2013年05月12日

神仏は妄想である。416

創世記、出エジプト記は、雄大なイスラエル民族の起源を語る一大叙事詩といえる。

その、天地創造、人間誕生、失楽園は、神話、物語である。
そして、ノアの洪水。
その後、アブラハムの遍歴から、モーゼのエジプト脱出を境に、イスラエル十二部族宗教連合の結成に向かっている。

神話から、歴史へと展開する。

神話の部分と、歴史の部分を区分けて考えなければならないのだが・・・
一緒くたにして、神話も、歴史とするところから、おかしくなる。
つまり、権威主義的宗教に陥る。

結果、古代イスラエル王国誕生の基盤となる、物語である。
これを、人類全体の物語として、語るのは、誤りである。

アブラハムの遍歴が、紀元前1750年頃で、モーゼのエジプト脱出が、紀元前1300年頃であり、宗教連合の結成が、紀元前1250年から1225年あたりである。

ダビデによるイスラエル統一王国の形成が、紀元前1004年であり、モーゼ五書と、ヨシャア記の六書の範囲は、千年を超す。

物語の骨子となった最古の資料が成立したのは、ソロモン王の紀元前960年代であり、それは、イスラエル王国の黄金期である。

だが、紀元前926年の、ソロモン王の死を境に、イスラエルが辿る運命は、統一王国の分裂と、崩壊である。

つまり、六書の世界の崩壊である。

黄金時代は、ソロモン一代である。

紀元前926年、イスラエルは、南北に分裂し、革命、反逆と、国力が疲弊し、大国の侵略の前に、悲惨な滅亡と、亡国の一路を辿る。

王国誕生の物語は、亡国の離散の物語となった。

これで、終わったのである。

六書の世界が終わった。
だが、今も、脈々と、聖書としてユダヤ、キリスト、イスラム教に影響を与えている。
次の、聖書の時代は、予言の世界である。

つまり、イスラエル亡国から、ユダヤ教誕生の物語の伏線となる。

そこに登場したのは、救い主、メシアを求める願いと祈りである。

紀元前420年の、亡国イスラエルは、ユダヤ教として歩み出す。
これが、問題である。
イスラエルは、滅びたのである。
ただ、宗教、イスラエル民族の宗教としての、ユダヤ教が、歩みを始めたのである。

一つの民族の宗教であるということを、強調しておく。

であるから、十二部族の実体は、無い。
更に、神との契約関係も、部族ではなく、個人の意志によるものになった。

ここで、古代イスラエルの宗教との断絶が確定する。

ここで、天地創造の神、契約の神も、退場することになるのだが・・・

つまり、連綿として続いている、民族の歴史は、崩壊したのである。
ただ、残るのは、宗教的な意味においてのみである。

不思議なことに、亡国の体験が、新しい救世主、メシアの期待に託したということ。
メシア願望が、辛うじて、イスラエル、いや、ユダヤ人を支えたのである。

であるから、過去の聖書の六書の世界との、連続性の自覚を持つに至る。

だが、救い難いことである。
もう、時は過ぎたのである。

契約の神は、何一つとして、その民族の繁栄を続けさせることがなかった。
それでは、絶望である。

新しい人間にとって、その自己同一性を保つために、そのルーツを必要不可欠とする。それが、昔昔の神との関係だった。
そして、その神の威力が失せた時に、何と、救世主、メシアという存在を想定したという、悲劇である。

更に、そのメシアは、今に至るまで、ユダヤ教には、現れていないのである。

キリスト教は、イエスを、メシアとして、承認した。いや、創り上げた。

後期ユダヤは、宗教的、政治的に、実に複雑極まりない集団になってゆく。

聖書の起源を書いた、山形孝夫氏が、
旧約聖書の六書と新約聖書の福音書、この二つの作品群の間には、実に千年に近い大きな歴史のへだたりがある。しかし、この大きなへだたりを、オリエントの神話が、みごとな一本の線に結合している。私はそれは、モーゼのエジプト脱出から、キリストの最後の晩餐にいたる連続した一本の線として描こうと思う。
と、書くのである。

粘土板に残された、オリエント神話・・・
それが、重要な役割を演じている。

聖書が、単独に、神の啓示として、書かれたものではないのである。

それは、信じる者が陥る、非常に偏見と、偏狭に満ちたものである。

そして、最も危ういのは、権威的宗教による、承認という教義、教えである。
創り上げてゆく、宗教である。

神の世界も、去ってゆく。
新しい神が、また、誕生するのである。

何故か。
人間が創り上げるからである。



posted by 天山 at 00:02| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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