2013年06月21日

ミンダナオ島へ16

子供たちの、年齢は、見た目より、年上である。
栄養が不足してか、小さく見える。

10歳でも、日本の七歳程度なのである。
だから・・・
大きくなると、15歳前後、それ以上の場合もある。

そして、大きくなると、智恵がつく。
小さな子は、思う通りに、私に求めるが、大きな子は、待っている。
ただ、じっと私を見つめるのである。

私の方から、食べる・・・と聞く。すると、頷く。

哀しいことに、ストリートチルドレンは、ここでは、無視され、時には、追い払われる存在なのである。

色々な島の、チルドレンを見たが、ここが最も、悲惨である。
セブシティは、フィリピン第三の町である。

第一が、マニラ、第二が、ダバオである。

親無しチルドレン、親がいても、貧しく、物乞いするチルドレン。片親のチルドレン・・・

学校に行かないと、英語が出来ず、その先が決まる。
男の子は、チンピラ程度か・・・
女の子は、結局、体を売る。そのように仕向けられる場合が、多々ある。

私が今回驚いたのは、そのダウンタウンの付近で、男子を売るというポン引きが多くなっていたことである。

何度も、ボーイがいると、誘われた。
年齢は、15歳からである。
それでは、法律に触れる。

だが、女が体を売れ、男も体が売れるなら、はじめるだろう。

空腹には、耐えられない。

少女売春すれすれのところ、である。
更に、児童買春すれすれ、である。

ストリートチルドレンが、大きくなると、ストリートアダルトになる。ただ、それだけ。ストリートから抜け出すには、大変な努力が必要だ。

ダウンタウンのチルドレンは、寝るハウスも無い。
もう少し、上の地区に行くと、市が用意した、ハウスがあり、そこから、学校へも行けるのだが・・・

そんな余裕も無い。

ここで、フィリピンの問題点を書き綴り、そして、批判をしたいが、長くなるので、止める。

ただ、既得権益の社会であるということ。
それに、政治家も参加する。
上から下まで、搾取の世界である。

そして、突き詰めてゆくと、スペインの植民地時代に遡り、その既得権益の最大の存在が、カトリック教会であることが、解る。

スペインに統治されたというより、スペインは、キリスト教を伝えたという印象を、強く抱くフィリピン人である。
更に、英語の共通化により、自国の文化、精神の有り様が、希薄になった。

矢張り、母語が必要である。言葉は、精神であるから。
その母語により、思索が深まり、思想が生まれる。

セントニーニョ教会の内部を、初めて見た。
それは昼間で、ストリートチルドレンのいない時間帯である。

その壁の掛けられている、絵の数々には、驚いた。

原住民に、キリスト教を布教し、従わない者を、惨殺する様・・・
ローマ法王の、書面を読み上げて、恭順を誓わせる・・・

最初に、幼きイエズスの像を持ち込んだことから、始まる、教会の歴史である。
平然として、そのような絵を提示している、カトリックの神経である。

八割の貧しい人たちからの、献金を受ける。
そして、今回は、全国的に、教会が、寄付を募っていた。
福祉を行うためとして。
信じられないのである。

兎に角、貧しい層から、広く金を集めるという。

大統領でさえ、既得権益の壁を破ろうとすると、暗殺される国。
政治家を抱きこむ、既得権益者たち。

前大統領のアロヨは、何をしたか・・・
各島に、大型のショッピングモールを建てた。
それが、夫の会社を通して、行われた。
そこで、不正蓄財である。
だが、現大統領の、アキノ氏は、不正選挙運動で逮捕したが・・・
不正蓄財には触れないのである。
それに触れると、既得権益者たちの世界に入ることになる。
それは、死を意味する。

カトリックの国というが・・・
その精神が、何一つ生かされていないフィリピンである。
だが、人々は、心の支えとして、教会に通う。
実に、矛盾である。

その大元に、心を預けるのである。

宗教と、政治・・・
フィリピンの問題は、永遠に解決しない。

あの、ストリートチルドレンを放って置ける神経を持つのだ。
富裕層に少しでも、社会奉仕の心があれば、少しは解消するはずだが・・・

貰う人生になる・・・
自分で苦労して、云々・・・
それを、子供に当て嵌めてはならない。

子供は、保護され、支援され、教育を受けなければならない。

富裕層に華僑が存在することも、問題である。
一族の利益のみに関心がある。
そのためには、手段を選ばない。
政治家を抱き込み、都合の良い法律を作らせる。

島々では、条例を作らせる。

全く、書き足りないが・・・
今回の、旅日記を終わる。



posted by 天山 at 06:24| ミンダナオ島へ平成25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月23日

性について233

数百万年の間に、人類は大型化した。
それは、度重なる、氷河期の襲来に適応するためである。

体積が、大きくなれば、体表面積・体積比が小さくなり、体熱放散を小にする。これは、ベルグソンの法則といわれる。

更に、環境が厳しいと、乳幼児の死亡が増える。
母子共に、生き延びる道は、共同生活しかない。
特定のオスとの、比較的長い期間の、共同生活である。

オスに取り入ることによって、母と子は生存が保障される。
そのために、特定のオスを子供が生まれた後も、引きとめておく必要がある。

排卵の時だけ、オスを性的に受け入れていたのでは、オスは、他のメスのところに行ってしまう。

排卵周期、季節とは、無関係に、オスがその気を見せれば、受け入れることが必要になる。

更に、性的に受け入れるだけではなく、メスは、いつもセクシーにオスを誘惑する必要がある。生きるために・・・

最も大切なことは、メスがオスを選んで、オスとの間に、血縁関係を作ることだ。

メスとオスの、つがい関係である。この関係が、母と子のように、純粋に生物的絆ではなくなった。
オスは、息子や娘の、父親という、文化的な絆まで、要求されるようになる。

