2013年06月01日

もののあわれについて613

野分 のわき

中宮の御前に秋の花を植えさせ給へること、常の年よりも見所多く、色種をつくして、由ある黒木赤木のませを結ひまぜつつ、同じ花の枝ざし姿、朝夕露の光も世の常ならず玉かと輝きて、造り渡せる野辺の色を見るに、はた春の山も忘られて、涼しう面白く、心もあくがるるやうなり。春秋の争ひに、昔より秋に心よする人は数まさりけるを、名だたる春の御前の花園に心よせし人々、またひきかへしうつろふ気色、世の有様に似たり。




中宮の、お庭先に、秋の花を植えていらっしゃることは、いつもの年より、見事な眺めで、ありとあらゆる種類の色を集めて、趣のある黒木赤木の、ませ垣を所々にのぞかせて、同じ花といっても、その枝ぶり格好、朝夕の露の光も格別で、玉かと思うほどに輝き、一面に、作られた野辺の色を見ると、春の山も、忘れて、涼しく結構であり、心も抜け出てゆくようである。
春か、秋かとの、論争には、昔から、秋に味方する人が多く、評判の春の御方の花園に、心奪われた人々が、今度は、取って返して、心変わりする様子は、世間の人が、権勢につくのと、似ている。




これを御覧じつきて里居し給ふ程、御遊びなどもあらまほしけれど、八月は故前坊の御忌月なれば、心もとなく思しつつ明け暮るるに、この花の色まさる気色どもを御覧ずるに、野分例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。花どものしをるるを、いとさしも思ひしまぬ人だにあなわりなと思ひ騒がるるを、まして、叢の露の玉の緒乱るるままに、御心惑ひもしぬべく思したり。おほふばかりの袖は、秋の空にしもこそほしげなりけれ。暮れゆくままに物も見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじ、と、花の上を思し嘆く。




このお庭が、お気に召して、お里にいらっしゃる頃、音楽会なども催したいが、八月は、父宮がお亡くなりになった月なので、気にされながら、一日一日を送っていらっしゃるうちに、庭の花の色が益々と美しくなる様子を、あれこれ御覧になっていると、台風が、いつの年よりも激しく、空の色も変わって、吹き出した。
色々な花がしおれるのを、それほど秋の庭に心奪われない人でさえ、困ったことだと、心も騒ぐものだが、まして中宮は、草むらの露が、緒が切れた玉のように、ばらばらと散るのを、気もおかしくなるほど、心配された。
大空を覆うほどの袖は、秋の空にこそ、欲しいと思うのである。
日が暮れてゆくにつれ、何も見えないほど、一面に吹き荒れて、とても気味が悪い。格子などを下ろしても、気がかりでたまらない、と、中宮は、花のことを心配されるのである。

何とも、美しい場面である。
こうして、野分の巻きがはじまる。




南の御殿にも、前栽つくろはせ給ひける折にしも、かく吹きいでてねもとあらの小萩はしかたなく待ちえたる風の気色なり。折れかへり露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見給ふ。大臣は姫君の御方におはしますほどに、中将の君参り給ひて東の渡殿の小障子のかたみより、妻戸のあきたる隙を何心もなく見入れ給へるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて音もせで見る。御屏風も、風のいたく吹きければ、押したたみ寄せたるに、見通しあらはなる庇の御座にい給へる人、物に紛るべくもあらず、気高く清らに、さと匂ふ心地して、春の曙の霞の間より面白き樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。あぢきなく、見奉るわが顔にも移りくるやうに愛敬は匂ひ散りて、もたなく珍しき人の御様なり。御簾の吹きあげらるるを人々押へて、いかにしたるにかあらむ、うち笑ひ給へる、いといみじく見ゆ。花どもを心苦しがりて、え見棄てて入り給はず。御前なる人々も、さまざまに物清げなる姿どもは見渡さるれど、目移るべくもあらず。大臣のいと気高くはるかにもてなし給へるは、かく、見る人ただにはえ思ふまじき御有様を、いたり深き御心にて、もしかかることもやと思すなりけり、と思ふに、気配恐ろしうて立ち去るにぞ、西の方より、内の御障子ひきあけて渡り給ふ。




南の御殿でも、お庭のお手入れされた、その時に、吹き出して、株もまばらな小萩が、待っていたにしては、激しい風の吹き具合である。繰り返し吹き、木の葉の露も、少しも残らないほど、吹き散らすのを、少し縁側に近く出て、見ておられる。殿は、姫君のお部屋にいらっしゃる時に、中将、夕霧の君が、こちらにおいでになり、東の渡殿の小障子の上から、妻戸のあいている隙間を、何気なく、覗きになったところ、女房が大勢見えるので、立ち止まり、音もさせずに、見ている。
屏風も風が強く吹いて、畳んで片付けてあるので、中まで、はっきりと見える。その庇の間の御座所に座っていらっしゃる方、何にも間違いようがない。気高く綺麗で、輝く感じで、春の夜明けの露の間から、見事な樺桜が、咲きこぼれているのを、見る思いがする。
情けなくなるほど、拝見している、我が身の顔にまで、降り掛かるように、美貌は一面に広がり、二人とないご立派な姿である。
御簾が、風に吹き上げられるのを、女房たちが、おさえて、どんなことをしたのか、にっこりとしたのは、素晴らしく見える。一面に咲いている、花を心配して、構わずに、中にお入りにならない。お傍の女房たちも、それぞれに皆、小ざっぱりした姿で、並んでいるのが、見えるが、目が移るはずもない。
大臣が、自分をここに近づけず、ずっと離しておられるのは、このように、見る人が、そのままで心を動かさずにはいられない、美しさだから、行き届いた、お方のことで、あるいは、こんなことが起こるかもしれないと、思ってのことだったと、思うと、空恐ろしくなり、歩み離れる、丁度そこに、殿様、源氏が、西の対から、奥の襖を開けて、お入りになった。

この文体は、また格別の味わいがある。

その、比喩の在り様が、実に、美しい。
野分とは、台風のこと。
強い風の吹くことを言う。

春の曙の霞の間より面白き樺桜の咲き乱れたるを見る心地す

何とも、優美で、涼やかである。

物語の楽しみは、その文体にもあるのだ。


posted by 天山 at 05:54| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月02日

もののあわれについて614

源氏「いとうたて、あわただしき風なめり。御格子おろしてよ。男子どもあるらむを、あらはにもこそあれ」と聞え給ふを、また寄りて見れば、物聞こえて大臣もほほえみて見奉り給ふ。親とも覚えず、若く清げになまめきて、いみじき御容貌の盛りなり。女もねびととのひ、あかぬ事なき御様どもなるを身にしむばかり覚ゆれど、この渡殿の格子も吹き放ちて立てる所のあらはになれば、恐ろしうて立ちのきぬ。今参れるやうにうち声づくりてすのこの方に歩み出で給へれば、源氏「さればよ。あらはなりつらむ」とて、「かの妻戸の開きたりけるよ」と今ぞ見とがめ給ふ。「年頃かかる事の露なかりつるを、風こそげに巌も吹き上げつべきものなりけれ、さばかりの御心どもを騒がして、珍しく嬉しき目を見つるかな」と覚ゆ。




