2013年06月06日

ミンダナオ島へ

長年願っていた、フィリピン、ミンダナオ島へ向う。

願っていたことは、日本兵の慰霊である。
しかし、ミンダナオ島の北部で、二年続けて、台風の被害甚大だった。

200万人の被災者であり、死者は、1500人を超えた。
その中心の町が、カガヤン・デ・オロである。

千人以上の死者であり、河が氾濫し、川沿いの人々の家が、すべて流された。
土砂、樹木などが、流れて、今も、その場所に遺体があるという。
土の下に、である。

新聞では、国連が、緊急支援をしたとあった。
テント、毛布、食糧、食器などの支援である。
だが、何一つ、現地に届いていないという、現実である。

驚いた。
そして、それらは、届いているが、何処かで、留まっている・・・と言う。
何処で、留まっているのか・・・

政府の支援も無い。
唯一、カガヤンデオロ市が、一度だけ、警官を使い、水とパンを渡したのみ。

名言がある。
支援・・・それは、金持ちをより金持ちにし、貧しい人は、より貧しくなる。
どういうことか・・・

とても、残念で、卑劣極まりないことである。

このことについて、後々に私の所見を書く。

ミンダナオ島は、ルソン島に次いで、二番目に大きな島である。
北海道の、1,3倍の大きさ。

本来、ミンダナオ島は、台風が通過しない島だった。
気候も、一年を通して、温暖で、過ごしやすいと言われる。が、違った。
今回は、とても暑い。最も、暑い時期だった。

そして、ミンダナオ島は、泥沼化した紛争を抱えている。
ミンダナオは、元々、イスラムが多い島である。
その民族にモロ族がいる。

島の分離独立を目指す、モロ・イスラム解放戦線MILFなどが、政府軍との戦いを続けていた。
だが、昨年、日本の仲介により、和解案が、決定した。
独自の自治統治を政府が認めたのである。

それは、ミンダナオの西側であるから、旅行者には、注意勧告が出されている。

日本軍は、当時、三箇所に基地を置いていた。
その一つが、西側のコタバト州である。
そして、ダバオと、西の端の、サンポアンガである。

つまり、全土を戦場としていたのである。

コタバト州にも、慰霊に出掛けたいと思っている。
今回は、カガヤンデオロにて、日本兵の慰霊を行ったが・・・

未だに、ジャングルに入った、軍の一部の隊が見つかっていないという。
勿論、全滅したのだろう。

カガヤンデオロに関しては、ガイドブックに、載っていない。
故に、何も解らない。
そこで、ダバオに縁が深い、森川氏の協力を頂き、私の活動が出来た。

森川氏は、日本在住で、年に何度か、ダバオに出掛けている。
私の活動に、以前から、協力して下さっていた方である。

さて、今回、私たちは、格安航空券を手に入れて、マニラに向かい、その日のうちに、カガヤンデオロに向った。
夜、遅くにカガヤンデオロに到着した。

森川氏の紹介で、迎えに来てくれるという方に、遅いので、断りの電話をして、空港から、車に乗った。

10分ほど、走った時である。
私は、懐に手を入れて、パスポートを探した。
着物の懐に入れることが多い。
特に、搭乗する際は、提示を求められるので、そうしていた。

ところが、パスポートが無い。
体を一回りしてみたが、無い。

急遽、空港に戻ることにした。

今の飛行機の中に落としたのである。
丁度、三席空いていた所に座り、横になって寝た。
その時に、落としたのである。

だが・・・
飛行機は、マニラに飛び立った。
フィリピンの安い飛行機は、客を下ろすと、また客を乗せて、飛び立つ。

事務所にて、説明する。
だが、フィリピンは、一度無くしたものは、出て来ないのである。
スタッフが、翌朝電話をくれるということで、終わったが・・・

電話無し、音沙汰無しである。

良い悪いの問題ではないが、フィリピン人は、自分の仕事以外のことをしない。
更に、責任の所在が無いのである。

結果的に、見つからないと、ダバオに行く日に聞かされた。
見つからないのではない。
見つけようとしなかった。
見つけても、知らない振りをする。

サービス精神というものを、養っていないのである。
高級ホテルならば、それがあるのだろうが・・・

諦めて、パスポート紛失ということで、警察に紛失届けをすることになる。

海外で、パスポートを無くすことは、致命的である。
行動が、制限されるし、何事かあっても、身分を証明出来ないのである。

同行のコータが、心配し過ぎて・・・
だが、私は、暢気に構えていた。

しょうがない・・・




posted by 天山 at 04:55| ミンダナオ島へ平成25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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