メスの繁殖戦略が、着々と成功して、オスが男に、メスが女に、限りなく近づくのである。

その過程で、オスとメスの脳の性分化にも、いちじるしい差が生じはじめたのである。

現在、脳学は、実に多くの発見をしている。
画期的なほどに、脳学は、発展した。

大脳皮質の分業体制の大半が、解っている。

大脳左半球は優位半球、言語脳とも呼ばれて、人間の声や、ある種の音の知覚に大きな役割を果たす。
言語的な課題を巧みに処理し、一連の数学の記憶、想起、機械的、記号的課題を分析し、整理し、認識し、順序よく処理する。

右半球の方は、迷路からの脱出、立体幾何の問題の処理、周囲の環境や形、空間の認知に、パワーを発揮する。
視覚的、空間的課題を処理する能力に長けている。

左の論理構成、右の直観力、感受性と、分けられる。

さて、結果だけを言うと、男の右脳は、女より優位だという。
それは、右脳の、側性化が進んでいるということになる。

言語性テストの結果では、女の方が男より優れ、空間認識テストでは、男の方が、女より、優れている。

では、ほんとうに女の方が言語機能がすぐれ、男は空間認識しかすぐれていないのか、というとそうとばかりは言えないことは、男にも論理構成力にすぐれたものが多くおり、女にも直観力・感受性にすぐれているものが多いことからもわかる。
大島 清

だが、女性の方が言語能力にすぐれ、かつことばの体得が早いのは事実である。なぜこんなことが起こったのか。それは、女の方が左脳、男のほうが右脳の機能化が進んでいる、ということではなく、むしろ、女の大脳の側性化つまり左脳機能の特殊化がおこっているのではなくて、女の脳が男に比べて左右両半球の機能分化がおくれている、つまり、女の脳の機能が左右の両方にまたがっている、という考えがある。
大島

側性化は、巨大脳を持つ、ヒトにだけ発達した機能である。
脳の、側性化は、ヒトの証である。

それも、側性化が始まって、2・300年しか経っていないので、直立二足歩行と同じように、まだ、過渡期にあるといえる。

それは、空間処理能力よりも、はるかに複雑で、高度な言語機能を、とても片方の脳だけで、処理する段階に、至っていないということだ。

だから、脳は、まだ進化するのである。

複雑で高度な言語を使いこなすためには、非言語的な要素、例えば、直観力や感受性、つまり右脳の助力が必要だ。つまり、右脳の言語機能で左脳の言語機能を補えば、結果として言語機能はすぐれたものになるだろう。要するに、左右半球の特殊化が進んでいなければ、左右は相補的にはたらいて機能を向上させることができる。男は、左右脳が共同しきれず、一方、女の左右脳はお互いに相手の不足を補うことができるのである。
大島

男は、特殊化への道を歩みつつ、進化してきた。
ただし、あまりに一方の特殊化が進むと、その部分がやられた時、受けるダメージが大きい。

大島氏は、女は、生命のはじまりから、補うという傾向を持つという。
それは、性染色体が、XXで、片方のXに欠陥があっても、正常なもう一方で、補うからだという。

つまり、女の方が、強いのである。

男の言語機能は、左脳に集中している。だが、女は、左右で情報の処理をする。
側性化している男の脳である。

大脳生理学で、硬い脳とは、特殊化が進んで、融通の効かない脳のことを言う。
男の脳は、進化するほど、硬くなり、女の脳は、柔らかい。

空間認識テストの際の、左右脳の血流量の変化を測ると、男では、血流量の左右さがほとんどないが、女では、言語テストと空間認識テストでは、それぞれ、左右の脳の血流量の増加が認められ、女の脳の血の巡りが良いことが、確認された。

弱い男・・・
それは、進化の過程でも、解るのである。
生命力の強さも、女の方が、強いのである。
ただし、男も更に進化して、左右の脳が女のようになると・・・
時代は、そこまで来ているのかもしれない。

posted by 天山 at 05:13| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月24日

性について234

左右脳をつなぐ部分を、脳梁と呼ぶ。
男と女では、その形に違いがある。

形と大きさに、差があるのは、後ろの方の膨大部と呼ばれる部分である。
女の方が、球状で長く、断面積も大きい。

この膨大部の情報の通る部分、特に、後頭部、側頭葉、頭頂葉からの情報の通る部分が大きいのである。
特に、後頭葉からの、視覚情報は、空間認識、言語機能にとっては、重要である。

この部分が大きいということは、それだけ、女の方が、左と右の脳で、情報を交換しあっているということ。

オスは、男へと大脳化が進むにつれて、男の脳の側性化が進んだ。
そして、こういう特殊化した体は、環境の新局面に、順応し難いのである。
特定の環境にのみ、特殊化しているゆえに、環境が変わると、対応に戸惑う。