源氏は、嫌だね、心配させる風だ。御格子を下ろしてくれ。下男どもがいるだろうに、丸見えだ、と申し上げるのを、もう一度傍によって見ると、何か言って、殿も一緒にほほえんで顔を見ている。自分の親とも思えない。若々しく、綺麗であでやかで、素晴らしい盛りのお姿である。
女、紫の上も、成熟して、何一つ不足のない、お二人の姿である。身に染むほどに感じられるが、こちらの渡殿の格子も、風が吹き出して、立っているところが、丸見えになったので、怖くなり、立ち退いた。
今はじめて、伺ったようにして、咳払いをして、すのこの方に、歩み出て行くと、源氏が、それ御覧、丸見えだっただろう、と、あの妻戸が開いていたなと、今改めて、気付かれる。長年、こういうことは、少しもなかったのだが、風というものは、昔から言うとおり、大きな岩でも、吹き上げてしまうことの出来るものだった。あれほどの、方々の気持ちを騒がして、またとない、嬉しい目を見たものだという、気がするのである。

さばかりの御心ども
源氏と、紫の上のこと。




人々参りて、「いといかめしう吹きぬべき風に侍り。丑寅の方より吹き侍れば、この御前はのどけきなり。馬場のおとど、南の釣殿などはあやふげになむ」とて、とかく事行ひののしる。源氏「中将はいづこよりものしつるぞ」夕霧「三条の宮に侍りつるを、風いたく吹きぬべし、と人々の申しつればおぼつかなさに参り侍りつる。かしこにはまして心細く、風の音をも今はかへりて若き子のやうにえぢ給ふめれば、心苦しさにまかで侍りなむ」と申し給へば、源氏「げに早まうで給ひね。老いても行きてまた若うなること、世にあるまじき事なれど、げにさのみこそあれ」などあはれがり聞え給ひて、源氏「かくさわがしげに侍めるを、この朝臣侍へば、と思ひ給へ譲りてなむ」と御消息聞え給ふ。




男どもが参上して、大変な嵐になりそうでございます。東北の方から吹きますので、こちらは大したことはございません。馬場のおとど、南の釣殿などは、危険でございます。と、何やかにやと、風を防ぐ手立てを講じて、騒ぐ。
源氏は、中将は、何処から来たのだ。夕霧が、三条の宮におりましたが、酷い嵐になりそうだと、皆が申しますので、如何と思い、お見舞いに参りました。三条では、気が弱くなり、風の音も今は、小さな子のように、怖がりますので、お気の毒ですから、あちらへ参ろうと思います、と申し上げると、源氏は、その通りだ。早くあちらにお伺いいたせ。年を取るにつれて、再び幼くなるということは、有り得ないことではあるが、いかにも、そうしたものだな。と、気の毒に思い、申し上げて、このように騒がしい様子でございますが、この朝臣がお傍におりますと考え、これに代理させます、との言伝を申し上げる。

かくさわがしげに侍める
暴風で不安な様子である。

あはれがり聞え給ひて
ここでは、気の毒に思うという・・・
同情する気持ちも、あはれ、という。




道すがらいりもみする風なれど、うるはしくものし給ふ君にて、三条の宮と六条の院とに参りて御覧ぜられ給はぬ日なし。内裏御物忌などにえさらずこもり給ふべき日よりほかは、いそがしき公事節会などの、いとまいるべく事しげきに合はせても、まづこの院の参り宮よりぞ出で給ひければ、まして今日、かかる空の気色により、風のさきにあくがれありき給ふもあはれに見ゆ。宮いと嬉しうたのもしと待ち受け給ひて、大宮「ここらのよはひに、まだかく騒がしき野分にこそ会はざりつれ」と、ただわななきにわななき給ふ。大なる木の枝などの折るる音もいとうたてあり。大殿の瓦さへ残るまじく吹き散らすに、「かくてものし給へる事」と、かつは宣ふ。そこら所せかりし御勢のしづまりて、この君をたのもし人に思したる、常なき世なり。今も大方のおぼえの薄らぎ給ふことはなけれど、内の大殿の御けはひはなかなかすこし疎くぞありける。




道々、激しく吹き舞う風だが、しっかりした性格の方で、三条の宮と、六条の院に、伺って、お目通りしない日はない。宮中の御物忌みなどで、やむを得ず、出られない場合以外は、忙しい仕事や行事などの、時間がかかる用事が多い時も、まず、この院に参上し、三条の宮に回り、そこからお出になるので、そして今日は、このような空模様なので、風の先に立ち、落ち着かずに、歩き回るのも、けなげに感じられる。
宮は、大変嬉しく、お待ちになっていて、こんな年になるまで、まだこのように、酷い野分には遭わなかった、と、ただ、震えてばかりいる。
大きな木の枝などが折れる音も、まことに、嫌な感じである。御殿の瓦まで、一枚も残らないほど、吹き荒れるが、大宮は、こんな時に、来てくださった、と、ふるえながらおっしゃる。辺り一面に、満ち溢れていた御威勢が、今は、ひっそりとして、この君を頼りにしているとは、儚い世の中である。今も、一般の評判が悪くはないが、内大臣の態度は、親子なのに、かえって少し、粗雑のようである。




中将、夜もすがら荒き風の音にもすずろにものあはれなり。心にかけて恋しいと思ふ人の御事はさしおかれて、ありつる御面影の忘られぬを、こはいかに覚ゆる心ぞ、あるまじき思ひもこそ添へ、いと恐ろしき事、とみづから思ひ紛らはし他事に思ひ移れど、なほふと覚えつつ、来し方行く末あり難くもものし給ひけるかな、かかる御なからひに、いかで東の御方、さる物の数にて立ち並び給ひつらむ、たとしへなかりけりや、あないとほし、と覚ゆ。大臣の御心ばへをあり難しと思ひ知り給ふ。人がらのいとまめやかなればにげなさを思ひ寄らねど、さやうならむ人をこそ同じくは見て明かし暮らさめ、限りあらむ命の程も今少しは必ず延びなむかし、と思ひ続けらる。




夕霧は、一晩中、激しい風の中で、ものあはれ、を感じている。前々から、恋しいと思う人のことを、忘れたわけではないが、先ほどのお姿が忘れられないのである。これは、何とした事か、けしからんことだ。まことに恐ろしいと、気を紛らわそうとするが、それでも、またふっと、浮かんでくる。昔も今も、二人といないお方だ。あれほどの夫婦仲に、どうして東の御方、花摘里が、女君の一人として肩を並べられるのか。比べ物にならないだろう。可哀想にと、思う。そして、殿のなさり方を、ご立派だと理解する。
夕霧は、生まれつき、誠実な性格なので、けしからぬことは考えないが、あれくらいの人を、同じ結婚するなら、相手にして、一日一日を送りたい。限りある命も、きっと少しは延びるだろうと、次々と思いが浮かぶ。

