かかるついでなれど、中将の御事をば、うち出で給はずなりぬ。ひとふし用意なし、と思しおきてければ、口入れむ事も、人わるく思しとどめ、かの大臣はた、人の御気色なきに、さし過ぐし難くて、さすがにむすぼれたるここちし給うけり。大臣「今宵も御供に侍ふべきを、うちつけに騒がしくもやとてなむ、今日のかしこまりは、ことさらになむ参り侍る」と、申し給へば、源氏「さらば、この御悩みもよろしう見え給ふを、必ず聞えし日たがへさせ給はず、渡り給ふべき」由聞え契り給ふ。御気色どもようて、おのおの出で給ふ響き、いといかめし。君達の御供の人々、「何事ありつるならむ。珍しき御対面に、いと御気色よげなりつるは、またいかなる御譲りあるべきにか」など、ひが心をえつつ、かかる筋とは思ひ寄らざりけり。




こういう機会だが、中将の御事は、口に出さずじまいに終わった。一ヶ所、不用意であると、判断されたので、口出しすることも、外聞が悪いと、思いとどまり、あちらの大臣もまた、お言葉もないのに、出過ぎることも出来ず、言わないだけに、打ち解けぬ気持ちである。内大臣は、今夜も、御供いたすべきですが、急なことで、お騒がせしてはと、思います。今日のお礼は、日を改めまして、お伺いいたします。と申し上げると、源氏は、それでは、大宮のご病気も悪くない様子ですから、必ず申し上げた日を、忘れずに、お出でくださるように、との、約束をなさる。
お二人のご機嫌うるわしい、それぞれのお立ち居でされる、ざわめき、まことに堂々たるものである。子息の方々のお供をして来た連中も、どういうことがあったのかと。久しぶりの御出会いに、たいそう機嫌よく見えたのは、今度は、どんなお譲りがあるのだろう、などと、勘違いして、そのようなこととは、思いもかけないのである。

人々は、何か役職に関することと、思うが、実は、夕霧のことである。
昔、内大臣が、夕霧の申し出を、撥ね付けたことである。




大臣、うちつけに、いといぶかしう、心もとなう覚え給へど、「ふとしか受け取り親がらむも、便なからむ。尋ね得給へらむ初めを思ふに、定めて心清う見離ち給はじ。やむごとなき方々をはばかりて、うけばりてその際にはもてなさず、さすがにわづらはしう、ものの聞えを思ひて、かく明かし給ふなめり」と思すは、口惜しけれど、「それをきずとすべき事かは。ことさらにもかの御あたりにふればはせむに、などか覚えの劣らむ。宮仕へざまにおもむき給へらば、女御などの思さむこともあぢきなし」と思せど、「ともかくも思ひ寄り宣はむおきてを、たがふべきことかは」と、よろづに思しけり。




内大臣は、突然のことであり、腑に落ちない、とても不審に思うが、ふっと、引き取って、親しく暮らすのも、具合が悪いだろう。探し出して、手に入れた当初を考えると、確かに、手を触れずにいることはあるまい。立派な婦人方の手前を遠慮し、堂々と、婦人として取り合わず、とあっても、矢張り具合が悪い。世間の評判を思い、このように打ち明けられるのか。と、思うことは、残念であるが、それを疵としなくてはならないことなのか。こちらが、進んで、あちらのお傍に差し上げるとしたところで、どうして、評判が悪くなるだろう。宮中に入れるように、気が進みだと、女御などの思うことも、面白くないと、思う。どちらにせよ、考えて、お口にされる決定に背けることではない。と、何もかもについて、考えるのである。

これは、玉葛のことである。
内大臣の心の内を、書き付けるのである。




かく宣ふは、二月ついたち頃なりけり。十六日彼岸の初めにて、いと良き日なりけり。近うまた良き日なし、と、かうがへ申しけるうちに、よろしうおはしませば、急ぎ立ち給うて、例の渡り給うても、大臣に申しあらはしし様など、いとこまかに、あべき事ども教え聞え給へば、「あはれなる御心は、親と聞えながらもあり難からむを」と思すものから、いとなむ嬉しかりける。かくて後は、中将の君にも、忍びてかかる事の心、宣ひ知らせけり。「あやしの事どもや。むべなりけり」と、思ひ合はする事どもあるに、かのつれなき人の御有様よりも、なほもあらず思ひ出でられて、思ひ寄らざりける事よ、と、しれじれしきここちす。されど、あるまじう、ねぢけたるべき程なりけり、と思ひ返す事こそは、あり難きまめまめしさなめれ。




