2013年06月01日

もののあわれについて613

野分 のわき

中宮の御前に秋の花を植えさせ給へること、常の年よりも見所多く、色種をつくして、由ある黒木赤木のませを結ひまぜつつ、同じ花の枝ざし姿、朝夕露の光も世の常ならず玉かと輝きて、造り渡せる野辺の色を見るに、はた春の山も忘られて、涼しう面白く、心もあくがるるやうなり。春秋の争ひに、昔より秋に心よする人は数まさりけるを、名だたる春の御前の花園に心よせし人々、またひきかへしうつろふ気色、世の有様に似たり。




中宮の、お庭先に、秋の花を植えていらっしゃることは、いつもの年より、見事な眺めで、ありとあらゆる種類の色を集めて、趣のある黒木赤木の、ませ垣を所々にのぞかせて、同じ花といっても、その枝ぶり格好、朝夕の露の光も格別で、玉かと思うほどに輝き、一面に、作られた野辺の色を見ると、春の山も、忘れて、涼しく結構であり、心も抜け出てゆくようである。
春か、秋かとの、論争には、昔から、秋に味方する人が多く、評判の春の御方の花園に、心奪われた人々が、今度は、取って返して、心変わりする様子は、世間の人が、権勢につくのと、似ている。




これを御覧じつきて里居し給ふ程、御遊びなどもあらまほしけれど、八月は故前坊の御忌月なれば、心もとなく思しつつ明け暮るるに、この花の色まさる気色どもを御覧ずるに、野分例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。花どものしをるるを、いとさしも思ひしまぬ人だにあなわりなと思ひ騒がるるを、まして、叢の露の玉の緒乱るるままに、御心惑ひもしぬべく思したり。おほふばかりの袖は、秋の空にしもこそほしげなりけれ。暮れゆくままに物も見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじ、と、花の上を思し嘆く。




このお庭が、お気に召して、お里にいらっしゃる頃、音楽会なども催したいが、八月は、父宮がお亡くなりになった月なので、気にされながら、一日一日を送っていらっしゃるうちに、庭の花の色が益々と美しくなる様子を、あれこれ御覧になっていると、台風が、いつの年よりも激しく、空の色も変わって、吹き出した。
色々な花がしおれるのを、それほど秋の庭に心奪われない人でさえ、困ったことだと、心も騒ぐものだが、まして中宮は、草むらの露が、緒が切れた玉のように、ばらばらと散るのを、気もおかしくなるほど、心配された。
大空を覆うほどの袖は、秋の空にこそ、欲しいと思うのである。
日が暮れてゆくにつれ、何も見えないほど、一面に吹き荒れて、とても気味が悪い。格子などを下ろしても、気がかりでたまらない、と、中宮は、花のことを心配されるのである。

何とも、美しい場面である。
こうして、野分の巻きがはじまる。




南の御殿にも、前栽つくろはせ給ひける折にしも、かく吹きいでてねもとあらの小萩はしかたなく待ちえたる風の気色なり。折れかへり露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見給ふ。大臣は姫君の御方におはしますほどに、中将の君参り給ひて東の渡殿の小障子のかたみより、妻戸のあきたる隙を何心もなく見入れ給へるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて音もせで見る。御屏風も、風のいたく吹きければ、押したたみ寄せたるに、見通しあらはなる庇の御座にい給へる人、物に紛るべくもあらず、気高く清らに、さと匂ふ心地して、春の曙の霞の間より面白き樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。あぢきなく、見奉るわが顔にも移りくるやうに愛敬は匂ひ散りて、もたなく珍しき人の御様なり。御簾の吹きあげらるるを人々押へて、いかにしたるにかあらむ、うち笑ひ給へる、いといみじく見ゆ。花どもを心苦しがりて、え見棄てて入り給はず。御前なる人々も、さまざまに物清げなる姿どもは見渡さるれど、目移るべくもあらず。大臣のいと気高くはるかにもてなし給へるは、かく、見る人ただにはえ思ふまじき御有様を、いたり深き御心にて、もしかかることもやと思すなりけり、と思ふに、気配恐ろしうて立ち去るにぞ、西の方より、内の御障子ひきあけて渡り給ふ。




南の御殿でも、お庭のお手入れされた、その時に、吹き出して、株もまばらな小萩が、待っていたにしては、激しい風の吹き具合である。繰り返し吹き、木の葉の露も、少しも残らないほど、吹き散らすのを、少し縁側に近く出て、見ておられる。殿は、姫君のお部屋にいらっしゃる時に、中将、夕霧の君が、こちらにおいでになり、東の渡殿の小障子の上から、妻戸のあいている隙間を、何気なく、覗きになったところ、女房が大勢見えるので、立ち止まり、音もさせずに、見ている。
屏風も風が強く吹いて、畳んで片付けてあるので、中まで、はっきりと見える。その庇の間の御座所に座っていらっしゃる方、何にも間違いようがない。気高く綺麗で、輝く感じで、春の夜明けの露の間から、見事な樺桜が、咲きこぼれているのを、見る思いがする。
情けなくなるほど、拝見している、我が身の顔にまで、降り掛かるように、美貌は一面に広がり、二人とないご立派な姿である。
御簾が、風に吹き上げられるのを、女房たちが、おさえて、どんなことをしたのか、にっこりとしたのは、素晴らしく見える。一面に咲いている、花を心配して、構わずに、中にお入りにならない。お傍の女房たちも、それぞれに皆、小ざっぱりした姿で、並んでいるのが、見えるが、目が移るはずもない。
大臣が、自分をここに近づけず、ずっと離しておられるのは、このように、見る人が、そのままで心を動かさずにはいられない、美しさだから、行き届いた、お方のことで、あるいは、こんなことが起こるかもしれないと、思ってのことだったと、思うと、空恐ろしくなり、歩み離れる、丁度そこに、殿様、源氏が、西の対から、奥の襖を開けて、お入りになった。

この文体は、また格別の味わいがある。

その、比喩の在り様が、実に、美しい。
野分とは、台風のこと。
強い風の吹くことを言う。

春の曙の霞の間より面白き樺桜の咲き乱れたるを見る心地す

何とも、優美で、涼やかである。

物語の楽しみは、その文体にもあるのだ。




posted by 天山 at 05:54| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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