すずろにものあはれ
何となく、寂しい気持ち・・・
しんみりする・・・

花摘里は、夕霧の義母として、お世話をしている。

posted by 天山 at 05:10| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月03日

もののあわれについて615

暁方に風すこししめりて村雨のやうに降り出づ。「六条の院には離れたる屋ども倒れたり」など人々申す。風の吹きまふほど、広くそこら高き心地する院に、人々、おはします大殿のあたりにこそ繁けれ、東の町などは人ずくなに思されつらむと驚き給ひて、まだほのぼのとするに参り給ふ。道のほど横ざま雨いとひややかに吹き入る。空の気色もすごきに、「あやしくあくがれたる心地して、何事ぞや、またわが心に思ひくははれるよ」と思ひいづれば、いと似げなき事なりけり、あなものくるほし、と、とざまかうざまに思ひつつ、東の御方に先づまうで給へれば、おぢ困じておはしけるに、とかく聞えなぐさめて、人召して所々つくろはすべき由など言ひおきて南のおとどに参り給へれば、まだ御格子も参らず。




明け方に、風は少し湿気を含み、雨が村雨のように降り出す。六条の院では、離れている建物が、幾つも倒れた、などと、人々が報告する。風が吹き荒れている間、広々として、幾棟も高い六条の院で、召使どもが、殿のいらっしゃる御殿近くに、大勢いようが、東の町などは、人が少なく、心細く思われるだろうと、気付き、まだ東の空が、ほんのりとする前に、お出でになる。
その途中、横殴りの雨がとても冷たく吹き込む。空の様子も恐ろしく、とても変で、魂と雲と共に迷い出てゆきそうである。何と言うことか。もう一つ、自分に、物思う心がついたのだ、と、意識する。まことにけしからんことだ。何と狂気じみている。と、あれこれ思いながら、東の御方、花摘里に、お出でになると、怖がりきっている。色々と、気持ちの安らぐように申し上げ、下男を呼び、あちこちと、修繕するところを命じる。そして、南の御殿に上がられると、まだ格子も上げていない。

いと似げなき事なりけり
紫の上を思うことである。




おはしますにあたれる高蘭におしかかりて見渡せば、山の木どもも葺きなびかして枝ども多く折れふしたり。叢はさらにもいはず、ひはだ、瓦ねところどころのたてじとみ、透垣などのやうのもの乱りがはし。日のわづかにさし出でたるに、憂へ顔なる庭の露きらきらとして、空はいとすごく霧り渡れるに、そこはかとなく涙の落つるを、おしのごひ隠してうちしはぶき給へれば、源氏「中将の声づくるにぞあなる。夜はまだ深からむは」とて、起き給ふなり。何事かあらむ、聞え給ふ声はせで、大臣うち笑ひ給ひて、源氏「いにしへだに知らせ奉りずなりにし暁の別れよ。今ならひ給はむに心苦しからむ」とて、とばり語らひ聞え給ふけはひどもいとをかし。女の御いらへは聞えねど、ほのぼの、かやうに聞えたはぶれ給ふ言の葉のおもむきに、ゆるびなき御中らひかな、と、聞きい給へり。




二人のおいであそばすお部屋の前にある、高蘭に寄りかかり、お庭を見ると、築山の木を何本も吹き倒し、枝が沢山折れていた。草むらは、言うまでもなく、ひわだ、瓦、たちこちの垣根、透垣なども倒れて、散乱している。
日が少しばかり差してきて頃、心配顔の庭が、きらきらと輝いて、空一面に霧がかかって、何となく、涙が落ちる。それを押しぬぐい、咳払いをすると、源氏が、中将が来ているようだ。夜はまだ深いことであろうに、と、起きるようである。何事かと、おっしやり、お声は聞えないが、殿が笑い、昔でさえ、知らせずに終わった暁の別れ。今頃いつもになっては、大変だろう、と、しばらくの間、話し合っている様子は、また素晴らしい。女の返事は聞えないが、かすかながらも、このように冗談を言っている、やり取りの様子で、水も漏らさぬ仲だと、聞き入っていた。

ゆるびなき御中からひ
隙のない関係である。




御格子を御手づからひきあげ給へば、気近きかたはらいたさに立ちのきて侍ひ給ふ。源氏「いかにぞ、よべ宮は待ち給ひきや」、夕霧「しか、はかなきことにつけても涙もろにものし給へばいと不便にこそ侍れ」と申し給へば、笑ひ給ひて、源氏「今いくばくもおはせじ、まめやかに仕うまつり見え奉れ。内の大臣はこまかにしもあるまじうこそ憂へ給ひしか。人がらあやしうはなやかにををしき方によりて、親などの御孝をもいかめしき様をばたてて、人にも見おどろかさむの心あり、まことにしみて深き所はなき人になむものせられける。さるは心のくま多くいとかしこき人の、末の世に余るまで才類なく、うるさながら、人としてかく難なき事はかたかりける」など宣ふ。源氏「いとおどろおどろしかりつる風に、中宮にはかばかしき宮司など侍ひつらむや」とて、この君して御消息聞え給ふ。源氏「夜の風の音はいかが聞しめしつらむ。吹きみだり侍りしにおこりあひ侍りていと堪えがたき、ためらひ侍る程になむ」と聞え給ふ。




御格子を殿ご自身で上げられるので、あまりお傍近くて、具合が悪いと思い、立ち退いて、控える。源氏は、どうだった、昨夜は宮はお待ちで喜んでいただろう。夕霧は、さようでございます。ほんの少しのことでも、すぐ、涙を流しまして、まことに困ります。と、申し上げると、笑い、もう、大して長くもないだろう。ねんごろにお仕え申し、精々、お伺いすることだ。内大臣は、細かいところまで気をつけてくれないと、苦情を言っていた。性格は、凄く派手で、テキパキとするようだが、親に孝行なども、仰々しくする。世間の目を、驚かせようとする気持ちがあり、本当に心からの、親身さはない人だ。実は、策略に富んでいる、頭の良い人で、この末世には、もったいないほど、学問も並ぶ者がなく、気難しいところはあるが、人しては、これほど欠点がないのは、いないようだ、などと、おっしゃる。
源氏は、大変酷い風だったが、中宮の所には、役に立つ役人などは、いただろうか。と、この君を、お使いに、お手紙をことづける。
源氏は、昨夜の風の音は、どのように、お聞きあそばしたことでしょうか。吹き荒れて、おりました時に、持病がおこりまして、参上をためらっておりますところです。と、申し上げになる。