女の体は、多分に幼形成熟的なところがある。
完全脱毛であり、大陰唇が残る、甲高い声など、幼形を保存しつつ、性的に成熟してきた。

体の生理機能も、特殊化していないので、環境の変化にも、しぶといのである。

そして、脳である。
女は、大脳半球が特殊化していない。
そのため、左右の脳が、うまく連携して、言語機能を男より、強くする。
脳まで、柔軟であるということだ。

だが、何故、大脳半球の機能に関して、男女差ができるのか・・・
この問いには、誰も答えられないのである。

ただ、男、女という限り、脳も体も、性ホルモンで変わる時期がある。

ホルモンの作用差に原因があるのではという、学者が増えてきた。

男、女の、ホルモンの影響は、下等動物ほど、はっきりとしている。

それらの、実験により、男女差の性差を作る、因子として、性ホルモンが重要な働きを果たしているということが、解った。

脳が、ホルモンに感受性を持つか否かは、脳のホルモンリセプター、つまり、受容体の数を調べると、解る。

性ホルモンの、一つである、エストラジオールのリセプターが、すでにサルの胎児や新生児に存在することが、証明されている。

男性ホルモンは、コリセプター内の酵素によって、女性ホルモンである、エストラジオールに、変換される。

アンドロゲン由来の、エストラジオールは、胎児でも、性中枢である、視床下部に多く認められる。

これが、胎児脳に、性差を与えるのである。

また、視床下部だけではなく、扁桃核、海馬という、情動、記憶の中枢や、前頭連合野、視覚領などにもある。

どの分野のリセプターも、胎児期には、生後や、おとな期よりも多いのである。

これは、胎児期の脳の発達に、性ホルモンが、深く関わることを示す。

脳内に留まらず、自律神経系にも及ぶ。

そして、アンドロゲンは、未分化な脳に多く、神経細胞の樹状突起や、軸索を伸ばし、シナップス形成を促進させる。
アンドロゲンは、脳の成長促進因子的役割を持つのである。

矢張り、性差を作るのは、性ホルモンであると、いえる。
ねずみのような、下等動物の性分化は、生まれた直後から決まるが、ヒトやサルでは、胎児期に進行する。
性器の性分化、脳の性分化である。

胎児がオスのとき、その精巣から分泌される、アンドロゲンは、脳の細胞内に達し、特殊な酵素によって、エストロゲンに変換されて、そのエストロゲンがエストロゲン・リセプターと結合して、細胞核内に入り、脳を男性化する。

メスの場合は、卵巣からエストロゲンが分泌されて、それが、そのまま、脳のリセプターに結合するから、オスと変わらないと勘違いするが、胎児期には、エストロゲンと結合するたんぱくが、多量に胎児血中に存在するため、卵巣性のエストロゲンは、それと結合して、脳の細胞内には、到達しないのである。

神経細胞の核内に入り、遺伝情報の読み取りに、影響を与え、そのままでは、メス型の脳をオス型に変えてゆく。
これが、アンドロゲンの使命である。

更に、卵巣から、分泌される、もう一つの女性ホルモン、プロゲステロンは、メスの脳の男性化を防ぐ、保護作用をしている。

性ホルモンは、性分化に限らず、その後の成長発達に大きい影響を与える。脳はホルモンの海にただよいながら、敏感に反応し、神経細胞をふやしたり、神経回路をめぐらせたりする。とはいっても性分化への影響は大きく、しかも、非可逆的な変化である点、性分化以降、さらに生まれてからの影響とはいささか問題が異なるとみてよいだろう。
大島清

脳が進化する時、完全に捨てられる構造はない。
つまり、比較神経生理学的に見ると、人間の脳は、解剖学的にも、行動学的にも、は虫類脳、古哺乳類脳、新哺乳類脳を、併せ持つ。

古い脳は、大脳化の過程で、新皮質と相関しつつ、構築されている。
故に、行動発現は複雑になる。

飲酒や、麻薬により、除脳状態に近くなると、古い脳への抑制が切れて、人間にも、時として、古い脳の影響が出るのである。

それは、非常に危険である。

戦争、殺人・・・
それは、巨大脳の生む、文化、幻想によるものであり、その人間を取り囲む悪環境、教育の貧困によることが多いといえる。

そして、オスは、どうして男になったのか・・・
これが、問題である。


posted by 天山 at 06:01| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月25日

性について235

男はストレスに弱い。
それは、サルの比ではない。

巨大化した新皮質系が、逞しく生きる役目を持つ、大脳辺緑系を軟弱にしたのである。

新皮質系は、人間だけに、際立って発達している新皮質と、新皮質に入る感覚神経の配電盤ともいうべき、視床と、新皮質が命令して出す、運動神経の配電盤である、基底核とを合わせ、一つの系統と考えたもの。

新皮質に対応する、もう一つの系統は、大脳辺緑系と呼ばれる。
視覚が嗅覚にとって変わった人間は、視覚系が発達して、臭脳が最も大切な働きをしている。
大脳辺緑系とは、この臭脳が、新しく衣替えしたものである。

