2013年07月11日

天皇陛下について156

フランス革命より、一世紀あまり前の、イギリスの清教徒革命。
その革命は、クロムウエルの独裁を生み出し、革命議会は、クロムウエルの独裁を強化し安定せしめるために、彼を国王として、就任することを求める勧告を決議したのである。

この勧告に対して、クロムウエルは、態度を明確に出来なかった。

国王即位を辞退しつつも、はなはだ明確さを欠いたので、この問題は、長期に渡り、結論が出なかった。

この問題は、クロムウエルの矛盾を表に出すことになるのである。つまり、革命により、王制を廃止した。
そして、更に、反革命に対して、最も強力にして有効な体制たるうるものは、新しい王制である。
が、彼が主張してきた共和国思想との間に、矛盾が生ずるのである。

更に、軍隊には、激しい王制反対論があった。

結局、クロムウエルは、王たることを、辞退したのである。

そして、終身独裁官に止まる。
彼が死ぬと、その子が、独裁官になったが、たちまちにして、共和革命政府が倒された。

王政復古の反革命が、勝利したのである。

専制国王を倒した近代民主革命の先駆とみられるイギリスの、清教徒革命で、共和国議会が新しい王を立てる決議をした。だが、クロムウエルの辞退で、実現しなかった。
その代わりに、古い王が復帰して、革命は挫折し、出直した名誉革命では、初めから新しい王を準備して、イギリスは、立憲王制のコースを辿るのである。

何故このようなことになるのか・・・

その一つは、革命の主体である、人民は、チャールズ国王や、ルイ国王に対して、反抗したが、君主制というものに対しては、否定しないということである。

人民の、君主制という、感覚は、根強く生きているのである。

人民大衆の意識を知るためには、その行動を見ることである。
政治思想家などの、著述を参考にしても、解らない。

人民大衆は、ブルボン王朝を否定したが、君主制そのものを否定したのではない。

実際、フランスでは、ナポレオン皇帝を憧れる意識が、その後も長く続き、国民の意識に根強く残ったのである。
それにより、ナポレオン三世が、それを利用して、再び、帝制を立てた。

ナポレオン三世が、実力なき虚栄心の人であっても、実力無きナポレオン三世を再び、皇帝にしたという、人民大衆の心理が問題なのである。

この、第二次ナポレオン帝制が、倒されたのは、ドイツ・ビスマルクの軍隊によるものである。

それは、フランスの大革命から、80余年を過ぎた頃である。

フランスの、ボナパルト的皇帝思想は、ブルボン・オルレアンの王党思想と共に、その後も、長く後を引いて、フランスの国民心理の底流として残るのである。

古い王国の伝統を有する国では、革命が勝利しても、50年から100年で、帝王意識が、消えうせるものではないということである。

日本の敗戦後、天皇制反対、天皇制廃止と掲げた、共産主義者たちがいるが、全く、事の次第を知らない。

天皇の代わりに、レーニンを座らせるという意識だろうが・・・

実に、馬鹿馬鹿しいことであり、馬鹿馬鹿しいお話である。

それでは、そのスターリンを見ると・・・
ロシアの専制的ツアーリズムに対する、反抗革命は実に長い時間を要した。
ロシア帝制は、国際的にも、評判が悪かった。

革命前の宮廷では、様々な陰謀が渦巻いていた。
帝室に対する、不信の念は、あらゆる階級にあった。
しかし、ロシア国民の間に、なお、帝室が、大きな心理的権威を有していたのである。

1917年の二月革命で、ニコライ二世が退位を宣言し、その弟を後継者として、指名した。

革命政府の一部では、皇帝即位を肯定する者もいた。
皇帝の弟ミハイル大公は、新憲法制定の建国会議で、国民多数の容貌があれば、その時に、帝位を継ぐ、と述べた。

当分の間、皇帝の座は、空位となった。

ニコライ二世は、ツアルスコエ・セロ宮殿に幽閉されていた。

革命議会では、死刑廃止法案が可決された。
つまり、フランス革命のように、国王を死刑にするということを、予防するものだった。

だが、その後、三ヵ月後に、革命の政局が急変した。
レーニンを頭首とする、ボルセヴイーキの政権が成立したのである。

翌年には、憲法会議を解散して、独裁体制に入る。
反革命もまた、戦闘意識が高まった。

結果を見る。
レーニンは、皇帝一族を皆殺し、虐殺した。

その際の、死刑執行は、ロシア人ではなく、ユダヤ人を隊長にして、兵士も、外国人である。つまり、ロシア人では、皇帝を虐殺出来ないと、見たからである。

その後のロシアは、史上かつて無い、内戦状態に陥ったのである。

狂気のような、残虐な戦闘というから、凄まじいものである。

この凄まじい内戦状態に対決した革命の指導者レーニンが目指したものは、皇帝以上の独裁的権威と権力である。

レーニンは、終身独裁者となっただけではない。人民の政治的自由というものを、一切圧殺してしまったのである。
クロムウエル、ナポレオンの独裁には、まだ批判する者が、残されていたが、レーニンの場合は、一切の反対者を圧殺した。
私人の家庭内でさえ、自由な批判は危険とされた。

そして、赤色テロの時代は、最も徹底した自由圧殺の時代となるのである。




posted by 天山 at 00:04| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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