おこりあひ侍りて
おこり、とは、神経痛のようなもの。




中将おりて、中の廊の戸より通りて参り給ふ。朝ぼらけのかたち、いとめでたくをかしげなり。東の対の南のそばに立ちて御前の方を見やり給へば、御格子二間ばかりあげて、ほのかなる朝ぼらけの程に御簾巻き上げて人々居たり。高蘭におしかかりつつ若やかなる限りあまた見ゆ。うちとけたるはいかがあらむ、さやかならぬ明けぐれのほど、いろいろなる姿はいづれともなくをかし。童べおろさせ給ひて虫の籠どもに露かせ給ふなりけり。しをん、なでしこ、濃き薄きあこめどもに、をむなへしのかざみなどやうの、時にあひたるさまにて四五人つれて、ここかしこの叢によりていろいろの籠どもを持てさまよひ、なでしこなどのいとあはれげなる枝ども取りもて参る、霧のまよひはいとえんにぞ見えける。




中将、夕霧は、縁からおりて、中の廊の戸を通り、お出でになる。朝日を受けた姿は、立派であり、見事だ。東の対の南側に立ち、寝殿の方を遥かに見ると、御格子を二間ほど空けて、ほんのりとした弱い朝日の光の中に、御簾を巻き上げて女房たちが、座っている。
高蘭に寄りかかり、若々しい女房ばかりで、大勢が見える。くつろいだ姿は、よく見れば、どのようなのかわからないが、ぼんやりした夜明け前の暗さでは、色々な美しい色の衣装を着ている姿は、どれも、見事である。女の童を庭に下ろして、虫篭を幾つも持たせて、露をやっているのである。紫苑、撫子、紫の濃いものや、薄いものや、あこめの上に、女郎花のかざみなどを着た、季節に相応しい服装で、四、五人連れ立って、あちこちの草むらに近づき、色とりどりの虫篭を持って、歩き回り、撫子などの、見るからに痛々しい枝を何本も取って、持って来る姿が、霧の中にかすんで見えるのは、実に、妖艶な気色である。

なでこしのいとあはれげなる枝ども
撫子のとても、あはれ、なる・・・つまり、痛々しい、酷い・・・などの意味として考える。

いとえんにぞ見えける
とても、艶に見えるのである。


posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月04日

もののあわれについて616

吹きくる追風は、しをにことごとににほふらむ香のかをりも、ふればひ給へる御けはひにやと、いと思ひやりめでたく心げさうせられて、立ち出でにくけれど、忍びやかにうちおとなひて歩み出で給へるに、人々けざやかに驚き顔にはあらねど、皆すべり入りぬ。御まいりの程など、童なりしに入り立ち慣れ給へる、女房などもいと気疎くはあらず、御消息啓せさせ給ひて、宰相の君、内侍などけはひすれば、私事も忍びやかに語らひ給ふ。これはた、さいへど気高く住みたるけはひ有様を見るにも、さまざまに物思ひいでらる。




そのあと、風がこちらに吹いてくると、紫苑の花の全てが匂うように、香の匂いで、これは、中宮が、おふれになったことであろうか。そう思うと、大変素晴らしい気がして、つい緊張する。出て行きにくく、小声で挨拶して、静かに歩を進めると、女房たちは、際立って狼狽する風ではないが、一同、奥に入ってしまった。
入内された時は、まだ子供だったので、御簾の中に入り、いつも一緒にいらしたものだから、女房たちも、よそよそしくない。お言葉をお耳に入れるようにおっしゃり、宰相の君、内侍などがいる様子がするので、私事を小声で、お話あいになる。中宮も、こちらで、何と言っても、上品で過ごされている様子をみると、色々なことを思うのである。

さまざまに物思ひいでらる
つまり、自分の好きな人のことなどである。




南のおとどには、御格子まいり渡して、よべ見棄て難かりし花どもの行く方も知らぬやうにてしをれふしたるを見給ひけり。中将御階に居給ひて御返り聞え給ふ。秋好「荒き風をもふせがせ給ふべくやと若々しく心細く覚え侍るを、今なむなぐさめ侍りぬる」と聞え給へれば、源氏「あやしくあえかにおはする宮なり。女どちはもの恐ろしく思しぬべかりつる夜の様なれば、げにおろかなりとも思いてむ」とて、やがて参り給ふ。御直衣など奉るとて御簾ひきあげて入り給ふに、短き御凡帳ひきよせてはつかに見ゆる御袖口は、さにこそはあらめと思ふに、胸つぶつぶと鳴る心地するもうたてあれば、外ざまに見やりつ。殿御鏡など見給ひて、忍びて、源氏「中将の朝けの姿はきよげなりな。ただ今はきびなるべき程を、かたくなしからず見ゆるも心の闇にや」とて、わが御顔はふり難くよし、と見給ふべかめり。




南の御殿では、御格子を上げて、昨夜見難かった、花が、見る影も無くしおれ伏しているのを、見ていらっしゃった。中将、夕霧は、階段に座して、お返事を申し上げる。激しい嵐でも、防いで下さることと、子供のように心細く思っていましたが、やっと、気が休まりました、とお伝えすると、源氏は、妙に気が弱くなっている宮様だ。女ばかりでは、空恐ろしく思ったに違いない、夕べの荒れ方だから、お言葉通り、放っておいたと思ったのだろう。と、すぐにお出かけになる。
御のうしなどをお召しになるため、御簾を引き上げて中に、お入りになる時に、短い御凡帳を傍に引き寄せて、ちらっと見える袖口は、紫の上に違いないと思うと、胸がどきどきする。よくないことと、視線をそらせた。
源氏は、お鏡などを御覧になり、小声で、中将の朝の姿は、綺麗だ。ほんの子供のはずなのに、悪くなく見えるのは、親心の迷いかと、おっしゃり、自分の顔は年を取らなず、美しいと、御覧になっている様子である。

秋好、とは、秋を好む、中宮のこと。




いといたう心げさうし給ひて、源氏「宮に見え奉るは恥づかしうこそあれ。何ばかりあらはなるゆえゆえしさも見え給はぬ人の、おくゆかしく心づかひせられ給ふぞかし。いとおほどかに女しきものから、気色づきてぞおはするや」とて、出で給ふに、中将眺め入りて、とみにも驚くまじき気色にて居給へるを、心とき人の御目にはいかが見給ひけむ、立ちかへり、女君に、源氏「昨日風のまぎれに、中将は見奉りやしてけむ。かの戸のあきたりしによ」と宣へば、面うち赤みて、紫上「いかでかさはあらむ。渡殿の方には人の音もせざりしものを」と聞え給ふ。源氏「なほあやし」とひとりごちて渡り給ひぬ。御簾のうちに入り給ひぬれば、中将、渡殿の戸口に人々のけはひするに寄りて物など言ひたはぶるれど、思ふ事の筋筋嘆かしくて、例よりもしめりて居給へり。




とても心づかいされて、源氏は、中宮にお目にかかるのは、気が引ける。なんといっても、目につくほどの、特徴を持っていると見えないお方だが、何か奥にありそうな気がして、つい緊張してしまう。まことにおおようで、女らしい方なのに、うっかり出来ないお方だ。とおっしゃり、外に出られると、中将は、物思いに沈み、急に気付きそうも無い様子で、座り込んでいる。すぐ気のつく方には、どのように見えるのか。源氏は戻り、女君に、昨日の風が吹いた騒ぎで、中将は、あなたを見たのではないか。あの戸が開いていたからと、おっしゃると、紫の上は、顔を赤らめて、どうしてそんなことがありましょう。渡殿のほうに人の物音もしませんでした。とおっしゃる。源氏は、それでも、変だ、と独り言を言って、お出かけになる。
中宮の御簾の中にお入りになったので、夕霧は、渡殿の戸口に女房たちがいるらしいので、近寄り、冗談を言ったりするが、あれを思い、これを思えば、たまらなくなり、いつもより、沈み込んでいらした。