この系統こそが、ストレスを処理して、逞しく生きてゆくために必要な、大切な脳の部分である。

大脳辺緑系も、新皮質と同じように、皮質と皮質下の部分に分かれている。

中でも、視床下部が、新皮質系の視床に対応するもので、自律神経の中枢と考えられていた。実は、その上位にある、大脳辺緑系によって、統御、調整されている。

大脳辺緑系は、情動と、五つのF、つまり、フィーデング、食、フリーイング、逃走、ファイテング、闘争、ファッキング、性、フロッキング、群れ本能、を司るといわれる。

また、大脳辺緑系は、内臓脳ともいわれ、自律神経系の支配下にある、内臓器官の働きに、交感神経性、副交感神経性の多彩な変化を起こさせる。

情動とは、快感と、不快感、怒りと恐れ、という情動である。
動物のオスや、人間の赤ん坊には、この情動だけが発達している。

ストレスとは、本能の欲求が満たされないとき、不快感に陥り、それが高じて、怒りの情動を発することである。

つまり、この気は、ストレスによって、大脳辺緑系が、乱れ、歪むことである。

本能と情動を司る、大脳辺緑系は、一方では、新皮質系からの、抑圧のコントロールを受ける。
その結果、欲求不満に晒されること多々あり。

気を使う、気を配る、イライラする、気付かれする・・・
そして、ぐったりとする。

これは、大脳辺緑系の働きに歪みが、起こることである。
そこで、生きているための、脳幹、脊髄系の働きを狂わせ、健康を損なわせる。

更に、上位の新皮質系に、逆に跳ね返り、そこで営まれる、高等な精神活動をも、ぐらつかせるのである。

女が、ストレスに強いのは・・・
そこから、男と女の脳の違いということが、出てくる。

生物的な脳の、性差は、胎児の時に作られる。
それは、胎児脳が胎内で、男と女の混合ホルモンのシャワーを浴びているからである。

はじめに、女がある。
そして、Yがあり、男児の睾丸から分泌される、男性ホルモンで、男脳部分が作られる。つまり、男脳は、女脳の、改変型、あるいは、応用型だといえる。

文化的な脳の性差は、生後の性心理学的発達に、依存する。

これを見て行くと、女は、強いもの。男は、弱いものであることが、解る。

男は、女から出たものである。
そして、女に返るものでもあると、いえる。

繊細で、微妙な存在なのである。

さて、男は、片方の脳だけ優位性が高まり、特殊化するといわれる。
別名、個性化である。

片方の脳だけが持つ機能に対して、優れた才能を発揮する。
それを、側性化という。

だが、それにより、他の機能が、無能となる。
すると、融通の効かない、硬い脳ということになる。

女は、片方の脳の不足を、もう一方の脳で、補うことが出来る。
つまり、弾性である。

左右脳が、補償しあうところに、弾力性のある、柔らかな脳を持つ秘密がある。
実際に、女は、左右脳をつなぐ脳梁の、断面積が広いことが、証明されている。

ストレス病は、大きく分けて、不安神経症、強迫神経症、抑うつ神経症、離人神経症の四つに、分類される。

女を襲うのは、抑うつ神経症が多い。
だが、男は、四つのすべてに陥るのである。

だが、その出方も、百人百様である。

さて、このエッセイは、性について、である。
次に、男が、圧倒的に、性的逸脱が多いという話である。

オスの場合には無かった、性的逸脱が、男になってから、断然多くなるのである。

男になるために逸脱するようになった、と私は思う。
大島清

この、逸脱も、ストレスの一種なのか・・・

男であるという、ストレスである。
完全な男というものは、有り得ないと、何度も書いた。
男になるために、性的逸脱をして、何とか、男を保とうとするとしたら・・・

男とは、何と、悲しいものであるのか。
更に、男が生きるとは、大変なことである。
更に、それは、誰も手を出すことが、出来ない逸脱である。

posted by 天山 at 05:26| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月26日

国を愛して何が悪い69

国際法違反・・・
大東亜戦争、第二次世界大戦にて、アメリカは、国際法など無いかの如く、違反に次ぐ、違反を犯した。

日本の各都市への、攻撃、空爆は、一般人を攻撃するもので、違反である。
あの、広島、長崎への原爆投下・・・

しかし、平然としている。

何故か。

正直な日本人は、ヨーロッパ人が決めた国際法は世界中に通ずる普遍のもの、天地の公道と考え、これを必死に守ることが国際信義と心得てきた。さらに西欧人が決めたスポーツのW杯、その他の国際ルールもすべて公正なものと信じて、これを忠実に守ることがスポーツマン精神だと確信していた。ところがこれらはすべてヨーロッパ人のために作られたもので、彼らは彼らに不都合があると、いつでも勝手に変えて平気である。
清水

国際法といっても、最強国が、自国に都合よく押し付けたもの。
運用のされ方も、強国が決めているのである。

更に、違反者が出ても、罰する主体は、最強国しかないという。
とすると、最強国が違反しても、誰も罰することが出来ないのである。

非白人は、欧米人が創設した国際連盟、国際連合は、世界の平和と繁栄のため、近代世界が生んだ理想の殿堂と思っている。

実際は、いずれも、欧米列強のための連合で、超大国が弱小国を支配するための、道具に過ぎないのである。

日本が世界初の、人種差別撤廃法案を掲げた時も、賛成多数であったが、このような重大な事項は、全会一致でなければならないと、議長であるアメリカのウイルソンの独断で、簡単に否決された。

更に、アメリカは、国際連盟を作っておきながら、後に自国に不都合ということで、独り参加していないのである。

現在、アメリカは、国際連盟を、ニューヨークに本部を置かせて、ある時は、国連を表にし利用する。ある時は、国連を隠れ蓑に使い、戦争を起こす。
世界の警察だと、言うのである。

つまり、国連は、超大国の世界制覇の道具にされているのである。

日本は、国連維持の分担金を二番目に多く払う。
しかし、発言権は、敵国条項の下で、大幅に制限されているのである。

その金は、欧米列強が、勝手に使っているのである。

そのことが、露骨に解るのは、スポーツ界における、ルール改正というものである。

長野五輪の栄光から、二年、スキーの日本ジャンプ陣は、ワールドカップで全く、優秀できないという試練を味わった。
それは、長身な外国人に有利な、日本つぶしの規則改正が行われたからである。

長野五輪で、日本は、金メダル二個、銀メダル一個、銅メダル一個と、圧勝した。

そこで、ヨーロッパのスキー連盟は、1998年から、スキーの長さを身長の146パーセントに、ルール変更した。
従来のルールでは、長さは、身長プラス80センチという決まりである。
この改正では、173センチを境にして、それより背が高い選手は、より長いスキーを使え、低い選手は、より短い板を使うことを余儀なくされる。