このお話があったのが、二月上旬である。
十六日は、彼岸の入りで、たいそう、良い日であった。この前後に吉日はないと、陰陽道の占いが出て、大宮も大丈夫な様子で、急いで用意されて、例の通り、玉葛の方に出られて、内大臣に打ち明けた様子など、とても詳しく、心得を色々と教え申すと、玉葛は、親切なお心は、親と申す方でも、まずいないだろうと思うが、実の親との対面は、大変嬉しかった。
この後で、中将、夕霧に君にも、こっそりと、こういう事情であると、説明する。変なことだらけだ、それなら、無理もないと、夕霧も合点のゆくことが、あれこれとあるが、あの冷たい人の様子よりも、玉葛のことが胸に浮かび、気がつかなかったと、自分が馬鹿のような気がする。だが、してはならない、筋違いのことだと、反省することは、そこらには無い、誠実さでしょう。

あはれなる御心は
親切な心である。

あやしの事ども
夕霧が、玉葛が源氏に引き取られたということ。そして、実は、内大臣の子であることを知るのである。

最後は、作者の感想である。

主語がないので、誰の思いなのか・・・
更に、省略である。

当時の人には、理解出来たのであろうが・・・
解説がなければ、理解出来ない。



posted by 天山 at 05:08| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月19日

もののあわれについて627

かくてその日になりて、三条の宮より忍びやかに御使あり。御櫛の箱など、にはかなれど、事どもいと清らにし給うて、御文には、
大宮「聞えむにもいまいましき有様を、今日は忍びこめ侍れど、さるかたにても、長きためしばかりを思し許すべうや、とてなむ。あはれに承り明きらめたる筋を、かけ聞えむも、いかが、御気色に従ひてなむ。


ふたかたに 言ひもて行けば 玉くしげ わが身離れぬ かけごなりけり

と、いと古めかしうわななき給へるを、殿もこなたにおはしまして、事ども御覧じ定むる程なれば、見給うけるを、年に添へて、あやしく老い行くものにこそありけれ。いとからく御手震ひにけり」など、うち返し見給うて、源氏「よくも玉くしげにまつはれたるかな。三十一文字の中に、こと文字は少なく添へたる事の難きなり」と、忍びて笑ひ給ふ。




かくして、その裳着の当日、三条の大宮から、ひっそりとお使いがあった。御櫛の箱など、急のことであるが、色々な用意をされて、まことに綺麗に仕上がっており、お手紙には、お手紙を差し上げるにも、憚られる尼姿ゆえに、今日は、こらえて引き籠っていましたが、それにしても、長生きの前例に、あやかる気になっていただけようかと、思いまして。聞いて知りまして、喜びましたことを、申し上げますのも、どうでしょう。あなたの、お気持ち次第で。


どちらの方から申しましても、私の方からは、切っても切れない、孫ということになります。

と、たいそう古風で、筆先も震えて書いてあるものを、源氏も、こちらに来て、色々お世話をしている最中なので、御覧になり、古風な書きぶりだが、立派なものだ。この筆跡は。昔は上手でいらしたが、年を取るにつれて、奇妙に年寄り臭くなってゆくものだ。とても、痛々しいほど、お手が震えている、などと、しきりに何度も御覧になり、酷いことだ、玉櫛に、まつわれているもの。三十一文字のなかで、玉櫛に縁の無い言葉を少ししか使わないことは、できるものではない。と、くすくすと、笑う。

