2013年07月05日

神仏は妄想である。422

モーゼ十戒は、イスラエル民族、十二部族の選択意識の鮮明な表現となる。

山形孝夫氏によると、この十の戒律は、禁止命令ではなく、事実の認定に近いという。

例えば、第一の、
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
ヘブライ語の語法に即して訳すと、
あなたにとって、わたしのほかに神々がないだろう。あるはずがない。
と、いうことになる。

ここでも、確認であるが、神々が存在したということである。
他の神が存在したということが、理解出来るのである。

私以外の神をおがんではいけない。
現実におがんでいる。あるいは、将来、おがむ可能性があるという、前提がある。

十戒精神が、背反行為の衝動の抑圧ではなく、強い選択意志の表現によって裏打ちされていることを、ここで確認しておく必要がある。
山形孝夫

シナイ山の伝承は、このような原理で、モーゼの時代に、すでに確認されていたことを伝えている。
というより、モーゼ以後の時代にはじめて、確認されたが、出エジプト記の作者によって、民族誕生の始原に遡り、基礎づけられたのである。

それは、イスラエルにとってシャロームが、神との契約に基礎づけられない限り、不可能であることを語っている。イスラエル共同体は、祭儀的神聖同盟であり、「ヤハウェ共同体」なのである。
山形

シャロームとは、平和という意味であり、ここでは、平和を保持するために、神との契約が必要であるという意味である。

つまり、イスラエルの共同幻想である。

この契約は、神との平和の契約であると共に、部族間相互の政治的、軍事的同盟を意味していることである。

さて、モーゼに続く、ヨシュアの時代になると、この神が、突然、闘う神となる。

シャロームが、戦闘による勝利の状態と、区別がつかなくなるのである。

ヨシュアによる、カナンの侵入と、十二部族宗教連合の結成である。
紀元前1250年頃である。

それは、本質において、戦う神を頭とするイスラエル解放軍の誕生を意味していた。
山形

ここで、現在のイスラムテロリストのことを、思う。
すでに、紀元前に、このように、宗教連合による、軍事同盟があったという事実である。
今に、始まったことではない。

そこで、作者は、モーゼの跡を継ぐ、ヨシュアに言う。
モーゼに告げたとおり、わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全域を含み、太陽の沈む大海に至るまで、あなたたちの領土となる。
ヨシュア記

神の言葉として、である。
それを、主の言葉として・・・

そして、連合軍は、進撃を開始した。
それは、それは、とても、残虐な攻撃だった。

和睦を求めてきた敵を捕らえて、奴隷とし、抵抗する敵は、容赦なく、虐殺する。

イスラエル部族の本領発揮である。
カナン占領を果たした、ヨシュアが、十二部族をシケムの地に集めて、祭壇を築き、ヤハウェ共同体結成の契約を結ぶ。

そして、主の言葉・・・
イスラエルの神、主はこう言われた。
作者の本領発揮でもある。

あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。しかし、わたしはあなたたちの先祖アブラハムを川向こうから連れ出してカナンの全土を歩かせ、その子孫の増し加えた。彼にイサクを与え、シサクにはヤコブとエサウを与えた。エサウにはセイルの山地を与えたので、彼はそれを得たが、ヤコブとその子たちはエジプトに下って行った。
わたしはモーゼとアロンを遣わし、エジプトに災いをくだしたが、それはわたしが彼らの中にくだしたことである。その後、わたしはあなたたちを導き出した・・・

更に、言う。
わたしは更に、あなたたちが自分で労せずして得た土地、自分で建てたのではない町を与えた。あなたたちはそこに住み、自分で植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑の果実を食べている。・・・

ヨシュアは言う。
「主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え」なさい・・・

ヨシュアは、民と契約を結び、それを律法の書に記した。
シケムの契約である。

才能ある、為政者というものは、必ず、人間を超えた存在を起き、そこで、我が身の権勢を示す。

ローマ帝国も、キリスト教を取り入れて、皇帝の権力を、教会の権威で承認させた。
人間の悲しい、茶番劇である。

イスラエルの神、主の元で、契約を結ぶ・・・
この繰り返しを、人間は、延々と繰り返しているのである。

そこに、イスラムの、アッラーの他に神は無しを、見る。
そして、異教徒は、殺せ・・・

排他的、非寛容である。
このイスラエルの主となった、神、ヤハウェがいかに、その後、キリスト教をもって、戦争を繰り返してきたか・・・
更に、白人主義をもって、人種差別を行ってきたか・・・

紀元前から、こうである。
その後の、西欧の戦争の歴史を見れば、その作られた神の正体が解るというものである。

イスラエルの共同幻想の神は、戦闘の神である。
と、そのように、創作されたのである。

これを神話と言わずして、何と言うか。
現在の世界を理解することは出来ない。

この神を、天地創造の神、世界の神と、時代錯誤する人たち・・・

日本民族が、この十二部族の、一つであるとは、考えられないのである。
日ユ同祖論などとは、すでに有り得ない話になっている。



posted by 天山 at 05:35| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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