2013年07月03日

神仏は妄想である。420

アブラハムの伝承によると、羊のほかに、ラクダを飼っていたが、ぶどう酒を口にせず、牧草地の使用権を認められた、寄留者として、オアシスから、オアシスへと、一族を連れて、遍歴した。

彼がはじめて、取得したエフロンの畑は、一族の墓地であったのみ。

その子、イサクも、ヤコブも、本質的に天幕に住む家畜飼育者である。

ここから、キリスト教の中でも、幕屋の教会なる言葉で、宣教するものもいるが・・・
伝承を、ただ映して、勝手な理想を掲げているようである。

創世記を熟読すれば、それが、理想でもなんでもないことが、解る。
そのようにしか、生きられなかった。
更に、アブラハムの本質的な目的を知らないといえる。

その遍歴の物語を通し、明確に読み取ることが出来るのは、土地取得である。

その主題に添って、書かれている。

創世記の最古の資料の結集は、ソロモン王の紀元前950年頃、統一イスラエルの全盛期である。

イスラエルがパレスチナ全土を占領して、そこに王権を確立した。その時期に、イスラエル民族の起源を伝える、始祖物語が、土地取得の伝承として、編纂されたのである。

それは、遊牧民から農耕民への、歴史的転換という、社会的事実と、対応している。

そして、この物語には、イスラエル民族の二つに引き裂かれた運命が暗示されている。
カインの物語からはじまる、神の呪いの結果、エデンの東に追放された農耕者カインは、砂漠から沃地への脱出をはかるイスラエル民族の元である。

そして、カインの神の呪いである。
それは、伝統的な遊牧文化を否定し、その破壊者となった、農耕文化に対する、断罪である。

そこで、大洪水を聖書作家は、用いた。
だが、生き残った、ノアの血にも、カインの血が流れているのである。

神の呪いは、罪という言葉に象徴される。
アダムと、イブの行為も、罪である。
ここに、キリスト教が創作した、原罪という意識がある。

罪の問題・・・
それを通して、神との、和解の必要性である。
それが、いずれ、神との契約という、問題に結びつく。

神話と、伝承は、象徴性のある、物語である。
そこに、想像を巡らせて、後世の人たちは、妄想逞しく、解釈を行う。
それを、研究というが・・・

地政学という学問がある。
風土という言い方をすると、創世記は、その風土に生きる者たちが、いかに、生きるかというテーマを与えてくれる。

厳しい自然の中で生きること。
そして、部族という意識。
更に、その残忍性である。

アベルの捧げた、遊牧の供え物をよしとした、神を想定し、遊牧文化をよしとする伝承から、農耕への転換・・・

ここで、神とは、部族、民族の共同幻想と判断出来るのである。

さて、創世記が終わると、遍歴の物語ではなくなる。
モーゼによる、エジプト脱出の物語に変化する。

新しい変化である。
それが、一大ドラマから成るのだ。

英雄モーゼの誕生からはじまる。
しかし、モーゼは、英雄だろうか・・・
モーゼこそ、神ではないか・・・

あるいは、神に一番近い、司祭である。
もし、モーゼが、ヤハウェという神を想定しなければ、今頃、モーゼは、神としてユダヤ教に祭られているはずである。

モーゼの誕生から、モーゼのエジプト人の殺害と、ミデアンへの逃亡、そして、モーゼの召命である。
ちなみに、ミデアン人を虐殺している。何の意味があって、虐殺したのか・・・

召命とは、神から選ばれることである。

とても激しい、モーゼの闘争の歴史がはじまる。
それは、殺戮の多い歴史でもある。

エジプトにて寄留していた、イスラエル民族が、エジプトの奴隷として、使役されることになっていった。
アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨゼフ、そして、ゴシェン・・・

そして、遂に、モーゼは、エジプト王に、イスラエル人の解放を要求する。
だが、弾圧がはじまる。
逡巡するモーゼに神が、促す。
王との争い、10の災いをエジプトに起こす。
過越しと、種入れぬパンの祭り。
脱出決行と、葦の海の奇跡。
勝利の讃歌。

物語は、脱出の成功を祝う、勝利の讃歌と、女預言者ミリアムの戦勝の舞で終わる。
主に向って歌え。
主は大いなる威光を現し
馬と乗り手を海に投げ込まれた。

実際、出エジプト記の、史実性には、多くの疑問が残っている。
物語からは、主題を読み取ることしかない。

イスラエルが、彼らの神、ヤハウェによって、エジプトから導き出されたということである。

ここに、モーゼ五書とヨシュア記に至る、旧約の根本的主題がある。

ヤハウェという神と、その民族である。
イスラエル民族は、ヤハウェ共同体ということになる。

そうすることにより、また、そうしなければ、民族がまとまらないのである。

民族がまとまらなければ、生存が危ういのである。

だから、この物語を創作する必要性があった、といえる。



posted by 天山 at 00:05| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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