2013年06月29日

国を愛して何が悪い72

ヨーロッパでは、歴史と共に、ホロコーストが絶えず行われていた。

ホロコーストとは、大量虐殺の意味で使われる。
更に、ジェノサイドという言葉は、ある国民、人種、政治的、文化的集団などの、計画的、組織的な大量虐殺を言う。

ナチスによる、ユダヤ人虐殺も、この中に含まれ、ホロコーストとより広い範囲の概念となっている。

ジェノサイドは、理念に基づく殺人行為である。
動物の世界には無い。
人間の世界のみにあるもの。

ジェノサイドとは、スターリン、毛沢東、ポル・ポトなどが挙げられる。
ウガンダ、ルワンダ、セルビアなども、そのようである。

ナチスのユダヤ人抹殺というのは、異人種に対する、復讐、怨念、憎悪などに基づくものと、共産思想からくる、階級に対する、復讐、怨念、憎悪に基づくものとの、二通りがある。

共産思想の場合は、同じ人種の中でのイデオロギー、理念による粛清なので、平時に進行するので、国民に与える恐怖感は、強く、深刻である。

以前も書いたが、ヨーロッパから発した共産主義思想は、アジア、アフリカ、中南米に及び、共産体制下の国々での犠牲者は、8000万から、一億人と算定されている。

20世紀は、戦争による、犠牲者も多いが、共産革命による死者数の方が、更に多いのである。

さて、ヨーロッパでは、民族移動、戦争のたびに、異民族に対する、妬み、復讐、憎悪が渦巻いた。
これらの民族紛争の上に、宗教戦争が加わり、憎悪の念が益々深くなったのである。

そして、結果は、相手の民族を根絶やしにするという行為に及んだ。
つまり、子供もすべて殺し尽くすのである。

これが、顕著に現れたのは、キリスト教カトリックにおける、中世の異端審判である。
魔女狩りなどの、大量虐殺は、序の口である。

精神の汚染を浄化するためという、教会の権力以外の何物でもない、虐殺の歴史である。

さて、人間は、戦争をする動物だといわれる。
人間は、理念によって、戦争をする宿命を負っているのだろう。

戦争は、人類の歴史では、恒常的なもので、古代から戦争が常態化している。
平和な時期は、その準備期間のようである。

だが、その戦争は、質量共に、ヨーロッパに勝る大陸は無いといえる。

人類の戦争の六割が、狭いヨーロッパに関係しているのである。

十字軍から、百年戦争、バラ戦争、ユグノー戦争、オランダ独立戦争、三十年戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争、ナポレオン戦争、クリミア戦争、普仏戦争、第一次大戦、第二次大戦・・・

その間に、宗教戦争、革命戦争、民族紛争・・・

17,8世紀では、100年間のうちに、四、五年のみしか平和な時期がなかったのである。

ただ、この戦争の歴史が、彼らに多くの戦いの智恵を与えたといえる。
そこで得た異民族侵略戦争が、やがて、16世紀以後の、大航海時代に、世界海洋大侵略として、花開くのである。

近代における、白人の世界侵略制覇は、そのヨーロッパで十分訓練を重ね、準備した蛮行が、世界に向かったものである。

そして、今・・・
その西洋白人主義の誤りが、正され、その思想、思潮が、問われている。

このまま、西洋の物質科学文明が続けば、人類は生きられないだろうという・・・

つまり、西洋文明は、野放図な、野蛮文明なのである。

野放図とはワイルドのことで、それは横柄、ずうずうしいさま、非人間的、傲慢、排他的、喧嘩好きを指している。白人は、この態度を一貫して非白人に採りつづけてきた。これこそ「不正義の文明」である。異民族を兵器で搾取し、奴隷化し植民地にして少しも心に痛みを覚えない。
清水

西洋文明には、寛容という、心情は、見当たらないのである。
そのアングロサクソンの心の底にある、嫉妬心、復讐心、抗争闘争、殺戮、憎悪、恐怖、詭弁、陰謀、不寛容というものを、ある人は、慢性衝突性憎悪症候群、と名づけた。
そして、それは、不治の病なのであると。

そこには、日本人の美徳とされる、義理人情、恩情などの精神的余裕は無い。

もう何年も前に、アジアの時代と言われた。
それは、アジアの時代であり、日本の時代のことである。

日本人の心性を持ってして、新しい時代を生きるに相応しい、人間のあるべき姿を見るというのである。

出来る限り、争いを避けて、和を尊ぶ精神は、推古天皇の頃から、脈々と続いている。そして、推古天皇の頃に明確になったが・・・
それ以前から、有していた心の状態だったのである。

更に、実に民主的な政治を行っていたということだ。

日本に、争いという観念が芽生えたのは、弥生時代からである。
それ以前の、縄文期には、争いが無い。

遺伝子学によると、日本は、人種の坩堝であった。
しかし、和を持って当たるという、縄文期の精神が、脈々と続く。
弥生時代の、渡来系の人たちによって、支配するという、争いの種が現れる。

だが、縄文期の和の心は、引き継がれた。
それは、天皇の政治を見れば、よく解る。

別エッセイ、天皇陛下について、を、参照ください。




posted by 天山 at 06:14| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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