2013年05月27日

霊学106

アラン・カデックの言葉を借用すれば、アートマンは「苦しま」ない。苦しみ、感じるのは、アストラル体すなわち感情体なのである。
まさしく霊体を思わせるこの体は、肉体の死後しばらくのあいだ作りものの生を、受肉の生の反映を生きる。
それは物資界で蓄積した感情を消費し、そのあと「アストラル屍体」となる。これを構成するエネルギーは分解し、単純な状態になってこの界の共有財産に還る。このようなことは人間のさまざまな外被についても同様であり、外被のひとつひとつが人間の「意識」のひとつを担っている。これらの外被の分解は続いて起こる。
それゆえ、人間の意識は一時的現象、変化する現象であり、各外被のやはり一時的な生に付随するものにすぎないのだ。さらに注意すべきは、来世での旅は西洋の各派のそれとは反対の方向に行われるということである。「チベットの死者の書」によれば、人間は死後最初に、非常に短いあいだ「明るい光」と至福を感じ、それから自分の感情と肉体的至高の記憶によって下方に引きずられるという。
カステラン 改行は、私。

それは、インド、東洋の考え方を言うものである。

更に、説明が続く。
ただし、アートマン、この「無」、この反映は受肉の生を通過するあいだ変化しないということは、必ずしも正解ではない。脱皮の終極においてアートマンが最後の体を放棄したとき、アートマンが地上に再降下すめためにつくる微細な体が影響を受けるのだ。それは各界におけるこのアートマンのカルマに見合う微細な体となるのだ。・・・

インドのいくつもの教派が輪廻を考えるのはこのような複雑な形においてである。目に見えるような比喩を用いるならば、こういうこともできよう。
アートマンは経験を積むたびにカット面がひとつずつ研磨されてゆくダイヤモンドに似ていると。この研磨はたぶん無限に続くのだろう。

実に、明確なインド、オカルティズムの理解である。
実に、複雑極まりないのである。

世の中で、前世は、誰々などという前世の云々が、いかに、馬鹿げているかが、解る。

つまり、エネルギーの集合体は、先行する生のものとは違う。
しかし、諸元素は、別の体、動物の体や、植物の体も含めた、別の体に所属しているともいえるのだ。

ここで、西洋は、思考や人格に、根本的に重要性を認めるが、思考は魂と一体であり、思考は、魂の本質的な属性である。

カステランは、極論すれば、
人間はカルマの試練として、生まれつきもしくは事故で頭脳を切り落とされたとしても、自分の思考を外在化し共通の形式をとらせるための道具を失っただけであり、そのことだけを苦痛に思うのである。
と、言う。

つまり、心理学者、精神科医から見れば、それは空想の何ものでもないということになる。

東洋にとっては、思考は物質であり、ある器官の機能であり、感覚の証言に左右されるものである。
精神は、人間を分かち合う、様々な引力を映す鏡であり、イメージの製造者である。

人間存在が個人的な形態のままで、死後も存続し、意識を持った「中央集権的」な個人としてまともに話をすることができるなどと信じるのは、通俗的な幻想に過ぎない。

仏教の言う、認識は、思考ではない。
受肉した魂であれ、していない魂であれ、心霊主義は、すべての魂に自己教化のために努力することを勧め、カルマの軽減と道徳的進歩は、知的概念の進歩を伴わなければならないという。
しかし、インドの叡智にとって、それは、問題にならない。

問題になるのは、人間の内部にあり、普段はセックスによって消費されている、力、クンダリーニを、松果腺に隣接した前額部の透視の中心に固定することにある。

その瞬間、感情、精神は、沈黙し、活性化された透視能力が、宇宙全体を支配下におく、最上位の圏と、修行者との一体化を可能にするという。

物理的現象については、心霊主義が報告している奇蹟は、すべてインドのオカルティズムには、よく知られたこと。当たり前のことである。

これを深く掘り下げることは、必要ないと、思う。

それが、果たして、良いことなのか、悪いことなのか・・・解らない。

更に、霊学として、それが、問題ではないからだ。

ただし、心霊主義を言うところと、インドオカルティズムは、根本的に違うといことだ。
そして、いずれにせよ、危険である。

人間には、未知の力が、宿っている。
しかし、それを、開発するという名目で、多くの誤りが繰り返された。
更に、幻想、妄想の世界を生み出した。

特に、宗教的な団体が行う、修行と称するもの・・・

何一つ、勧めるものは、無い。

特殊能力、あるいは、超能力という、危険極まりないもの・・・
更には、即身成仏などといわれる、幻想など・・・多々あり。

生き神様
生き仏様
人間は、そんな存在にならなくていいのである。

解脱・・・
それも、嘘である。

人間は、人間として、生きる。

この心霊主義から、インド・オカルティズムなどに関して、医学的見地からは、どう判断するのか。

それを持って、心霊主義に関しては、終わる。
更に、心霊研究から、神智学を見る。

心霊研究の多くが、医者であること。
神智学の多くが、哲学者であることが、面白い。
霊学への道は、遠いのである。



posted by 天山 at 14:18| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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