2013年07月24日

性について239

オスはみんな男になる必要はなかった。といえば奇妙に聞えるかもしれない。しかし、世の中には、男になりたくない男や、男になれない男が実際にたくさんいるのである。
大島清

欧米では、同性婚が、広がりを持ってきている。
ニューヨークでは、同性婚のお陰で、経済が活性化して、市長が感謝の言葉を述べているほどだ。

だが、それと、この問題は、別だと、考えたいが・・・

男と女という、対立に飽きた。あるいは、疲れたのか・・・

更に、何度も言うが、ゲイを恐れる男には、潜在的にゲイの要素が多々あるということだ。
あるいは、拒絶する、拒否する・・・
少なからず、潜在性ゲイなのである。

ノーマルな男であれば、全く、それは関心外のことで、差別も何もない。

さて、男になりたくない男とは、「男らしさ」に代表されるような、性別役割を振り当てられるのを、好まない男である。

性同一性障害とも違う。

そういう男は、三歳から、四歳までに形成される、性の自己認識が、不安定、曖昧な男である。

つまり、男性性が、揺らいでいる。

日本には、性の自己認識不安定の人が、およそ、100万人はいる。
そのほとんどが、男である。

それが、表に現れると、ゲイ、女装癖、変性症の男といわれるが・・・

精神分析者たちは、母と子の共生関係という、男の子が、長く異性である、母親に育てられるという点から、自己認識が揺らぐと考える。

更に、産児数が減り、少ない子供を母親が私物化して、生後何年も、共生関係が続くと、それが、病的になり、性の自己認識を狂わせるのである。

母との、密接な共生関係により、男の子には、女性性が、植え付けられるのである。

子は、母親が産む。
当然、人類的に、母親元型という姿がある。

この元型作用は、性が異なるという理由から、男の子にとっては、実に複雑である。

生物的な依存に反発して、母親を離れるか、簡単に同一化するか、その空間で、どちらに行くか、苦しむか・・・

また、永遠に母親に支配されていると、近親相姦的な形相を帯びてくる。

病的母子関係を結ぶ家庭には一定のパターンがある、男性的な性格の母親と気が弱く影がうすく、精神的不在の父親という家庭のパターンである。
大島清

男性性を身に付けるための、見本としての、父親が不在、あるいは、だらしがない。母親が、子供を飲み込んでしまう。

現代は、特に、それが顕著である。

職場で管理化された父親は、母と子の間の、共生関係を断ち切る能力を失う。

昔の家制度にあっては、絶対的父権を所有して、家父長が、母と子の間に立ちはだかり、共生関係に、歯止めをかけた。

男の子は、いつか母親から分離して、性の自己認識の対象を父親に向けなければならないのに、父親の影が薄く、母親が強大だと、作られるべき、男性性に歪みを持つ。

発生初期に、両性具有だった人間は、そのままであれば、元型としての、メスである。それが、精巣決定因子、男性ホルモンの存在によって、オスになるが、巨大脳を持つ男は、胎児期の脳の男性化不足にくわえて、強烈な母子の病的共生により、いちじるしく、性の自己認識が疎外される。

潜在的に、男の性の自覚は、女性性である。
その上に、男性性が乗る。

心理学的な分析は、色々書いたので、省略する。

20世紀後半から、男性問題の時代を予感させた。
つまり、その前は、女性問題の時代だった。

21世紀に入り、益々と、男になりたくない男が増えたのである。

そして、同性婚である。
これは、世界的な広がりを見せるだろう。
そして、それが、自由なことと、考えられる。

更に、妊娠である。
女が一人でも、子供を生める時代が来た。

更に、家庭である。
新しい家庭の成立は、目に見えている。
友人が一緒に暮らす家庭。
子連れ同士が、一緒に暮らす時代。

性的関わりなくても、家庭を持つ時代である。

大昔からの、父、母という、観念が希薄になり・・・
次は、何を持って、家庭と定義するのか・・・

大島清氏の、オスはどうして男になったか、という著書は、何度も同じ繰り返しをして、くどいが、参考になった。

その大島氏の、まとめとして、
男はオスの何倍もの巨大脳を持ったために抱く幻想によって男になったといえる。
である。

まあ、適当に考えておいた方がいい。
完全な男がいなければ、子供が生まれないという、訳ではない。
生物的に、オスならば、メスを妊娠させることが出来る。

後のことは、後の人たちが、考えることである。




posted by 天山 at 05:42| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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