よくも玉くしげにまつはれるかな
縁語仕立ての歌に対する、源氏の評価である。

つまり、大宮の歌は、源氏の養女としても、内大臣の子にしても、どちらから言っても、孫に当たるのである。




中宮より、白き御裳、唐衣、御装束、御ぐしあげの具など、いと二なくて、例の、壺どもに、唐の薫物、心ことに薫り深くして、奉り給へり。御方々、皆心心に、御装束、人々の料に、櫛、扇まで、とりどりにし出で給へる有様、劣り優らず、様々につけて、かばかりの御心ばせどもに、いどみ尽くし給へれば、をかしう見ゆるを、東の院の人々も、かかる恩いそぎは、聞き給うけれども、とぶらひ聞え給ふべき数ならねば、ただ聞き過ぐしたるに、常陸の宮の御方、あやしうものうるはしう、さるべき事の折り過ぐさぬ、古代の御心にて、「いかでかこの御いそぎをよその事とは聞き過ぐさむ」と思して、形のごとなむ、し出で給うける。あはれなる御志なりかし。青鈍の細長ひとかさね、おちぐりとかや、何とかや、昔の人のめでたうしけるあはせの袴ひとぐ、紫のしらきり見ゆる、あられ地の御小うちぎと、良き衣箱に入れて、包みいとうるはしうて、奉れ給へり。御文には、末摘「知らせ給ふべき数にも侍らねば、つつましけれど、かかる折りは思う給へ忍び難くなむ。これ、いとあやしけれど、人にも賜はせよ」と、おいらかなり。




秋好む中宮からも、白い裳、唐衣、御装束、御髪上げの道具など、またとないほどの出来で、いつもの通り、色々な壺に、中国からの薫物、格別な香りのするのを、差し上げた。
ご婦人方は、皆、それぞれに、お召し物、お付の女房たちが使う物として、櫛、扇にいたるまで、それぞれが、作られた出来栄えは、優劣がつけられず、贈り物のそれぞれについて、あれほどの方々が、必死に競争したもので、結構に見える。が、二条の院の東の方々も、こういう準備のことは、聞いているが、お祝い申し上げる人数には入らないと、そのまま聞き過ごしたのだが、常陸の宮の御方、末摘花は、奇妙にきちんとされて、するべき場合は、しないで済まさないという、昔風の気持ちであり、どうして、この御準備を、他人事として知らない振りが出来ようかと考え、おきまりの通りにされた。
特殊な心がけである。
青鈍色の細長が、一かさね、落ち栗色とか、何とか、昔の人が、結構な物だとしていた、袷の袴を一揃え、紫色が白くなっている。
あられ模様の小うちぎと、結構な衣装箱に入れて、包み方も見事にされ、差し上げた。お手紙には、お見知り願うほどの者では、ございませんので、気が引けますが、このような時は、知らない振りをいたしたくないのです。この品物は、まことにつまらないものですが、女房たちにでも、おやり下さい。と、おおようである。

おいらかなり
穏やかではあるが、偉ぶる態度である。

あはれなる御志なりかし
心掛けとしては、特殊である。珍しい心掛けか・・・




殿御覧じつけて、いとあさましう、例の、と思すに、御顔赤みぬ。源氏「あやしきふる人にこそあれ。かくものづくみしたる人は、引き入り沈み入りたるこそ良けれ。さすがに恥ぢがましや」とて、源氏「返りごとはつかはせ。はしたなく思ひなむ。父親王のいとかなしうし給ひける思ひ出づれば、人におとさむは、いと心苦しきなり」と、聞え給ふ。御小うちぎのたもとに、例の同じ筋の歌ありけり。

末摘
わが身こそ 恨みられけれ 唐衣 君がたもとに なれずと思へば

御手は、昔だにありしを、いとわりなう、しじかみ、えり深う、強う、堅う、書き給へり。大臣、憎きものの、をかしさをばえ念じ給はで、源氏「この歌よみつらむ程こそ。まして今は力なくて、所狭かりけむ」と、いとほしがり給ふ。源氏「いで、その返りごと、騒がしうとも、我せむ」と、宣ひて、源氏「あやしう、人の思ひ寄るまじき御心ばへこそ、あらでもありぬべけれ」と、憎さに書き給うて、

源氏
唐衣 また唐衣 唐衣 かへすがへすも 唐衣なる

とて、源氏「いとまめやかに、かの人のたてて好む筋なれば、ものして侍るなり」とて、見せ奉り給へば、君いとにほひやかに笑ひ給ひて、玉葛「あないとほし。ろうじたるやうにも侍るかな」と、苦しがり給ふ。




