2013年07月17日

もののあわれについて620

御幸 みゆき

かく思し至らぬ事なく、「いかでよからむ事は」と思しあつかひ給へど、「この音なしの滝こそ、うたていとほしく、南の上の御おしはかりごとにかなひて、軽々しかるべき御名なれ。かの大臣、何事につけてもきはぎはしう、少しもかたはなる様の事を思し忍ばずなどものし給ふ御心ざまを、さて思ひぐまなく、けざやかなる御もてなしなどのあらむにつけては、をこがましうもや」など、思しかへさふ。




このように、ご注意の至らないところなく、源氏は、何とか良い道があれば、と思案されるが、この人知れぬ恋心は、あの内大臣は、何事をもはっきりさせて、少しでも、中途半端なことは、我慢出来ずにいる気性なので、それならそれでと、何の含みもなく、はっきりした御扱いなどがある日は、笑止の沙汰になるだろう、などと、自省される。

玉葛のことを考えて、世話をする源氏の気持ちである。
姫君として、表向きは、華やかに取り扱うのだが・・・
をこがましうもや
本当は、馬鹿馬鹿しいことなのだ。




その十二月に、大原野の御幸とて、世に残る人なく見騒ぐを、六条院よりも御方々引き出でつつ見給ふ。卯の時に出で給うて、朱雀より五条の大路を西ざまに折れ給ふ。桂川のもとまで物見車ひまなし。御幸といへど必ずかうしもあらぬを、今日は親王達、上達部も、皆心ことに御馬、鞍を整へ、随身馬副のかたち丈だち装束を飾り給うつつ、めづらかにをかし。左右大臣、内大臣、納言よりしもはた、まして残らず仕うまつり給へり。青色のうへの衣、葡萄染の下襲を、殿上人、五位六位まで着たり。雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへえんなり。親王達上達部なども鷹にかかづらひ給へるは、めづらしき狩りの御装どもを設け給ふ。近衛の鷹飼どもはまして世に目なれぬすずり衣乱れ着つつ、気色ことなり。




その年の、師走に、大原野の御幸とあり、一人残らず見物に騒ぐが、六条の院からも、ご婦人方が、続々と、牛車を出して見物される。卯の時、午前五時頃、御出門なさり、朱雀から五条の大路を西の方に折れて、進まれる。桂川のところまで、物見車が、びっしりと並んでいる。御幸といっても、いつもはこれほどではないのだが、今日は、親王たち、上達部も、皆特別気を配って、馬や鞍を整え、随身馬副の容姿、背丈衣装を凝らして、見事で素晴らしい。左右の大臣、内大臣、納言より下となると、これは揃って、お供をされる。青色の衣の着物に、葡萄染めの、下襲、したがさね、を、殿上人や五位六位までも、着ている。雪がほんの少しちらついて、道の空さえ、心も弾むようである。

御幸とは、天皇の行幸である。
何とも、優雅である。

衣装に関しては、現代訳として、記した。




女は詳しくも見知らぬ方の事なれど、ただ珍しうをかしきことに、競ひ出でつつ、その人ともなくかすかなる足弱き事など、輪を押しひしがれ、あはれげなるもあり。浮き橋のもとなどにも、好ましう立ちさまよふ好き車多かり。




女は、詳しく知らない世界のことだが、ひたすら珍しく、面白い見ものと思い、我先に出てきたので、さしたる身分でもないが、粗末な足の弱い車などは、輪を押しつぶされ、気の毒な様になったものもある。船橋の辺りなどにも、優美に、あちこちと、立派な車が多かった。

あはれげなるもの
この場合は、気の毒である。




西の対の姫君も立ち出で給へり。そこばくいどみ尽くし給へる人の御かたち有様を見給ふに、帝の赤色の御衣奉りてうるはしう動きなき御かたはらめになずらひ聞ゆべき人なし。わが父大臣を人知れず目をつけ奉り給へど、きらきらしうもの清げに盛りにはものし給へど、限りありかし。いと人にすぐれたるただ人と見えて、御輿の内より外に目移るべくもあらず。まして、容貌ありや、をかしやなど、若き御達の消えかへり心うつす中少将、何くれの殿上人やうの人は何にもあらず消え渡れるは、さらに類なうおはしますなりけり。源氏の大臣の御顔ざまは異ものとも見え給はぬを、思ひなしの今少しいつかしう、かたじけなくめでたきなり。さはかかる類はおしがたかりけり。




西の対の、姫君、玉葛もお出かけになっていた。多くの、我こそはと、綺麗を尽くしている方々の容貌、態度を御覧になると、帝が赤色の衣を召されて端正に微動だもしない、御横顔に比べる方はいない。自分の父、大臣を人知れず、注意して拝するが、威儀を正して、見た目も綺麗で、男盛りでいらっしゃるが、でも矢張り限度がある。
誠に、誰よりも立派な臣下という感じで、御輿の中より、他には、見ようとしない。まして、器量が良いとか、綺麗だなどと、若い女房たちが死ぬほど慕う、中将少将、なんとかとの殿上人などという人は、問題にならず、目にもつかないのは、全く郡を抜いている。源氏の大臣の御顔立ちは、帝と別物とも見えないほどで、気のせいか、もう少し威厳があって、もったいないほどで、ご立派である。とすると、これほどのお方は、世には稀なのである。





あてなる人は皆もの清げにけはひ異なべい物とのみ、大臣中将などの御にほひに目なれ給へるを、出で消えどものかたはなるにやあらむ、同じ目鼻とも見えず口惜しうぞおされたるや。兵部卿の宮もおはす。右大将の、さばかり重りかに由めくも、今日の装いとなまめきて、やなぐいなど負ひて、仕うまつり給へり。色黒く髭がちに見えて、いと心づきなし。いかでかは女のつくろひたてたる顔の色あひには似たらむ。いとわりなき事を、若き御心地には見おとし給うてけり。大臣の君の思し寄りて宣ふ事を、「いかがあらむ。宮仕へは心にもあらで、見苦しき有様にや」と思ひつつみ給ふを、「なれなれしき筋などをばもて離れて、おほかたに仕うまつり御覧ぜられむは、をかしうもありなむかし」とぞ思ひ寄り給うける。





身分の高い人は、皆綺麗で、感じも違うはずと思うが、玉葛は、大臣、中将父子などの、美しさを見慣れて考えているが、見劣りして、問題にならないせいか、同じ目鼻の人間とも見えず、悔しいほどに圧倒されている。
兵部卿の宮もおいでになっている。右大将の、あれほど重々しく気取っている人も、今日の服装は、まことに艶やかで、ヤタグイなどを背負って供奉している。色が黒く髭が多い感じで、好感が持てない。どうして、女の化粧した顔の色に、男が似るでしょう。大変、無理なことを、お若い方の事とて、軽蔑するのである。
源氏の大臣が、思い立ちになって、おっしゃることを、どうしたものかしら、宮仕えは、思うようにゆかず、見苦しいことではないのか、と躊躇されるが、帝のご寵愛ということを離れて、普通にお仕えして、お目通りするのなら、結構なことだと、そんなことを思うのである。



posted by 天山 at 07:05| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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