2013年06月10日

ミンダナオ島へ5

支援を終えて、すぐに川沿いに行くことにした。
台風被害の中心部であり、尚且つ、日本兵の慰霊のためである。

その川沿いには、一本の大きな木があり、その木で、15名の人が助かったという。
水の高さが、木に記されていた。
矢張り、二メートル以上である。

更に、その碑も建っていた。
2011年、2012年の12月と、二度の台風直撃である。

クリフォードさんと、学生三名の方々には、後ろで見ていて貰った。

この、カガヤンデオロは、日本軍の、豹兵団の支配区であり、その他、ダバオには、拠兵団、そして、西側の端には、萩兵団という、三つの隊が活動していた。

特に、豹兵団と、萩兵団は、連合国、アメリカ軍だけではなく、現地のモロ族との戦いもあり、実に、大変な戦場となった。

私は、豹兵団の日本兵の慰霊を、最初に行った。
御幣を近くの木の枝から作り、それを依り代として、祝詞を献上する。

暫くの祈りと、黙祷であり、その次に、台風で亡くなった皆さんのために、祈る。

ところが・・・
台風被害の皆さんが、中々、反応しない。

実際、川沿いの土の中に、埋まっているというのだ。

土砂から、ゴミなどが、流れて、その中に埋もれてしまったとのこと。
その地域は、キリスト教徒の人たちが多いので、私は、キリスト教の祈りを唱えることにした。

だが、あまり長くやってはいられない。
暑いのである。

皆さんを待たせている・・・
御幣を川に流した。
ところが、私の足元に戻ってくるではないか。

再度、川に流すが、一度、すぐに沈む。そして、再び、浮き上がったが、また、沈んでしまった。

クリフォードさんに、皆さんも、毎日、祈ってくださいと言うと、クリフォードさんが、そのようにしますと返答する。
彼も、熱心なキリスト教徒である。

時間は、すでに一時を過ぎていた。
クリフォードさんの提案で、皆で食事をすることにした。

日本食がいいかと、尋ねられたので、現地の物をと答えた。
すると、バイクタクシーが走り出した。

荷物が無いので、楽々である。
街中を抜けて、ダウンタウン近くに戻る。

一軒の食堂に入ることになった。
ポークかチキンというので、私は、ポークにした。
そして、ヌードルかライスかと問われて、ヌードルにした。

あちらでは、ヌードルといっても、色々な種類がある。それは、それぞれの、店によって違う。
細い麺から、太い麺まで、色々ある。

私が気に入っているのは、春雨に近いものだ。ビーフンである。

兎も角、六名で食事をした。
色々な話題で盛り上がる。
すべて英語であるから、解ることと、解らないことがある。

支払いをすると、おおよそ、1000ペソ、2500円。

クリフォードさんは、私のパスポートの紛失を知るので、その後、警察署まで付き合うという。

心強いので、一緒に行って貰った。
学生たちも、一緒である。
本当に、迷惑を掛けた。

結局、紛失証明書を作り、それを、ダバオの領事館の下である、出張駐在官事務所に出すことにした。

すでに、時間は四時近くになっていた。
とても疲れた。

バイクタクシーに乗り、ホテルで私たちは、降ろして貰った。
これで、学生たちとも、お別れである。
次にまた、逢いましょう・・・

本当に、ご苦労さんだった。
彼らがいなければ、とんでもないことになっていた。

男子学生のガールフレンドが、日本の名古屋の大学に留学していた。
彼は、死ぬほど、逢いたいと言うので・・・
皆が、笑った。

兎に角、カガヤンデオロでの、活動が終わり、ホッとして、安堵した。

この、カガヤンデオロは、旅行ガイドブックにも無い街であるが、北ミンダナオのスリガオと並ぶ、都市である。

ここから西に向うと、日本軍の進行と同じになる。
西ミンダナオは、モロ・イスラムの多い、地域であり、危険だと言われる。

いずれは、その西ミンダナオの入り口の、ディポログという町にある、慰霊碑を訪れたいと思っている。

後半にミンダナオ島の戦時の状態を、日本兵の手記を元に、紹介する。

カガヤンデオロで、丸一日を休んで、暑さに慣れておいて良かった。
支援の旅は、出来る限り、休憩が必要である。

シャワーを浴びて、一息。
明日は、ダバオに向う。

ダバオは、四泊の予定である。




posted by 天山 at 06:00| ミンダナオ島へ平成25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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