2013年06月04日

もののあわれについて616

吹きくる追風は、しをにことごとににほふらむ香のかをりも、ふればひ給へる御けはひにやと、いと思ひやりめでたく心げさうせられて、立ち出でにくけれど、忍びやかにうちおとなひて歩み出で給へるに、人々けざやかに驚き顔にはあらねど、皆すべり入りぬ。御まいりの程など、童なりしに入り立ち慣れ給へる、女房などもいと気疎くはあらず、御消息啓せさせ給ひて、宰相の君、内侍などけはひすれば、私事も忍びやかに語らひ給ふ。これはた、さいへど気高く住みたるけはひ有様を見るにも、さまざまに物思ひいでらる。




そのあと、風がこちらに吹いてくると、紫苑の花の全てが匂うように、香の匂いで、これは、中宮が、おふれになったことであろうか。そう思うと、大変素晴らしい気がして、つい緊張する。出て行きにくく、小声で挨拶して、静かに歩を進めると、女房たちは、際立って狼狽する風ではないが、一同、奥に入ってしまった。
入内された時は、まだ子供だったので、御簾の中に入り、いつも一緒にいらしたものだから、女房たちも、よそよそしくない。お言葉をお耳に入れるようにおっしゃり、宰相の君、内侍などがいる様子がするので、私事を小声で、お話あいになる。中宮も、こちらで、何と言っても、上品で過ごされている様子をみると、色々なことを思うのである。

さまざまに物思ひいでらる
つまり、自分の好きな人のことなどである。




南のおとどには、御格子まいり渡して、よべ見棄て難かりし花どもの行く方も知らぬやうにてしをれふしたるを見給ひけり。中将御階に居給ひて御返り聞え給ふ。秋好「荒き風をもふせがせ給ふべくやと若々しく心細く覚え侍るを、今なむなぐさめ侍りぬる」と聞え給へれば、源氏「あやしくあえかにおはする宮なり。女どちはもの恐ろしく思しぬべかりつる夜の様なれば、げにおろかなりとも思いてむ」とて、やがて参り給ふ。御直衣など奉るとて御簾ひきあげて入り給ふに、短き御凡帳ひきよせてはつかに見ゆる御袖口は、さにこそはあらめと思ふに、胸つぶつぶと鳴る心地するもうたてあれば、外ざまに見やりつ。殿御鏡など見給ひて、忍びて、源氏「中将の朝けの姿はきよげなりな。ただ今はきびなるべき程を、かたくなしからず見ゆるも心の闇にや」とて、わが御顔はふり難くよし、と見給ふべかめり。




南の御殿では、御格子を上げて、昨夜見難かった、花が、見る影も無くしおれ伏しているのを、見ていらっしゃった。中将、夕霧は、階段に座して、お返事を申し上げる。激しい嵐でも、防いで下さることと、子供のように心細く思っていましたが、やっと、気が休まりました、とお伝えすると、源氏は、妙に気が弱くなっている宮様だ。女ばかりでは、空恐ろしく思ったに違いない、夕べの荒れ方だから、お言葉通り、放っておいたと思ったのだろう。と、すぐにお出かけになる。
御のうしなどをお召しになるため、御簾を引き上げて中に、お入りになる時に、短い御凡帳を傍に引き寄せて、ちらっと見える袖口は、紫の上に違いないと思うと、胸がどきどきする。よくないことと、視線をそらせた。
源氏は、お鏡などを御覧になり、小声で、中将の朝の姿は、綺麗だ。ほんの子供のはずなのに、悪くなく見えるのは、親心の迷いかと、おっしゃり、自分の顔は年を取らなず、美しいと、御覧になっている様子である。

秋好、とは、秋を好む、中宮のこと。




いといたう心げさうし給ひて、源氏「宮に見え奉るは恥づかしうこそあれ。何ばかりあらはなるゆえゆえしさも見え給はぬ人の、おくゆかしく心づかひせられ給ふぞかし。いとおほどかに女しきものから、気色づきてぞおはするや」とて、出で給ふに、中将眺め入りて、とみにも驚くまじき気色にて居給へるを、心とき人の御目にはいかが見給ひけむ、立ちかへり、女君に、源氏「昨日風のまぎれに、中将は見奉りやしてけむ。かの戸のあきたりしによ」と宣へば、面うち赤みて、紫上「いかでかさはあらむ。渡殿の方には人の音もせざりしものを」と聞え給ふ。源氏「なほあやし」とひとりごちて渡り給ひぬ。御簾のうちに入り給ひぬれば、中将、渡殿の戸口に人々のけはひするに寄りて物など言ひたはぶるれど、思ふ事の筋筋嘆かしくて、例よりもしめりて居給へり。




とても心づかいされて、源氏は、中宮にお目にかかるのは、気が引ける。なんといっても、目につくほどの、特徴を持っていると見えないお方だが、何か奥にありそうな気がして、つい緊張してしまう。まことにおおようで、女らしい方なのに、うっかり出来ないお方だ。とおっしゃり、外に出られると、中将は、物思いに沈み、急に気付きそうも無い様子で、座り込んでいる。すぐ気のつく方には、どのように見えるのか。源氏は戻り、女君に、昨日の風が吹いた騒ぎで、中将は、あなたを見たのではないか。あの戸が開いていたからと、おっしゃると、紫の上は、顔を赤らめて、どうしてそんなことがありましょう。渡殿のほうに人の物音もしませんでした。とおっしゃる。源氏は、それでも、変だ、と独り言を言って、お出かけになる。
中宮の御簾の中にお入りになったので、夕霧は、渡殿の戸口に女房たちがいるらしいので、近寄り、冗談を言ったりするが、あれを思い、これを思えば、たまらなくなり、いつもより、沈み込んでいらした。




こなたよりやがて北に通りて、明石の御方を見やり給へば、はかばかしき家司だつ人なども見えず、なれたる下仕どもぞ草の中に交りてありく。童べなど、をかしきあこめ姿うちとけて、心とどめ、取りわきうえ給ふりんどう、朝顔のはひ交れるませも、みな取り乱れたるを、とかく引き出でたづぬるなるべし。物のあはれに覚えけるままに、筝の琴をかきまさぐりつつ、端近う居給へるに、御さきおふ声のしければ、うちとけなえばめる姿に小うちぎひきおとしてけぢめ見せたる、いといたし。端の方につい居給ひて、風の騒ばかりをとぶらひ給ひて、つれなく立ちかへり給ふ、心やましげなり。

明石
おほかたに 萩の葉すぐる 風の音も うき身ひとつに しむ心地して

と、ひとりごちけり。




こちらから、そのまま北に抜けて、明石の御方のお住まいを、御覧になると、家司の者も見えず、物慣れた下女たちが、草を分けて、あちこちと、後始末をしている。女の童など、美しいあこめ姿でくつろぎ、心を込めて、特別に植えている、リンドウ、朝顔などが、丈の低い垣根に這ったまま、あちこちに倒れて、ばらばらになっているのを、あれこれと引き出して、元の姿を探しているのだろう。
心打たれるままに、筝の琴をもてあそびつつ、縁近くに座っているところを、お先払いの声がしたので、くつろいだ普段着に、小うちぎを掛けて、けじめを見せたところ、立派である。
縁近くに膝をついて、風のお見舞いをおっしゃっただけで、源氏は、無情にもお立ち帰る。胸を痛めることだろう。

明石
意味なくも、荻の葉を通り過ぎる、風の音も、情けない、我が身に染み入る気がします。

と、独り言を言うのである。




posted by 天山 at 00:13| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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