2013年07月27日

国を愛して何が悪い76

農民と、農奴は、違う。
農奴とは、農業奴隷である。
日本には、農奴は無いのである。

日本では同時代のヨーロッパ諸国に比べて、公正と自治が高度に機能していた。農民たちは現存の統治システムに対して反抗しなければならないという感情に駆られることが少なかったのである。
大名の改易や幕府の解体を求め、市民による統治を叫ぶ革命的な試みは、その萌芽さえなかった。そしてその理由は、欧米でよく耳にするような、日本人が卑屈な民族だからではなく、また当時自由を求める努力や試みが情け容赦なく弾圧されたからでもなかったのである。
松原久子

そこで、産業革命以前のヨーロッパの、諸民族の農村での満足度は、どのようだったのか。

例えば、ドイツの農民は、日本の農民よりも、遥かに不安定な生活を送っていた。
彼らは、日本と比較にならないほど、お上の横暴のなすがままになっていた。納税額は、一方的にお上から要求され、協議に加えてもらえるなど、想像すら出来なかった。

だから、そこ、マルチン・ルターが、キリスト者の自由を告知した時、彼らの多くは、ルターに希望を託したのである。
宗教革命が、農民たちには、奴隷的状態から開放されると、見たのである。

如何に、当時の、カトリック教会と、支配者、地主たちが、横暴だったかということだ。

しかし、精神の反逆者ルターは、農民の味方にはならなかった。
ルターは、農民たちの、絶望的な状況を知っているからこそ、権力者の側に付いた。

彼は専制力を持つ権力者たちの味方になる方が、無力な農民の側につくよりもはるかに有利であることを知っていた。彼の唱える宗教革命を成功させるためには、世俗の権力と金力が必要だった。だから、ルターは、「強盗のような、殺人者のような農民の群れに対抗する」といったビラを発行した。
その中で彼は、支配者の不正に対して蜂起し、暴動を起こす者たちを断罪し、迫害した。「彼らを閉め出し、絞め殺し、そして刺し殺さなければならない。密かに、あるいは公然と」と書き、それに次のように付記している。「扇動的な人間ほど、有毒で、悪魔的な者はいない」。
松原久子

その一方で、同じく、宗教改革を唱え、農民の側につき、農民と一緒に、命を落とした、トーマス・ミュンツァーは、書いている。
「休まずにどんどんやれ。続けろ、火が燃えているではないか。刀を血で濡らせ。そこにいるあいつらがお前たちを支配しているかぎり、誰もお前たちに神について語ることはできない。なぜならそこにいる彼奴らがお前たちを支配しているからだ。休まず続けるのだ。がんばれ、時がきた、神が先へいく、神に続け」

これで、少しは、救われるが・・・

ルター時代の、農民たちの血なまぐさい暴動は、残酷なやり方で、無慈悲に打倒された。
蜂起した、農民の、およそ、十数万人が殺された。

捕らえられ、縛られた農民たちが、鞭を打たれ、車裂きの刑に処され、首を吊られ、串刺しにされ、首をはねられ、生きたまま火あぶりにされる。
支配者たちは、それをガウンを着て、観覧席から見物するという、極悪趣味である。

この野蛮さ・・・
宗教革命の裏側である。

勿論、日本でも、大飢饉の際には、農民の一団の指導者となり、米蔵の襲撃、略奪を扇動する首謀者かいた。
首謀者の多くは、暴動が鎮圧されてから、捕らえられ、死刑に処せられた。

だが、その中には、その苦悩と死を偲んで、国民的英雄になった者もいる。
更には、劇的な事件ということで、芝居の演目となり、江戸やその他の大都会で、公然と上演された。

日本で、支配者が、ヨーロッパのように、大量虐殺を行えば、そのような行為は、無慈悲の極地であると、非難され、政治的な愚行とされるだろう。

この宗教革命により、どれほどの戦いが起こったか・・・
農民だけではない。
新旧の信徒たちが、殺しあうのである。

さて、日本の農民の発展にとって、画期的だったのは、農耕に使われる土地が、すべて課税されたわけではないということだ。

沿岸地域を開拓したり、沼池を排水したり、山腹を平らにしたりして得た新田には、ある一定期間、八年から十年程度、税金がかからなかったのである。

全国的に導入されて、農民に意欲を与え、新しい土地を開拓させ、そして、農民の物としたのである。

更に、それにより、個人が考えた計画でも、いかんともしがたい場合は、一つの村ではなく、幾つかの村が、共同して、土地開拓の計画を立てた。

日本は、ヨーロッパと違い、農民は、自分たちの村の総合的な案件について、原則として、自主管理をするのが、ルールだった。

ヨーロッパの、農村は、教会の監督下にあり、教会権力の中に置かれたが、日本は、違った。

村人、寺などが、戸籍係りを務め、自分たちに運営が任されていた。
大名の代理人と交渉する際にも、手腕を発揮するという、意欲が期待出来たのである。

更に、驚くべきことは、日本の農民の多くが、読み書きソロバンが出来たということである。
ヨーロッパの農民が、読み書き出来るようになる、遥か以前である。

村には、寺子屋があり、男子も女子も、授業を受けていたのである。
先生は、寺の坊主だったり、神社の神主、年を取った村人たちである。

裕福な農家の人たちも、先生として、村の名望ある、仕事に貢献した。

農奴制の話から、少しズレだが・・・
まだまだ、日本の農民は、凄いのである。

嫁に行く場合のみ、村から移住することが出来たが、旅は自由だった。
そして、その旅が、実に多い。
お伊勢参り・・・

だが、農民たちは、その旅の間に、様々なことを、学ぶという。
それは、漁師たちにも、言えた。

新しい農法を仕入れて、それを書き綴り、村に持ち帰って、情報を共有するという。

強力な管理下におかれ、搾取され続けて、人間と扱われない、ヨーロッパの農奴とは、全くその姿が違う。





posted by 天山 at 05:44| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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