長いスキーは、扱いが難しいが、技術的な問題をクリアすれば、空気の抵抗力が大きく、短いスキーよりも、飛行距離が延びる。

つまり、146パーセントは、長身選手に有利になるのである。

背の低い日本選手を潰すためである。

自分に都合が悪くなると、規則を変える。

日本の柔道などは、日本が有利になるような柔道の規則を変えるというようなことは、しないのである。

これと同じように、自動車レース、F1界でも、平然と行われたのである。
内容は、省略する。

ヨーロッパ人は世界のリーダーで、文明人で、非白人に負けるはずがない、負けるなら規則がおかしいからだ。だから勝手に規則を変えても何ら不都合はないと考えているのだ。
清水

1986年6月、国際自動車競技連盟のパレストル会長は、安全性を理由に、ターボ・エンジンのパワーを規制することを決めた。ボンダの努力してきた新技術を封じ込めるためである。

彼らは、安全性を大義名分にして、掲げたのであるが・・・
その時、会長の口から出た言葉、
F1は欧州発のレースだ。イエローのためにやっているのではない。イエローがいなくても問題はないのだ。
と、人種差別発言を思わずしてしまったのである。

バイキングに、規則も何も無い。
その血に流れる、バイキングの特性である。

野蛮、傲慢・・・
白人主義である。

それでも、日本の一部のインテリたちは、欧米礼賛なのである。
日本と、欧米を比べて、日本は・・・と、言う。

白人に世界を支配させると、どうなるか、一目瞭然である。
だから、現在、アジア圏では、日本に期待し希望しているのである。

別の意味では、アラブ圏もそうである。
宗教、民族対立で、唯一、その仲介役が出来るのが、日本であるという、意識である。

天皇を戴く伝統の国、日本の面目である。
日本人は、ここに、誇りを持つことである。

posted by 天山 at 06:08| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

国を愛して何が悪い70

東南アジアへ出掛ける知り合いが言う。
韓国人が嫌われている。これから、中国人が世界的に嫌われる。
私は、何も言わず、黙って聞いていた。

その通りだと、思うが・・・
私は、もう一つ、嫌われる箇所があると、思っている。
それが、ヨーロッパ人である。
そして、アメリカ人となる。

アメリカ人は、イギリスから出た。

清教徒と言うが、清教徒とは、間違いである。
暴力集団である。

野蛮、残虐・・・
ヨーロッパ人の根性である。
何故か・・・

ヨーロッパ人は、バイキングの出である。

世界的に、ヨーロッパ文明に覆い尽くされている状況である現在。
日本の世界史の教科書は、西洋史が主体で、学ぶ。
そうすると、西洋が文明の主たる場所と、勘違いする。

とんでもないと、知るが、それでは遅い。
ヨーロッパより、イスラム帝国の方が、断然、文明として優れていた。

その頃、ヨーロッパ人は、イスラム圏からは、野蛮人として、嫌われていたのである。
更に、戦争・・・
これを始めたのは、キリスト教である。

少しばかり、ヨーロッパの出来方を見る。

西洋文明とは、アングロ・サクソンの文明である。
しかし、最近になり、とみに、この文明の限界と、そこに潜む矛盾、人類絶滅の危機に、世界の識者が気付くようになった。

地球陸地のわずか三パーセントにも満たない狭域のヨーロッパ人が、僅々200年から300年の間に全世界の軍事的、経済的、文明的世界制覇を達成できたのはなぜか。そのエネルギーはどこからきたのか。飽くことのない世界への侵略、闘争、奴隷化、殺戮の悪行の根源は何か。ヨーロッパ人の素行、正体を形成した過去の歴史的事実は何か。彼らの遺伝子、DNAに組み込まれた悪の歴史体験を明らかにしなければならない。
清水馨八郎

その通りだと、思う。

その先祖である、ゲルマン人、ノース人の、いわゆるバイキングの故地は、北緯60度以北の寒帯圏に属する。
現在、北欧諸国の中心都市、フィンランドのヘルシンキ、スウェーデンのストックホルム、ノルウェーのオスロなどの都市は、北緯60度の線上にある。

太陽が乏しい土地は、農業の生産性が低い。
北欧は、氷河期の名残を留めた大小の湖、沼が多く、地味は痩せて、農耕不適地である。
収穫量も、中世では、蒔いた種の三倍、近世になって、農業革命を経ても、10倍程度である。

