2013年04月22日

もののあわれについて609

御消息、源氏「こなたになむ、いと影涼しき篝火にとどめられてものする」と宣へれば、うちつれて三人参り給へり。源氏「風の音秋になりにけりと聞えつる笛の音に、忍ばれでなむ」とて、御琴ひき出でてなつかしき程に弾き給ふ。源中将は盤渉調にいと面白く吹きたり。頭の中将心づかひしていだしたて難うす。源氏「遅し」とあれば、弁の少将拍子打ちいでて忍びやかに謡ふ声、鈴虫にまがひたり。二返ばかり謡はせ給ひて、御琴は中将に譲らせ給ひつ。げにかの父大臣の御爪音にをさをさ劣らず、はなやかに面白し。源氏「みすの内に、物の音聞きわく人ものし給ふらむかし。今宵は盃など心してを。さかり過ぎたる人は、酔泣のついでに忍ばぬ事もこそ」と宣へば、姫君も、げにあはれと聞き給ふ。絶えせぬ中の御契り、おろかなるまじきものなればにや、この君達を人知れず目にも耳にもとどめ給へど、かけてさだに思ひよらず、この中将は、心の限り尽くして思ふ筋にぞ、かかるついでにもえ忍びはつまじき心地すれど、様よくもてなして、をさをさ心とけても掻きわたさず。




お便りされて、源氏は、こちらに、涼しい篝火に引き止められていると、おっしゃるので、連れ立って三人が、参上された。源氏は、風の音が、秋になったと聞えた笛の音に、我慢ができなくなったと、琴を取り出して、親しみやすく弾かれる。源中将、夕霧は、ばんしき調に、とても見事に笛を吹いた。頭の中将は、気を使い歌いにくそうである。源氏が、遅いと言うと、弁の少将が、拍子を打って、静かに謡う声は、鈴虫かと思うほどである。二度ほど謡わせて、琴は中将に譲る。まことに、あの父大臣の、弾かれる音に、引けを取らず、派手で素晴らしい。源氏「みすの中に、音楽の分かる方がおいでのようだ。今晩は、盃なども、気をつけて頂こう。年のいった者は、酔い泣きのついでに、つい、言ってはならないことまで、喋ってしまうかもしれないと、おっしゃるので、姫君も、心から身にしみて、聞いている。
切っても、切れない、兄妹の縁は、よい加減なものではないからであろうか。この方たちを、人に分らないように、目にも、耳にも、とめているが、よもやそんなこととは思いもかけず、頭の中将は、心を傾けて思う方ゆえと、この機会にも抑えきれない気持ちがするが、見苦しくなく振る舞い、心許して、和琴を弾きつづけることは、まずまずないことだ。

玉葛と、頭の中将は、実の、兄妹である。




篝火を終わる。

ここで、少し私の勝手な言い分を書く。

源氏物語は、二つの系列がある。
それは、研究者によって、提案されたものであるが・・・
一々、誰がとは、書かない。

その一つは、紫の上系であり、もう一つは、玉葛系である。

その登場人物も、二系統になるのである。
面白いのは、玉葛系の登場人物が、紫の上系には、全く登場しないのである。

勿論、両方の主は、光源氏である。

またまた、面白いのは、鎌倉時代は、37巻とされていたことである。
しかし、現在、54巻まで存在する。

その差の、18巻が、並びの巻と、呼ばれている。
並びの巻とは、鎌倉時代以前は、物語を分けていないということである。

何故、誰が、区分けしたのか・・・

ここで、結論から言うと、作者多数説である。
それは、玉葛系が、取り除かれても、紫の上系の物語は、全く影響が無いのである。

それは、独立した物語で、玉葛系とは、元々、無関係だと、考えられるのである。

先ほど言った、並びの巻は、紫の上系には、全く無く、玉葛系のみにある。
つまり、多くの人の手によって、書かれたと考える。

私は、研究家ではない。
もののあわれについて、を、書くために、物語を書写し、そして訳している。

もののあはれ
というものを、見つめる時、源氏物語は、外せないからである。
何せ、源氏物語は、もののあはれの物語と言われる。

光源氏の色恋の物語ではなく、大和言葉による、世界初の散文小説という価値で、私は見ている。

更に、全編が、大和言葉の敬語による。
実に、面白く、学ぶことが出来る。

そして、語源が多い。
物語の言葉から、生まれた多くの日本語である。

紫の上系の物語が、整然として創作された。
その後、現実的な構成によって、創作された、玉葛系である。

それは、上塗りされているのではない。
別の物語になっているのである。

そして、大作、源氏物語が成り立った。

小説作法などの無い時代に、紫式部が起こした、革命的な、散文小説が、多くの人の心に、火をつけた。
そして、物語が、勝手に、どんどんと、増えていった。

私の場合は、それでいい。

あはれ、という心象風景が、成長してゆく様である。

最初は、万葉集、そして、和泉式部日記、紫式部日記、古今集、そして、源氏物語と続けている。

この後も、続々と、続く。
死ぬまでに、書ききれないと思うが・・・
本望である。

もののあはれ
日本人の心性である。



posted by 天山 at 00:06| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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