こなたよりやがて北に通りて、明石の御方を見やり給へば、はかばかしき家司だつ人なども見えず、なれたる下仕どもぞ草の中に交りてありく。童べなど、をかしきあこめ姿うちとけて、心とどめ、取りわきうえ給ふりんどう、朝顔のはひ交れるませも、みな取り乱れたるを、とかく引き出でたづぬるなるべし。物のあはれに覚えけるままに、筝の琴をかきまさぐりつつ、端近う居給へるに、御さきおふ声のしければ、うちとけなえばめる姿に小うちぎひきおとしてけぢめ見せたる、いといたし。端の方につい居給ひて、風の騒ばかりをとぶらひ給ひて、つれなく立ちかへり給ふ、心やましげなり。

明石
おほかたに 萩の葉すぐる 風の音も うき身ひとつに しむ心地して

と、ひとりごちけり。




こちらから、そのまま北に抜けて、明石の御方のお住まいを、御覧になると、家司の者も見えず、物慣れた下女たちが、草を分けて、あちこちと、後始末をしている。女の童など、美しいあこめ姿でくつろぎ、心を込めて、特別に植えている、リンドウ、朝顔などが、丈の低い垣根に這ったまま、あちこちに倒れて、ばらばらになっているのを、あれこれと引き出して、元の姿を探しているのだろう。
心打たれるままに、筝の琴をもてあそびつつ、縁近くに座っているところを、お先払いの声がしたので、くつろいだ普段着に、小うちぎを掛けて、けじめを見せたところ、立派である。
縁近くに膝をついて、風のお見舞いをおっしゃっただけで、源氏は、無情にもお立ち帰る。胸を痛めることだろう。

明石
意味なくも、荻の葉を通り過ぎる、風の音も、情けない、我が身に染み入る気がします。

と、独り言を言うのである。


posted by 天山 at 00:13| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月05日

もののあわれについて617

西の対には恐ろしと思ひ明かし給ひける名残に、寝すぐして今ぞ鏡なども見給ひける。源氏「ことごとしく前な追ひそ」と宣へば、殊に音せで入り給ふ。屏風なども皆たたみよせ、物しどけなくなしたるに、日のはなやかにさしいでたるほど、けざけざともの清げなる様して居給へり。近くい給ひて、例の風につけても同じ筋にむつかしう聞えたはぶれ給へば、堪へず、うたてと思ひて、玉葛「かう心憂ければこそ今宵の風にもあくがれなまほしく侍りつれ」とむつかり給へば、いとよくうち笑ひ給ひて、源氏「風につきてあくがれ給はむや、軽々しからむ。さりともとまる方ありなむかし。やうやうかかる御心むけこそ添ひにけれ。道理や」と宣へば、「げにうち思ひのままに聞えてけるかな」と思して、自らもうち笑み給へる、いとをかしき色あひつらつきなり。頬づきなどいふめるやうにふくらかにて、髪のかかれる隙々美しう覚ゆ。まみのあまりわららかなるぞ、いとしも品高く見えざりける。その外はつゆ難つくべうもあらず。




西の対では、一晩中、恐ろしいと思い明かした。その気持ちのままに、朝寝してしまい、今、鏡に向っていた。源氏は、大げさに先払いするな、とおっしゃるので、大きな音を立てず、お入りになる。屏風なども、皆、隅に寄せて、乱雑にしてあるところへ、朝日が鮮やかに、照らした中に、くっきりと、美しい感じで座っておられる。
その傍に座り、おきまりの、風の見舞いをおっしゃりながら、いつもの、恋人のように、うるさい冗談を言うので、聞くに耐えず、嫌に思い、こんなに情けないので、夕べの風と一緒に、行ってしまいたいと思いましたと、機嫌を悪くすると、すっかり笑顔になり、源氏は、風の吹くままに、行ってしまうとは、軽過ぎるでしょう。それにしても、落ち着く先があるのでしょうね。次第に、このような気持ちになってきたのですね。無理もない。とおっしゃると、お言葉通り、心に浮かぶままに申し上げたと思い、自分も笑顔になりつつ、大変可愛らしい顔色で、表情である。ほおずきのように、ふっくらとして、髪がかかっている隙から見える肌が、美しく思われる。目つきがにこやか過ぎるのが特に上品とは、見えないのである。それ以外に、非難のしようがない。

最後は、作者の言葉である。




中将、いとこまやかに聞え給ふを、いかでこの御容貌見てしがな、と思ひ渡る心にて、すみのまの御簾の凡帳は添ひながらしどけなきを、やをら引きあげて見るに、紛るるものどもも取りやりたれば、いとよく見ゆ。かくたはぶれ給ふ気色のしるきを、「あやしのわざや。親子と聞えながら、かくふところ離れずもの近かべき程かは」と目とまりぬ。「見や付け給はむ」と恐しけれど、あやしきに心もおどろきてなほ見れば、柱がくれに少しそばみ給へりつるを、引きよせ給へるに、御髪のなみよりてはらはらとこぼれかかりたる程、女もいとむつかしく苦しと思ひ給へる気色ながら。さすがにいとなごやかなる様して寄りかかり給へるは、ことと馴れ馴れしきこそあめれ。「いであなうたて。いかなる事にかあらむ。思ひよらぬ隈なくおはしける御心にて、もとより見馴れおほしたて給はぬは、かかる御思ひ給へるなめり。うべなりけりや。あなうとまし」と思ふ心も恥づかし。




中将、夕霧は、源氏がしきりに話し込んでいるので、何とか、こちらの器量を見たいものだと、前々から思っていたので、隅の間の御簾が、凡帳が奥に立ててあるが、きちんとしていないので、そっと持ち上げて、中を覗くと、邪魔なものも片付けてあるので、大変よく見える。
このように、ふざけている様子が、はっきりと解るので、変なことだ。親子とはいえ、このように、抱かかえるほどに、近くいてよい年だろうか、と目に留まった。
見つけられないかと、恐ろしいが、変なので、驚き、そのまま見ていると、柱に隠れて、少し横を向いていた女君、玉葛が、源氏を引き寄せると、御髪が、はらはらと着物にこぼれかかったところ、玉葛も、嫌だ、困ると、思っているようだが、それでも、穏やかな様子で、源氏に寄りかかっているのは、特別慣れ親しんだ仲なのだろう。
いやいや、酷い。どういうことなのか。女には、抜け目無くしていられる方だから、生まれた時から、育てにならなかった人には、このような考えもおこすのだろ。なるほど、ああいやだ、と、そう思う自分も恥ずかしくなるのである。