源氏は、それを見て、呆れて、またいつも通りだと、思う。顔が赤くなるのである。源氏は、変に、昔かたぎの人なのだ。こんなに内気の人は、引っ込んで、出て来ない方がいい。私まで恥ずかしくなる。と、おっしゃり、返事は、やりなさい。きまり悪く思うでしょうから。父君の常陸の宮が、大変に可愛がっていたことを、思い出すと、人より軽く扱っては、気の毒な人だと、玉葛に、申し上げる。
小うちぎの袂に、いつも通り、同じ趣旨の歌がある。

末摘
私自身を恨みます。あなたのお傍にいることが、出来ない身なのだと・・・

筆跡は、昔もそうだが、まことに酷いもので、縮まり、彫りこんだように、強く、堅く、書いてある。大臣は、憎いとは思うが、おかしさを我慢できないので、この歌を詠んだときは、どうなのやら。昔以上に、今は助ける人がいなくて、気の塞ぐことだろう。と、気の毒がる。
一つ、この返事は、忙しいが、私がしよう。と、おっしゃり、

源氏
変なことです。誰も思うような、お心遣いをされて。そんなことは、されなくても、いいことです。と、憎いように書いて、

源氏
唐衣 そしてまた、唐衣唐衣、いつもいつも、唐衣とおっしゃいますね。

と、お書きになって、大変真面目に、あの人が、特に思い込んで、好むやり方だから、それに従って作りました。と、玉葛に見せると、玉葛は、とても華やかに笑い、また、お気の毒なこと。からかったようですね。と、気の毒がる。
役にも立たないことが、多いことです。

最後は、作者の言葉。


posted by 天山 at 05:27| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月20日

もののあわれについて628

内の大臣は、さしも急がれ給ふまじき御心なれど、珍かに聞き給うし後は、いつしかと御心にかかりたれば、とく参り給へり。儀式など、あべい限りにまた過ぎて、めづらしき様にしなさせ給へり。げにわざと御心とどめ給うけること、と見給うも、かたじけなきものから、やう変はりて思さる。




内大臣は、大して急ぐ気持ちになれない。だが、珍しい話を聞いてからは、早く逢いたいと気になっていたので、早く見たいものだと、お出になられた。儀式は、きまり以上に、結構な様子である。いかにも、特に心を込めたものだと、内大臣は、気付くので、勿体無いと思うものの、風変わりに気もする。




亥の時にて、入れ奉り給ふ。例の御設けをばさるものにて、内のおまし、いと二なくしつらはせ給うて、御さかな参らせ給ふ。大殿油、例のかかる所よりは、少し光見せて、をかしき程にもてなし聞え給へり。いみじうゆかしう思ひ聞え給へど、今宵はいとゆくりかなべければ、引き結び給ふ程、え忍び給はぬ気色なり。あるじの大臣、源氏「今宵は、いにしへざまの事はかけはんべらねば、何のあやめも、わかせ給ふまじくなむ。心知らぬ人目を飾りて、なほ世の常の作法に」と、聞え給ふ。内大臣「げにさらに聞えさせやるべきかた侍らずなむ」とて、御土器参る程に、「限りなきかしこまりをば、世にためしなき事を聞えさせながら、今までかく忍びこめさせ給ひける恨みも、いかが添へ侍らざらむ」と、聞え給ふ。




亥の刻になり、内大臣を御簾中に入れられる。おきまりの、設備はもとより、御簾中の御座席は、またとないほど、立派に整えて、御酒の肴を差し上げる。明かりも、いつもより、少し明るくし、風情あるお持て成しをされる。
是非、お顔を見たく思っているが、今夜では、早過ぎるようだから、腰に裳を結んでいる間、我慢出来ない風情である。主人の大臣、源氏は、今夜は、昔あったことは、口にしませんから、何の仔細もわからないでしょう。事情を知らぬ、傍の見る目を縫って、矢張り、世間の仕方で、と、申し上げる。内大臣は、いかにも、全く申し上げようもございません、と、杯を口にされる。更に、この上もない、お礼の言葉は、世間にまたとない、御厚意と申し上げますが、今日まで隠してしらしたお恨みも、どうして、申し添えずにいられましょう。と、申し上げる。