ヨーロッパでは、農業は、愚か者のすることといわれる。
利口者は、略奪が一番有利な職業と言われる。

略奪が職業である。
つまり、バイキング、海賊行為である。

バイキングは、8世紀から、11世紀の四世紀に渡り、ヨーロッパ全土を荒らし回ったのである。
つまり、元の人々を追い出して、国を創ったのである。

先住民を追い出す、あるいは、皆殺しにして、国土を乗っ取り、新王国を創ったのである。

フランス、イギリス、ドイツなど、皆そうである。
つまり、ヨーロッパの主要国は、皆々、彼らの子孫なのだ。

アメリカのインデアンの皆殺しも、それに準ずる。
同じ血だからである。

であるから、北米大陸に及び、コロンブスの米大陸到着の数世紀も前に、アイスランドから、グリーンランドを経て、カナダの北岸に達していた。

日本の世界史教育は、このバイキングの西洋中心史観から、理解させられたことが、悲劇である。

この、明らかに、非人間的で、凶暴、野蛮な略奪行為を、賞賛していたのであるから、救われない。

敗戦後は、またまた、その子孫である、アメリカに憧れるという、不思議な現象を起こした。
アメリカ建国・・・
どれほどの、犠牲が伴ったのか・・・知らずに・・・

先住民を皆殺しにするという、蛮行を知らずに・・・
いや、それを賞賛した。
あの、西部劇などを、楽しく見た。

インデアンが悪者・・・
そんなイメージを持って見ていたのである。

とんでもない、勘違いをしていた。
悪者は、イギリスから来た、清教徒と名乗る、野蛮人たちだった。

その建国は、200年程度である。
200年程度で、世界の警察を名乗るほどに、巨大な国になったのは・・・
何故か・・・

皆々、侵略行為、ドロボー行為からである。

日本も、植民地として、狙われていたのである。
その傲慢で、野蛮な精神に、である。

先の大戦で、平然として、日本の一般市民を攻撃した。
更に、原爆投下である。

彼らは、その植民地政策を一度足りとも、謝罪しないのである。
当然だと、思っている。
弱肉強食が、当然であると、思っているのである。
今も、なお。

シャーシャーとして、他国の人権問題に口を出すが・・・
それ以前の、彼らの人権問題は、どうなったのか・・・

その、最大の人権問題は、奴隷制である。
その報いを、必ず、受けなければならない時が来る。


posted by 天山 at 06:08| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月28日

国を愛して何が悪い71

ヨーロッパにおける奴隷制度は、16世紀以後に突然、生まれたものではない。

それ以前の、ギリシャ、ローマ時代、バイキング時代、十字軍時代と、ヨーロッパの歴史を通して、存在していたのである。

ギリシャ、ローマ時代に栄えた、都市人口の半分は、奴隷によって、占められていた。
奴隷は、異民族との戦争による、勝利の戦利品として、連れてこられた。
それを、人家畜、という。

ノースマンや、バイキングは、異民族を襲い、財宝を略奪するだけではなく、女、子供を手当たり次第に捕らえて、奴隷にした。
更に、これを商品として、中近東に売り飛ばしていたのである。

当時の交易の中心商品は、毛皮と、奴隷だったという、事実。

ヨーロッパ人は、人間仲間を馬牛と同じように扱っていたという、事実。

愛の宗教といわれる、キリスト教は、それに対して、どのような考え方を持っていたのか・・・

16世紀以降の、近代奴隷制は、それまでの習慣的な奴隷ではなく、国家が組織的に関わっていた。
大規模で強大な国家政策となっていたのである。

アフリカからの奴隷狩りと、奴隷貿易、新大陸でのプランテーションの労働力、アメリカの繁栄を支える、黒人奴隷など。

近代の最大の人種差別というしかない。

驚くことに、彼らは、旧約聖書、新約聖書から、奴隷を是認していたのである。
神によって選ばれた民、選民意識が、奴隷所有者であり、キリストも、奴隷制を攻撃しなかったという、こじ付けである。

更に、その弟子と任じたパウロは、奴隷制の積極的支持者であったというもの。

更に、白人歴史家は、進化論的粉飾を施し、アフリカ人の人種的劣等性を掲げて、白人の優越性を説くという・・・
奴隷制の正当性を導くのである。

アフリカ人と白人の隔たりは、白人と天使との差よりも、遥かに大きいという。
アフリカ人は、猿に近いものだと、独断的な解釈をするのである。

更に、黒人は、神を冒涜する存在だという、屁理屈である。

人間、白人は、神の代理者であるから、被造物はすべて、思うが侭に扱う。つまり、奴隷も、馬、牛の如く家畜と同じである。
どのように扱おうが、全く罪の意識を持たないのである。

この、ユダヤ・キリスト教の、完全なる独善意識には、呆れる。
神に選ばれた民・・・
ユダヤ人であれば、理解するが、彼らは、ユダヤ人ではない。
選ばれたのは、イスラエルの民である、聖書によれば。

さて、奴隷に関することだが、古くは、アリストテレスの先天的奴隷説、奴隷必要説から、多くの聖者による説教を通じて、20世紀に至るまで、多くの奴隷制擁護論が発表されている。

呆れるのは、奴隷制こそ、ギリシャ、ローマの時代から世界で、一番偉大な文明を作り出したという、馬鹿げた解釈など・・・多々ある。

恥知らずという。

ヨーロッパ人にとって、奴隷は、現代文明生活に、必要不可欠なものだった。
キリスト教では、労働を嫌う思想がある。
それは、アダムとエバの失楽園により、罰として、労働することになったと見るからである。

そのため、西洋人は、労働を罰則と考える。
労働の苦痛は、奴隷にさせるものと、考える。

呆れて物が言えないのである。

ちなみに、日本にも、奴隷が存在した。
それは、奴婢と呼ばれる。
だが、西洋とは、全く違うものである。

あくまでも、人間なのである。
日本人は、馬、牛に対しても、厚い情を持って接していた。

奴婢という奴隷にしても、人間として、対したのである。

根本的に違うのである。

海賊根性、バイキング精神・・・
どう足掻いても、そこから逃れられないのが、ヨーロッパ人、西洋人である。

日本人は、よくよく、この西洋人の根性を知る必要がある。

人種差別思想は、イギリスなどでも起こり、それが、オーストラリアの原住民、アボリジニに対する、大虐殺となったのである。

彼らを、獣を撃ち殺すように、ゲームを楽しむ如くに、虐殺した。
その罪は、あまりに深いものである。

一体、その謝罪をどのようにするのか・・・
今も、平然として、オーストラリア人を名乗るが、彼らに、良心というものがあれば・・・

更に、キリスト教国である。
全く、イエスの愛の教えなど、笑いものである。

アボリジニの人たちは、今も、その後遺症から抜け出せないでいる。
精神を深く深く傷つけられたのである。

200年ほどの間に渡り、彼らの、文化を滅茶苦茶にした。
親子を分離させて、キリスト教に改宗させ・・・
その独善性は、キリスト教特有のものである。

彼らは、反省する術も知らない。
そして、言う。
アボリジニの人たちを、助けていると・・・
ボランティアをしているというのだ。

自分たちが、蒔いた種で、散々にして、今度は、ボランティアだと言う。
私は、その保護区に出掛けて、実際に、その偽善のキリスト教徒たちを見た。


posted by 天山 at 05:26| 国を愛して何が悪い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月29日

