2013年03月24日

もののあわれについて607

さて、近江「女御殿に参れと宣ひつるを、しぶしぶなるさまならば、ものしくもこそ思せ。夜さりまうでむ。大臣の君、天下に思すとも、この御方々の、すげなくし給はむには、殿のうちには立てりなむはや」と宣ふ。御おぼえの程いと軽らかなりや。先づ御文奉り給ふ。近江「葦垣のま近き程には侍ひながら、今まで影ふむばかりのしるしも侍らぬは、なこその関をやすえさせ給へらむとなむ。知らねども、武蔵野と言へばかしこけれども、あなかしこやあなかしこや」と点がちにて、裏には、近江「まことや、暮れにも参りこむと思う給へ立つは、いとふにはゆるにや。いでやいでや。あやしきはみなせ川にを」とて、また端にかくぞ、

近江
草わかみ ひたちのうらの いかが崎 いかであひ見む 田子の浦浪

大川水の」と青き色紙一重ねに、いと草がちに、いかれる手の、その筋とも見えずただよひたる、書きざまも下長に、わりなくゆえばめり。行の程はしざまにすぢかひて、倒れぬべく見ゆるを、うちえみつつ見て、さすがにいと細く小さく巻き結びて、なでしこの花につけたり。ひすまし童はしも、いと馴れて清げなる、今まいりなりけり。




そういうことで、近江は言う。女御さまの所に伺えるという、お言葉があったのに、気が進まないように見えたら、嫌な気持ちになるでしょう。夜になったら、伺おう。お殿様が、この世に、ただ一人の者と、思ってくださるにしても、ご兄弟が冷たくされたら、お邸の中に、いられようか。と言う。扱いぶり、まことに軽いようである。
早速に、お手紙を差し上げる。近江は、御座所ま近くにおりますのに、今までお姿を拝する悦びさえございませんのは、来るなと、関所をお置きあそばしたのやら、と存じまして、お目にかかれませんのに、お血続きと申し上げては、勿体なく思いますが、失礼ながら、失礼ながら、と繰り返しが多くて、裏には、近江が、実は、今晩にも上がりましょうと、存じますのは、嫌がりになると、余計に熱心になるからでしょうか。いいえ、いいえ、心中お慕いしているからなのでしょう、と書いて、また最後に、歌を一首

近江
私は田舎の百姓の子ですが。何とかして、女御様にお目にかかりたいと願います。

お会いしたくて、たまりません。と、青い色紙一重ねに、草書の仮名をふんだんに、角ばった筆跡で、誰の手とも分からず、ふらふらして、書き方も下が長く、むやみに気取っている。行の具合は、端の方に、歪み、倒れそうな感じだが、本人は、ニコニコして、それでも女らしく細く小さく巻いて、結び文にして、撫子の花につけた。ひすまし童が、大変馴れた綺麗な子で、新米の子だった。

ひすまし童とは、便所掃除を担当する童である。





女御の御方の台盤所に寄りて、童「これ参らせ給へ」と言ふ。下仕へ見知りて、下女「北の対に侍ふ童なりけり」とて、御文取り入る。大輔の君といふ持て参りて、ひき解きて御覧ぜさす。女御ほほえみてうち置かせ給へるを、中納言の君といふ、近く侍ひて、そはそば見けり。中納言「いと今めかしき御文の気色にも侍るかな」と、ゆかしげに思ひたれば、女御「草の文字はえ見知らねばにやあらむ、本末なくも見ゆるかな」とて賜へり。女御「返事、かくゆえゆえしく書かずは、わろしとや思ひおとされむ。やがて書き給へ」とゆづり給ふ。もて出でてこそあらね、若き人はものをかしくて、皆うち笑ひぬ。御返り乞へば、中納言「をかしき事の筋にのみまつはれてはべれば、聞えさせにくくこそ。宣旨書めきては、いとほしからむ」とて、ただ御文めきて書く。「近きしるしなき、おぼつかなさは恨めしく、

常陸なる 駿河の海の 須磨の浦に 浪立ち出でよ 箱崎の松

と書きて、よみ聞ゆれば、女御「あなうたて。まことに自らのにもこそ言ひなせ」と、かたはらいたげに思したれど、女房「それは聞かむ人わきまへ侍りなむ」とて、おし包みて出だしつ。




女御の御方の台所に行き、童が、このお手紙を差し上げてください、と言う。下仕えの者が、顔を知っていて、北の対に仕えている童でしたと、お手紙を受け取った。大輔の君というのが持って上がり、開いて、御覧に入れる。女御が、にっこりとして、置いたものを、中納言の君という者が、お傍に控えていて、ちらりと、見た。中納言は、たいそうしゃれたお手紙のようですね、と、見たそうにしているので、女御は、草の文字は読めないからか、意味が続かない気がすることですと、お下げ渡しになる。女御は、返事は、このように勿体をつけて書かないと、駄目だと軽蔑されましょう。代わりに書いてくださいと、お任せになる。顔には、表さないが、若い女房たちが、おかしくてたまらず、皆、くすくすと笑う。
お返事を願うので、中納言は、結構な引き歌ばかりを使っていますようで、ご返事は、難しいことです。代筆風にしましては、お気の毒でしょうか、と申して、ご自身のお手紙のように、書く。

お傍におりますかいもなく、お目にかかれないのは、恨めしく思います。

常陸にある、駿河の海の須磨の浦に、波は、お出であそばせ、箱崎の松でございます。

と書いて、読んでお聞かせすると、女御は、まあ、困ります。本当に私が書いたというかもしれません、と迷惑そうであるが、中納言は、それは、聞く人が聞けば、分かりますと、紙に包んで渡した。




御方見て、近江「をかしの御口つきや。まつと宣へるを」とて、いとあまえたるたきものの香を、かへすがへす焚き染め居給へり。紅といふもの、いと赤らかにかいつけて、髪梳りつくろひ給へる、さる方ににぎははしく、愛嬌づきたり。御対面の程、さし過ぐしたる事もあらむかし。




これを御方が見て、近江は、結構なお歌ですこと。松、待つとおっしゃっているのです、と、酷く甘ったるい香を、何度も何度も、着物に焚き染めている。紅を沢山赤くつけ、髪をすいて、化粧したのは、それはそれで、派手で愛嬌があった。
お目にかかる時に、出すぎたこともあったでしょう。

香りを甘くするのは、下品だと思われていた。
作者の言葉が、意地悪である。
田舎者という姿を描いている。

常夏を終わる。



posted by 天山 at 05:38| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。