源氏と玉葛の二人の様子を見て、夕霧が驚き、そして、恥ずかしくなるのだ。




女の御さま、げにはらからといふとも、すこし立ちのきてことはらぞかしなど思はむは、などか心あやまりもせざらむ、と覚ゆ。きのふ見し御けはひにはけおとりたれど、見るに笑まるる様は立ちも並びぬくべき見ゆる。八重山吹きの咲き乱れたるさかりに露のかかれる夕映ぞ、ふと思ひいでらるる。折にあはぬよそへどもなれど、なほうち覚ゆるやうよ。花は限りこそあれ、そそけたるしべなども交るかし。人の御容貌のよきたとへむかたなきものなりけり。御前に人も出で来ず、いとこまやかにうちささめき語らひ聞え給ふに、いかがあらむ、まめだちてぞ立ち給ふ。女君は、
玉葛
吹き乱る 風のけしきに をみなへし しをれしぬべき 心地こそすれ

くはしくも聞えぬに、うち誦じ給ふをほの聞くに、憎きもののをかしければ、なほ見はてまほしけれど、近かりけりと見え奉らじと思ひて、立ち去りぬ。
御かへり

源氏
した露に 靡かましかば をみなへし 荒き風には しをれざらまし

なよ竹を見給へかし」など、ひが耳にやありけむ。聞きよくもあらずぞ。




女、玉葛の様子は、兄妹といっても、少し縁薄く、腹違いなのだと思うと、どうして間違いを起こさないであろうかと、思われるほどだ。
昨日見た、紫の上の器量には及ばないが、一目見れば、にっこりしてしまう様は、同格だと見える。
八重山吹きの咲き誇る盛りに、露がかかり、そこに夕日が輝く美しさが、ふっと、思い浮かぶのである。季節に合わないたとえだが、そんな感じがするのだ。
花は、美しいといっても、限りのあるもの。ばらばらになったり、しべなども、ないではない。でも、人の姿の美しいことは、例えようもないこと。
御前には、誰も出て来ないので、しんみりと小声で話し合っている。そして、どうしたわけか、急に真面目になり、お立ちになった。女君が、

そこらを吹き荒らす風のせいで、女郎花は、しおれて枯れてしましそうな気持ちがします。

はっきりとは、聞えないが、源氏が、口ずさむのが耳に入ると、疎ましいものの興味が湧くので、このまま最後まで、見ていたいのだが、源氏が、傍にいたいと思われると困ると思い、立ち離れた。
御返事
人知れず、愛情を受け入れるなら、女郎花は、世間の荒い風に、しおれることはないだろう。
なよ竹を見なさい、など、聞き違いだろうか。あまり、聞きよいやり取りではないと思われる。

なよ竹、とは、風が吹いても、折れることはない、の例えである。

複雑な心境の、夕霧を描くのである。


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2013年06月06日

ミンダナオ島へ

長年願っていた、フィリピン、ミンダナオ島へ向う。

願っていたことは、日本兵の慰霊である。
しかし、ミンダナオ島の北部で、二年続けて、台風の被害甚大だった。

200万人の被災者であり、死者は、1500人を超えた。
その中心の町が、カガヤン・デ・オロである。

千人以上の死者であり、河が氾濫し、川沿いの人々の家が、すべて流された。
土砂、樹木などが、流れて、今も、その場所に遺体があるという。
土の下に、である。

新聞では、国連が、緊急支援をしたとあった。
テント、毛布、食糧、食器などの支援である。
だが、何一つ、現地に届いていないという、現実である。

驚いた。
そして、それらは、届いているが、何処かで、留まっている・・・と言う。
何処で、留まっているのか・・・

政府の支援も無い。
唯一、カガヤンデオロ市が、一度だけ、警官を使い、水とパンを渡したのみ。

名言がある。
支援・・・それは、金持ちをより金持ちにし、貧しい人は、より貧しくなる。
どういうことか・・・

とても、残念で、卑劣極まりないことである。

このことについて、後々に私の所見を書く。

ミンダナオ島は、ルソン島に次いで、二番目に大きな島である。
北海道の、1,3倍の大きさ。

本来、ミンダナオ島は、台風が通過しない島だった。
気候も、一年を通して、温暖で、過ごしやすいと言われる。が、違った。
今回は、とても暑い。最も、暑い時期だった。

そして、ミンダナオ島は、泥沼化した紛争を抱えている。
ミンダナオは、元々、イスラムが多い島である。
その民族にモロ族がいる。

島の分離独立を目指す、モロ・イスラム解放戦線MILFなどが、政府軍との戦いを続けていた。
だが、昨年、日本の仲介により、和解案が、決定した。
独自の自治統治を政府が認めたのである。

それは、ミンダナオの西側であるから、旅行者には、注意勧告が出されている。

日本軍は、当時、三箇所に基地を置いていた。
その一つが、西側のコタバト州である。
そして、ダバオと、西の端の、サンポアンガである。

つまり、全土を戦場としていたのである。

コタバト州にも、慰霊に出掛けたいと思っている。
今回は、カガヤンデオロにて、日本兵の慰霊を行ったが・・・

未だに、ジャングルに入った、軍の一部の隊が見つかっていないという。
勿論、全滅したのだろう。

カガヤンデオロに関しては、ガイドブックに、載っていない。
故に、何も解らない。
そこで、ダバオに縁が深い、森川氏の協力を頂き、私の活動が出来た。

森川氏は、日本在住で、年に何度か、ダバオに出掛けている。
私の活動に、以前から、協力して下さっていた方である。

さて、今回、私たちは、格安航空券を手に入れて、マニラに向かい、その日のうちに、カガヤンデオロに向った。
夜、遅くにカガヤンデオロに到着した。

森川氏の紹介で、迎えに来てくれるという方に、遅いので、断りの電話をして、空港から、車に乗った。

10分ほど、走った時である。
私は、懐に手を入れて、パスポートを探した。
着物の懐に入れることが多い。
特に、搭乗する際は、提示を求められるので、そうしていた。

ところが、パスポートが無い。
体を一回りしてみたが、無い。

急遽、空港に戻ることにした。

今の飛行機の中に落としたのである。
丁度、三席空いていた所に座り、横になって寝た。
その時に、落としたのである。

だが・・・
飛行機は、マニラに飛び立った。
フィリピンの安い飛行機は、客を下ろすと、また客を乗せて、飛び立つ。

事務所にて、説明する。
だが、フィリピンは、一度無くしたものは、出て来ないのである。
スタッフが、翌朝電話をくれるということで、終わったが・・・

電話無し、音沙汰無しである。

良い悪いの問題ではないが、フィリピン人は、自分の仕事以外のことをしない。
更に、責任の所在が無いのである。

結果的に、見つからないと、ダバオに行く日に聞かされた。
見つからないのではない。
見つけようとしなかった。
見つけても、知らない振りをする。

サービス精神というものを、養っていないのである。
高級ホテルならば、それがあるのだろうが・・・

諦めて、パスポート紛失ということで、警察に紛失届けをすることになる。

海外で、パスポートを無くすことは、致命的である。
行動が、制限されるし、何事かあっても、身分を証明出来ないのである。

同行のコータが、心配し過ぎて・・・
だが、私は、暢気に構えていた。

しょうがない・・・


posted by 天山 at 04:55| ミンダナオ島へ平成25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月07日

