2013年07月10日

天皇陛下について155

人は、群れを作り、生き延びてきた。
集団である。
それは、今も変わらない。

そして、更に、変わらぬものは、集団のリーダの存在である。
更に、国家という意識が出来上がってくると、それは、特に必要不可欠となった。

ソ連崩壊後のロシアでは、日本の神道、及び、天皇に代わりえるものは、何かとの議論が起こった。
ロシアにも、それが必要だとの危機感である。

結果は、ロシア正教である。
が、果たして、その役を果たしえるか。
その教主は、贅沢三昧の生活を暴露させられた。

その信仰はあるが、ロシア正教の司祭たちを尊敬するなどには、至らないのである。

さて、近代政治思想史の中で、そのリーダをどのように、選ぶのかというテーマを見ると、より天皇の存在の偉大さに気付くのである。

イギリスの清教徒革命・・・
帝王神権説の国王、チャールズ一世が、断頭台で殺された。

フランス革命では、ブルボン王朝の国王ルイ16世が、同じく、断頭台で、殺された。

ロシア革命では、ロマノフ王朝の皇帝一族が、地下室の中で、惨殺された。

そして、それらの激しい革命の後に、イギリスでは、クロムエルが国王に推挙され、フランスでは、ナポレオンが、世襲皇帝となった。

ロシアでは、スターリンが、帝王的神格者となった。

実に、不思議である。
それを倒したのに、また、新しい形の王を求めている。

あるいは、統治者の神格化を求めるという・・・

近代的な共和革命の思想によって、成した後でも。

君主の世襲を求め、帝王の神格的理想を求めるという、社会心理である。
結局、時代が変わろうと、人間には、そういう習性があるとしか、言いようが無い。

1799年、ナポレオンが軍事クーデターを決行した。
その日、ナポレオンが、皇帝になる第一歩を踏み出したといってもよい。

大革命から、10年を経ていた。
ナポレオンは、フランスの革命議会の命令に従い、イタリアで戦い、エジプトに遠征した。

彼は、革命解放軍の司令官として、武功を立て、パリでもその名声は、時と共に高まった。そして、エジプト遠征からパリに戻り、クーデターを決行したのである。

当時のパリの議会には、大革命以来の政治闘争で鍛えられた議員が、多かった。
ナポレオンは、これらの議員から、暴君、独裁者を倒せと、怒号を浴びせられ、力づくで、議場の外に引きずり出された。

しかし、ナポレオンは、追い出されると、今度は、待機していた兵士たちを率いて、議場に戻り、武力を持って、議会を解散するのである。

議員たちは、ナポレオンを叩き出す勇気はあったが、すでに人民から見放されていたのである。
パリは、たちまちのうちに、軍隊の制圧下に入り、何の抵抗も起こらなかった。

二ヶ月後、人民投票が行われ、ナポレオンの軍事独裁が、圧倒的多数で、承認されたのである。

当時のフランスは、革命の成果である、近代法に基づく、市民の権利および農民が教会と貴族から戦い取った農地所有などを守るため、王党を支援する、諸外国と戦っていた。

しかし、戦況は不利で、危機が迫っていた。
政府は、無為無策で、統一がなく、議会は、ただ演説しているに過ぎないものだった。

そこに、ナポレオンの登場である。
人民が求めるのは、革命による、現実の成果を守り抜くことであった。
であるから、クーデターの英雄を歓迎し、ナポレオンを、第一執政官として承認したのだ。

そして、その後、間もなく、終身執政官となり、次いで、世襲の皇帝となるのである。
人民が求めたことである。

後年、ナポレオンがエルバ島から脱出してフランスに戻った時、兵士や農民に対して、呼びかけた、
余は、人民の投票により、皇帝となった。人民投票の皇帝に忠誠を誓うべきか、圧制のブルボン王に隷属するのか、今こそ決断すべきときだ。

確かに、この皇帝は、旧制度の国王とは、本質的に異なる。しかし、新しい皇帝を生み出したフランス革命の歴史は、君主制と共和制の問題を考える上で、多くの参考になる。

革命が、ルイ16世をギロチンで処刑して以来、フランスの王党と革命派との対決は、妥協を許す余地のない厳しいものとなり、貴族王党は、国外へ亡命して、列強の援助を求めた。

王政復古の努力をするが、ナポレオンは、王党とは、一切の妥協をしなかった。

1801年、ローマ法王との間に、宗教協約を結び、一部妥協したが、その協約でも、革命の結果として譲り受けた農地の所有権に対しては、教会がその返還を要求しないことを条件とした。

王党派の活動は、西欧諸国を巻き込んで、根強く続けられた。列強の軍事干渉と並行して、王党派の地下活動は、ナポレオンの暗殺を計画する。

ナポレオンの政権は、列強の軍事干渉と、王党及び極左翼のテロに対して、その権力を強化しなければならない。

その強化の最終的な形として、現れたのが、世襲皇帝制である。

結局、革命フランスは、ナポレオンを支持した。

旧体制の王とは、貴族と僧の王であり、ナポレオン皇帝は、農民と市民と兵士の皇帝である。

これは、フランス革命にのみ特有の問題ではない。
多くの旧王制の崩壊に至る革命の後・・・

強大に反革命に対決して、新しい革命国家を作るには、権力を極度に集中する必要が起こる。
独裁政権であり、その権力が不動のものとなる安定である。

それが王制、帝制の構想である。

私は、日本の天皇を考えるために、今、この歴史的事実を書いている。




posted by 天山 at 05:23| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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