2013年05月03日

国を愛して何が悪い66

長期の十字軍遠征の暴挙があったにも関わらず、今度は、同じキリスト教同士の内乱が、18世紀まで、続いた。

西欧は、いつ果てるとも知らぬ、戦争、内乱の巷と化していた。
人々が、この戦乱に疲れ果てた頃に、戦争にも何かの決まり、秩序が必要であると、気付く時がくる。

国際法の、はしり、として、オランダのフーゴ・グロティウスの有名な、戦争と平和の法について、がある。
三十年戦争のさなかにあって、戦争の災禍から人類を救うために、国際法的ルールの設定を提唱したのである。

グロティウスの残した法的遺産は、その後、17世紀の半ば、イギリスの国際法学者、リチャード・ズーチの、諸国民間の法、に継承された。

続いて、18世紀末、ベンサムが、国際法、と名づけて現在に及んでいる。

だが、この国際法の適応範囲は、西欧のキリスト教国にのみ、限られている。

18世紀にアメリカの独立があり、その適応範囲が、欧米に拡大された。

それでも、白人キリスト教国家間の法という、基本的性質は変わらない。

19世紀になり、少しその性質が変わった。
1856年のパリ条約の際に、トルコの参加を認めたのである。

それに先立ち、1842年、中国が、南京条約を結び、また、日本が、1854年、日米和親条約をして、次々に、条約を結び、国際法の適応を受けることになった。

日本では、最初、万国公法として、知られた。

日本の坂本竜馬などは、それを持って、世界への道を考えたのである。
しかし、日本では、世界を律する、道義の道として高く意識されたが・・・

元々、それほどに、高次のものではないのである。

互いのエゴイズムを調節し合うという程度であった。

日本人は、万国公法を非常に高く評価していた。し過ぎでいたのである。

日本開国当初は、その万国公法では、一等国が、イギリス、フランス、オーストリア、プロシア、ロシアとされていた。
二等国として、スイス、デンマーク、オランダ、スペイン、ポルトガル、イタリアなどが、続く。
それ以外は、三等国扱いである。

アメリカは、新興国という扱いである。

さて、日本は、日清、日露戦争に勝利して、英米独仏と共に、五大一等国の地位を勝ち取った。
だが、その頃から、キリスト教国以外の、非白人国で、ただ一国、国際社会に参入したということで、西欧では、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世などにより、黄禍論、こうかろん、が叫ばれ、日本は、アングロサクソンの人々から、目を離せない、脅威の存在となっていた。

それは、多分に、差別である。

その証拠を、松原久子氏が書く。
開国したばかりの日本に西洋からやってきた人たちは、この国は二百年以上も戦争がなかったばかりではなく、社会が安寧を保ち、人々は太平の世を謳歌している豊かな国であることを見抜けるだけの態勢になっていなかった。西洋人にとって重要なことはただ一つ、日本はキリスト教ヨーロッパ文化圏の外にあるということだった。

彼女は、そこで、1876年に東京帝国大学医学部の教授として、来日した、ドイツの医師、エルヴィン・ベルツの書簡を上げる。

彼が家族に宛てた手紙の中に、
お前たちはだいたいこんな風に想像すればよいだろう。日本人はわずか十年前までは、我々の中世の騎士時代の文化状況、つまり教会、修道院、手工業者の同業組合といった封建制度の中で生きていた。それが今、我々のヨーロッパの文明がたっぷり五百年かけて成し遂げた発展過程を一足とびに跳び越えて、ヨーロッパがやっと19世紀になって勝ち取ったものを、一挙に横領しようとしているわけだ。
である。

この手紙の一部分は、当時に日本にやって来た、外国人が見て、感じたことを全て要約している。

更に、今日まで、日本について、聞いたり、見たりすることのほとんどに、浸透しているというから、驚く。

松原氏は、
開国した時の日本の文明は、西洋の五百年後ろを足を引きずり歩いていたという妄想は、数え切れないほどのバリエーションで繰り返し語られ、彩色されてきた。
と、書く。

西洋文明に一気に追いついた民族が世界に存在するという、興奮と、脅威である。

白人たちは、神経を苛立たせた。
神秘を感じつつも、危険を感じた。

その黄色人種は、異常な力を駆使でき、ヨーロッパ世界の脅威となる天才的な超人か、はたまた悪魔か・・・

このアンビヴァレントな想像は、ヨーロッパ人の心を深く惑わしている。好意的に考えるか、反感を持つかによって、日本は神秘と力に満ちた国になったり、暗黒の陰謀に満ちた帝国として描かれたりする。しかし魅惑も恐怖も、誤解に基づいたものなのである。
松原

この誤解が、今も続くのである。
人が理解出来るのは、その人の器による。
それを超えるものは、理解不能になる。
つまり、それ以外のことを考えられないのである。

西洋人は、それである。
考えられない、思考外の国、そして、日本人なのである。

本当は、彼らの救いが、日本にあることを知れば、幸いだが・・・
非寛容、排他的、更には、野蛮さ・・・

日本には、基本的に、そのような心情を持つ風土ではないということ。

欧米人ほど、日本を学ぶべきである。

ちなみに、現在は、西洋白人こそ、人類を破滅に導く恐ろしい存在であるという、白禍論、はっかろん、が語られるようになっている。




posted by 天山 at 00:01| 国を愛して何が悪い2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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