2013年03月23日

もののあわれについて606

内大臣「その気近く入り立ちたりけむ大徳こそは、あぢきなかりけれ。ただその罪の報ななり。おしことどもりとぞ、大乗そしりたる罪にも、かぞへたるかし」と宣ひて、子ながら恥づかしくおはする御様に、見え奉らむこそ恥づかしけれ、いかに定めて、かくあやしきけはひも尋ねず迎へ寄せけむ、と思し、人々もあまた見つぎ、言ひ散らさむこと、と思ひ返し給ふものから、大臣「女御、里にものし給ふ時々渡り参りて、人の有様なども見ならひ給へかし。こるなることなき人も、自ら、人に交じらひ、さる方になれば、さてもありぬかし。さる心して見え奉り給ひなむや」と宣へば、近江「いと嬉しき事にこそ侍るなれ。ただいかでもいかでも、御方々にかずまへしろしめされむ事をなむ。寝ても覚めても、年頃何事を思ひ給へつるにもあらず。御許しだに侍らば、水を汲みいただきても、仕うまつりなむ」といとよげに今少しさへづれば、「いふかひなし」と思して、内大臣「いとしかおりたちて薪拾ひ給はずとも、参り給ひなむ。ただかのあえ者にしけむ法の師だに遠くは」と、をこ事に宣ひなすをも知らず、同じき大臣と聞ゆる中にも、いと清げにものものしく、華やかなるさまして、おぼろけの人見えにくき御気色をも見知らず、近江「さていつか女御殿には参り侍らむずる」と、聞ゆれば、内大臣「よろしき日などやいふべからむ。よし、ことごとしくは何かは。さ思はれば、今日にても」と、宣ひ捨てて渡り給ひぬ。




内大臣は、その、傍近くまで入ってきた大徳こそ、困った人だ。全く、その罪の報いなのだろう。おし、と、もどり、は、法花経を悪く言った、罪の中にも数えてある。と、おっしゃり、わが子ながら、気の引ける御方様に、お目通りさせるのは、まことに気が引ける。どう考えても、こんな変な娘を、調べもせずに引き取ったのか、と思うのである。女房たちが、次々に見ては、言いふらすことだろう、と反省されるが、女御が里帰りをしていられる時は、時々、あちらにお伺いして、女房たちの様子なども、見習いなさい。別に、優れたことが無い人でも、自然に大勢の中に入り、その立場に立つと、いつか格好がつくものです。そういうつもりで、お目通りなさっては、とおっしゃると、近江は、まことに嬉しいことでございます。ただただ、何とかして、皆様方に、認めていただくことばかり、明けても暮れても、願っていました。長い年月、ほかに、どんなことも、考えたことはありません。お許しさえございましたら、水を汲んで、頭に載せて運びましてでも、ご奉公します。と、いい気になって、今まで以上に喋るので、あれだけ言っても、何もならない、と思い、それほどまでに、自分自身で、薪拾いはされなくても、上がるがよい。あの、あやかったという師の僧さえ離れれば、と冗談にされても、気付かず、同じく、大臣と申し上げる中でも、綺麗で、堂々として、また、煌びやかな様子をして、並大抵の者は、とても前に出るのも憚られるほど、立派な方とも気付かず、近江は、それでは、いつ、女御様に参りましょうか、と申し上げると、大臣は、適当な日は、いつかなど調べさせるところだ。いや、別に仰々しくすることもない。行く気があるなら、今日でも、と、言い捨てて、ご自分の部屋に渡りになった。




よき四位五位達の、いつき聞えて、うち身じろぎ給ふにもいといかめしき御勢ひなるを見送り聞えて、近江「いで、あなめでたのわが親や。かかりける種ながら、あやしき小家に生ひ出でけること」と宣ふ。五節「あまりことごとしく、はづかしげにぞおはする。よろしき親の思ひかしづかむにぞ、尋ね出でられ給はまし」と言ふもわりなし。近江「例の君の人の言ふこと破り給ふ。いでめざまし。今はひとつくちに、言葉なまぜられそ。あるやうあるべき身にこそあめれ」と、腹立ち給ふ顔やう、気近く愛嬌づきて、うちそぼれたるは、さる方にをかしく罪許されたり。




内大臣には、立派な四位、五位たちが、大勢御供をして、少しばかり体を動かすにも、実に、堂々とした威勢なのを見送りして、近江は、本当に立派なお父様だこと。こういう方の子供でありながら、酷い家で育ったこと、と言う。五節が、ご立派過ぎて、こちらの身が、縮みそうな方です。大事にしてくれる普通の親に、探し出されたほうが良かったのに、と、酷いことを言う。近江は、いつもの癖で、あなたは私の言うことを、打ち壊すのね。嫌な人です。もう友達扱いで、ものを言わないでください。将来のある私なんですから、と、腹を立てた顔つきは、親しみがあり可愛らしく、ふざけたところは、それはそれとして、結構で、罪が無い。




ただいとひなびあやしき下人の中に生ひ出で給へれば、物言ふ様も知らず。ことなるゆえなき言葉をも、声のどやかに押ししづめて言ひ出だしたるは、うち聞く耳ことに覚え、をかしからぬ歌語りをするも、声づかひつきづきしくて、残り思はせ、本末惜しみたる様にてうち誦じたるは、深き筋思ひえぬ程の打ち聞きには、をかしかなり、と耳もとまるかし。いと心深く由ある事を言ひ宣ひ出づる言葉こはごはしく、ことばだみて、わがままに誇りならひたる乳母の懐にならひたる様に、もてなしいとあやしきに、やつるるなりけり。いと言ふかひなくはあらず、三十一文字あまり、本末あはぬ歌、口どくうち続けなどし給ふ。




ただ、酷い田舎の身分のない者の中で育ったので、物の言い方も知らないのだ。大したことのない話でも、ゆっくりと静かな調子で言い出したのは、ふと聞く耳に立派に聞えるし、面白くない歌の物語をするにしても、声の調子が整い、その後が、聞きたくなるように思わせて、歌のはじめや終わりを、はっきりと、聞えないように口ずさむのは、深い内容までは、考えられない程度の、少しの聞き方で、面白そうだと、聞き耳を立てるものだ。まことに、内容のある結構な話をしていたところで、早口では、相当な意味があるように、聞えない。考えの無い調子で、喋る言葉は、ごつごつとしていて、なまりがあり、いい気になって威張り散らして、乳母に抱かれて覚えこんだやり方で、態度が実に下品なので、それで聞かれたものではなかったのである。けれども、全然、話にならないということではなく、三十一文字の上句と下句の意味が通じない歌を、早く何首も続けて、作ったりするのである。

最後の部分は、作者の考え方である。
当時の、身分の違いなどが、よく分かる。

身分の高い人は、ゆっくりと、穏やかに話すというのだ。

五節が、近江に威張り散らして、その近江の早口などを、覚えてしまったのである。
近江は、五節の乳母である。




posted by 天山 at 00:01| もののあわれについて第11弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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