ミンダナオ島へ2

カカヤンデオロのホテルは、森川氏に紹介されていた、一泊、900ペソのホテルにした。

円安により、ペソも、一万円が、3900ペソ程度である。昔は、1ペソ2円だったが、今回は、2,5円である。

つまり、私には、値上がりである。

さて、ホテルの部屋は、比較的快適だったが、街の様子が全く解らないという、欠点があった。
いつも、私が泊まる、ゲストハウスや、格安ホテルなどとは、違う。
街から、隔離されているような・・・

そこで、翌日、森川さんの紹介の、カレッジの教授である、クリフォードさんとお会いしてから、ホテルを替えることにした。

タクシーに乗り込み、ダウンタウンのホテルへと言った。
すると、タクシー運転手は、オッケーと言い、自分の知るホテルに向った。

そこに、二泊することになる。
支援活動は、明日の午前10時からと、決めてあったので、そのままホテルにチェックインした。

ダウンタウンの真ん中・・・
とても、活気があり、騒然とした雰囲気である。
これは、いい。
人々の表情が良く見えるのである。

そして、早速、両替屋に向う。
そこで・・・
日本円、一万円が、3300ペソと言われた。
愕然である。

ドルなら、4000ペソを超える。
そこで、私とコータのドルを200ドル交換することにした。
後で、とても率が低いことが解るが・・・

それから、地元の食堂である。
私は、現地の人たちが行く、食堂に行くことにしている。
とても安いのと、現地の人たちを見られる、また、話が出来るからだ。

観光するのではない。
様々な情報を得るためである。
そういう旅をしているのである。
これが、私の好む旅である。

慰霊と支援の旅。
それが、私の好むもの。
つまり、観光旅行で、高級ホテルに泊まり、高価な食事をする人は、それが好み。
良し悪しではない。

好みなのである。

ボランティアをしているという、善意ある行為とも思わない。
好きだから、しているのである。
だから、色々な批判は、私には当たらない。
偽善者でもない。

好みでしているのである。
指向といっても、いい。

ゲストハウス、格安ホテルは、様々な問題がある。
挙げれば、キリが無い。

シャワーの出が悪いから、何から何まで・・・
ただし、エアコンだけは、壊れていては、死ぬ。

安全面にも、問題があるが・・・
私は、盗まれるほどの物を持たない。
何せ、格好から着物以外は、支援物資にならないものを、着ているのである。

決して、裕福な日本人には、見られない。

最初は、支援物資で、満杯なバッグも、終わると、畳んで、小さなバッグに入れて、更に、買い物袋を入れる。
それなりに、バッグに見えるように・・・

だから、空港での検査の際に、驚かれることも多々ある。
何・・・このビニール袋は・・・この日本人は、いかれている、と思われてもしょうがない。

ある時、タイからアメリカ系の飛行機に乗った際に、乗る直前の抜き打ち検査があった。その時、私のバッグを開けた検査員は、途中で見るのを止めたほど。
オッケー・・・
ビニール袋とトイレットペーパーが・・・
ホテルで使わなかった、ペーパーも持って来るという、始末。

ということで、地元の食堂で食事をすると、50ペソ程度で済むのである。
時には、それ以下。
100円前後の食事である。
だから、お金は、使わないのである。

宿泊費が大半。
それで、ストリートチルドレンに食べ物を買う。一緒に、食事をする。
それが、私の好みである。

さて、翌日は、クレフォードさんと、その学生三名が、お手伝いをしてくれるということで・・・楽しみである。
若者と、話が出来る。

兎に角、現地の人との出会いが、楽しみ。
更に、明日は、支援を終えて、日本兵の慰霊と、台風被害で亡くなった皆さんの慰霊もする予定である。

その川の氾濫の中心部である。
川沿いに出て、慰霊を行う。
それによって、色々なことを知る。
こうして、始まった、ミンダナオ島の活動である。

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2013年06月08日

ミンダナオ島へ3

翌日、5月16日、朝10時に、クリフォードさんの、カレッジに向う。
持参した、支援物資を持って、タクシーに乗る。

カレッジは有名なので、説明がいらない。
到着すると、クリフォードさんと、学生三名が、待っていた。

あらかじめ、日本から送っておいた支援物資の箱を、開けて、それぞれ分別して、袋に入れることにした。
それは、クリフォードさんの提案である。
そうしなければ、現地で、奪い合いになると言う。

私は、持参した支援物資も、出して、分別して貰った。
その時間、一時間ほどかかった。

部屋には、エアコンが無いので、汗だくである。

男子、二人、女子が一人。
女子の名前が、アップルというので、すぐに覚えた。
私は、頼むことは、何でも、アップルさんに、言った。
二人の男子の名前が、覚えなられないからだ。

その作業の合間に、色々な学生が、出入りする。
それが、楽しかった。
時々、話をした。といっても、私の英語であるから・・・

支援物資は、約200キロである。
それを、小分けにする作業は、大変だった。

終わり掛けた時に、クリフォードさんが、外に出て、バイクタクシーを校内に連れて来た。

荷物と、六名が、そのバイクタクシーに乗るという。
何でもありの、フィリピンである。

風も、熱い。
台風被害のスラムに向う。

そこは、クリフォードさんの家の近くだという。

私は、日の丸を掲げた。
道端の人たちが、日の丸を見ている。


posted by 天山 at 05:36| ミンダナオ島へ平成25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月09日