内大臣
恨らめしや 沖つ玉もを かづくまで 磯隠れける あまの心よ

とて、なほ包みもあへずしほたれ給ふ。姫君は、いとはづかしき御様どものさし集ひ、つつましさに、え聞え給はねば、殿、

源氏
寄るべなみ かかる渚に うち寄せて あまも尋ねぬ もくづとぞ見し

いとわりなき御うちつけごとになむ」と、聞え給へば、内大臣「いとことわりになむ」と、聞えやる方なくて出で給ひぬ。




内大臣
恨めしいことです。裳を着る日まで、隠れていて、私には何も知らせない娘の心が。

と、詠まれて、涙ぐむ。姫君は、素晴らしいお二人が集まり、口もきけず、御返事が申せない。源氏が、

源氏
寄る辺なく、このような所に、身を寄せて、取るにも足りぬ者と思い、探してくださらなかった。

何とも、酷い出し抜けの、お言葉です。と、申し上げると、ごもっともです。と、それ以上は、言わず、退席される。




親王達、次々人々残るなく集ひ給へり。御懸想人もあまた交り給へれば、この大臣、かかく入りおはして程ふるを、いかなる事にか、と、疑ひ給へり。かの殿の君達、中将、弁の君ばかりぞほの知り給へりける。人知れず思ひし事を、からうも、嬉しうも思ひなり給ふ。弁は、「よくぞうち出でざりける」とささめきて、「様異なる大臣の御好みどもなめり。中宮の御類にしたて給はむとや思すらむ」など、おのおの言う由を聞き給へど、源氏「なほしばしは御心づかひし給うて、世にそしりなき様にもてなさせ給へ。何事も心安き程の人こそ、乱りがはしう、ともかくも侍べかめれ。こなたをもそなたをも、様々の人の聞え悩まさむ、良き事には侍るべき」と、申し給へば、内大臣「ただ御もてなしになむ。従ひ侍るべき。かうまで御覧ぜられ、あり難き御はぐくみに隠ろへ侍りけるも、前の世の契りおろかならじ」と、申し給ふ。御贈り物など、さらにも言はず、すべて引き出物、禄ども、品々につけて、例ある事限りあれど、またこと加へ二なくせさせ給へり。大宮の御悩みにことつけ給うしなごりもあれば、ことごとしき御遊びなどはなし。




親王たち、それ以下の人たち、残らず、集まった。玉葛に思いを寄せる人も、その中に大勢いた。内大臣が、このように御簾の中に入り、時間が経つのを、どういう訳かと、疑うのである。
内大臣の若君たちの中では、中将と、弁の君だけが、うすうす知っていた。密かに思いをかけたことを、辛いこととも、うれしいこととも、思うようになっていた。弁は、よくまあ、言い出さなかったことだ、と、小声で言う。普通でない大臣の、お好みなのだ。中宮みたいに仕上げようと思ったのだろうか。などと、めいめい言っているとの話を聞くが、源氏は、矢張り、しばらくは御注意されて、世間から、非難されないように、扱いください。私もあなたも、あれこれの者が、噂して、困らせるとあれば、普通の身分の者よりは、弱ることですから、穏やかに、だんだんと世間が気にしなくなるようにすることが、良いことです。と、おっしゃると、内大臣は、ただただ、あなた様のなされように、従います。こんなにまで、お世話を頂き、またとない御養育に、世の荒波を受けずにいたのも、前世の因縁が特別だったのでしょう、と、おっしゃる。
内大臣への、御贈り物は、言うまでもなく、すべてお土産、お札など、身分に応じて、決まりには限界があるが、それ以上に、物を増やして、またとないほどに、行ったのである。大宮の病気を理由にしたこともあり、盛大な音楽会などは、なかった。

何とも、複雑な、情景である。
それぞれの、思いが主語がないゆえに、こんがらかる。

からうも、嬉しうも思ひなり給ふ
結婚できないことを、からう、兄妹だと知ると、嬉しう、と思うのである。



posted by 天山 at 05:53| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。