2013年07月19日

もののあわれについて622

「年かへりて二月に」と思す。「女は聞え高く名隠し給ふべき程ならぬも、人の御むすめとて籠りおはする程は、必ずしも氏神の御つとめなどあらはならぬ程なればこそ、年月は紛れ過ぐし給へ、このもし思し寄る事もあらむには、春日の神の御心たがひぬべきも、つひには隠れてやむまじきものから、あぢきなくわざとがましき後の名までうたたあるべし。なほなほしき人の際こそ、今やうとては氏改むる事のたはやすきもあれ」など思しめぐらすに、「親子の御契り絶ゆべきやうなし。同じくはわが心許してを知らせ奉らむ」など思し定めて、この御腰結には、かの大臣をなむ、御消息聞え給うければ、大宮こぞの冬つ方より悩み給ふ事、さらにおこりたり給はねば、かかるにあはせて便なかるべき由聞え給へり。中将の君も夜昼三条にぞ侍ひ給うて、心のひまなくものし給うて、折りあしきを、「いかにせまし」と思す。「世もいと定めなし、宮もうせさせ給はば御服あるべきを、知らず顔にてものし給はむ、罪深き事多からむ。おはする世にこの事あらはしてむ」と思し取りて、三条の宮に御とぶらひがてら渡り給ふ。




年が改まり、二月にと、思っていた。女というものは、評判が高く、名を隠すことのできる年ではなくても、一家の姫君として、家に引っ込んでいる間は、必ずしも氏神参拝など表立ってしないものだから、今まで、はっきりしないで過ごしていたのだが。今、もし思い通りのことが実現するとした時には、春日明神の神慮に背くことだろうし、結局は、隠しおおせるものではないのに、つまらぬことに、企みあってのことのように、後々、評判が立っては、嫌なことだ。平凡な身分の人ならば、現代では、氏を改めることも簡単だが、などと、思案される。親子の縁が、絶えることはない。同じことなら、自分から、進んで内大臣に知らせよう、などと、決心されて、今度の腰紐を結ぶ役目に、内大臣をと、ご依頼の手紙を差し上げたところ、大宮が、去年の冬頃から病気だとのことで、一向に回復しないので、このように都合がつきません、とのご返事だった。
中将の君も、夜昼、三条の宮の方にお詰めになり、他のことを考える余裕もないので、時期が悪いのを、どうしたものか、と考えられる。無常な世の中だ。大宮でも亡くなったら、玉葛も喪に服すべきなのに、知らない顔でいることは、罪深いことが多い。大宮の在世中に、このことを打ち明けてしまうことだ、と決心して、三条の宮に、お見舞いかたがた、お訪ねになった。

氏改むる事
藤原の生まれだが、源氏の養子になり、改めること。




今はまして、忍びかにふるまひ給へど、行幸に劣らずよそほしく、いよいよ光をのみ添へ給ふ御かたちなどの、この世に見えぬここちして、珍しう見奉り給ふには、いとど御ここちの悩ましさも、取り捨てらるるここちして、起きて居給へり。御脇息にかかりて、弱げなれど、物などいとよく聞え給ふ。源氏「けしうはおはしまさざりけるを、なにがしの朝臣の心惑はして、おどろおどろしう嘆き聞えさすめれば、いかにやうにものせさせ給ふにか、となむ、おぼつかながり聞えさせつる。内などにも、ことなるついでなき限りは参らず、おほやけに仕ふる人ともなくて籠り侍れば、よろづうひうひしう、世だけくなりにて侍り。よはひなど、これよりまさる人、腰たへぬまでかがまりありく例、昔も今も侍めれど、あやしくおれおれしき本性に添ふもの憂さになむ侍るべき」など聞え給ふ。




今は、前よりも、お忍びになっても、帝の行幸に負けないほどの威勢で、益々、美しく輝く顔立ちなどは、人の世では、見られない程で、珍しく御覧になる大宮は、気分の悪さも、さっぱりと無くなった気持ちで、起きて座られた。御脇息に寄りかかり、弱々しそうだが、口はよく利けた。
源氏は、そう、お悪くもなかったのに、何某の朝臣があわてて、大袈裟に嘆きますので、どんな具合でいらっしゃるかと、ご心配しました。宮中などへも、特別な場合のほかは、参内いたしません。朝廷に仕える人らしくなく、家におりますので、万事が動き鈍く、鷹揚になってしまいました。年齢など私より上の人で、腰が辛抱できないほど曲がりながらも、動き回るものが、昔も今も、いるようですが、私は、変に愚かな生まれつきの上に、物ぐさにもなりましたのでしょう。と、おっしゃる。




大宮「年の積もりの悩みと思う給へつつ、月ごろになりぬるを、今年となりては、頼み少なきやうに覚え侍れば、今ひとたびかく見奉り聞えさする事もなくてや、と心細く思う給へつるを、今日こそまた少し延びぬるここちし侍れ。今は惜しみとむべき程にも侍らず。さべき人々にも立ちおくれ、世の末に残り止まれる類を、人のうへにて、いと心づきなし、と見侍りしかば、出でたちいそぎをなむ思ひもよほされ侍るに、この中将の、いとあはれにあやしきまで思ひ扱ひ、心をさわがい給ふ、見侍るになむ、さまざまにかけ止められて、今まで長引き侍る」と、ただ泣きに泣きて、御声のわななくも、をこがましけれど、さる事どもなれば、いとあはれなり。




大宮は、長生きし過ぎの病気とは知りつつ、長いことになりますけれど、今年になって、生きられる望みも少ない気がいたしまして、もう一度、このようにお目にかかり、お話申し上げることなしに、終わるのかと、心細く感じていました。今日という今日は、改めて、少し寿命が延びた気がいたします。
もう死にましても、惜しい年でもありません。親しい人々にも、先立たれ、年老いて生き残る人たちを、他人のことでも、何とも嫌なことと、思いましたから、あの世への準備のことが、気になりまして、この中将が、心を込めて、不思議なほど世話をし、心配してくださる。それを見ては、あれこれと、引き留められて、今まで、生き延びているのでございます。と、ただ、泣くばかりで、お声が震えるのも、馬鹿馬鹿しく思うが、言われることは、いずれも、最もなことなので、お気の毒である。

中将とは、夕霧のことである。

さる事どもなれば
夕霧と、雲居雁のことである。

出でたちいそぎをなむ
もう、あの世に参ろうという気持ち。

いとあはれにあやしきまで思ひ扱ひ
大変に、あはれ、あやしきまで、あはれ・・・
ここでは、中将の世話についてを、言うのである。

いとあはれなり
大変に気の毒・・・
大変に、残念・・・
とても、それぞれの場面で、あはれ、が生きる。
これ以上に無いという、感情の思いである。




posted by 天山 at 05:26| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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