2013年03月19日

霊学101

霊の善悪は、単純である。

以下、10の道徳的法を紹介する。

崇拝の法
人類の宗教的基盤であるこの法は、魂と神の融合である。
祈りによって、われわれを助けてくれる善霊を呼び集めることができる。

労働の法
地上的様相における人間と、生物の肉体性に由来する法だが、それとは異なった、様々な形態のあるゆる試練世界にも通用する。
これは、進歩の道筋となる。

再生産の法
進歩を望む霊に、肉体という乗り物を提供する神聖な法である。
イエスなどのような、人類に奉仕するために多大な犠牲を払う場合を除いて、心霊主義が、独身をほとんど認めない。
そして、胎児がいかに小さなうちでも、堕胎は、罪となる。

保存の法
人間は、自分や仲間の生命を、その物質的必要にいたるまで、尊重しなければならない。
利己的な禁欲は、心霊主義にとって、何の価値もない。
自殺は、進歩と宇宙的調和に反する最大の過ちの一つ。
また、人を自殺行為に追いやる者に、災いあれ。その者は、殺人者と同じである。

それでは、戦争などは、心霊主義には、全く罪であるということだ。
それに関しては、何もコメントが無い。

破壊の法
これは物質の法である。
霊たちは、破壊を嫌悪する。
破壊には、苦痛が伴い、それは、全般的進歩を促す。

社会の法
人間は、仲間と共にいて、仲間に奉仕することによってしか、進歩しない。
心霊主義者は、隠遁生活や沈黙の誓いを無用なものとする。

進歩の法
これは、絶対の法である。
ただし、歩みはのろい。
文明は、進歩の手段である。
知性と道徳的能力は、足取りは、まちまちでも、最終的には、互いにバランスがとれるようになる二つの力である。

平等の法
自然的、本来的なものである。
各種の不平等は、一時的、物質的、社会的、生理的等々のものである。
不平等は、われわれが作り出したと理解すれば、不平等は、われわれにとっての、教訓になる。

自由の法
われわれは、物質的生によって、限定されるが、魂は、思考し判断の自由を与えてくれる。
この自由は、神聖なものであり、精神と良心を抑圧するものは、最大の罰が待ち受けている。

正義と愛の法
この正義の基準は、地上のいかなる正義の基準からも独立している。
それは、「自分のために望むことを他人のために望め」、さらに、必然的帰結として、「神への愛ゆえに、他人を自分自身と同様に愛せ」である。
この法は、根本的な法であるから、心霊主義者が最大の人間的欠点とみなすものは、利己主義である。

上記の上に乗っているのは、伝統的キリスト教道徳である。

最も、カルデックは、プロテスタントの信者であった。
特に、新約聖書を主にしていたという。

ゆえに、神という場合は、イエスが言う神という観念に結びつく。

神は乾くゆえに、人を罰する必要もなければ、善ゆえに、人に褒美を与える必要もない。善は、自分の方向、すなわち、愛と創造の方向に進み、幸福の種を含んでいる。悪は、反対の方向に進み、苦痛をもたらす。

各人は、物質的な行為の結果と思考、すなわち霊の行為の結果を背負っている。これらの結果は、前世と関連していることもあり、何らかの形で、消滅させないかぎり、次の生にも、引きずってゆくことになる。

人間が、悪戦苦闘している、極めて不公平な福不幸の大半は、これによって、説明できる。

これは、東洋的である。
特に、インド、ヒンドゥーの教えと同じである。

つまり、業というもの。因果の法である。

霊からの情報により、このように、まとめたのである。
先にも、書いたように、極めて、伝統キリスト教の教えに近い。

つまり、カルデックが、話した霊たちは、キリスト教の世界観を持っていると、判定する。それ以上ではない。

ただ、神の国、天国、地獄という、観念は無い。
そして、彷徨する霊というのである。

ここに、もし、インド、東洋系の霊たちが、現れて、話をしたら・・・
どのようなことになったのか。

ただ、イエスも、仏陀も、善霊であり、純粋霊ではないということ。
ということは、純粋霊とは、とても、高い位置にいる。そして、上級霊とは・・・

それでも、神ではない。

霊も、その知りえることしか、分からないのである。
それによって、すべが、解決するとは、思われない。
更に、霊の妄想の場合は・・・

確かに、事例は、山ほどある。
さて、その真偽の程は・・・



posted by 天山 at 00:01| 霊学2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。