2013年07月28日

国を愛して何が悪い77

それでは、ロシアに戻り続ける。

ロシアでは、皇帝の極端な独裁制と、農奴制とは、全く一体であった。

ロシアという国は、一般国民を、奴隷として支配していた、特殊な国なのである。
そこから、スラブ人とは、奴隷の人のことになり、奴隷をスラブ人のような人として、スレイブという言葉が生まれた。

この、余りの非人間的なツァーリズムに反抗し、これを破壊させた、レーニンの共産革命は、起こるべくして起こった、歴史の必然と見る。

レーニンの、ロシア共産党が目指したものは、共産主義という、理念国家の樹立であった。

ロシア帝国は、100に近い民族、言語も80あまり、文字も五種類、宗教は、ロシア正教、イスラム、ユダヤ、仏教などで、他民族国家の見本のような国である。

それを束ねていたのが、ロシア帝国、ロマノフ王朝のツァーリズムである。

ロマノフ王朝が、崩壊し、そのままであれば、各民族は、それぞれ独立を迫って、拡散しただろう。
それを、今まで通りに維持するためには、ツァーリズムに代わる新しい理念が必要だった。

その新理念が、マルクス主義=共産主義だった。

共産主義革命に成功したソ連は、これを国内に留めている間は、よかった。
だが、1919年以降、この革命方式を、世界に輸出し始めた。

ここから、20世紀最大の混乱と、不幸が始まる。

ロシアの東方進出は、ただ東へ進むだけならば、無人の地を行く如くである。
カムチャッカに1706年に到達している。

だが、彼らの目的は、南下政策であった。
不凍港を手に入れることである。

極東で、南下するには、まず中国と交渉しなければならない。

1689年、ロシアは、清国とネルチンクス条約を結び、外興安領を国境と定めることが、出来た。

更に、アヘン戦争で負けた清国の弱みに付け込み、1858年の、アイグン条約で、黒竜江以北の地を、割譲させたのである。

その二年後、清国と北京条約を結び、ウスリー川以東の広大な、沿海州を譲り受けた。
そして、東方支配を意味する、ウラジオストックに、不凍港を建設し、日本進出の夢を叶えたのである。

それは、日本と朝鮮に、大きな脅威となって、表れた。

1791年、ロシアの使節ラックスマンが、根室に来航して、通商を求めてきた。
続いて、1804年、レザノフが、長崎に来て、通商を求めた。

幕府は、交渉に応じず、帰国させる。

その頃から、ロシアは、軍艦を蝦夷地に侵入させ、略奪、暴行を働くようになる。
更に、密かに、1811年、探検、測量をするという、ゴロヴニン事件などを起こすのである。

そのロシアの南下が、日本に及ぼす脅威に対して、林子平、最上徳内、近藤重蔵、伊能忠敬、間宮林蔵などの、志士が多数現れ、北の探検、測量などを行った。

ウラジオストックに港を得たロシアの、次の目標は、満州と朝鮮である。

清国は、アヘン戦争で、イギリスに敗れ、香港を失った。
その失った領土と権威を、東方の朝鮮半島で取り戻すべく、朝鮮を属国化し、勢力を半島に伸ばした。
これは、日本と、対抗することになる。

結果、日清戦争が起こった。

ここれで、解ることは、朝鮮は、属国化されても、手も足も出さなかったということである。
それを、今の韓国、北朝鮮は、どう考えるのか・・・
日本が立ち上がらなければ、今も中国の属国とされていた可能性がある。

日本は、勝利した。
半年ほどで、清国は、あっけなく、日本に降参したのである。

明治28年8月13日、下関で、講和会議が開かれ、下関条約が結ばれた。
その内容は、
清国は朝鮮の自主権を認める
清国は日本に遼東半島、台湾、澎湖等を割譲する
清国は日本に、賠償金二億テール、当時の約36億円を払う
沙市、重慶、蘇州、杭州を開市、開港する
などである。

中でも、日本にとって、遼東半島の割譲は、満州に進出する足掛かりになるものであった。

ところが、条約締結のわずか六日後に、ロシアが日本の大陸進出を恐れ、フランス、ドイツを誘い、遼東半島の領有は、東洋の平和に害があると、強行に、還付を勧告してきた。

当時の日本は、三国の列強に歯向かうほどの力が無い。
涙を飲んで、勧告を受け入れるしかないのである。

これを、三国干渉、という。

だが、直後、清国は、ロシアに、遼東半島を租借させた。
そして、ただちに、旅順に大軍港を建設したのである。

日本人は、初めて、ロシアという国の、偽善、欺瞞、老獪さ、不正義に憤慨した。
故に、日本人の心には、ロシアに対する、敵愾心が芽生えたのである。

清国は、列強によって「眠れる獅子」と恐れられていたが、日清戦争にあえなく敗北し弱体が暴露されるや、清国とは「眠れるブタ」だと揶揄され、軽蔑されるようになった。その頃からシナ大陸は、列強によって次々と租界を開かれ、主要海岸地域はズタズタに分割統治されることになった。
清水馨八郎

この歴史の事実を、現在の中国は、どのように見るのか・・・
その後は、次々と、列強が手を引いてゆくことになるのだ。

シナ大陸での、闘争に手が負えなくなったからである。
自国民同士が、いつ果てるともない、闘争を行うのである。

日本が、中国を植民地支配した・・・
この見方は、いずれ、変更されるであろう。




posted by 天山 at 05:45| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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