国を愛して何が悪い72

ヨーロッパでは、歴史と共に、ホロコーストが絶えず行われていた。

ホロコーストとは、大量虐殺の意味で使われる。
更に、ジェノサイドという言葉は、ある国民、人種、政治的、文化的集団などの、計画的、組織的な大量虐殺を言う。

ナチスによる、ユダヤ人虐殺も、この中に含まれ、ホロコーストとより広い範囲の概念となっている。

ジェノサイドは、理念に基づく殺人行為である。
動物の世界には無い。
人間の世界のみにあるもの。

ジェノサイドとは、スターリン、毛沢東、ポル・ポトなどが挙げられる。
ウガンダ、ルワンダ、セルビアなども、そのようである。

ナチスのユダヤ人抹殺というのは、異人種に対する、復讐、怨念、憎悪などに基づくものと、共産思想からくる、階級に対する、復讐、怨念、憎悪に基づくものとの、二通りがある。

共産思想の場合は、同じ人種の中でのイデオロギー、理念による粛清なので、平時に進行するので、国民に与える恐怖感は、強く、深刻である。

以前も書いたが、ヨーロッパから発した共産主義思想は、アジア、アフリカ、中南米に及び、共産体制下の国々での犠牲者は、8000万から、一億人と算定されている。

20世紀は、戦争による、犠牲者も多いが、共産革命による死者数の方が、更に多いのである。

さて、ヨーロッパでは、民族移動、戦争のたびに、異民族に対する、妬み、復讐、憎悪が渦巻いた。
これらの民族紛争の上に、宗教戦争が加わり、憎悪の念が益々深くなったのである。

そして、結果は、相手の民族を根絶やしにするという行為に及んだ。
つまり、子供もすべて殺し尽くすのである。

これが、顕著に現れたのは、キリスト教カトリックにおける、中世の異端審判である。
魔女狩りなどの、大量虐殺は、序の口である。

精神の汚染を浄化するためという、教会の権力以外の何物でもない、虐殺の歴史である。

さて、人間は、戦争をする動物だといわれる。
人間は、理念によって、戦争をする宿命を負っているのだろう。

戦争は、人類の歴史では、恒常的なもので、古代から戦争が常態化している。
平和な時期は、その準備期間のようである。

だが、その戦争は、質量共に、ヨーロッパに勝る大陸は無いといえる。

人類の戦争の六割が、狭いヨーロッパに関係しているのである。

十字軍から、百年戦争、バラ戦争、ユグノー戦争、オランダ独立戦争、三十年戦争、オーストリア継承戦争、七年戦争、ナポレオン戦争、クリミア戦争、普仏戦争、第一次大戦、第二次大戦・・・

その間に、宗教戦争、革命戦争、民族紛争・・・

17,8世紀では、100年間のうちに、四、五年のみしか平和な時期がなかったのである。

ただ、この戦争の歴史が、彼らに多くの戦いの智恵を与えたといえる。
そこで得た異民族侵略戦争が、やがて、16世紀以後の、大航海時代に、世界海洋大侵略として、花開くのである。

近代における、白人の世界侵略制覇は、そのヨーロッパで十分訓練を重ね、準備した蛮行が、世界に向かったものである。

そして、今・・・
その西洋白人主義の誤りが、正され、その思想、思潮が、問われている。

このまま、西洋の物質科学文明が続けば、人類は生きられないだろうという・・・

つまり、西洋文明は、野放図な、野蛮文明なのである。

野放図とはワイルドのことで、それは横柄、ずうずうしいさま、非人間的、傲慢、排他的、喧嘩好きを指している。白人は、この態度を一貫して非白人に採りつづけてきた。これこそ「不正義の文明」である。異民族を兵器で搾取し、奴隷化し植民地にして少しも心に痛みを覚えない。
清水

西洋文明には、寛容という、心情は、見当たらないのである。
そのアングロサクソンの心の底にある、嫉妬心、復讐心、抗争闘争、殺戮、憎悪、恐怖、詭弁、陰謀、不寛容というものを、ある人は、慢性衝突性憎悪症候群、と名づけた。
そして、それは、不治の病なのであると。

そこには、日本人の美徳とされる、義理人情、恩情などの精神的余裕は無い。

もう何年も前に、アジアの時代と言われた。
それは、アジアの時代であり、日本の時代のことである。

日本人の心性を持ってして、新しい時代を生きるに相応しい、人間のあるべき姿を見るというのである。

出来る限り、争いを避けて、和を尊ぶ精神は、推古天皇の頃から、脈々と続いている。そして、推古天皇の頃に明確になったが・・・
それ以前から、有していた心の状態だったのである。