ミンダナオ島へ4

朝、9:45に、クリフォードさんの大学へ、支援物資を持参して、向う。
10時に行く予定にしていた。

広い大学構内を車が走り、クリフォードさんの部屋の前に着く。
すでに、三名の学生が待機していた。

私が送った荷物も、そのままで、置いていた。
私が行くまで、開けないという約束だった。

それから、仕分けが始まった。
男女別子供の衣類、男女別アダルトの衣類・・・

赤ちゃんのもの・・・
その他、毛布系、タオル系は、私が、一枚一枚、手渡すことにした。

部屋には、扇風機だけで、暑い。
汗を流しつつ、作業をする。

女の子が一人、名前は、アップルさん。私は、彼女の名前だけ、覚えたので、何でも、アップルと呼んで、お願いした。すると、二人の男子も、アップルを手伝う。

ようやく、仕分けが終わり、それぞれ、小袋に入れて、一時間以上過ぎた。
それから、現地に向う。

クリフォードさんが、バイクタクシーを呼んできた。
そこに、皆、乗り込む。

後ろの座席に三名、運転手の横に、一人ずつ。
どんな乗り方をしても、法律に触れないというのが、いい。

台風被害の、真ん中に向う。
二メートル以上の水が押し寄せて、流したという場所。

何も無くなっていた。
が、その付近に、皆さん、小屋を建てて、住む。

日の丸を掲げていたので、それを見た、子供たちが、即座に集まり、次に、女性たちが・・・

続々と、出て来た。
何も、予告していないはずなのに・・・

広い場所にバイクタクシーが止まり、荷物を下ろす。
その間に、クリフォードさんが、皆さんを二列に並ばせる。

支援物資が足りればいいが・・・と、思った。

それではと、私が、皆さんに向かい、日本からのプレゼントです、と大声で言った。
そして、アップルさんに、初めて下さいと合図する。

私は、ベビー用品を持って、赤ん坊を抱く女性を探して、渡す。
その間も、どんどんと、人が出て来た。
男たちも来た。
ただ、働きに出ているせいか、男たちは、少ない。

次第に、列が乱れる。
危ない状況である。

何度も、列を修正しつつ、手渡しする。

私は、ベビー物が終わり、毛布系を渡し始めた。
人が殺到する。
落ち着いてと、手で、人々を抑える。
だが・・・

混乱ぎみ。

そして、次に、バスタオル類である。
それも、殺到するので、静かにと、呼び掛ける。

お祭りのような、騒ぎである。
後半になると、列が無くなった。
てんでに、人々が、受け取りに来る。

最後の、フェイスタオルである。
もう、誰が誰か、解らない状況である。

だが、兎に角、渡し終えた。
人々は、まだ、その辺に、集う。

その中に、丸裸の男の子が・・・
あらっ・・・もう無い・・・
私は、バイクタクシーに積んでいた、着替え様の、テーシャツを二枚出して、男の子に着せた。
それで、足まで、隠れる。

すると、おじさいが、欲しいと言うので、もう一枚を差し上げる。

コータは、写真を撮るので、精一杯だつたと、言う。
クリフォードさんも、写真を撮っていたが・・・

私は、集まった皆様に、また、来ますと、言った。
もっと、プレゼントを持ってきます・・・

色々な人が、私に、ありがとう、と、言いに来た。
とても、丁寧な言葉で、感謝の言葉を言う人もいる。

クリフォードさんの、お母さん、奥さん、お姉さんも、やって来ていた。
それぞれ挨拶し、名前を言い合う。
クリフォードさんの家は、その上のあるという。

台風の際に、多くの人が、クリフォードさんの家に、逃げて来たという。

支援物資が、瞬く間に、無くなった。
もう、何も無い。
後は、笑顔だけ。

そして、さようなら、である。
皆さんに、ネクスト・タイム・スイユー・・・
あっという間の出来事。



posted by 天山 at 05:37| ミンダナオ島へ平成25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

ミンダナオ島へ5

支援を終えて、すぐに川沿いに行くことにした。
台風被害の中心部であり、尚且つ、日本兵の慰霊のためである。

その川沿いには、一本の大きな木があり、その木で、15名の人が助かったという。
水の高さが、木に記されていた。
矢張り、二メートル以上である。

更に、その碑も建っていた。
2011年、2012年の12月と、二度の台風直撃である。

クリフォードさんと、学生三名の方々には、後ろで見ていて貰った。

この、カガヤンデオロは、日本軍の、豹兵団の支配区であり、その他、ダバオには、拠兵団、そして、西側の端には、萩兵団という、三つの隊が活動していた。

特に、豹兵団と、萩兵団は、連合国、アメリカ軍だけではなく、現地のモロ族との戦いもあり、実に、大変な戦場となった。

私は、豹兵団の日本兵の慰霊を、最初に行った。
御幣を近くの木の枝から作り、それを依り代として、祝詞を献上する。

暫くの祈りと、黙祷であり、その次に、台風で亡くなった皆さんのために、祈る。

ところが・・・
台風被害の皆さんが、中々、反応しない。

実際、川沿いの土の中に、埋まっているというのだ。

土砂から、ゴミなどが、流れて、その中に埋もれてしまったとのこと。
その地域は、キリスト教徒の人たちが多いので、私は、キリスト教の祈りを唱えることにした。

だが、あまり長くやってはいられない。
暑いのである。

皆さんを待たせている・・・
御幣を川に流した。
ところが、私の足元に戻ってくるではないか。

再度、川に流すが、一度、すぐに沈む。そして、再び、浮き上がったが、また、沈んでしまった。

クリフォードさんに、皆さんも、毎日、祈ってくださいと言うと、クリフォードさんが、そのようにしますと返答する。
彼も、熱心なキリスト教徒である。

時間は、すでに一時を過ぎていた。
クリフォードさんの提案で、皆で食事をすることにした。

日本食がいいかと、尋ねられたので、現地の物をと答えた。
すると、バイクタクシーが走り出した。

荷物が無いので、楽々である。
街中を抜けて、ダウンタウン近くに戻る。

一軒の食堂に入ることになった。
ポークかチキンというので、私は、ポークにした。
そして、ヌードルかライスかと問われて、ヌードルにした。

あちらでは、ヌードルといっても、色々な種類がある。それは、それぞれの、店によって違う。
細い麺から、太い麺まで、色々ある。

私が気に入っているのは、春雨に近いものだ。ビーフンである。

兎も角、六名で食事をした。
色々な話題で盛り上がる。
すべて英語であるから、解ることと、解らないことがある。

支払いをすると、おおよそ、1000ペソ、2500円。

クリフォードさんは、私のパスポートの紛失を知るので、その後、警察署まで付き合うという。

心強いので、一緒に行って貰った。
学生たちも、一緒である。
本当に、迷惑を掛けた。

結局、紛失証明書を作り、それを、ダバオの領事館の下である、出張駐在官事務所に出すことにした。

すでに、時間は四時近くになっていた。
とても疲れた。

バイクタクシーに乗り、ホテルで私たちは、降ろして貰った。
これで、学生たちとも、お別れである。
次にまた、逢いましょう・・・

本当に、ご苦労さんだった。
彼らがいなければ、とんでもないことになっていた。

男子学生のガールフレンドが、日本の名古屋の大学に留学していた。
彼は、死ぬほど、逢いたいと言うので・・・
皆が、笑った。

兎に角、カガヤンデオロでの、活動が終わり、ホッとして、安堵した。

この、カガヤンデオロは、旅行ガイドブックにも無い街であるが、北ミンダナオのスリガオと並ぶ、都市である。

ここから西に向うと、日本軍の進行と同じになる。
西ミンダナオは、モロ・イスラムの多い、地域であり、危険だと言われる。

いずれは、その西ミンダナオの入り口の、ディポログという町にある、慰霊碑を訪れたいと思っている。

後半にミンダナオ島の戦時の状態を、日本兵の手記を元に、紹介する。

カガヤンデオロで、丸一日を休んで、暑さに慣れておいて良かった。
支援の旅は、出来る限り、休憩が必要である。

シャワーを浴びて、一息。
明日は、ダバオに向う。

ダバオは、四泊の予定である。


posted by 天山 at 06:00| ミンダナオ島へ平成25 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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