更に、実に民主的な政治を行っていたということだ。

日本に、争いという観念が芽生えたのは、弥生時代からである。
それ以前の、縄文期には、争いが無い。

遺伝子学によると、日本は、人種の坩堝であった。
しかし、和を持って当たるという、縄文期の精神が、脈々と続く。
弥生時代の、渡来系の人たちによって、支配するという、争いの種が現れる。

だが、縄文期の和の心は、引き継がれた。
それは、天皇の政治を見れば、よく解る。

別エッセイ、天皇陛下について、を、参照ください。


posted by 天山 at 06:14| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月30日

国を愛して何が悪い73

ヨーロッパ白人が狭い故国を離れて、わずか2,300年で、あっという間に世界の隅々まで制覇できたのは、その前、数百年にわたる侵略、強奪、策略の技術や手口を、それぞれの国で充分練習し、訓練しつづけていたからである。その主なものが海賊としてのバイキング精神であり、十字軍の十字架にかこつけて「聖戦」と称した蛮行であり、民族移動の角逐であった。大航海時代とは、世界規模のバイキング版、大侵略時代だったのである。十字架を押し立てていった姿は、まさに地球規模の十字軍だったのである。
清水馨八郎

鉄砲と十字架による、世界制覇・・・
占領地住民を、宣撫するための、キリスト教。
カトリック教会の権威を持って、勝手に、支配するという、始末である。

更に、改宗しない者は、殺す。

16世紀のカトリックの宣教師は、植民地侵略の先兵であり、その説く、キリストの愛、平和、平等は、白人にのみ通用するというもの。
非白人、奴隷には適応しないのである。

キリスト教を信じない者は、野蛮人、未開人、異端者は、焼いても、殺しても、罪と思わない。
更に、宣教師が、その虐殺を許すという、蛮行である。

こういう事実を、カトリック教会、カトリック信徒は、どのように考えるのか・・・

法王として、唯一、謝罪と和解の旅を続けたのが、ヨハネ・パウロ二世である。

だが、その後、新しい法王は、アジア系の大司教、枢機卿を解任し、白人主義を推し進めた。

私が最も、憤慨するのは、英蘭仏などの、ヨーロッパ勢が、本国から遠く離れた地球の裏側まで遠征して、多くの土地を植民地、属領として、奪取したことの隠された事実である。

直接大軍を本国から派遣したわけではない。
兵士の多くは、現地調達の傭兵である。

つまり、白人は、現地の土侯国同士の争いを見つけては、それを利用した。
抗争の両国に武器を売り、戦争を誘発させる。
そして、深刻化させ、両者を疲れ果てさせて、どちらが勝っても、わずかな白人で支配できるように、手を打ったのである。

特に、イギリスは、その巧妙な手口を使った。

オランダが、本国の60倍の広さのインドネシアを330年間、植民地支配ができたのも、オランダ本国から、大量の兵士や行政官を送って、支配したのではない。

主に、その地の華僑を取り入れ、華僑を使って、間接的統治をしたのである。
そして、苛斂誅求を実施し続ける。

原住民の恨みを華僑に向けさせるという、手口である。

イギリスのインド支配、フランスのインドシナ支配、オランダのインドネシア支配も、東インド会社という、会社組織にし、一見、国家が政治的、軍事的に前面に出ないように、見せかけていた。

それは、本国のために、搾れるだけ、搾り取るという考えである。

そこで、日本の植民地政策・・・
これを、それらと同じだと、考えてしまう日本人がいる。
同じように、搾取の対象であると、考えるのである。

全く違う。
日本の、植民地政策は、拓殖、という意味である。
つまり、日本の持ち出し政策で、白人たちの行為とは、天地の違いがある。

現在も、日本が植民地にしたという、その住民に、日本に対する、嫌悪が無いのは、それである。
逆に、日本に対して、感謝し、日本に憧れ、日本に期待しているのである。

パラオ共和国などは、独立記念の際に、日本兵を讃える歌を作り、国旗も日本に似せて、作った。
それも、日本に失礼にならぬようにと、海の青に、月の黄色の丸で、その月の丸を、少しずらした程である。

インドネシア独立の際の国旗も、日本の日の丸に似せて、白と赤の二本の線にしたのである。

台湾の親日は、言うに及ばずである。

韓国併合の政策は、本国以上に、資金を掛けて成された。

日本の植民地支配は、すればするほど、資金が流失したのである。
だから、植民地を解放した際に、ホッとしたといわれる。

明治維新以来、日本は、文明とは、西洋のことであると、信じた。
近代化は、すべて西洋にあると、思った。
そして、西洋礼賛が起きた。

だが、現在、西洋科学物質文明の限界と、矛盾が噴出している。
それでも、学者、大学関係者は、未だに、西洋崇拝をし、西洋コンプレックスを持つに至る。

君民一体の日本の国体と、闘争権利争奪の西洋社会の成り立ちの相違に気付かず、天皇を中心とする、日本の国家制度が、封建制で、時代遅れだと考えるのである。

日本には、独自の天皇を中心とした、史観が存在することに、気付かないという、愚かさである。

国の歴史を、真っ当に見ない者が、どんな提案、提議をしても、せん無いことである。

そして、日本の学問の世界では、堂々と、西洋の思想哲学等々の、説明、解釈を学問とするという、呆れた行状である。

欧米の学者の基準にして、自説を権威付けるという、愚考を繰り返している。
欧米の視点からのみ、日本を見るという・・・

何故、日本の視点から、日本を見ないのか・・・
更に、日本語は、大和言葉から理解されるものであり、欧米の言葉の解釈では、まともな解釈にはならないのである。
素人の、私に言われる程、愚かなのである。

posted by 天山 at 05:36| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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